35 キセキ
35 キセキ
「後どれくらいだ?」
「約23分で御座います」
「……そうか」
暖炉にくべられた薪達は赤々とした炎を身に纏い、炎は薪達を餌にして、華麗に舞い続けている。揺らめく明かりの中、アワレは白のドレスを身に纏い、腰掛けたソファで上品な笑いを崩さない。ちらちらと揺れる影が、アワレの笑顔に、艶やかな魅力を加えてくれている。
赤やオレンジ、黄色やスカーレットなどの暖色系を基調にバックを彩る。白のドレスを際立たせるため、炎の影とドレスの境目を慎重に暈す。それから更に5分程筆を動かして、その絵は完成した。
「出来た……」
引っつかみ、アワレへと向ける。アワレは近づいてきて、その絵をそっと受け取る。何枚も何枚も描いたが、時間的に、これが最後だろう……。
『限界ギリギリまで、お前の絵を描く。他の仕事は一切放っておいていいから、ずっと俺の傍にいるんだ。命令だからな』
博士の家に行った日の夕食で、アワレにそう言った。アワレは困りますと首を振ったが、俺の命令が聞けないのかと、半ば脅すようにこちらの要求を飲ませた。
何着かドレスを新たに頼み、それが届くまではメイド姿のアワレを描き続けた。箒を持たせたり、スカートの裾を摘ませたり、日々に点在していたアワレの仕草を、一つ一つ描き留めていった。俺とアワレが歩いた軌跡が、点から線へと近づいていく。
何枚描けるか分からなかったが、出来る限り手を抜かずに、そして丁寧に、沢山描こうと決めた。そうと決めたら、後は時間との勝負だった。
無理をなさらず、ご自愛下さいませと言うアワレの言葉も、耳に蛸が出来る程聞かされた。
アワレのありのままを残そうとした時、写真と言う無粋な選択肢は俺の中に存在しない。俺の目を通して、俺のフィルターを通して、俺の腕を通してじゃないと、この行為に意味なんて無い。
最後の一枚を描き終わると、視界がぐらりと歪んだ。
「武文様!」
アワレが俺の傍に駆け寄ってくる。
「大丈夫だよ」
「……無理をし過ぎです。このアワレなんかの為に、勿体無ぅございます」
「そう言うな、俺は、無理してるんじゃない。夢中になってるだけなんだから……」
今まで生きてきた中で、ここまで熱心に没頭出来た事があっただろうか。身体はしんどいが、心は満足している。
「後、どれ位だ?」
アワレに、残りの時間を聞く。
「約、14分で御座います」
「そうか……、あんまり時間が無いな。じゃあ、俺の部屋に……」
立ち上がり歩き出すと、足元がふらついた。アワレが横から、身体を支えてくれた。
階段を上り、自室へ入る。
ベッド、テーブル、ソファ、それらの上に、この一週間で切り取り続けた俺とアワレの軌跡を敷き詰めていた。そして先程描いた絵を、テーブルの中心に添える。
改めて眺めると、その光景は壮観だった。よくぞここまでの枚数を描いたなと、自分でも驚く。手に取りながら枚数を軽く数えてみるが、30を超えた辺りから面倒になり止めた。掻き集めた絵を、アワレに手渡す。
「最後の最後まで、付き合わせて悪かったな」
「いえ、私の方こそ、こんなに素敵なお心づくしを頂きまして、感謝の念に耐えません」
アワレの笑顔が胸に沁みて行く。不意に気が緩み、零れそうになる涙を、手で擦り押さえ込んだ。
アワレに涙を見せない。アワレの門出は、笑顔で迎える。俺は自分自身に、そんな誓いを立てていた。名目だろうが建前だろうが何でもいい。そうでなければ、きっと耐えられないかもしれないと踏んだからだ……。
「アワレ、本当にお前には感謝してる。お前が居なかったら、俺はきっと今も、前に向かう意思を持つことも無いまま、苦しみ続けていたと思う……。本当に本当に感謝してる。ありがとう」
心の中で何度も何度も練習した感謝の言葉を、アワレに贈った。油断して泣いてしまわないように、何度も何度も反芻した言葉を贈った。俺の想いを、感謝の気持ちを、100万分の1でも多くアワレに伝えられるように、少し固いが、確かな気持ちを込めた言葉を、贈った。
そしてその言葉と共に、ドレスと一緒に注文しておいた季節外れの花を一輪、部屋の隅の花瓶から抜き取り、アワレに贈った。アワレは手に抱えていた絵をテーブルに置き、俺の手からその花を、大事そうに受け取り、嬉しそうに、一つ息を吐いた。
「竜胆、ですか。この時期の花ではありませんのに……」
アワレは目を細めながら竜胆の花を見つめ、呟いた。
「哀しんでいるあなたを愛する、ですね」
アワレが呟いた竜胆の花言葉に、俺は頷いた。
「アワレめの名前に準えて、態々この花を?」
アワレは竜胆を抱きしめて、慈しむように目を閉じた。そのまま、ありがとうございますと、静かに呟く。
「喜んでもらえたか?」
そう尋ねると、どうしてだか、アワレは無表情のままこちらを向いた。
「はい、とても、とても嬉しく思います。アワレは、本当に、幸せ物で御座います」
アワレの声が、静かで、冷淡なものになっている。
「申し訳御座いません。申し訳、御座いません」
静かに響くアワレの声は、哀しみを秘めた時のように無機質なものではあったが、少しだけいつもと違っていた。
微かに、震えていたのだ……。
「どうした?」
アワレは無表情のまま首を左右に振る。
「申し訳御座いません。アワレは、本当に武文様に、よくして頂きました。どれだけ感謝をしましても、感謝しきれません。ですが、お返ししようにも、アワレには、もう時間が御座いません……」
その時、アワレの声に表情が戻った。
「ああ、武文様、過ぎた願いを抱くこのアワレめを、どうか、お許し下さい……」
こちらを向いたアワレは、笑顔では無かった。
「武文様と……」
その顔は……、
「離れたく無いのです……」
涙こそ出ていないが……、
「もっともっと……」
確かに……、
「一緒に居とう御座います……」
泣いていた……。
「アワレ?」
博士から貰ったチップは差していない。
「もっと、武文様の……」
なのに、アワレは俺に……、
「お傍に……」
……泣き顔を見せている。
「仕えたく……」
俺は、思わずアワレを抱きしめていた。
零れ出る涙が、抑えられない。
立てた誓いは、守れそうにも無かった……。
「アワレ……」
「武文様……、アワレめの、為に、泣いてくださるのですか?」
震えた声を出すアワレを強く抱きしめながら、俺はその言葉に肯いた。
「俺だって、お前に、ずっとずっと傍にいて欲しい……」
これを、奇跡と呼ぶのだろうか……。
「勿体無ぅ……、御座います」
アワレの声は、震えたまま、明るくなった。
「アワレは、本当に、幸せ物で、御座いました。ありがとう、御座いました」
切れ切れに聞こえてくるその声は、アワレが啜り泣いているように聞こえた。
そしてその直後、アワレが胸に抱きしめていた竜胆が、パサリと床に落ちた。
「アワレ?」
すぐ隣にあったアワレの首が、赤ん坊のように、座らなくなる。糸が切れた操り人形のように首をこちらに凭れかけてくるアワレの頭頂部から、機械的な声が響いた。
『ナイブデンチガ、ジュミョウトナリマシタ』
タイムリミットを告げる、声だった。
『オテスウデスガ、カスタマーセンターマデ、ゴレンラククダサイ』
アワレの顔を見ると、眠ったように目を閉じていた。
『ナイブデンチガ、ジュミョウトナリマシタ』
俺は足元の竜胆を拾い上げて、再びアワレの手に握らせた。
『オテスウデスガ、カスタマーセンターマデ、ゴレンラククダサイ』
響き続ける機械音が、アワレの心を映すかのように、哀しく、哀しく繰り返される。
『ナイブデンチガ、ジュミョウトナリマシタ』
哀しんでいるあなたを、愛する……。
『オテスウデスガ、カスタマーセンターマデ、ゴレンラククダサイ』
哀れな……、あなたを……、愛する……。
「アワレ……」
アワレの身体を、再び強く抱きしめた。
覚悟はしていたつもりだったのに、全部分かっていたことだったのに、涙は止め処なく溢れ続けた。
少しして、鳴り響いていた機械的な声も止まり、部屋の中にはしんとした空気が音を立てて広がっていった。
アワレを抱きかかえ、そっとベッドに寝かせる。その手弱かで可愛らしい寝顔は、王子様のキスでも目覚める事は無いのだろう。
その時、どこかでカチッと言う音が聞こえた。そして、アワレの右耳から、何か黒いものが飛び出してきた。
ベッドに転がったそれをよく見ると、先日博士に貰ったICチップと同じ形をしている。
『武文様』
それを手の平に載せた時、耳元でそっと、アワレの声が聞こえた気がした。泡がはじける瞬間に聞こえたようなその声は、一瞬だけ俺の耳元を掠めた後、外の風の音にかき消されて行った。
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