少納言さんはオーネスト 5
春はあけぼの――
有名すぎる一言から始める少納言さんの『
僕たちが学校で習うときには、今と平安時代とで共通しているところ、あるいは違っているところに注目して読むだろう。
しかし、少納言さんが『枕草子』を書き始めた動機が、ただ単に自分の気持ちを書き連ねようと思ったから、とは思われない。そこには当然、定子の存在があったはずだ。
「式部ちゃんは、きっと彰子様のことを尊敬していたはずよ。私が定子様に対してしていたのと同じように、
そうだ。
現代は、例えこの世を去ったとしても、写真や動画があるからいつでもその人の姿を見ることが出来る。あるいは誰でも物を書ける世界だ。故人について、文章で思いを
しかし、当時はそうではない。写真や動画なんてあるわけないし、文章だって限られた人しか書かない。ましてそれを読む人も決して多くはない。
死には二種類あって、一つは肉体が滅びた時、もう一つはその名前が人々の記憶から消えた時だ、とよく言うけれど、今と違って、その二つのタイミングがかなり近い時代に、つまり、完全な死を迎えるのが極めて早い時代に、式部さんや少納言さんは生きていたんだ。
けれど、例外も少なからずいて、それが例えば、定子だった。彼女は人々の記憶からなくなることはなかった。
なぜそんなことになったのか。今わかった。
少納言さんが、定子を賛美する『枕草子』を残し、それが
「式部さんには、分かったんですね。少納言さんの『枕草子』を通して定子さんの記憶が貴族社会に残り続けてるって」
「頭のいい子だから、きっとね」
彰子やその父道長は確かに政治的には勝った。その後、道長の一族が朝廷の重役として幕末まで生き残った歴史を見れば、それは明らかだ。
だが、文化的にはどうだったかと言うと、彰子のサロンの
式部さんは、それが腹立たしく、
「あの子だってきちんと彰子様の名前を残したのよ。私は『源氏物語』を全部読んだけれど、物語という形で、確かに伝えたのよ。でも、あの子はその喜びよりも
「少納言さんが悪いわけじゃ……」
「ええ。昔も今も、私は自分が間違ったことをしたとは思っていないわ。けれど、悪いことをしたなとは……思うのよ」
少納言さんはふー……とため息をもらした。
「もう、どうしようもないしね。水に流してくれればって思うんだけど、駄目なのね。一度抱いた感情は、そう簡単に消え去るものではないわ」
「でも、どうにかならないんでしょうか」
「……」
今更なことではあるかもしれない。それに、元々会ったことのない二人だ。疎遠だって、嫌っていたってかまわない。
けれど、歩み寄れる可能性があるのなら、そうしたほうが良いに決まっている。
僕は立ち上がった。少納言さんは頬杖を突いたまま僕を見つめてくる。
「式部さんの所に行ってきます」
そう告げると、彼女はこくりと頷いて立ち上がった。
「私も行くわ」
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