隣のWikipedia

@nezumiusagi

第1話

懸命にやってきた。二十五歳で結婚。次々と子供が生まれ、家事、育児、パート。繰り返して、繰り返して、気付いたら四十八歳になっていた。

 やっぱり、同窓会になんか行くんじゃなかった。あそこは、色んな意味で勝ち組が行く場所だから。

「愛ちゃんの旦那さんって、お医者さんなんだって。」

「馬場ちゃんの息子さん、東大らしいよ。」

「こないだ、連続で小火あったじゃん?あれ、林君の息子らしいよ。何か、ずっと引き篭もってたらしくて。流石に、来てないね」

 会場を一周まわっただけなのに。春子は昔から情報収集が得意だった。最も、私達に伝える時は、盛られてる事も多かったけど。場を盛り上げるのが、昔から上手かった。私は春子が苦手だった。忘れてたのに。春子への苦手意識と苦い思い出がリンクしてたから。忘れてたのではなく、忘れたかったのかも。初恋を台無しにされたんだもの。

「ただいまー。」

「えー。ママ帰るの早かったねー。」

娘も息子も夫も焦って桶を片付けた。

「シチュー作って行ったじゃん。何でお寿司取ってんのよ。」

「いやいや、食べようとしたんだけど、釣り番組見てたら、何か魚食べたくなっちゃって。」

「いいじゃん。ママだって、美味しい物食べて来たんでしょ?」

こういう時だけ、団結しちゃって。

「お寿司取るの分かってたら、私だってネイル出来たのに。」

「豚さんがネイルしてもしなくても、豚に変わりないんだから。」

娘と言う生き物はキツイ。言い返す前に自分の部屋に逃げて行った。

 確かに、私は太っている。四十歳を過ぎた頃から、特に太った。たくさん食べてる訳じゃないんだけど。

「同窓会楽しかった?」

なんて、誰も聞いてくれない。楽しくなかったから、早く帰宅した訳で、特に話す事もないけど、聞かれないと寂しいなんて、私ってこんなに面倒臭い人間だったかしら。

 お風呂に入りながら考えた。最近の嬉しかった事って何だっけ?接ぎ木した紫陽花が綺麗なピンクだったこと、夫から虹が出てるよってラインが来たこと、探してた調味料が見つかったこと…。小さな小さなことばっかり。体を拭きながら、鏡に映った弛んだ体に溜息が出た。


 あのおじいさんと会えたのは、本当に偶然だった。バイクのエンジンがかからなくて、仕方なくバスに乗った朝の出来事。二人掛けのシートの奥に、その人は座っていた。どこに座ろうかとキョロキョロしていると、

「どうぞ。」と声を掛けてくれた。

「すいません。」と会釈し、隣に腰掛けた。「降るって言ってなかったのにね。傘持って来なかったよ。」

「そうですね。予報は曇りでしたよね。」

初対面に有りがちな天気の話。窓ガラスに雨粒が流れ出した。降りるバス停が近付いてきた。

「あの、もし良かったら、この傘使って貰えませんか?」

福袋に入ってた折畳み傘。どうにもデザインが好きになれず、捨てるのは勿体ないと、バックに入れたままの傘。

「いいのかい?どうしても濡らしたくない物があって。頂けるなら助かるよ。有難う。」

良かったあ、処分出来た。

「花柄で申し訳ないんですけど。」

会釈しながら、傘を渡しバスを降りようとした時、

「良かったら」と、小さな箱を渡された。降りる人の波に流され、中身を確かめる間もなく、バスを降りた。おじいさんは小さく手を振って笑っていた。

 朝の出来事など、仕事の忙しさですっかり忘れてしまっていた。思い出したのは夕方、バスに乗った時だった。そっと、箱の中を確認してみた。中には、小さなスマホが入っていた。電源らしきボタンを押すと、起動して文字が浮かんだ。「他人の幸せ貰えます。貴方が幸せを欲しいと思う人の名前を入力して下さい。ただし、貴方が受け取った分の幸せは、名前を入力された相手から盗った幸せです。幸せを盗られたことには気付かないので安心して下さい。」

何じゃこりゃ。そんなアホな。

 家に帰ると、流しには皿や鍋がピサの斜塔の様になっていた。朝、片付けて行ったのに。ソファで娘が片足を背もたれに乗せて、スマホをいじっている。

「女の子がそんな格好しない!食べたら、洗う!」

「り!」

私はこの「り!」が大嫌いだ。了解を略して「り」、略語は私だって使う。しかし、「り」は何か腹が立つ。

 いつものルーティーンを繰り返すのみ。深呼吸をして、家事に取り掛かる。崩さない様に皿や鍋を洗い、洗濯物を取り込み畳み、各自の部屋へ、夕飯の支度をしながら、お風呂の準備、娘と夫と3人で夕飯。息子は食べるか食べないか連絡もない。夕飯の後片付け、お風呂に入ってる間に洗濯機を回し、夜から干す。本当は朝干したいが、弁当作りとゴミ出しで手一杯。皆で暮らしてるのに、家事は私だけの仕事らしい。

 あのスマホを思い出したのは、春子から連絡が来たから。同窓会の三次会まで行ったらしく、勝ち組の皆の様子を話してくれた。電話を切った後、何だかとても虚しくなった。幸せに勝ちも負けもないのに、何で私はこんなに惨めな気持ちなんだろう。

 カバンからスマホを取り出して、「馬場とも実」と入力した。息子さんが東大に行ってるんだもん。絶対幸せだよ。うちの息子なんて、本命は見事に落ちて、滑り止めの大学も、バイトばっかりで通ってるかも怪しいもの。ちょっとくらい分けて貰ってもいいよね。

 突然、画面が変わった。そこには、馬場さんのウィキペディアが書かれてあった。馬場さんの息子さんが低体重児で産まれ、健康だけを願って子育てをしたこと。小さく産んでしまったことで、どれだけ自分を責めていたか。東大に合格したことより、高校を無欠席で通えたこと心からを喜んでいること。

 画面が変わり文字が浮かんだ。

「貴方は、馬場さんの幸せを盗りますか?」

馬場さんの名前を静かに消した。

 もう誰の幸せも盗る気にもなれなかったが、少し覗いてみたくなった。 

 愛ちゃんのウィキペディア。ご主人が医師になるまで、愛ちゃんが経済的に支えてきたこと、去年やっと奨学金を返し終えたこと。

 林君のウィキペディア。真面目な息子が何故、放火したのか分からず、苦悩していること。賠償の為、夫婦で必死に働いてること。息子が自分の犯した過ちに気付くまで、夫婦で支えると誓い合ったこと。

 これで最後にしよう。私は春子の名前を書いた。

 二人きりで会うことなんてないと思っていた春子と、ベンチでおにぎりを食べている。

「珍しいよね、トノから誘ってくれるなんて。」

「トノ」と呼ぶのは、学生時代の友達だけだ。旧姓が外村(トノムラ)で、「トノ」。単純なあだ名だ。だが、小学校時代は男子から「バカ殿」と呼ばれ、嫌な思いもした。

 「ごめんね。急に呼び出して。パート休みだったし、天気良かったから。同窓会すぐ帰っちゃったし。」

「トノとは同じグループだったけど、二人だけで話した事なんて、一回もなかったよね。」

「あったよ。一回だけ。」

私はハッキリ覚えている。だって、話したことを後悔してたから。

「春は忘れてるかもしれないけど、東君のこと言ったの、春だけだったんだ。次の日には皆が知っててさ。ショックだったもん。」

沈黙の中、二人の咀嚼音だけが響いた。

「あの頃、グループって絶対だったよね。グループから外れるともう終わりみたいな。」

ポソッと春が呟いた。そして続けた。

「まさか、私にだけ、打ち明けてくれたって知らなくて。グループの中で共有してるはず、するはずって勝手に思っちゃって。ごめんね。」

「もういいよ。昔の話だもん。でも、皆がくっつけようとするから、何か東君とも変に意識しちゃって。純情だったなー。」

 それから、春子は会わなかった日々を話してくれた。

「私さ、親が年取ってから出来た子供で。凄く大事に育てて貰ったんだよね。欲しい物も結構買ってもらえたし。働き始めて三年目に母親が倒れて、介護が必要になって。初めは両立してたんだけど、今度は父親が癌になっちゃって。仕事辞めて、介護だけの生活になって。母親をデイに送り出して家のことして、今度は父親の病院行って。夕飯の準備したら、母親が帰ってきて。ご飯の介助して片付けしたら、後は風呂入って寝るだけ。そんな毎日で、いい人とか出会うわけないじゃん。あの時は、独りになりたい。自由になりたいって、いつも思ってた。父親が逝って、そしたら本当にすぐ母親も逝っちゃって。周りは結婚して子供が生まれたり、仕事バリバリしたり。私なんか、年だけ取っちゃって。他人の噂くらいしか話す事なくて。だって、何もないんだもん」

「今、何してるの?仕事。」

「ホームヘルパー、介護やっと終わったのに、また介護してるの。」と、春子は笑った。

 スマホのことは話していない。話しても信じては貰えないだろう。

 春子とは今では時々、お茶をしながら、愚痴を言い合い慰め合う仲だ。

 私はまた小さな喜びと不満の日々を繰り返している。夫がたまに、ごみを捨ててくれる様になったことと、息子が夕飯いらないとラインをくれるようになったことが、最近の喜びだ。娘の返事は相変わらず「り」だけど。

 あのスマホは、カバンの底に入れている。あのおじいさんに、もしも会えたら返すつもりだ。そしてこう言ってやろうと思っている。

「このスマホは私には必要なかったです。」って。

 1番知りたかった東くんのことは、結局、検索しなかった。知らない方が良いこともある。思い出は美しいままで。 終わり

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