義時さんはフィアレス 3

 鎌倉幕府二代執権北条義時の時代は、源平争乱や奥州合戦おうしゅうかっせんも過ぎ、日本全体での騒乱は遠いものとなりつつあった。

 しかし鎌倉では内乱が相次いだ。梶原景時かじわらかげときの乱からはじまり、比企能員ひきよしかずの乱、源頼家幽閉、畠山重忠はたけやましげただの乱、まき氏の変、和田合戦、源実朝暗殺、と、ひとつの油断が命取りとなる時代だった。

 平安時代の藤原氏も同じような他氏たし排斥はいせきを行っているけれど、貴族である以上、命までは取らなかった。しかし、鎌倉時代の他氏排斥では、命を失うことなど珍しいことではなかったのだ。



 義時さんは、運がよかったともいえるかもしれない。これらの事件の全てにおいて勝者の側に立った。しかし、ある事件においては、必ずしも勝者とは言えないだろう。

 すなわち、牧氏の変、最終的には北条時政が追放されるに至った事件である。



「父上は家族思いではあった。しかし一方、剛腕ごうわんな政治家でもあった。いざとなれば私情を捨て、仲間や家族を手にかけることも厭わない、ある意味で言えば立派な政治家であったのだ。私はそれを、尊敬しつつ恐れていた」

「たしかに、そういうイメージはあります。孫の源頼家を幽閉して殺害し、実朝まで殺そうとしたと」

「うむ……」



 事実上の初代執権とされる北条時政は、義兄である源頼朝の死後、次々と政敵を倒した。鎌倉殿頼朝のしゅうとであったことが強く影響したのだろう。その力は非常に強かった。

 その時政は、牧の方という女性を後妻に迎え、その間に産まれた娘を源氏である平賀朝雅ひらがともまさと結婚させた。そしてその朝雅が京都守護となり、鎌倉を離れると時政は、朝雅が武蔵守として行っていた武蔵国の政務を代行した。このことが武蔵国に勢力を持ち、朝雅同様、時政の婿むこだった畠山重忠との対立を惹起じゃっきした。


 そして、1205年、畠山重忠の乱が起こる。



「重忠殿こそ、あの頃の鎌倉には必要な存在であった。私としても歳もさほど変わらず、義理の兄弟でもあり、盟友でもあったあの男を、なぜ殺さねばならないのか」

 彼は首を横に振った。

「父上も、あの女も聞き入れることはなかった。姉上にも、どうしようもなかった。だから、私はこの手で義兄弟を」

「御父上に対して反感を抱いたのはそれがきっかけですか」

「そうじゃな。しかし、私は思うのだ。もしもあの女がいなかったなら、重忠殿を殺すことも、不孝の罪を背負うことも、朝雅殿があのような末路を辿ることも、なかったのではないか……と」



 畠山重忠の乱の後、時政はついに恐るべき計画を実行しようとした。既に将軍となっていた孫の実朝を排し、婿の平賀朝雅を将軍につけようとしたのだ。そこに牧の方の口添えがあったことは言うまでもないだろう。



「これまでの父上は私情を挟まず、政敵を排除していった。そのやり方には強引なものがあったが、もとより生きるか死ぬかの世界、間違っているとは思わない。しかし、あの頃の父上は、私情で政治を行っていた。だから私たちは決めたのだ。私情を挟まず、冷徹に、故将軍が打ち立てたこの場所を守るのだと」



 義時さんは姉の政子、弟の時房、有力御家人の三浦義村、結城朝光ゆうきともみつらと示し合わせ、実朝を安全な義時邸に迎えた。そして他の御家人を味方につけた上で時政、牧の方を出家に追い込んだのだ。二人はまもなく鎌倉を追放され、京都にいた朝雅も殺害されるに至った。畠山重忠の乱からわずかひと月ほどのことである。


「そのあと、御父上はどうなったのですか」

 教科書やネットには追放後の時政のことは載っていない。しかし1205年に追放されてから、十年も彼は生き続けたのだ。そこには語られぬ歴史があるはず。

 恐る恐る尋ねると、義時さんは「ああ」と一息もらし、口を開いた。

「たまにウナギやら魚を送ってくるようになったな」

「……ん?」

すも 生けらばあらむを はたやはた むなぎると 河に流れな(*)、などとふざけた古歌とともにな」

「んー……えっと……」

「知らぬか。伊豆は古くから有名な漁場いさりばで……」

「いやそうじゃなくて。追放したんですよね?」

「うむ」

「なのにやり取りがあったんですか」

「姉上は絶縁だと言って聞かなかったが、腐っても親子じゃ。一度も関わりのない方が不自然というものだ」

「そうですけど……」

「負い目があったのもたしかよ。父親を追いやるという不孝の負い目がな。ただそれは私情に他ならないだろう?」

「……そうですね。だから、鎌倉には戻さなかったのですか」

 義時さんは神妙な面持ちで頷いた。

「苦しかった、でしょう」

 そう声をかけると、義時さんは顔を上げて眉をひそめ、僕を見つめた。

「孝と公の挟間で、苦しかったですよね」

「そなた物分かりがよいな」

「恐縮です」

「まあ、不孝の身であることに変わりはないがな」

 義時さんはやはり自嘲げにわらった。もう少し自分に優しくしてもいいだろうに。妥協を許さない政子さんや頼朝さんの側に、ずっといたからだろうか。




(*)万葉集にある歌で「痩せていても生きていられれば良いじゃないか、ただ鰻を捕るために川に入って、流されたりしないように気をつけなさいよ」的な意味。もちろん時政がウナギを贈ったという史実はないけれど、そんな風だったらいいよね。

(**)北条時房・・・義時の異母弟。甥泰時の時代に連署として活躍。

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