36 動き出した時計
36 動き出した時計
翌日、アワレが入れられていた箱に、カスタマーセンターへの連絡先が書いてあったので、そこに連絡をした。
取りに伺うと言う向こうの指示を丁重に断り、俺はアワレを抱きかかえて車に乗せ、指定された住所をカーナビに打ち込んだ。何の事は無い、指定された先はウィンテルの開発事業部だった。
「ん、武文か? 一体どうしたんだ? 出歩いて大丈夫なのか?」
ウィンテルに着いた時、入り口でリムジンに乗り込もうとした父さんに出くわした。
「いや、アワレの電池が切れたんだ。だから、連れてきたんだよ」
「……そうか、意外と早かったな」
「父さんは、知ってたんだよね? アワレに、寿命があった事……」
父さんの目を真っ直ぐ見つめる。
「お前、頭痛は?」
父さんが驚いたようにこちらを見た。
「いや、もう大丈夫だよ」
俺の言葉に、父さんの目が潤むのが分かった。
「そうか……、いや、すまん。あのロボットの事を随分と気に入ってたようだから、言い出せなくてな」
「ロボットじゃないよ。アワレって言う、名前があるんだから……」
笑って言うと、父さんもつられて笑ってくれた。
「そうか、そうだったな。識別ネームを付ける仕様にしたのは、正解だったようだ」
その時、父さんの後ろから、社長、そろそろと聞き覚えのある声がした。博士の家に行く時に、電話越しに聞いた秘書の声だった。
「ああ、じゃあな武文、また近い内に家へ帰る。その時に色々聞かせてくれ」
父さんはそう言うと、リムジンに乗り込んで、走り去って行った。
俺は受付へと向かい、カスタマーセンターの場所を尋ねた。
荷物を運びますと言う会社側の申し出を丁重に断り、俺はアワレを抱き上げ、そのまま会社の中に進んで行った。少しだけ奇異な目で見られもしたが、そこはみんなここの会社の社員だ。事情を分かっているのか、大した反応は無かった。アワレの存在を知らない訳では無いだろうし、もしかするとそれ故に、俺を社長の息子と認識して、見ていたのかもしれない。
指示されたカスタマーセンターは7階にあった。エレベーターに乗り込み移動する。エレベーターを開けてすぐ目に入ったのは、ドアが開け放たれた部屋の中で、一人コーヒーを飲む博士の姿だった。
「武文君じゃないか」
博士は俺とアワレに気付き、微かに目を細めた。
「博士……」
博士は俺の腕の中のアワレを見つめて、そうか、止まっちゃったのかと寂しげに呟いた。
「はい、昨夜」
「うん、残念だけども、仕方ない」
博士はそのまま奥の部屋まで案内してくれた。
会議室風の部屋の奥に、コンピューターに囲まれた研究室があった。博士は父さんに、この一室を与えられたらしい。
他の研究員も何人かいたが、皆一心不乱にパソコンと格闘していた。
「気にしないでくれ。大きなプロジェクトの納期が迫っていてね。その子は、そこに寝かせてくれ」
指示されたベッドの上にアワレを寝かせた。
「このドレスは、君の趣味かい?」
「はい、アワレに似合うと思って。それと、絵のモデルを頼んでいたんです」
「そうか、それは素晴らしい」
博士は微笑みながら、こちらを見つめた。
「それにしても、随分さっぱりしたじゃないか」
俺の顔を、博士は興味深そうに見つめた。
「心境の変化、でいいのかな?」
「はい、間違ってはいません」
家を出る前に、今まで目元を隠していた前髪をばっさりと切った。散髪用のロイドに任せたのだが、いつも設定していた髪の長さを、思い切り短くした。前髪が切り落とされた時、久方ぶりに見る明るい世界に、新しい地平を感じた。
父さんの顔を見ても、激しい頭痛には襲われなかった。実を言えば痛みが消えた訳ではなく、脳の奥底では未だに小さな鼓動が疼き続けているのだけれども、この頭痛は恐らく、誰かの顔を見たくらいで驚き鼓動をあげる程、臆病者では無いはずだ。
「これから、アワレはどうなるんですか? 人間と同じように、燃やされたりしてしまうんですか?」
「まさか。この子の身体は研究材料の宝庫だ。それに、有機体では無いので、放っておいても腐る心配は無い。この子は、これからも眠り続けるんだよ」
そう言う博士の声に安堵し、俺は昨日、アワレから飛び出したチップを博士に見せた。
「これは、この子のAIだよ」
その言葉に、手の中のチップが一つ、とくんと心臓を動かしたかのように、脈を打った気がした。
「これが、アワレのAI……」
アワレが、この中に詰まっている。そう思えば、今まで与えてもらった様々な暖かさが、伝わってくるような気がした。
そして、博士にもう一つ、言わなければいけない事があった。
「これ、お返しします」
博士の手に、あの日もらったICチップを乗せる。
「使わなかったんだね」
「はい、だけど、アワレが止まる直前、こいつ、泣いたんです。涙は出なかったし、わんわん喚いた訳でも無い。だけど、こいつは確かに、泣いたんです」
俺と、離れたくないと、そう呟いて……。
「そんな事って、有り得るんですか?」
博士はふむと少し考え込み、やがて、本来なら有り得ないはずだ、と呟いた。
「だが、このヒューマノイドロイドに埋め込まれたAIは、開発者の私が言うのも何だが、まだまだ沢山の可能性を秘めている。これから臨床で出したデータが集まれば集まるほど、様々な可能性が出てくるだろう。まだまだ未発達だが、そう言う事例も今後また、起こりえるかもしれないね」
それに、と博士は更に付け加えた。
「本来このAIチップは、電池が切れたとしても、自動的に外に出てくるもんじゃない。停止した後に処置を施せば簡単に取り出すことは出来るが、勝手に飛び出してくるなんて、本来ならありえない事だ。きっとこの子は、君に自分の存在を、覚えていて欲しいと願ったのかもしれないな」
「博士って、科学者なのに、随分と抽象的な話をするんですね」
「いや、理論上有り得なかろうが何だろうが、実際に起こってしまった事を否定してしまうわけには行かない。だから、その方法をまだ我々が見つけていないだけで、それが存在することは、事実な訳だ。その可能性を示唆する時に抽象的な想像も視野に入れている、それだけのことだよ」
博士が言うように、アワレは俺に、自分の願いを込めて、このチップを託したのだろうか。それなら嬉しい。アワレに少しでも、何か恩返しが出来たのかもしれないと思い、胸の内が少しだけ楽になる。
「これを使って、またアワレを復活させる事は出来るんですか?」
そう言うと、博士は少しだけ口ごもり、理論上は可能だ、と言った。
「だけど、あまりお勧めはしない。そのチップはその子の魂のようなものだ。肉体が死んだから、魂を新しい肉体に宿したとしても、記憶は残らないし、それはもう同じでは無いだろう?」
それに、と博士は付け加えた。
「そんな事は、神様だけがやっていれば十分だ。人間が手を出せる領域じゃない」
「そうですか……」
アワレがもう目を覚まさないのは、無論、心が掻き毟られる程哀しい。だけど、博士の言い分ももっともだった。
「ところで、博士にもう一つ聞きたい事があったんです」
本当はここを出た後に、博士の家に行こうと思っていた。なので、その手間が省けて好都合だ。
「何かな?」
「博士の弟子になるには、どうすればいいんですか?」
俺の言葉に、博士は静かに笑った。
家に帰り着いて、俺は自室のベッドに倒れ込んでいた。昨夜はこの場所をアワレに譲り、俺は一晩中、アワレの手を握っていた。
アワレの温もりが残ってはいないかと、シーツに顔を押し付けたが、感じたのはまっさらなシーツの、清潔な匂いだけだった。
身体を起こし、ドアの横に飾られていた絵を眺める。
熊坂が描いてくれた絵の横に、あの日俺の言葉を真摯に聞いてくれたアワレが、笑顔を添えていた。
テーブルの上には、昨日まで描きまくった大量のアワレの絵が置かれている。手元に引き寄せ、一枚ずつ眺める。止まったはずの涙がまたうっすら零れた。
それらの絵を、一枚一枚丁寧に壁に貼り付けていく。熊坂が描いてくれた絵を囲むように、俺の部屋に少しずつ、アワレの領域を広げていった。
全部張り終えた頃には、もう部屋中にアワレの絵が広がっていった。
穏やかに微笑むアワレの絵を眺めながら、俺は一つ思い出した。
部屋の隅の棚にしまったままになっていた、あの日暖炉室で描いたアワレのデッサンを取り出す。
隅っこでそっと微笑んでいたデッサン画のアワレの笑顔は、今こうして見比べてみると、明らかに固かった。
アワレは確かに成長していた。それは、俺に対する信頼感でもあったのかもしれない。
そう思い、改めて部屋を見渡した。
同じように笑っていると思っていたアワレの顔は、その時々で、様々な表情に変わっていた。
『自分の中の、言葉にも感情にも出来ないモヤモヤした想いを吐き出す為に……』
熊坂の言葉が、フラッシュバックする。
俺は、自分の不安や苛立ちを、絵にぶつけていただけだったのか? アワレにぶつけていただけだったのか?
『アワレは、幸せなのですよ?』
そこでふと、あの日のアワレの声が、耳を掠めた。
幸せとは、ある日突然目の前に現れるものじゃない。毎日の積み重ねの中で、少しずつ少しずつ育んでいくものだろう。
アワレの存在に意味を持たせるためにも、俺は歩き続けようと決めた。
アワレが、俺に言ってくれた言葉を、思い出した。それを言い換え、口に出す。
「アワレとの日々を否定する事は、アワレの想いを否定する事。それは、許される事じゃない……」
『武文様が今一番しなければいけない事は、前に進む事です。胸の時計に、再びネジを巻くことです』
アワレの声が再び、俺の中を駆け巡っていく。
アワレの笑顔を思い浮かべながら、奥底で響く小さな頭痛が、動き出した時計のように感じた。
――せめて、誇れる生き方を……。
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