式部さんはスタディアス 3

****

 機嫌を損ねた式部さんは、かき氷を出すと「けずじゃない」と微笑した。


「式部さんの時代にもあったんですね、かき氷」

「もちろんよ。ん? これ何がかかってるの」

「いちごシロップです」

「しろっぷ?」

「イチゴの味がする液体です。食べてみたらわかりますよ」

「え、イチゴってそんなにおいしくないじゃない。なんでそんなものを」

「いいから食べれ」


 恐る恐るという様子で氷を口に運んだ式部さんは、その途端に「あら」と瞳を輝かせた。


「甘いわね」

「ええ」

「もっとすっぱいというか、しぶいのを想像してたわ。うん。おいしい」

 あとで調べたら、式部さんの時代のイチゴは、僕らの時代のイチゴとは違い、野イチゴのようなものを指していたらしい。だから抵抗感があったのだろう。

 いずれにしても機嫌がよくなったようでよかった。

「あんまりがっつくと、頭やりますよ」

「あるあるね」

「何でそんな言葉(略)」

「それにしても削り氷をたやすく出せるなんて、あなたひょっとして有徳人?」

「うとくにん?」

「でも、この部屋はあまり広くないわね」

「……ああ、金持ちかってことですか。違いますよ。というか、かき氷って結構身近なものですよ」

「ええ!? 上品物の代名詞でしょこれ」

「そうでもないですね。むしろお金持ちは食べなさそう」

 そういえば清少納言も枕草子で、「あてなるもの」として「削り氷」をあげていた。また機嫌を損ねられたらめんどくさいので口には出さなかったけれど。

「……未来の生活は合わないなあ私には」

 呟いた彼女は氷を口に運んで、そのせいか苦悶くもんの表情を浮かべつつ頭を抑えた。



*****

 夕方を超え、夜になっても式部さんはここにいた。

 ペラペラと漫画のページをめくる音だけが沈黙に響く。

 居心地の悪さを覚えながら勉強机に向かっていると、ふと疑問が浮かんだ。


「『源氏物語』って、結構長い話ですよね」

「そうね」

 仰向あおむけになり、天井に「ポケモン」の漫画を掲げて、彼女はそれを読んでいる。

 平安時代でもこのポーズはままあったのだろうか。いや、巻物にはこの体勢は不向きか。

「なんで、書こうと思ったんですか?」

「なんでって?」

「いや、あんなに長い話を書き上げるには、相当のモチベーションがないと無理だろうなって思うんですよ。だから気になって」


「秘密」


 彼女は即答した。

「……え?」

「物語っていうのは解釈かいしゃくあってこそよ。それを作者がぼろぼろ教えるなんて愚の骨頂こっちょうよ」

「……」

 そういうものなのだろうか。自分の言いたい事と違った解釈がされてしまったとしても、それでもいいということなのだろうか。気になったけれど、僕は結局それを聞かなかった。

「このぽけもん? というのは式神みたいなものかしら。わね」


 うつくしい? 一瞬違和感を覚えたが、そういえば昔は「うつくし」を可愛いという意味で使ったんだっけ。多分一生忘れないだろう。


******

「なかなか面白かったわ」

 0時目前、式部さんは立ち上がった。

 身長はあまり高くないけれど、装束しょうぞくの厚みと髪の毛の長さのせいで迫力があって見える。そんなこと口が裂けても言えないが。

「未来の世界も悪くないわね。ありがとう」

「あ、いえ、こちらこそ」

「それにしても、あなた私がここに来ても驚かなかったわね。それにどこから来たかも聞いて来なかったし。どうして?」


 物を書いていると洞察どうさつ力も深くなるのだろうか。それとも、彼女が自分の倍以上も長く、そして自分よりもはるかに早い世界を生きたからだろうか。

「まあ、よくあることなので」

 僕は答えた。

 多分いろいろ気になるところはあっただろう。しかし彼女は「そう」と微笑しただけだった。


 式部さんはそう言うと窓を開けた。

「月が綺麗ね」

「そうですね」

 並んで月を眺めていると、式部さんは玲瓏れいろうな声で歌を口ずさんだ。


  見る人に 物のあはれを しらすれば 月やこの世の 鏡なるらん


「へえ」

「どう? よい歌でしょ。私のじゃないけど」

「じゃないんですか」

「そうよ」

「何を得意げに」

「ふふ」

 そう笑むと彼女はふわり浮き上がった。

「あら時間かしら」

「みたいですね」

 ここに来る人は皆こうしてここを去っていく。

「ひょっとして私今かぐや姫みたい?」

「え? ああたしかに」



 その言葉を最後に、式部さんは上空に消えてしまった。

「意外と想像通りだったかな」

 彼女が残していったかき氷の器を重ねながら僕は呟いた。


 この部屋は、ある種の霊道になっている。しかもただの霊道じゃなくて、生前に徳を積んだ者だけが集まるような、そんな時空になっているようだ。

 父は「さながら歴道だな!」と笑っていた。馬鹿じゃないの? という言葉は飲み込んでおいた。

 これを知っているのは家族だけ。その人物たちとの対話が僕に丸投げになっているのはせないところだが、向こうからこちらに危害は加えられないようだし、会話していて楽しいし、お小遣いももらえるし、まあいいかと思ってはいる。

 

 そういえば、と僕はスマホを取り出した。

「えっと……見る人に物のあはれを……」

 式部さんが残した歌が何なのか気になっていたのだ。

「これか。……あ、崇徳すとく院の歌なんだ」

 崇徳院はこれまた式部さんよりも後の時代の人だ。


(苦手なりに克服しようと頑張ってはいるけど)


 そうだ。式部さんはそう言っていた。で。

 死してなおあの人は勉強しているんだろうか。もしかしたら今も、新しい物語をつむいでいるのかもしれない。

「結構すごい人だったんだなあ」


 再び月を見上げてみる。

 月は確かにこの世の鏡かもしれない。それは今も昔も多分未来も、きっと変わらない。

 そういうことを教わったような、そんな気がした。


 けど、多分式部さんはそんなこと考えてはいないんだろうな。




 

                         式部さんはスタディアス 完

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