第10話


「あ?」

香取が猛烈な勢いで振り向いて俺を睨みつけた。普段の様子からは考えられない鬼のような歪んだ形相を見せる。こ、怖え。俺は怯んだ。


しまった・・・。

俺は自分の重大なミスに気が付いた。

言い方を間違えた。


「おい・・おいっ!クソがっ。てめえ、イッチを見捨てるってのかよぉ!」

香取は俺の記憶にある日常の姿とはまるで別人のような口調で金切り声を上げた。


「ち、違う。見捨てる訳じゃない。今はまず飲料水を確保しないと俺たち全員がヤバい。水の重要性は分かるだろ?捜索はその後ですればいい。」

俺はビビりながらも慌てて釈明するが、香取はまるで聞く耳を持たなかった。



「後ですればいいだとっ!テンメエェ。他人事みたいに言ってんじゃねえぞコラァ!クラスメイト見捨てんのかよぉ。この人殺しがっ!」

香取は大音量で絶叫すると、突然足元の石を掴んで俺に投げつけてきた。彼女のあまりに突然の凶行に全く反応できなかった俺は、腹にマトモに投石を食らって尻もちをついた。ぐええ痛ってえぇ。マジかよ。


「し、しかし今は冷静になって優先順位を「お前ぇ糞みたいな言い訳してんじゃねえぞっ!」」

俺の必死の反論は、別の男子の怒鳴り声によって遮られた。


「あいつら死ぬかも知れないんだぞ!お前のくだらねえ屁理屈じゃなくお前が見捨てようとしたことが糞なんだよ!」

何なんだいきなり。誰だこいつは。暗くて顔が見えねえ。


「おい加藤。お前は自分が助かる為にクラスの仲間を見捨てる気か。そんな考えは私が許さんぞ。」

続いて浴びせられたその声を聞いて愕然とした。まさか先生まで。そんな馬鹿な。確かに俺は死にたくない。正直に言ってしまえば、行方不明の連中より自分の命の方が遥かに大切だ。だけど、自分が間違ったことを言っているとは思えない。心情を考えれば、伊集院と付き合ってる香取が激高してしまうのは仕方ないだろう。でも、少なくとも大人の先生は冷静にならないといけないだろうに。


「がぅ!?」

その直後、後頭部に衝撃を受けた。

俺は尻もちを着いた状態から前につんのめって倒れた。誰かが背後から俺に蹴りを入れたらしい。しかも相当な力を込めてだ。クソッ。おい吉田に吉岡、黙って見てるんじゃねえ。生徒が暴行受けてんだぞ。


「やめろ!」

その時、凛とした声を上げたのは才賀であった。


俺はホッとした。流石は才賀。冷静に助け舟を出してくれた。

だが、顔を上げて才賀の表情を見た俺は背筋が寒くなった。才賀は恐ろしく冷たい目と、眉間に皺を寄せた厳しい表情で俺を見下ろしていた。


「確かにこいつの考え方はクソだ。だけど、言ってること全部が間違っている訳じゃない。確かに飲み水がないと俺たちも危ないのは事実だ。」

才賀は氷のような冷めた視線で俺を見下ろしながら、低い声で吐き捨てた。


「伊集院達を探すのは最優先。だけど同時進行で水源も探そう。流石に夜の森に入るのは無謀過ぎるから、明るくなったら直ぐに行動開始だ。今のうちに役割分担を決めて、それから各自ベースの中で眠って明日に備えて体を休めよう。」

才賀は続け様に明日の行動の指針を示す。反対する者は誰も居なかった。


「寝てる時に動物とか来ないかな。もし熊とか出たら・・」

後方に居た女子の誰かから不安そうな声が上がった。


「昨日は混乱してそれどころじゃなかったけど、今夜からは交代で見張りを立てよう。」

才賀は笑顔で宥めるように女子に答えると


「加藤、やれ。」

俺に向かって高圧的に言い放った。俺は渇き、疲労していた。少しでも眠って気を紛らわせたかったのだが・・。針の筵の今の状況で才賀には歯向かえなかった。


俺は竈の火種を絶やさないよう定期的に木屑を放り込みながら見張りを続けた。胸の内では怒りと焦りが絶え間なく渦巻く。そして不安と恐怖、更には身体の疲労で涙が出そうだ。だが、俺は歯を食い縛ってひたすら耐え続けた。泣くところをこいつらに見られたくはなかった。


結局、夜を通して見張りは誰も交代してくれなかった。

夜半、睡魔が襲ってきて眠りそうになると誰かに背後から殴られた。起きてるならお前が見張りを交代しろよ。クソが。



精神的にも肉体的にも疲労困憊の状態で見張りを続けていると、漸く空が白み始めてきた。幸いにも夜行性の野生動物がベースに侵入してくることは無かった。夜が明けて皆が目を覚ますと、俺たちは吉田の点呼の後、昨日と同じようにグループに分かれて伊集院達の捜索をすることになった。


だが、俺の周りには誰も近付いて来なかった。周りを見渡すと、近くにいたクラスメイトが敵意のある眼差しを向けてきた。はあぁ。思わず溜息が出そうになる。正直かなり辛い。山下だけは普段通りだったが、アイツに愛想良くされても却って不気味なだけだ。


空が完全に明るくなると、俺たちは吉田の合図で捜索に出発することになった。


俺はささくれ立った気持ちで独り捜索に向かおうとすると


「おーい おーい。」

森の中から誰かの声が近付いて来た。

おおっコイツは確か伊集院の声だ。どうやら疲れてはいるようだが、その声からは陰鬱さは感じられない。


「おい、あの声あいつらじゃね。」

「うおおお生きてたっ 生きてたっ。」

「イッチ!よかったあああ!」

周囲で一斉に歓声が上がった。


そして、伊集院達と思われる声から更に驚愕の情報が齎された。

「川を見つけたぞー。」


「マジで!?」

「伊集院君すご。」

「うおおお 伊集神あざっす!」

立て続けの朗報に、クラスメイト達から更に歓声が上がる。そして遂に、伊集院達が森の中から俺たちの前に姿を現した。皆が一斉に彼らの周りに集まって取り囲む。その様子を離れた所から見てた俺もホッとした。ともかく生きててよかった。あとよくぞ川を見つけてくれた。伊集院GJだ。


そして、うおおおおお。俺は心の中で改めて叫んだ。もう喉がカラカラだ。早く水飲みたい。


森から出てきた伊集院達は、眠そうな目をしながらも昨夜のことを皆に説明していた。どうやら昨日の探索中どうにか川を見つけて喜んだものの、視界が悪かったせいで日が傾いていることに気付かなかったらしい。気付いた時には周りは既に薄暗くなり始めており、下手に動くと却って危険だと判断して動かず留まったそうだ。夜の間は木に登ってどうにかやり過ごしたらしい。夜の間は徘徊する野生動物らしき姿を確認し、かなり怖い思いをしたようだ。


その後、水先案内人の伊集院以外はベースで寝てもらい、俺たち探索組はとにかく伊集院達が発見した水場へと向かった。ベースから1km程歩くと、待望の音が聞こえてきた。逸る気持ちを抑えて歩き続けると、遠目に幅1mほどの小さな急流が見えてきた。皆が歓声を上げながら走り寄る。


小さな流れまで辿り着いた俺は、無我夢中で川の水を手で掬って飲んだ。生水の危険性は承知していたが、到底我慢出来なかった。ううっ水ってこんなに甘かったんだな。まさに甘露。あまりの美味さに涙が零れ落ちそうになる。


本来は煮沸するか濾過して飲むべきだろうが、皆口を付けて一心不乱に小川の水を飲んでいた。まあ鍋も濾過装置も無いし、どの道今はこうするしかないだろう。


水分を補給出来たお陰で精神が落ち着いた俺は、ふと周りを様子を眺めてみた。すると、離れたところで伊集院と香取達が水筒に水を汲んでるのが見えた。ナルホドネ。お前らが渇きに対して妙に余裕があって、彼氏を飲み水より優先する理由が分かったよ。いけない事だと分かってはいるものの、こんな状況で人の心は容易にコントロール出来る物じゃ無い。俺はどうしようもなく気持ちがささくれ立ってしまった。


その後、水源を確保した俺たちは、一旦ベースに戻って一息ついた。勿論食料その他問題は山積みだが、水源を確保したことにより、今日明日の命ということは無くなったのだ。


ベースに戻った後、周囲から明らかに距離を置かれてボッチになった俺が独り黄昏ていると、才賀が近づいて来て意外な事に昨夜の事を謝罪してきた。

「すまん加藤。俺も昨日は冷静じゃなかった。お前は自分が最良と思う提案をしただけなのにな。」

そういえば、才賀と伊集院は仲が良かったな。ああ見えて結構取り乱していたのか。


「別にいいよ。そんなのお互い様だ。昨夜は俺の言い方も悪かった。お互い気を付けようぜ。」

俺は和解の合図として才賀に向かって拳を差し出した。才賀は眩しい笑顔を見せつつそれに応えて俺と拳を合わせた。



これで当面の問題は解決したと俺は考えていた。スポンジのように軽いアタマとゲロのような糞甘い考えで。


この日から、俺の地獄の日々が始まった。

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