隆家さんは救世主? 2

 藤原ふじわらの隆家たかいえは、関白かんぱく道隆みちたかの子どもだ。

 つまり、あの「この世をば我が世とぞ思ふ」と詠むほどに権勢を極めた藤原道長のおいにあたる。同母兄に伊周これちか、同母姉に、一条天皇の中宮ちゅうぐう皇后こうごうとなり、清少納言がつかえた定子ていしがいる。ちなみに、以前来た式部さんがつかえていた彰子は道長の子どもだから、隆家さんからすると従妹いとこになる。


 長男ではないにしても、本来は関白の子孫として、あるいは天皇の外戚として力を得ていたはずだった。

 しかし、働き盛りの最中に父が亡くなってしまったところから歯車が狂い始めた。

 日増しに、叔父道長の勢力が大きくなっていったのである。


 長徳ちょうとくの変。

 教科書にはほぼ出てこないが、隆家の従者が花山かざん法皇ほうおうの一行を襲撃したという事件だ。

 背景には兄の伊周これちかが、自分の愛する女性を法皇に奪われそうになっていると隆家に相談したことがあるようだが、実際には法皇が通っていたのは伊周の寵愛する女性ではなく、完全な誤解だった。

 伊周はもちろん、法皇も世間の目をはばかって事件を表にしようとはしなかった。


 しかし、中関白なかのかんぱく家を追い落とせるこの機会を道長が利用しないはずもなく、伊周は太宰だざい権帥ごんのそちに、隆家は出雲いずも権守ごんのかみとなり、事実上左遷された。数年後には京都に復帰したが、往時おうじの繁栄はなくなってしまった。


 と、あたかも、以降は道長の家ばかりが繁栄したかのような理解がされており、隆家は忘れ去られてしまったかのようだが、実態はそう単純ではない。


「そうでした。隆家さん、目を病んでいたのでしたね」

 瞳を閉じたままのジェスチャーの理由に僕は気付いた。

「うむ。今はもう治っておるのだが、つい癖で閉じてしまうのじゃ。開いていなければ病むことはないからの」

「したら見えないじゃないですか」

「そこは臨機応変というやつじゃよ」

「はあ」


 一条天皇の死後に即位した三条天皇の皇太子に、自らが期待していた外甥がいせい敦康あつやす親王(定子と一条天皇の皇子)を差し置いて、道長の娘彰子が生んだ敦成あつひら親王(のちの後一条天皇)が立てられた。

 その直後、事故によって隆家さんは瞳を負傷した。隆家さんが自ら、再びの太宰権帥任官を希望したのはすぐあとの事である。


「既に皇后様も、伊周の兄上も亡くなった後の事。あの頃のまろは、きっと何もかもどうでもよかったのだろうな」

 それも仕方のないことだと思う。大きく捻じ曲げられた運命に、正気でいられる人間などいないだろうから。


 しかし、歴史は隆家さんを、良くも悪くも見放さなかった。

「と思うたら外からあんな奴らが入り込んできてのう。まったく……」

 都を離れた九州で、何もかもどうでもよかったという割には優れた善政をほどこしたとされている隆家さんだったが、赴任ふにんから五年後、事件は起こった。

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