式部さんはスタディアス 2
***
式部さんは和歌が苦手だったらしい。
「あの世で、
「百人一首を作った
藤原俊成は藤原道長の玄孫で、式部さんより百年くらい後の人間だったはず。あの世では異文化交流ならぬ異世代交流が盛んなのだろうか。
「そう。あの人と会ったときに言われたのよ。式部さんは歌詠みとしてより物書きとしての方が
「へえ」
「嬉しい反面ちょっと悔しかったわ。自覚はあったけど」
「式部さん、歌苦手だったんですか?」
「よくよく考えてみなさいよ。物語と歌って真逆でしょ?」
「はい?」
言っている意味がよくわからなくて、僕はつい眉をひそめてしまった。
「物語は限りがないけど、歌は限りがあるじゃない」
「限りって言うのは、文字のってことですか?」
「そうよ。だから、苦手だったのよ歌の方は。苦手なりに
「なるほど……」
作詞家と小説家の違いみたいなものだろうか。
僕はどちらもやらないけれど、似ているように見えて実は全然違うという話を聞いたことがある……気がする。
歌詞は和歌とは違って厳密な音の数は決まっていない。けれど曲になる以上、制限が出てくのは間違いないだろう。
だとするなら、彼女の言うことはわからないでもない。
「……今、私の歌って残ってるの?」
式部さんは、リスが尻尾を持つように長い髪の毛先をいじりながら言った。
「え?」
「私の作った歌よ。『源氏』が残ってるんなら、そこに載せた歌は残ってるんでしょうけど、他の歌とか」
「ああ、残ってると思いますよ。確か『百人一首』に……」
引き出しの中から古典の教科書を取り出して捲ると、やっぱりそこに彼女の歌があった。
めぐり逢ひて 見しやそれとも 分かぬ間に 雲隠れにし
げ
「この歌は多分有名ですね。『百人一首』載ってるくらいですから」
「『百人一首』って
「定家くん? ……まあそうですが」
「ちゃんと載せてくれたのは嬉しいけど、
「どういう歌なんですか」
「みてわからない?」
「わからないから聞いてんです」
「やっとめぐり合って見たのが月だったかどうかもわからないうちに雲の中に隠れてしまった
「はあ、月の歌ですか」
「違うわよ」
「は?」
「月かどうかもわからないうちにそれが雲に隠れてしまったかのように、あなたかとはっきりと見分けられないうちにあなたも姿を隠してしまったわねって意味も加えてる。……自分で説明するもんじゃないのよこれ。察してよ」
式部さんは頬を赤くしている。
感覚としては、自分で言ったギャグが理解されなくて、「だからさ、これとこれがさ……」と説明するはめになるようなものだろうか。
合っているような気もしたけれど、あまりに馬鹿馬鹿しい例えだったから、口にはしなかった。
「ごめんなさい。古典はあんまり得意じゃないんです」
「まあいいよ別に。その代わり、それ少し見せて」
「はい」
古典の教科書を渡すと、式部さんはペラペラとページをめくり始めた。
横髪をおさえて、彼女はそれを読むのに集中しているようだった。
「『百人一首』って、よく見たら少納言のお父様とひいおじい様もいるのね」
そう思ったのもつかの間、彼女は僕を向いた。
「えっと……
「……私のお父様はいないのに」
「そこですか」
「定家くん、さては
「いやいや違うでしょ」
僕は教科書を見る。
「式部さんのお父様はいないけれど、娘さんはいらっしゃるじゃないですか」
「え、ほんと?」
「どこ見てたんですか。次の歌がそうじゃないですか」
式部さんの次の歌を歌った
「それに、この
「あ、ほんとだ。やっば、全然見てなかった」
大丈夫かこの人。ひょっとしてかなり抜けている人間なのではないか。
「ちょっと……」
「失念してただけよ。別に」
いやいや、その言い訳は苦しいぞ式部さん。
「で、結局残ってるのはその歌だけなの?」
「まあ有名どころはそうですね」
「よかった。苦手なものはあまり見られたくないもの」
「日記とかめっちゃみられてますけど」
「それもまた腹立たしいけどね。まあよかった」
「でも、僕からすれば式部さんの歌にそんな違和感はないですけどね。『百人一首』の歌」
「そう?」
「ええ。恋の歌でしょ?」
「え、違うわよ?」
「え?」
式部さんの歌は女友達を思って送った歌だったらしい。
昔からの女友達と久々に会えたのに、月と競うように元の場所に帰って行ってしまったから、残念に思ったのだという。式部さんにはそういう、女友達への歌も多かったらしい。
古典知識のにわかさが
「もうっ」
頬を膨らませた式部さんは、すっかり
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