3 HR‐C7

 3 HR‐C7


 食事を済ませ、居間から新聞の束を一つ拝借してから部屋へと戻った。

 部屋の中では、空気清浄機とエアーコンディショナーが静かに活動を続けている。ベッドは綺麗に整頓されていた。恐らく、さっきのメイドロボットが整えたのだろう。こちらの指示を必要としないと言う点では、確かに今までのものより優れている。

 ソファに腰掛け新聞を開き、経済欄をざっと眺める。父さんの会社の株価は今日も上がっていた。いい事なのだろうが、正直どうでもいい。

「武文様」

 ノックの音と共に聞こえて来たのは、先程のメイドの声だった。

「ああ、入れ」

 指示すると、ガチャリと開いたドアの向こうに、百科事典程の分厚い本を片手に三冊、まるで爽やかな果物でも持ってきたかのように、軽々と片手の上に乗せていた。もう片方の手にはティーセット、明らかに両手が塞がっている。

「失礼致します」

 メイドはしずしずと部屋に入り、机の上にどさっと軽やかに資料を置くと、その横にティーセットをゆっくりと置いた。

「お前、今その荷物量で、どうやってノックしてドアを開けたんだ?」

 両手が塞がっている状態だったので気になった。すると、ロボットはあっけらかんと言った。

「はい、こちらの説明書の上に、一時的にティーセットを置かせていただきました。人型に作られている為、私共も残念ながら腕は二本しか御座いません。故に、そうさせて頂きました」

 そう言ってそいつは、可愛らしくペコリと頭を下げた。

「あぁ、そう」

 態々聞いては見たものの、改めて聞くとどうでもよかった。

「こちらが、私の取り扱い説明書となっております。そして、差し出がましいかとも思いましたが、食後のお紅茶を運ばせて頂きました。よかったらいかがでしょう?」

「茶葉はなんだ?」

「はい、本日はアールグレイをお持ちしました」

「まぁ、貰うよ」

「はい、畏まりました。準備いたしますね」

 ロボットはそう笑うと、楽しそうに紅茶を淹れ始めた。ティーポットからは暖かな湯気が立ち上り、カップの中を紅茶で満たす。部屋の中にはうっすらと、だけどもアールグレイらしい強めの香りが心地よく広がっていく。

「紅茶はまだ少し入っております。足りなくなりましたら、またお呼び下さいませ」

「なぁ」

 そのまま部屋を出て行こうとするロボットを、呼び止める。

「はい、何でしょう?」

 近づいてみると、俺よりも少しだけ身長は小さかった。

「お前さ、身長は?」

「身長は、と言うのは、何センチかと言う事でございましょうか?」

「そう、何センチだ?」

「設定上では、160丁度でございます」

「ふーん、痛覚ってあるのか?」

「いえ、痛覚はございません」

 それを聞いて、そいつの額を軽く指で2、3回小突いてやった。皮膚の触感の下に、骨とは別の固い音が混じる。だけど、金属的な固さとは別の、何かだと感じた。そのまま頬や首を触ると、やはり同じだった。金属的な冷たさは無く、体温は人間と変わらない。

 ――この辺りはどうなってるんだ?

「ん、わかった。他の作業に戻っていいぞ」

「はい、それでは、失礼いたします」

 そいつは恭しく頭を下げると、入って来た時と同じように、そのまましずしずと部屋から出て行った。

 俺はドアが閉められるのを確認してから、もう一度ソファに腰掛け、まずは一口アールグレイを啜った。芳醇な香りと渋みを味わいながら、分厚い説明書を一つ手に取った。


『現在の科学の進歩において、本製品が製造されたのは、正に道理であると言えます。国民の比率における60代以上の、所謂高齢者社会と呼ばれる現代におきまして、人の温かみを伝える事の出来る本製品は、まさにこれからの時代が所望した発明品と言えましょう……』


『本製品は、お客様の生活をサポートすべく作られた、プロのメイドでございます。本製品HR‐C7型は、従来のB7型とは異なり、人工知能AIを標準装備しております。これにより、従来のB7型よりも、よりお客様の意思を自動で汲み取り、迅速にサポートする事が出来る事が、臨床結果よりも明らかになっております……』


『HR(ヒューマノイドロイド)とは、数藤秀介博士によって開発された新素材、ネオプラスチウムによって製作された、新時代の製品であります。従来のような金属は使用せずに、ネオプラスチウムによって、コストを従来の10分の1以下にすることが可能となりました。数藤博士は以前より発売されておりましたCR(コンパニオンロイド)の開発にも尽力しておられ、是非人型でもと、今回より我がウィンテルサービスと業務提携を行って頂きました……』


『本製品は、人間の形をしておりますが、食事の必要はございません。4時間の充電で、約20時間の稼動が可能でございます。尚、本製品の修理は、当社ではサービスの対象外とさせていただいております。駆動部分の修理につきましては、有料とさせて頂いておりますので、ご容赦下さいませ。それと併せまして、本製品のメモリー機能には、内部電池に伴い活動限界がございますが、これらの修理、交換は行っておりませんので、予めご了承ください……』


『本製品の識別ナンバーは、お客様の元に届けられました際に、識別ネームへと変更をさせて頂いております。これは識別ナンバーよりも、識別ネームの方がより一層親しみを持ってもらえる為に考案された仕様となっております。尚、こちらの識別ネームは音声入力が可能ですが、識別ネームの変更は、メモリーのバックアップの性質上不可能となっておりますため、予めご了承ください……』


 説明書を斜め読みしながら紅茶を啜ると言う行為を一時間程繰り返した所で、頭痛が激しくなって来たため中断した。

 窓を開け放ち、空気を新鮮な物に入れ替える。紅茶の香りと共に、温くなった空気が庭へと吐き出されていくと、頭が少しだけスッキリしたような気がした。

 外は突き抜けるような高い空。スズメが2羽、空を駆けていく。雲は無く、太陽は燦々と輝いていた。癖のように一つ溜息をついて、窓をそのままにしてベッドに倒れこむ。

 とりあえず、このロボット……、いや、ヒューマノイドロイドと呼ぶのが正確らしい。あれだけの文章の中、ロボットと言う単語は一つも無かったのだから、俺も随分時代に追いつけなくなっていたのだなと感じ、苦笑した。そして、あいつについての知識を少しだけ噛み締めた上で、その心持ちを少しだけ思案しようとしたが、残念ながら上手く頭は働かなかった。

 頭痛の強さが収まる気配を見せないので、薬を飲んで少し眠る事にする。

 ベッドに身体を委ね、深く目を閉じる。

『武文様のお役に立てるのが、私には至上の幸せでございます』

 あいつが言ったそんな言葉が、眠りに落ちる前の頭を飛び回った。

 ――あいつ、感情があるんだよな。今までと違って……。

 現実から夢の世界に離れるにつれて、軽くなる頭が、心地よかった。。

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