最終話

 白慈と梨鈴が塔の上で門の破壊を行っている一方その頃、北軍領内で事の成り行きを見守っていた者達は思わぬ事態に巻き込まれつつあった。

「どうやらあちらの方は片が付いたみたいですわね」

 双眼鏡を覗き込みながら戦場を見ていたミシェが皆に聞こえるよう報告した。

「言われなくたって見えてるよ……あれだけ大きいのが崩れたら」

 実際の所、双眼鏡なぞ使わなくてもあのサイズの巨人ならばどうなっているのかは見える。そんな事はミシェだって分かっているのだから彼女が言いたい事とはそこの事ではないだろう。

「わたくしが言っているのは何もあの巨人の事だけではないですわ。あの塔の上で梨鈴がケリをつけたみたいね」

 ミシェの視線の先では緑の結晶が塔から溢れ出していたが、それが今止んだことから戦闘が終了したと判断していた。無論、ミシェは梨鈴が敗北するなど微塵も思っていない事からの発言であったが。

「おおっ⁉ という事はウチ等、元の世界に帰れるんやな」

 サクニャは諸手を挙げて喜んでいるが、簪と雪洞の二人は怪訝な表情で塔のてっぺんを見ていた。

「ねぇねぇ簪ちゃん……なんか違和感がなかろうかね?」

「奇遇ね姉さん。ちょうどアタシもそう思ってたところさ」

 簪の視線が一層厳しくなる。そして塔の上を注視していただけかと思われた簪が突如として叫びだす。

「爆発っ⁉ いったい上で何が起こってるのさ!」

「えっ? ……どういう事! っていうか見えてるの⁉」

 立て続けに信じられない事を聞いてサクニャはパニくっているようだが、誰かにツッコむなどという文化を持たない簪はサクニャを無視して雪洞と相談に入っていた。

「ウチ無視されてる⁉ どういう事なの~教えてミッこ~……」

 分からない事があればミシェに頼るというスタンスで泣きついた。そうして飛び込んできたサクニャの頭を撫でてあやしながら自分が分かる範囲で説明した。

「簪さんは体の八割ほどが機械で出来ていると伺っているわ」

「ウェッ⁉ ……という事はあの人ってロボットか何か?」

 思わず変な声が漏れてしまうが、身体的な事で大声を出すと変な目で見られるのは確実だと思い小声で聞き返した。

「ロボット……とは違いますわね。簪さんはかなり特殊な体質のようで機械を食して体内に取り込んだ機械の特色を獲得できるみたいですの」

「えっ……と……それじゃあの塔の上を肉眼で見てたのって……」

「つまりはそういうことですわね」

 二人の付き合いが長いからなせるのかその先は言わないでもお互いに会話が通じていた。無論、その二人の会話について行けない者もそこにいたが。

「二人で盛り上がっているところ悪いんだけど、私にも状況を教えてもらえないかしら?」

 魔術や霊力、それに超科学等に全くもって関わりのない真柴が訊ねて来た。

「わたくしもあまり詳しくはないので理解が及ばない所もありますが、それでいいのなら」

 本人も他人から聞いた事を自分なりに解釈しているに過ぎないのであまり自信が無いように見えた。

「問題ないわ。本職から聞いたとしても完全に理解なんて出来るとは思えないもの」

「それは……確かにそうですわね」

 真柴の物言いに少し面食らって苦笑してしまう。それでも次の瞬間には表情を引き締めていた。

 ミシェは先ほどサクニャにしたのと同じような説明を真柴にもしたのだが、理解の埒外にあるソレにあまり付いていけなかった様だ。

「……世界は広いという事は分かるわね」

「遠い眼をしたくなる気持ちは分かりますが残念ながらこれが現実ですわ」

「チッ!」

 ――と、そこで塔の上を見ていた簪が舌打ちをした。その様子から芳しくない結果が出たのだろう。

「……その様子からなんとなく良くない事が起こったと察せられますが――」

「どうにも父さんが負けたみたいだ。まったく、最後は自爆するとはね……だらしない」

「慈悲が無いっ⁉ いやいや、もう少しこう……優しい言葉とかかけないのかにゃ~?」

 あまりにあんまりな扱いに思わずサクニャがツッコむのだが、我が道を行くかのように簪はさらに続ける。

「誰と殺り合ってたかまでは分からないし死んでもいないみたい。まぁやるだけの事はやったようだし、アタシ等もそろそろやることやるか」

 サクニャに反応を返す事なく非情にドライに言い放つ。まるで父親を切り捨てるかのように。

「それじゃわたちも簪ちゃんを手伝いまするぞ」

 そんな妹に苦言を呈するなどという事は一切せず、姉である雪洞もまた父親である白慈の事など気にも留めず何やら作業を開始し始めた。

「ちょいちょい! 貴女たちのお父さんがやられたってのに心配しないの⁉」

「心配? あの人にそんな事するだけ無駄さ。どうせ手の内を晒さないように殺り合っている内に負けたんだろうからさ。……じゃあ後の調整は頼むよ姉さん」

「任された!」

 そう言って簪は座り込む。そして雪洞がすぐ傍へと駆け寄り簪の右目に指を入れてかき混ぜ始めた。

「ヒィッ⁉ まさかこれって……グロ展開!」

「違げぇよ……よく見なよ、右目には何も無いから」

「へっ?」

 何が起こっているのか……簪の後ろ姿しか見えないサクニャは恐る恐る簪の前まで回り込む。すると彼女の言う通り右目の所はいつの間にか空洞になっており、その奥には不思議な色の空間が渦まいていた。

「な、なに……やってるのかにゃ?」

「この世界から出る準備。もう少ししたら姉さんの調整が終わるからそれが済み次第アタシの後に付いて来な」

 結局の所、何がどうなっているのかは簪の口からは聞けないので完全には分からないが、取り敢えずこの世界から脱出が出来る事だけは理解した。

 そして時を同じくして塔の真下。そこでも塔の上での異変を感じ取り脱出の用意が執り行われていた。



 北軍がこの世界からの脱出の用意をしている一方で、ユリウス達の方もこの世界から出るための用意を行っていた頃――向こうと同様に塔の上での異変に下で動揺が広がっていた。

「おいユリウス! いったい上でなにが起こったんだよ」

「詳しい事は僕にもサッパリ。ですが門を破壊してくるという仕事は終えた――といったところでしょうか」

 塔の上で戦闘が起きていたのは簪たちと同様に認識していたが、せいぜい上で新たな敵が現れそれに対処していた程度にしか捉えてはいなかった。だからなのかサクニャ達よりかは幾分楽観視している様に見える。

「ああ、クソッ! もどかしい。俺の体が万全ならすぐに確かめに行くってのに……」

 事態がこれ以上進展せず、確かめに行くことも出来ないので樹だけでなく他の皆も内心ではやきもきしていた。

「ふぅ……門の設置、完了しました」

「……あたし達だけこの世界から出てもいいんでしょうか?」

「心配しなくても良いですよ。白慈達ももうこの世界から脱出しているはずですし、向こうの方も雪洞と簪が脱出の手筈が完了している頃合です」

 そこまできっぱりと言い切るならば問題は無いのだろうというのは分かるが、やはりなんとなくいい気持ちにはならなかった。

「ユリウスさんがそう言うのならいいんですけど……ちょっと申し訳ない感じが――」

 そこまで言って海織は口を噤む。この場合真っ先に心配するとしたらユリウスや大五郎と、付き合いが自分より長いであろう二人の事だ。その二人が特に心配をしていないのはひとえに白慈という人物の実力、それに今はレックスが危険状態という事もあってもしかするとそれどころではないかもしれない。

 そして、そういう事を考えている間にユリウスの方の準備が全て終わったようだ。

「さて皆さんご注目。こちらが異界への門となります」

 ユリウスに呼ばれそちらに視線を向けたのは門の能力を知る大五郎を除いた三人で、それぞれが真剣な面持ちでユリウスを見ていた。

「この先の世界は以前僕がお世話になった方がいらっしゃる所で危険等はありません」

 そこまで言ってユリウスは振り向き、危険が無い事を示すかのように門へと向かう。

「ちょっと待てーっ! 終わりか? それで終わりなのか? 気を付ける事とかそういうのは無いのか⁉」

 先を行こうとするユリウスに対し、樹が待ったをかける。その制止させる声にユリウスは意外そうな顔をして立ち止まり振り返った。

「どうかしましたか? まだ何か聞きたい事でも?」

「どうしたもこうしたも……俺達は世界を渡るなんてことは初めてだ! 注意することとか心構えとかそういうのは無いのかよ⁉」

「ああ、なんだ――そんな事ですか。特に何も起こりませんし、それにあなた方は別に初めてでもないでしょうに……」

「あぁ? …………あっ!」

 言われて気付く。よくよく思い返してみればここだって自分のいた所からしたら立派な異世界と言える。ここに来た前後の記憶は覚えていないが、それ以外は特に何も異常な事など起こっていない。

「うっそぉ……もしかしてぇ~いつき君気付いてなかったの?」

「樹さんが呼び止めたりするからてっきりあたし達が気付いていない事でもあるのかと思いました」

「やめて! もうやめて! 姐さん……それ以上はもう……勘弁してください」

 女子二人に責められ、樹のメンタルはもうゼロになっていた。

「いいからとっとと行け」

 面倒になる予感でも感じたのか大五郎が後ろから蹴りを入れて無理やり門の中へと突っ込ませる。そして樹の後に続く形で海織と雪華が門をくぐり、さらにレックスを背負った大五郎が門をくぐる。そしてこの世界には最後の一人となるユリウスが残るのみであった。

「三ヶ月半……短いようで意外と長引きましたね」

 誰もいなくなった世界で一人呟く。この世界とももうすぐお別れなのだがいざとなると感慨深くなる。

「さて、そろそろ僕も行かなくては。それで――貴方はどうしますか、薬袋傷馬」

「おや・おや・おや……気付いておられましたか」

 ユリウスのすぐ後ろ、そこには樹達の目の前で消える様に逃げたと聞いていた男がそこにいた。

「怪しい気配がしていれば気付きます。それで返答は?」

 ユリウスが言外に突き付けたのはこの場で殺り合うかどうか。ユリウスからしたらすぐさま拘束しセムリに関わる者達の手掛かりを聞き出したい。だが今はレックスの存在により、今後の展開の為には敢えて見逃すのも仕方がないと思っていた。

「楽しそうな提案ですがヤメておきましょう。ワタクシのこの体も……さすがに限界でしてね」

 そういう傷馬の手にはスイッチのような物が握られていた。そのスイッチが意味するところはおおよそ見当が付いていたのでユリウスもその返答に特に言及はしなかった。

「では、ごきげんようユールレシア・カレイトス。またいずれ……戦場でお会いましょう」

 そして傷馬はスイッチを押し込んだ。すると次の瞬間傷馬の体は弾け飛び、後には何も残らなかった。

「自爆ですか……いや、そもそも最初から生身で戦争に参加してない以上あれでは彼の勝ち逃げですか」

 この世界で出会った薬袋傷馬という男、彼は主催者の一員として戦争に介入する際自分に一切の被害が及ばぬよう絡繰り人形をどこからか操作ししていたのである。

「せっかくのチャンスなのに見逃さざるを得ないとは、僕も色々と運が悪いですね」

 最後にユリウスはこの世界へと別れを告げて皆の後を追った。




 戦場を後にしたユリウスが門をくぐり抜けた先は彼にとっては懐かしい香りのする世界だった。

「おせーぞユリウス。何してやがった」

 最初に出迎えたのは大五郎だった。彼は大樽から酒を盃で掬いながらユリウスに向かって手を振る。

「もう呑んでいましたか……して、彼の容態はどうですか」

 合流の挨拶もそこそこにユリウスはレックスの容態を聞く。いろいろ手を尽くしたのだから良い方向に向かってもらわないと困るというのが本音だ。

「問題ないわ。あの子なら二日ほど前に峠を越えて今は安静よ」

 ――と、奥の方から真柴が現れ現状を報告してきた。

「そうですかよかった」

 真柴からの報告を受けて安堵する。だがそれと同時に引っ掛かるワードも出て来た。

「それと二日……ですか。思ったより時間がズレていますね。あの世界での出来事が全ての原因とも考えにくいか――?」

「考え込んでるとこ悪いが時間のズレはオマエが思ってるよりあるぜ。ほら、これ見とけよ」

 自分の世界に入りそうになるユリウスを押し留め、大五郎はユリウスがいなかった間にあの世界であった出来事等をまとめた報告書を渡す。

「………………ほう。どうも由々しき事態があったみたいですね」

 隅から隅へと報告書を読み進めていくと、あの時塔の上でなにが起こっていたのか――その一部始終が記されていた。




 ・塔の上での顛末について

「梨鈴とか言ったか……お前、戦争はアレで終わったってのによくもまぁ面倒事に首突っ込んだもんだな」

 現在、白慈と梨鈴は塔の最上部を目指している最中であり、もうすぐ頂上だというのにお互いに何も会話がない状況に耐えられず白慈の方から話しかけた所から報告書は始まっていた。

「ソッチは終わったつもりでいるみたいだけど、リリはまだ終わったわけじゃない」

「薬袋傷馬だったか? さっき戦場から尻尾巻いて逃げて言った奴は」

「そう。ソイツを葬らない限りリリの戦争は終わらない」

 この二人は今日が初対面なので会話は思う様に弾まず、続くこともない。かといって何も行動を起こさないと最上部に着くまでの間白慈が暇になってしまう。――というのも。

「――それにしてもリリはいつまで落ちていればいいの?」

 二人は最上部へ向けて落ちている真っ最中なのである。なぜそうなっているのかと言うと、ユリウスに頼まれた白慈が塔を素早く踏破する為に用意していたのは重力を制御すための物であったが範囲も規模も制御すら完全な完成には間に合わず、落ちる方向だけを指定し何かに当たるまでは落ち続ける程度に留まっていた。その結果として二人は上に向かって落ちていた訳である。

「もう少しのはずなんだが……いかんせんこの塔は高いからな、到着時間の見当が付けにくいんだよ」

「そう。ちゃんと着くならリリは何の文句もない」

(か、会話が弾まん!)

 歳も離れ性別も違ううえに常に戦闘に備えている者と、戦闘の考慮をしておらずただ一仕事していればいいと考える者ではそもそも話が噛み合わないのも不思議ではない。

「もう少しこう……会話のドッジボールをだな――」

「必要ない。オマエとリリは今日初めて会っただけの他人、話す事なんてない」

「なにも二回も拒否らんでも……」

 それから二人の間に話す事さえ憚られるほどの重い空気が流れ、ようやく言葉を交わしたのは最上部まで迫った時であった。

「もうそろそろ着くぞ………ん?」

 最上部までもう目視できる所まで来ていざ着陸だという時、重大な問題点が起こっている事が判明する。それは――

「クソっ! 止まる時は急ブレーキかよ、舌噛んだらどうするつもりだ」

 元々急ごしらえで製作された物だからか色々と作りが甘く、特に制御系統に関しては創った本人ですらまともに機能しておらず、その結果が激突ギリギリでの急ブレーキとなってしまった。

「自分で創ったんでしょ。誰に文句言ってるの」

 とにもかくにも、二人は塔の最上部うらがわへと到着すると徒歩で反対側へと回って行った。

「さて……これが他世界への移動を妨げるっていう門か。これなら両側の柱を同時にぶっ叩けば壊れそうだな」

 この戦争に於いて最後の目標となっていた敵の本拠地と思われるところに繋がる門。それは石造りの鳥居のような形で奥には吸い込まれてしまいそうな謎の空間が広がっている。だがそれも、白慈の言うように柱の部分を壊しさえすればもうこの門は敵の本拠地とやらに繋がることも他の者が転移するための妨害という役目を終わらせることが出来る。

「それじゃあせーので柱を叩くぞ。準備はいいか?」

「――うん」

 白慈が腰に下げた折り畳み式のトンファーを手に取り、梨鈴は緑の炎を拳に纏わせ硬質化させる。そして二人は同時に振りかぶりそして――

「ごめん」

 梨鈴が謝りながら攻撃の矛先を白慈へと向けた。

「――はぁっ?」

 梨鈴の予期せぬ行動に白慈が目を剥く。梨鈴の行動に気付いた時には緑色の炎を纏った拳は腹へと到達しており、回避も防御も出来ぬままに白慈は門とは正反対の内壁まで殴り飛ばされていた。

「……いきなり何を!」

 不意打ちで放たれた梨鈴の拳に白慈は膝からくず折れてしまう。

「この門はまだ壊させるわけにはいかないから」

 梨鈴の一撃を受けて動けなくなった白磁を余所に門の方へと歩いて行く。だが予期せぬ攻撃を受けた白慈もただでは転びはしなかった。

「どういうつもりか知らないが……行かせるわけにはいかない!」

 立ち上がることの出来ない白慈だが、梨鈴を敵の下に渡らせてなるものかとこの場では使う気など全くなかったある物を取り出した。

「無理に動かない方が良い。これ以上は弱い者いじめになる」

「――言ってくれるねえ。だけど何と言われようがコッチにも意地ってものがあるのさ」

 白慈が門に向かって手榴弾を放り投げる。それは先ほど取り出した物なのだが梨鈴は訝しむ。なぜ門を破壊する時に使わず今このタイミングで使ったのだろうと。

「なんで手榴弾――」

 そのような物があるのなら最初に使えば済むこと――そう思った時、宙に放り込まれた手榴弾から一瞬だけ視線を外して白慈の方を見ると手榴弾からかなり遠く離れた所にいるのにも関わらず、武器を盾の様に使って防御態勢を取っていたのである。

「まさか!」

 白慈の行動と手榴弾との位置関係から、言葉には言い表せない脅威を感じ取る。この手榴弾が炸裂した時の未来をありありと感じた時には梨鈴の体は無意識に動き出す。

 地面に落ちゆく手榴弾を捉えると、緑の炎を手榴弾に纏わせながら天井付近に届くように蹴り上げ、天井まで着くと炎は硬化しそのすぐ後に手榴弾は本来の威力を削がれた状態で炸裂し、梨鈴はその衝撃の余波で床に叩きつけられた。

「どんな対処の仕方だよ! なら、もう一発――」

「――させない」

 白慈がまだ隠し持っていた手榴弾に手をかける。だが二の矢など継がせないとばかりに梨鈴は白慈目掛けて特攻した。

「そう何度もボコられてたまるかい!」

 梨鈴が接近してくるのに合わせて白慈は手にしていた手榴弾を足元へと落とした。今この時二人の彼我の距離およそ五メートル、先程の衝撃の威力を考えるとこの位置は完全にデッドラインの内側、このままだと白慈の自爆に巻き込まれると感じた梨鈴は少しでも衝撃から遠ざかるべく後ろに飛び退くとその直後に手榴弾が炸裂した――閃光と爆音だけを伴って。

「――!! なにが……」

「スタングレネードだってやつだ。まあ、もう聞こえてはいないだろうけど」

 強烈な閃光と激しい爆音に梨鈴の動きが止まる。これは先程の手榴弾の威力を刷り込ませた後に類似の物を見せる事で梨鈴の思考を封鎖し、短絡的な対処を誘発させたわけである。もっとも、そんな手が通用したのも互いの位置関係と門からの距離、そして梨鈴は門が壊されないよう死守しなくてはならないという状況であったからだが。

「こっちだって命はって戦争してきたんだ。子供の遊び感覚で邪魔されるわけにはいかんのよ」

 予めスタングレネードに対して防御行動を取っていた白慈は大した影響を受けずにすぐに復帰し、目と耳が機能が麻痺している梨鈴の下へ近づく。

「そういう訳だから――ちょっくらその手足の骨、いただかせて貰うわ」

 形勢逆転――今度は白慈が攻める番となる。大前提としてあの門をくぐらせない為にもここで完全に戦闘不能にさせるという事だ。そしてスタングレネードによって動けずに悶えている梨鈴に白慈は気配を悟られることが無いよう静かにゆっくりと近づく。

(何も見えないし何も聞こえない――でも何か動いているのは間違いない)

 梨鈴の耳には届かない足音がすぐ傍まで迫りそして止まる。梨鈴の行動権を奪うべく白慈の武器が振り上げられる。

(気配が止まった――? なら攻撃が来る、でもこれじゃ対処が出来ない)

「ちーっと痛てぇだろうが恨むなよ?」

 そして無抵抗な梨鈴の手足を骨を砕くべくトンファーが振り下ろされた。

(ここで、終わり……この世界で色々な事があったけど呆気なかったな……)

 唐突に梨鈴の脳裏にこの世界での思い出が甦る。いきなり訳の分からない所に連れてこられ、望まぬ命のやり取りをさせられる。そんな中で出会ったミシェとサクニャは人生で初めての親友となり、そして梨鈴は生まれて初めて生きているという実感を得ていた。

 そして思い返す、何のために二人を裏切るような行為を選ぶこの道を選択したのか――それは他でもないミシェとサクニャを傷馬から護ると心に誓ったからだ。故に――

「――まだ、終われない!」

 振り下ろされるトンファーを足で蹴り払うとそのまま転がりながら距離を取る。

「なっ⁉ 防いだ……だと? まだ視力は回復していないはずじゃ……」

「――分かる。風が……リリにオマエの動きを教えてくれる」

 梨鈴の周囲に見えない空気の層が現れる。その中に居る者を梨鈴は僅かな振動などを感知することにより、目も耳も利かない状況ながらも白慈の行動に反応できたのである。

「……マズったかこりゃ。窮地になってからパワーアップとか主人公みたいじゃないの」

 予想だにしない展開にぼやく。だからといってやることになんら変わりのない白慈は状況が相手方に傾く前にケリを付けようとぶっきらぼうにトンファーを構えて駆けだす。

「しゃーない、とりあえずやることは変わらんから……おねんねしてくれや」

「くっ!」

 白慈が梨鈴の風の内側へと踏み込む。それに一瞬遅れて梨鈴が反応した時には既にトンファーは梨鈴の眉間に触れる寸前であった。

「シャアっ!」

 白慈の一撃は先程までとは別人のような速さで踏み込まれており、迫りくる攻撃に梨鈴は全く反応できないままただその攻撃を享受する――

「そうはさせない」

 ――が、白慈の手には手応えが一切届くことが無かった。

「なにっ!」

「風の護りがある以上、もうリリに攻撃は届かない」

 梨鈴は避けれなかったのではなく、避ける必要がなかった。それを示すように白慈の攻撃は風に阻まれ寸での所で止まっている。そうして白慈の命運は梨鈴の攻撃圏内に入った事により決定されてしまう。

「ここで――ねているといい」

 梨鈴の拳が深々と白慈に突き刺さるが、威力は今までの比ではなかった。硬質化した緑の炎を拳に纏っている部分は同じだが空気によって炎を飛ばす推進力が加えられており、一撃目は直接的に、二撃目は殴りつけた直後に結晶化した炎の拳を爆発的に飛ばすことにより、ワンアクションで二度の攻撃を可能としていた。

「ウッソだろ……こんなガキに敗けるとか――」

 当たりどころが良かったのか、白慈はそれ以上喋れないまま静かに床へと横たわった。

「それじゃあリリは行くから。じゃあね――ハクジ」

 横たわる白慈に一声かけてから梨鈴は門の方へと歩きだす。だが白慈は自分がどんな状況に陥ろうともまだ諦めていなかった。

「ぃ……行か――せるかよ……」

 震える手で白慈は最後に残していた一発の手榴弾を手に取りピンを引き抜くと、弱弱しくそれを転がす。今の白慈には門まで投げる力が残されていない為、それが今の彼に取れる最後の選択であった。だがそれも、門の傍へと辿り着くことはなく梨鈴も門の奥へと消えてしまったので、後に残ったのは爆発を待つ手榴弾と白慈だけである。

(どうやらオレはココで終わりみたいだな。まぁ最低限の仕事はやったからいいだろう――先に逝ってるぜ、ユリウス)

 ここで白慈の意識は途切れ、報告書にこれ以降の詳細は書かれていなかった。




 報告書を隅々まで目を通し終えると、ユリウスはゆっくりと口を開いた。

「…………ふむ。肝心の最後の部分が分からないままですが、まぁ白慈が生きていただけでも儲けものでしょう」

わりい……ユリウス! オレが不甲斐ないばかりにあの門からの脱出を許しちまって――」

 白慈がユリウスの前へと座り込み、頭を床に擦りつけるように土下座をしていた。

「頭を上げて下さい、白慈。確かにあの門からの脱出を許してしまった事だけを見れば失敗かもしれませんが、逆に言えば鳴風梨鈴という存在が新たな繋がり作り出したとも捉えられます」

 マクロ的な観点で見れば失敗だが、それをユリウスは次なる足掛かりと切り替える事で次に繋がると白慈を評価した。

「気にすんなって白慈! コイツが問題ないと言ったんだからもっと胸張っとけ」

 大五郎が土下座をしていた白慈を背後から無理矢理立たせ、そのまま首に腕を回して髪を掻き乱す。

「うぉっ⁉ 何すんだよ大五郎。……それに酒くせぇ!」

 背後からの奇襲に抗議を入れるが、ただじゃれついて来ただけなのは分かり切っているので抵抗もそこそこに白慈からのからみ攻撃を受け入れる。

「白磁も大五郎も体の具合が良さそうで何よりです。これで僕も心置きなく旅に出られというものです」

「随分と呆れた人ね……戻って来て早々にどこかに行こうだなんて」

 呆れた様子を隠さずに真柴がため息をつく。ユリウスとの接点はほとんどないものの掴みどころのない男だという事だけはひしひしと伝わって来る。

「僕にはやらなければならない事が山ほどあるうえに時間が無いのです。だからこんな所で立ち止まっている暇はないという事です」

「そう……。まぁ部外者のワタシが口を挟む事でもないわね」

 この男には何を言っても聞き入れてもらうことは無理だろう……。そう思った真柴は何も言わずに引き下がる。

「そうか、じゃあ行け行け! 行ってさっさと用事を済ませてこい!」

 投げやりながらもユリウスを激励し、見送ろうとする大五郎に背を向け歩き出す。

「では行ってきます」

 その男はまるで風の様に掴みどころがなく、誰にも自分の目的を明かすことなく去って行った。

「どんな目的があるのか、忙しないわね彼。まぁすでに出て行ったならもうワタシには関係ないけれど」

「確かになんか慌てていましたね…………って、ああぁぁぁああっ!」

 真柴や大五郎と共にユリウスを見送った海織だが、突如奇声を上げ頭を抱え込みながらしゃがみ込んでしまう。

「ど、どうしたのよ副長……いきなり叫んで」

「いやだって――あの人がいないのにあたし達どうやって元の世界に帰るんですか⁉」

「別にこの世界で骨を埋めるまでいても問題はないのでは?」

 狼狽える海織とは反対に真柴はどこに問題があるのか分からないという顔をしている。

「いやいやっ⁉ 元の世界に家族とか知り合いとかそういう人いるじゃないですか」

「いないわよ。というかあの戦争に参加させられていたのって大概が私と似た様な境遇の人達だと思っていたのだけど……他の所ではどうなの?」

 一番事情を知っているであろうユリウスはもう去って行ってしまったので、その彼と付き合いが深いと思われる大五郎に話を振る。

「んーそうさな……確かにそういう傾向はあるだろうな。現に北軍の奴らは家族がいない奴が殆どで、俺達もそういう奴を集めて回ったからなぁ」

「……言われてみれば東軍も似た様な境遇の方がかなりいらしてましたわね」

 少し離れたところで優雅に紅茶を嗜んでいたミシェがポツリと呟く。

「多分なんだが神前の奴も攫ってくる奴はそれなりに選んだんだろうな」

 ミシェの呟きに大五郎が反応する。どうやらどこの軍も人選の事情は変わらないらしかった。今更知った所で意味は無いのだが。

「そ、そんなぁ~……じゃあなんであたしは選ばれちゃったのよ~……」

 海織の悲しみが限界を超えてしまった!

「あぁ……また副長がめんどくさい人になってしまったわね」

 戦争に参加させられる条件から外れているのにも関わらずなぜか選ばれていたことが戦争が終わってから分かってしまい、海織は溶けて床と同化してしまうんじゃないかと思うほどにぐったりと項垂れてしまっていた。

「……どうすんだよ姐さんまで凹ませて。これじゃまるで葬式のような雰囲気じゃないか」

 床の上で溶ける様に横たわる海織。もう土下座はしていないもののやたら目立つところで正座を続けている白慈。そして今まで一切の発言が無かったから目立っていないが、部屋の隅で酒を片手に三角座りで暗くなって落ち込んでいるサクニャがおり、樹が指摘するように葬式といっても差し支えない状態であった。

「元はといえば……いえ、そんな議論はするだけ無駄ね」

「そうですわね。ほらサクニャ、貴女もいつまで落ち込んでいますの」

 紅茶をソーサーに戻してからサクニャの下へと歩み寄る。そしてそのまま彼女の頭を優しく撫で始めた。

「ウチの事は放っておいて。うぅ、なんで……なんでリリっちはウチ等の下から去って行ったん」

 ミシェとサクニャがこの世界にやって来たのは今より一週間前の事。そして梨鈴と共に行動していた白慈がこの世界にやって来たのそれよりもさらに三日程前である。

 梨鈴とサクニャが塔の上に赴いて門を壊しに行くというのをサクニャは巨人が崩れ去った時に大五郎からの通信で聞いていた。だからサクニャは梨鈴たちが帰ってくるまで気が気ではなかったのだが、この世界に戻って来た白慈を見た瞬間梨鈴に会えると喜んだものだ。だがその場には梨鈴はおらずなぜなのかを白慈に問い質したところ『梨鈴は離反した』とだけ返って来たのだった。それからのサクニャは嫌な事から逃げるかの様に毎日酒を飲んでいた。

「……この調子ではまだ立ち直るのは無理みたいですわね」

 サクニャの気持ちはミシェにも分かる。それどころかもしかすると自分もサクニャと同じように現実から逃げていたかもしれない。だが先が見えなくても梨鈴の真意が分からなくともミシェは梨鈴の事を諦めようとだけはしたくなかった。

「打つ手が無いのは辛いところですわね……」

 動きたくても動けないもどかしい状況に苛立ちこそ覚えはするが、それでも梨鈴を探す方法だけは常に模索し続けてはいた。

 そうして半ば日課のようにサクニャを慰めながらいると、玄関の扉が開く音が聞こえた。

「――リリっち⁉」

 ガバッ! と、サクニャが勢い良く立ち上がり玄関へと走り込む。どう楽観的に考えてもそんな事はないと思うのだが万が一という事もある。そんな事を考えながらサクニャを慰める準備をしてその後を追いかける。

「リリっち!」

 そうして玄関の方へ駆け込んだサクニャが見た人物とは――

「あの……えっと……リリっちという方でなくてごめんなさい」

 そこにいたのは当然ながら梨鈴でなく、車椅子に座った若い女性であった。自分の目の前にいるのが梨鈴ではないと分かったサクニャはその場に膝からくず折れてしまった。

「やはり違う御方でしたか。失礼ですが……貴女はどちらさまでしょうか?」

 サクニャの頭を撫でながらミシェは車椅子の女性に何者かを尋ねる、するとその女性はよく通る声で名を名乗った。

蒔波まきなみ花南かなんです。この建物の管理人をやっている者です」

 花南と名乗った女性はミシェに手を差し出す。どうやら握手を求めているようだ。

「わたくしはミットシェリン=ラインノルドですわ。この度はわたくし達に住居を貸し与えていただきお礼を申し上げます」

「ふふふ……いいんですよ、ユリウスさんから事前に事情は窺っておりますので。そうだミットシェリンさん、こちらにユリウスさんはいらっしゃいます?」

「えぇっと、あの人なら――」

「おぉ? 誰かと思えば花南じゃねぇか! 久しぶりだな、オイ!」

 ユリウスの居所を答える前に大五郎の大きな声によって遮られる。

「お久しぶりですね大五郎さん。してユリウスさんはどちらに?」

「久しぶりの再会だってのにツレねぇな……まぁいいや、アイツならここに戻って来て早々どっかに行っちまったよ」

 ユリウスがここにいないと聞いた途端、花南の拳がプルプルと震えだしそして――

「な・ぜ・に! 引き留めてくれないんですか!」

 おとなしそうに思えた花南だが、ユリウスの事となると人が変わったように声を荒らげて抗議をしだす。

「しゃーないだろ。オレに、アイツを、止められると思うのがそもそもの間違いなんだ」

「そうですか、じゃあいいです。なら白慈さんはいらっしゃいます?」

「ソッチならいるぜ。おい、白慈! 花南がお呼びだぞ」

 部屋の奥にいる白慈に聞こえるよう大きい声で呼び出すのだが、せっかちな大五郎は白慈が来るのを待たずに花南が座る車椅子を押して白慈のいる部屋へと進む。

「白慈さんお元気ですか! 私が来ましたよ……って、ごめんなさい、どうやら訪ねる家を間違えたようです」

 勢いよく扉を開けたその先は沈み込んでいる者が二人に加え、自宅かのようにまんじゅうをパクつきながら昼ドラを見ている真柴と同じくテレビに見入っている雪華、真剣になって魔導書を読み耽っている樹がおり、体験したことのない光景に花南は思考が停止して現実逃避を起こしてしまう。

「待て待て……家は間違ってないからUターンしようとするんじゃない」

 踵を返そうとする花南を押し留め部屋の中の現状を直視させる。だが何度見ようとも結局は変わる事など無いのであきらめて現実を受け入れた。

「なにが起こったのかは面倒そうなので聞きませんのから用件だけ話しておきますね」

「そういう訳らしいだからテメェらはフリだけでもいいからシャンとしとけー」

 花南が状況確認を放棄し、大五郎がだらけきってる面々に叱責するも本人を含めて誰もやる気が全く無かった。

「なんであなたが一番やる気が無いんですか……それよりもこれで全員ですか?」

「簪と雪洞は買い出しに出かけてるがな」

「あの子達はいいんです。ではあなた達の今後に関わるお話をしましょうか」

 花南がパンと手を叩くと部屋のカーテンが閉まり辺りが薄闇に覆われる。そして花南がもう一度手を叩くと皆が集まる輪の中心に門の形をしたホログラム映像が飛び出してきた。

「おぉ~! びっくりしましたぁ~」

 部屋の中が薄暗くなりそれに雪華が驚く中、一同はホログラムの映像を覗き見る。そこには機械仕掛けの門といった物体が映し出されているが、ユリウスによってこの世界へと来た者達にはその形に既視感を覚えていた。

「これはですね転移門というのですが……なんとっ! 人を他の世界へと転移させることが出来るんです! スゴイでしょっ! わたしの自信作なんですよ!」

((……ピクッ!!))

「な、なんだってぇ~」

 もうギャグで言っているかのようにしか聞こえない雪華の陰に隠れる様に二人の人物が反応し、すぐさま花南に詰め寄る。

「そ、それ! それがあればリリっちを探せるんか!」

「それがあればあたしは元の世界に帰れるのよね!」

「あの、落ち着いて下さい。今から順序立てて説明しますから」

 サクニャと海織が掴みかからんばかりに迫って来たが、花南は一旦二人を落ち着かせ説明を再開し始める。

「確かにこの門をくぐればあなた方は元居た世界に帰れるでしょう」

「では、あたし元の世界に帰れるんですね!」

「じゃあリリっちを探すのは難しそうやな……」

「えっ……と……話は最後まで聞いて欲しいのですが……」

 真逆の反応をする二人に花南は戸惑ったが、まだ二人に言うべきことが残されている。

「あと一つ注意事項があります。この機械ですが門そのものは転移することが出来ません。なので一度くぐってしまえば基本的にこの世界へは戻ってやり直しは出来ないでしょう」

「一発勝負……それだとリリっちと出会うだけでも難しそう……」

 そこでサクニャにとっては無慈悲ともいえる事実が付きつけられる。その反応は今までのサクニャを見ていれば分かる事なので一つ補足を入れる。

「あなたが落胆するのは分かります、でも落ち込むのはまだ早いですよ」

「それってどういう……」

「――実際に見てもらってからの方が分かり易いかもしれないですね」

 花南が手を三度叩く。すると皆が集まっている部屋の片隅にホログラム映像で見た機械と同一の物が天井から降りてきたのである。

「……ユリウスがあの時作ってたほどの大きさはないんだな」

 花南のサプライズ的な行動には既に慣れきった樹が目の前の機械を見て素直な感想を述べる。

「あの……マッキー? 実物を見せられてもサッパリ理解できないんやけど……」

 巻波の部分を縮めてマッキーと呼んだのだろうか、ほぼ初対面の相手に臆することなくあだ名で呼ぶ。

「サクニャさん達は探し人がいる――でもその探し人がどの世界に居るのかは分からない。それならば多数の世界と交わる所へ行けばいいのです」

「おおっ! それってもしや……」

「ちょい待った」

 歓喜するサクニャを大五郎が遮る。いきなりの出来事に周りは静まり返り、同時に落ち込んでいたはずの白慈までもが豹変する。

「どうかしましたか、大五郎さん?」

「どうもこうもあるか! その世界は危険度ランクAだろ! そんな所に戦闘に向かない二人を送り込むだと……あの戦場より危険な所に放り込むとか正気か」

 大五郎がキッと花南を睨みつける。その視線を受ける花南はまるで気にしないという風に受け流しているが、あの視線を萎縮せずに正面から受け流せるのはそれなりの付き合いがあるからなのだろう。

「そんな事は私だって分かっています。いくら何でも無策でそんな所に送り出したりはしませんよ。ねっ、大五郎さん」

 そう言って大五郎に向かって微笑む。その瞬間、彼の脳裏にロクでもない未来が思い浮かんでいた。

「まさかをオレに振るか……」

 やっぱりかという感想が込みあげてくるが、この場合しょうがないと思っていた。この二人だけでは到底血煙と硝煙が立ち込める世界などでは到底生きてはいけないうえ、彼女たちが現在の状況に至るまでの原因の一端を多少なりとも担っている事もあり、この話題が出た時には頭の片隅ではこの二人に協力する事になるだろうと思ってもいた。

「引き受けて……くれますよね?」

 断る事を許さない笑みが大五郎に襲い掛かる。もちろん断る選択しなど最初から与えられていない大五郎は――

「あぁ分かったよ……最後まで受け持つよ」

 今ここにいない男の顔を一瞬だけ思い浮かべた後、二つ返事で受け入れた。

「え~と……達磨のおっちゃんがウチ等の手伝いをしてくれるってことでえぇんか?」

「誰が達磨か……まぁそういう事になったようだ。そんじゃま行くとしようか」

 即断即決という風に大五郎は門の前に立ち手慣れた様子で操作していく。

「あ、あの、ちょっと⁉ いくら何でも気が早すぎるのではなくて」

 ミシェが抗議するがその声は大五郎には届くことはなく、門の操作が終わると大五郎はミシェとサクニャを腋に抱え込む。

「いきなり何を――って、どこ触っていますの⁉」

「きゃあ~! 攫われる~♪」

「ギャアギャア騒ぐな。ほら行くぞ!」

 荷物のように抱え込まれて憤慨しながら暴れて抵抗を図るミシェと、一方で梨鈴に繋がるか細い道を見出した事により先程とは打って変わってテンションが上がっているサクニャと共に、大五郎は門の中へと立った。

 だがその時、海織が懐疑的な眼で転移門をじっと見つめているのに花南は気付いた。

「あの……海織さん? 何か不安な事でもあるのですか」

「えぇっと――今更なんですけど本当に大丈夫なのかと思ってしまって。いや、信頼してない訳じゃないんですけど、あたしってこういう大きな機械に触れる機会が今まであまりなくて、つい」

「そうですね。確かに経験した事が無いというのは不安になりますね。でも大丈夫、大五郎さんが体を張って証明してくれますから」

「人を勝手に実験台にするな!」

 まるで実験台かのような扱いをされる大五郎。当然本人からは抗議の声が上がるが、そんな事は意に介していなかった。

「そういう訳だから体を張って頑張ってください。ではいきますよ――転移!」

 花南は大五郎が行っていた操作を引き継ぎ、設定に相違ない事を確認すると新たな旅立ちへの背中を押すように転移門に取り付けられた起動スイッチを押し込んだ。

 その瞬間、三人は音もなく消え去り異なる世界へと旅立って行った。

「――皆は無事に向こうに行けましたか?」

「はい。間違いなく三人は大五郎さんが設定した世界へと跳んで行きました」

 若干不安そうに海織が聞くと、花南が間髪入れずに答える。結果は見たままなのだが、初めて見る機械の性能に懐疑的な目を向けていた海織も自分の目で見た事により、この機械に対する不安はすっかりと消え去っていた。

「よかったぁ~……みんなちゃんと消えていて」

「姐さん……意味合いは間違っちゃいないんだけど、もう少し言葉を選んだほうが……」

 間違いを誘発しかねない発言をしたことに海織は気付いておらず樹がツッコむのだが、安堵感からか周りの声は海織の耳に届くことはなかった。

「それじゃあ海織さんの不安も無くなった事でしょうし、次行きましょうか」

「ちょっと待った!」

 海織を元の世界へと返すべく転移門の設定を変更していた時、突如待ったの声がかかった。声がする方向に目を向けると――

「どうかしましたか? えーっと、レックスさんでしたっけ?」

 左足を引きずるようにしながらレックスが奥の部屋から現れた。

「そうだよ。ぼくも……ぼくも一緒に海織の居た世界へ連れて行って欲しいんだ!」

「おっと……強がるのはもういいのか? 我が弟子よ」

 樹が茶化すように指摘する、その指摘に思わず「あっ」と声が出てしまうも構わず自分の意思を述べる。

「あの戦争で思い知ったんだ、ぼくには力がない。でも海織お姉ちゃんのいた世界なら……そこならぼくはもっと強くなれると思うんだ!」

「強くなりたいねぇ……まぁ男なら強さに憧れる気持ちは大いに分かるが、それは俺の下ではこれ以上は無理だと受け取っていいのか?」

 今までレックスの様子が妙だったのも、ただ単に強くなるために身近にいた樹を形から真似ていただけで、実のところサクニャとかが心配していた様な深刻な事実なんてものは何一つなかったのだった。

 それ故にレックスの言い分は理解できる、樹だって男なのだ強くなりたい気持ちなぞ理解でき過ぎる。問題は彼の師匠を自負する樹では力不足なのかという事だ。

「そうじゃない。樹はぼくの師匠として何も問題なんてない!」

「そうかい。いや俺の力不足でないことが分かればいい。お前は姐さんから新たな強さの道を見つけたという事だな」

 自分がレックスにとっての足手まといではないと分かり安心する。それと同時に約二ヶ月半という短さではあったが弟子の旅立ちに感慨深さも感じていた。

「え~と……確か最初あたしの話題だったはずよね。なんで今は蚊帳の外みたいな扱われ方になってるんだろ?」

 突然話題の中心に巻き込まれたかと思ったのも束の間、気付けば師弟の絆を見せつけられる展開になって海織の存在はすっかり薄くなっていた。

「話を纏めますと……レックス君が海織さんに付いて行くって話でいいのですよね?」

 展開の切り替わりに海織の頭がまるでついていかない。そんな彼女が分かった事と言えばレックスが海織に何らかの可能性を見出し、共に付いて来るという事だけだった。

「そういう訳だから花南、俺の愛弟子を追加で」

「えっ……⁉ 姉御はまだしもレックス君も行っちゃうんですか~! こんなしみったれた真柴さんと、なんか――いつき君とわたしが一緒にいろと⁉」

「誰がシミだらけのおばさんですって?」

「俺に至っては罵倒すら放棄されたんだが?」

 関わりが少ない真柴には罵倒して、接点の多い樹に対しては付き合いの長さからは信じられない程関心が薄い反応である。

「という訳で姉御~……わたしもついて行きますぅ~」

 前後の話の繋がりが見い出せない内に雪華が海織について行くと言い出し、自らの意思を表明するかのように海織の背中へと飛び込んでガッチリとしがみついた。

「あぁ、うん――もう好きにして……」

 状況が混沌と化してゆく中、海織は全てを受け入れると同時に諦めの境地に達するのであった。

 それから数分が経ちようやく場が落ち着いてくると改めて海織は転移門の下に立ち、花南に向かって準備が出来た事を伝える。

「もうっ。遅いですよぉ姉御~」

「ごめんごめ~ん……って、なんであたしが謝るのよ⁉」

「いやぁ~ついノリで……?」

 場がぎゃあぎゃあと騒がしくなり、それがいよいよピークに差し迫ろうかとした時、樹は昼ドラのお供として置かれていたまんじゅうを手に取り、海織の口にねじ込んで無理やり黙らせる。

「いいからとっとと帰って下さい」

 色々な事があったものの、これにてようやく海織が元の世界に帰れる手筈が整った。

「では、気を取り直して……いってらっしゃい、海織さん!」

 樹が海織の口を物理的に塞いだ事を合図に花南がボタンを叩きつける様にして押し込んだ。すると先ほどの大五郎たちと同様に、音もなく三人はそこから消え去っており騒がしかった部屋が一気にして静寂に支配されたのであった。

「――これで姐さんもようやく元の世界に帰れたって訳だな」

 生死を共にした仲間たちが自分の目的を果たしたり、新たな目的に向かって行った様子を目の当たりにすると、ようやく自分も一つの厄介事が終わったと実感が湧いてきていた。

「そうですね。目的の世界に転移できたとこの門もそのような反応を示しています」

 転移門の上部中央を見ながら答える。そこにはランプが取り付けられており、転移門が作動していた時は赤かったのだが転移の処理を実行し終えた今は緑色に変わっていた。どうやら色によって状況が分かる仕組みのようで、花南の言う通りに受け取るならばオールグリーンとかいう意味合いなのだろう。

「姐さんの願いが叶って良かった良かった」

「――随分と軽い感想ですね。あなたにとって海織さんはその程度の関係なのですか」

 海織が元の世界に戻れたことで樹も嬉しい事は分かるが、その時の態度が軽々しいように花南は見えたようで、その事に花南は苦言を呈していた。

「そう見えたかい?」

「ええ。大いに」

「いーんだよ、こんなんで。俺と姐さんは元々住んでいた世界そのものが異なるんだ。だからこれにて元通り、それでいいだろ?」

 樹はくるりと花南に背を向け、聞かれた事について答える。

「そう――ですか。でも本当に良かったのですか?」

「と、言うと?」

「あなたと海織さんがどのようにあの世界で過ごしたのかは私には窺い知れません。でも、海織さんと別々の道を行くことに後悔とかないのですか?」

「ないな。むしろ俺と姐さんの道は交わらない方があの人の為だ」

「そう――そうですよね、無関係な私如きが口を挟む事ではないですね」

 樹の海織に対する態度からこれ以上訊くのは野暮だと思い、話を打ち切る。

「そういう事だ。ってな訳で俺もそろそろ行くとするかね」

 花南からの質問も終わった事で樹は出立の為の支度をした。とはいえもともとほぼ着の身着のままで戦争に参加させられた樹には纏めるだけの荷物など存在しないので、魔導書だけを腰に下げた状態となる。

「なんだ? お前も行くのか」

 そろそろ出て行こうかといった時、白慈から声をかけられる。

「ああ。そういうアンタもどこかに行くのか?」

「娘達を迎えに行った後――ユリウスの奴を追うつもりだ」

「ふーん……そう……」

 あの戦争の後、ユリウスが戻ってくるまで沈み込んでいた男の眼が鋭くなる。彼をそうさせた理由は窺い知れないが、ユリウスが戻って来て早々どこかへと行った後だという事でこうなったとするならば、ユリウスに対し何か思う所があっての行動なのだろう。

「そういう事だ。じゃあな――」

「あっ! ちょっと待った!」

 樹に背を向け外へ出ようとした時、不意に樹に呼び止められた。呼び止められるような用事がまだ何かあっただろうかと考え込むが、さっぱりわからない。

「まだ、なんかあるのか?」

「あぁ、いや……まだアンタに礼を言ってなかったのを思い出してな」

「礼? 狂犬に言われるような礼なんてあったか?」

 ――が、樹の言う事にはとんと見当のつかない白慈は、頭にハテナマークを浮かばせながら考え込む。

「いやなに、初めてアンタとあった時――俺の弟子に刀をくれただろ。アレが無かったら今のアイツはここにいなかった。だからその礼だ」

「なんだそんな事か、別に気にすることはない」

 意外そうな声で白慈が答える。どうにも刀を渡したという行為が本人からしてみれば大したことではなかったようだ。

「そうか、それならいいんだ。あっ、そうそうもう一つ忘れてたことがあった……その刀失くしちまった、ごめん」

「はぁっ? 失く……した? 失くしただと⁉ なんでそれを早く言わない!」

 最初に出会った時や戦場の真っ只中にいる時、そして自分の失態に凹んでいた時と様々な表情を見せていた白慈だが、「刀を失くした」その一言が思いもよらぬ怒りを見せた事に樹は面食らってしまった。

「こうしちゃいられん!」

 非情に慌てた様子で白慈は去って行く。あまりに慌てているのか、閉まったままの扉に気付かぬままに頭から突っ込んだ。

「ふべっ!」

「ダ、ダッセェ~……」

「痛ってぇな……この!」

 自らの失態とイライラを誤魔化すように扉を蹴破り、そのまま何事もなかったかのように出ていく後ろ姿は一層惨めに樹の瞳に映った。

「随分と慌ててたなアイツ……あの刀になんかあるのか?」

 独り言のように白慈の行動を分析してみるが、なにせ付き合いというものがなさすぎる為、考え込んでもとんと理由が分からない。

「あの刀は、旅をするらしいんですよ」

 見かねた花南が説明してくれる。

「た、旅をする……? それはあれか? 放っておくと勝手にどっか行くって事か?」

「はい、そうです。あの刀は何でも破壊の神が創ったという謂れがあって、適合者となる人物に強大なる力を与えるそうです」

 無生物である刀が勝手に動いて他の所有者でも探しに行くのか――あの戦争に関わっていなければ笑い話として流していたに違いない。だが、異なる世界の技術や魔術とは異なる存在等に触れた今となっては、何が起ころうとも受け入れられるようになっていた。

「は、はぁ……神、ねぇ」

 この世界に来てから樹はイヤというほど未知の科学に触れてきた。だというのに花南の口からは“神”というこの世界の住人からおよそ似つかわしくない言葉が出て来た事に樹はイマイチな反応をする。

「あの……どうかなさいましたか? そんな鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして」

「いや、いきなり神なんて言われてもな……こんだけ科学の発展しているところの住人が魔術使いに言うセリフじゃないと思ってな」

「ふふっ、確かにそうですね。でもこの世界にだって魔術は存在するしそもそもの話、神様がいるなんて私は微塵も思っていないので。だって見た事なんてありませんもの」

「あー……納得。そういう事な」

 要は白慈としてはどこに行くか分からない、それどころか勝手に持ち主を探し回る刀を探しに行ったわけだが、本人曰く破壊神とやらに関わりのある刀が自分の目の届かない状況になるのを防ぐために急いでいたという訳だ。だが、その話を聞いていた花南としてはそもそも神という存在を信じてはいないので白慈の話もあまり信じてはいないのだが。

 そして白慈が急いでいた理由は判明したが、樹には特段関係がありそうな内容ではないので適当に聞き流す。

「そういう事です。では樹さんが元の世界に帰る準備をしましょうか」

 この世界に退避して来た者も残り二名、その者達を元居た世界へと送り返すべく花南が転移門の操作を始める。だが――

「ちょっと待った。悪いけど俺は元の世界に戻る気はないぞ」

「あれ、そうなんですか? 私てっきり帰るものだと……」

 意外にも樹は元居た世界に帰る気はないと言い放った。

「いろいろと準備してもらってたみたいだが悪いな、急にこんなことを言って」

「いえ、それは別に構いませんよ。でも、なんで帰らないんですか?」

 当然の疑問が花南の口を衝いて出る。多分聞き返されるだろうと思っていた樹は帰らない理由を説明し始める。

「実のところ……俺はある人から逃げている最中にあの戦争に連れてこられたんだ」

「逃げる……? 元の世界で犯罪か何かやっていらしたのですか?」

 そのような事を聞きながら花南は思案する。目の前の男とは初対面ではあるが第一印象からして不快な感じはしない。周りには大五郎や白慈のような多少頭のネジが外れた様な男がいたので、樹に対しても特段悪感情を抱くことはなかったのだが、逆に樹が元の世界で何をやって逃げる羽目になったのか興味が湧いてきていた。

「別に大したことはしてないさ。ただ、一族秘伝の魔導書を持ちだしたら姉貴が追いかけて来た……だけ……で……」

 言い終わる前に樹の体が震えだす。話を聞く限りでは彼が凶悪な犯罪者という括りではない事は分かった。だがその話をさせてしまった代償に樹には不必要なトラウマを思い起こさせたようであった。

「どう言葉をかけたら良いのか……えぇっと、随分と大変な目に遭ったのですね」

 その先を聞くことはとてもではないが憚られた為、そこで樹の身の上話は打ち切られる事となる。

「そうなんだよ……はぁ……」

 見た目一気に老けたように見える樹はテンションを最底辺まで下げながらトボトボと動き出し緩慢な動作で家を後にするのであった。

「樹さん……元の世界には帰らないとは言っていたけど、寝泊まりするところとかどうするんだろう?」

「彼の事がそんな気になる?」

「えっ……! いや、そのこの家で寝泊まりでもしたら良いのではと思いまして、つい」

 花南がポツリと呟いた一言がもう一人ここに留まっていた者の耳に入り、返答が来ると思っていなかった花南がちょっとびっくりしながら気になった事をその人物に話していた。

「心配しないでもいいんじゃない? 彼だって馬鹿じゃないからどこでだって生きていけるでしょ」

「そう、なのですか? それなら良いのですけど――」

 樹の事は気にかかるが、彼がここを去って行ってしまった以上花南にはもうどうすることも出来ず、真柴からも心配する必要は無いと言うので取り敢えずそこで樹の話題は打ち切られる。

「さて、と――これでここに残ったのはワタシだけになったわね。どうする? ワタシをここから追い出すのかしら?」

「えぇっ⁉ あ、あのこちらにそんな意図は――」

「ふふっ、冗談よ分かってるわ」

 ついからかってみたくなり冗談を言ってみたが、慌てふためく花南を見るとまた嗜虐心が湧いてくる。

「もう……ビックリしたじゃないですか。それで、えぇと……真柴さんはこれからどうなさるのでしょうか?」

「さて、どうしようかしら。とりあえず気の向くままに野良生活かしらね」

「野良って……樹さんと同じくここから出ていくのですか⁉ あの、確認しますけど真柴さんはお医者様でしたよね?」

 真柴の口から出て来たのはまさかの野良生活だった。だがそれより驚いたのは真柴は雨風を凌げて十分に寝泊まりできる所にいるにもかかわらず、ここを出て野宿のような生活をするという事だ。

「そうよ、でもこれがワタシの性分だから仕方ないのよ。昔から一つの所に定住しない気ままな流浪の生活、その合間に医者として食いつないでその日暮らしよ」

「……随分と荒んだ――というよりも行き当たりばったりな生活環境ですね。では、なおさらこの家に定住されては如何かと思うんですが」

 真柴の過去の一端を聞いて花南は進言する。絶対にこの家に居着いて医者として開業した方が衣食住に不便はしないだろうと。だがその提案も真柴は首を縦に振る事は無かった。

「悪いけど断るわ、一つの所に留まっているのなんて退屈だもの。そういう事だからじゃあね、お嬢ちゃん」

 サッと手を上げて歩き去って行く。その後ろ姿は優雅さに満ちていて、これから野良のような生活を送るようには微塵も見えず、ただただ花南の瞳に格好良く映ったまま真柴冥はこの場を後にした。

「結局誰一人ここに残ろうとする人はいなかったなぁ……」

 誰もいない部屋で花南は独り呟く。皆それぞれやるべきことがあるのでここから去って行くこと事態は承知の上だったが、ある男の行動だけが頭に引っ掛かっていた。それに対し今後どのような対応を取ろうかと考えていた時、花南にとって最もなじみのある顔が静かに見つめている事に気付いた。

「よっすー、カナ!」

「あっ! ルーネ……ゴメンね私の我が儘で待ってもらって」

 花南が目の前にいる人物に謝罪する。だが、ルーネと呼ばれた女性は特には気にしていないようで笑っているだけであった。

「いいっていいって! そ・れ・よ・り……ユリウスはどこ? いるんでしょ?」

 ルーネが辺りをきょろきょろと見渡すも、花南以外の人影はどこにも見当たらない。

「それが、帰って来たと思ったらまたどこかに行っちゃって……どうしよう、ルーネ」

 ユリウスがどこかに行ってしまった事を含め花南がここに来てからの経緯を彼女に説明する。それに対し、ルーネは特段焦るようなそぶりは見せなかった。否――それどころか、いなくなる事そのものが規定事項だったというような反応を示していた。

「どうしようって言われてもねぇ……そうなることは薄々わかってたでしょ?」

「そうかもしれないけど~……でも本当にそうなるとは思ってなかったし」

「アタシだってそう思ったけど、こうなった以上腹を括るしかないでしょ。それにしてもどこぞの誰かが寄こしてきたコレがまさか本当になるとわね」

 ルーネがポケットから一通の手紙を取り出し中身を再度確認する。その手紙には二百人余りが強制的に参加させられる戦争の事、その戦争が終結した後ユリウスは姿を消し、再び現れる時にあの戦争の比ではない規模の戦乱を巻き起こして現れると記されていた。

 この手紙を受け取ったのはあの世界で戦争が起こる数日前であり、この時点では二人は一切内容を信じていなかったが、現状は途中までの経過は一致しておりもしもこの先が本当に起こる事だとしたら――この先の展開が本当の事になるのを防ぐべく二人としては何としてでもユリウスを止めると決めていたのだ。

「もう後には引けないんだよね。――やっぱり考え直すなんてことはしないんだよね?」

「くどいよ、カナ。この手紙通りの事になったらどんな手を使ってでも止めるって二人で決めたでしょ」

 こうなってしまった以上二人は最後まで走り切る事しかできない。――たとえユリウスを敵に回す事になろうとも。

「――そう、だよね。じゃあ、始めよう……ルーネ」

 そうして今ここに――様々な想いが幾重にも絡まる物語が始まりを迎える事となる――

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