マリー=アントワネットと王妹エリザベト

エリーさんは姉想い

「ごきげんよう」


 家に帰ると、外国人がいた。

 ただの外国人ではない。室内なのにパラソルを持って、豪華なドレスを着ている。

 年齢はわからないけれど、大人というより少女っぽかった。


 またか、と心の中でつぶやきながら僕はリュックサックを置いた。

「どうもこんにちは。どなたか存じませんが、ここは狭いでしょう」

「ええとっても」

 解答は無慈悲むじひなのに、なんていい笑顔なんだ。

「お菓子ないの?」

「……持ってきますね」

  愛想笑いを浮かべて、僕は部屋を出た。



 この部屋は、ある種の霊道になっているらしい。しかもただの霊道じゃなくて、有名人だけが集まるような、そんな時空になっているようだ。

 歴道直下と父は得意げに言っていた。何が歴道直下だ。大体、歴道なんて呼称もよくわからないし。

 台所を漁りながらそんなことを考える。

「なんでなんもないんだよ……。クッキーとかパンとか……」

「兄ちゃん」

「ん? ああ、すず

 振り返るとジャージに短パン姿の弟がこちらを見ていた。

「帰ってたんだおかえりー」

「ああ、ただいま」

「なんか探してるの? 手伝おっか?」

「いや……うん、そうだな。あのさ、なんか洋菓子ない?」

「洋菓子?」

 涼は僕の隣に立って同じように棚を漁り出した。ふわっと柔軟剤の香り。ボブカットの黒髪といい、体つきといい、下手したら女子よりも女の子っぽい弟からは、いつもいいかおりがする。

「お煎餅じゃだめなの?」

「ううん……。せめてもっと高級そうなものの方が」

「誰か来てるんだ?」

「うん」

「大変だね」

 弟は苦笑した。

 歴道のことを弟は知っている。たまたま歴道直下に部屋があったために応対を一任されてしまった兄の苦労を、彼だけはわかってくれる。

「よしわかった」

「ん?」

「僕が買ってくるよ。ケーキとかでいいんでしょ?」

「いや、そこまでしなくても」

 しかし弟は「おもてなししないと」と言って駆け出した。

 靴をき替えているその背に声をかけると弟は「うん!」とだけ返して出て行った。あんな見た目をして、何てアクティブなやつだ。



 しかたなく煎餅を皿にせて部屋に戻る。

「すみません。今買いに……」


「あなたがここの主? はじめまして」


 部屋に入ると、一人増えていた。


 パラソルを持っていないだけで、他は同じようないでたちの女性だ。先ほどの女性よりも少し年上に見える。お国が違うから断定はできないし、もし違ったときのことを考えると問うことはできないが。


「はじめまして。……ごきげんよう」

「ごきげんよう」

「エリー、見て見て。これ何かしら」

 さっきの女性はパラソルを置いて、僕の机の上のものを見ていた。

「ちょっとマリ姉さん」

「マリ姉さん?」

「ねえあなた、これはなに?」

 姉さんと呼ばれたその人が手に持っているのは、何の変哲へんてつもないシャープペンシルだった。

「シャーペンです」

「しゃあぺん? 何に使うの?」

「えっと……ちょっと失礼しますね」

 僕は適当な紙を取り出し、ペンを受け取って実演することにした。

「ここをカチカチって押すと、芯が出てくるんです。見えます?」

 端正たんせいな表情で彼女は頷く。

「そして、このまま紙にあてると……」

「わあ!」

 試しにwelcomeと書いてみた。通じているのかはわからないが、彼女は瞳を輝かせた。

「見てエリー! すごいわ! 文字が浮かんでる!」

「あら……本当ですね。これはインクを使ってらして?」

「いえ。そうではないですね」

「面白いわね!」

「え、ええ。お気に召したならよかったです。えっと、ところで、あなた方のお名前をうかがっても?」

 回り道をしたけれど、ようやく聞きたいことを聞けた。

 ゴホンと咳払いした彼女は、腰に手を当てて言った。


「マリー=アントワネット=ジョゼフ=ジャンヌ・ド・アプスブール=ロレーヌ・ドートリシュよ」

「……はい?」

「エリー、あなたも」

「エリザベート・フィリッピーヌ・ド・フランスと申します」

 長い名前だったけれど、前者が誰かはなんとなく分かった。

「マリーアントワネットさん、ですね」

「あら有名人だったのね私」

「まあそうですね」

「ここはジャポンよね?」

「そうですよ」

「エリ―すごくない? 私」

「ええ。さすが王妃様ですね」

 さて、もう一人の、このエリーという女性は誰なのだろう。

 世界史は選択外、自学した程度で、あまり詳しくない。ここに来るからにはそれなりに名を遺した人物なのだと思うけれど。そう思っていると、くだんの彼女はそう言った。

「……あるじ様、私の事はご存じないようですね」

「えっ!?」

「よいのです。別に」

「もうしわけありません。僕が不勉強なせいで……」

「不勉強っていうか、どうして王妃の私は知っててエリーの事は知らないの?」

 よほど気に入ったのか、シャーペンで何かを描きながらマリーさんは言った。

「エリーは私の夫の妹よ」


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