第9話

 ユリウスが神前と相対していた一方、樹・梨鈴ペア対傷馬の戦いは熾烈を極めていた。

「ちょこまかちょこまかと逃げやがって……ちったぁ足を止めて殴られろよっ!」

「ほ・ほ・ほ、嫌ですよそんなの。当たったら痛いじゃないですか」

 以前喰らった樹の拳の威力を体がしっかりと覚えているため、傷馬は樹の攻撃から完全に逃げに徹していた。そして傷馬が逃げに徹することが出来るのには思いがけない一つの誤算が生じていたからである。

「イツキ……邪魔」

 この場において傷馬を倒そうとする二人は互いに自分の手でケリをつける事に拘っており、なので自然と互いに互いの存在が邪魔をしているのであった。

「邪魔なのはオメーだ梨鈴! アイツは俺が仕留めるんだからお前は俺の邪魔にならないように後ろで援護でもしてやがれ!」

「その言葉、そのまま返す。イツキこそリリの後ろで援護してるか、リリの前で盾でもやってればいい」

「……これはまぁなんともカオスな状況ですねぇ。このままだと共倒れになるやも」

 樹と梨鈴の諍いに傷馬はほくそ笑む。このままのらりくらりと逃げ回っていれば互いに邪魔しあって勝手に消耗し、あわよくば自滅してくれるだろうと。だが、そうなってくれれば楽なのだがその展開は面白くない為、傷馬が仕掛ける。

「――ではまず葉神樹、あなたから遊んであげましょうか」

 傷馬が短剣を取り出す。それはいつか使っていた振るたびに新しい毒を纏う短剣だ。それを樹目掛けて振り下ろす。

「今更んなモン効くかよ」

 振り下ろされた短剣は樹の肌の表面を撫でるだけでそれ以上は進んではいかなかった。

「――ほぉ。魔力で表皮を覆っているのですか。なるほど、狂犬と言えど学習能力は人並みにあるみたいですね」

「ったりめぇだ! こちとら普通の人間様だ! 犬じゃねぇんだよ!」

 以前の戦闘では短剣を振るわれる前に決着をつけたためその脅威は大して知る事が出来なかったが、短剣を至近距離で目の当たりにすると自分の対策は間違ってなかったようだと分かる。なにせ魔力で覆っていたのは攻撃されると分かっている皮膚が露出している個所だけであって、それ以外の部分は全く対策をしていない。故にそれ以外の部分――髪とかは傷馬の攻撃には無力だったようで、刃先が触れることなく腐り落ちてしまっていた。

「あっぶな……ってか毒で髪とか腐んのかよ」

「――余所見をするな」

 樹と傷馬がせめぎ合っている最中、傷馬の背後に向かって梨鈴が空中から急降下しながら蹴りを放つ。

「余所見をしていようともあなたの動きは手に取るように分かりますよ」

 だがそれも傷馬には見抜かれており、梨鈴の足首を掴むとそのまま樹に向かって横薙ぎに振りまわし投げ飛ばした。

「うぉっ!」

 そのまま梨鈴は樹と衝突して数メートルは吹き飛ばされ、揉みくちゃになりながら地面を転がってようやく止まった。

「ってぇなあのヤロウ! おい梨鈴、無事か」

「――女の敵」

「は?」

 何故だか質問と答えが噛み合わない。原因は何かと探っても梨鈴が樹の上に覆い被さっているだけで梨鈴が何に怒っているのかとんと見当がつかない。

「リリの胸に触るな」

「お前の胸って……触ってねぇだろどう見ても⁉ 俺のっ! 両手はっ! お前の肩にしか触ってないだろうが!」

「リリの胸にイツキの胸板が触れている。よって女の敵」

「無茶苦茶だ!」

 梨鈴の横暴な理論に反論する樹、だがどれだけ理不尽な事に襲われようとも傷馬の方だけは片時も視線を外すことはなかった。

 だから気付けた――傷馬が塔の方に目を向けたままこちらの方を一切見てない事に。

「おい梨鈴、ちょっと耳貸せ」

「断る」

「なんでだよ⁉ いいからよく聞け!」

「――仕方ない。一度だけなら聞いてあげる」

 ものすごい上から目線で了承を貰った。そんなにも先程の樹に一切の非が無い出来事にご立腹なのか――見てわかるほどの警戒心をほとばしらせてらせている。

「傷馬の野郎……なんでか分からんが塔の方をずっと見てる。今なら不意打ちが出来る」

「そう――つまりトドメはリリに任せるという事か」

「そういう事じゃねぇよ! ――もうこの際どっちが先にトドメを刺すとか無しだ。同時に攻撃すれば文句はないだろ」

「仕方ない、今回はそれで妥協するしかない」

「……なんっっっで提案をした俺よりも上から目線なんだよ」

 理不尽すぎる対応にげんなりとするもこの絶好の機会を逃す事など絶対に避けなくてはならない。なので梨鈴もこの時だけは樹の邪魔となるような行動を取ることなく傷馬へと狙いを定め、そして――樹が仕掛けるよりもだいぶ早く特攻していった。

「話聞いてたよなぁ、お前⁉」

 樹がツッコミを入れも時すでに遅し。当然ながら梨鈴の方が到達するのが早く、ほんの少し遅れて樹が到達するもその両者の到達する差が傷馬に反撃の好機を与えてしまう。

「おや……梨鈴さん。まだヤル気ですか?」

「当たり……まえ!」

 傷馬の真下から抉るようにして拳を振り上げるも、樹と同時ではないせいで先に梨鈴が傷馬に気付かれてしまう。本来の樹の想定ではどちらかが見つかったとしてもその隙に攻撃を叩きこむ算段であった。自分達の突破力ならば一撃でも与えればそれで終わりとなる踏んでいたからだ。だが梨鈴が若干先走ってしまったせいでその機会が失われ、それどころか傷馬に攻撃の機会を与えてしまった。

「次からはもう少し他人と協力することをおススメしますよ」

「かはっ!」

 足元から迫る梨鈴の腕を取り先ほどと同じように掴むと今度は思い切り地面に叩きつける。その衝撃に梨鈴は息が詰まる感覚に陥り、同時に脳も揺さぶられ一時的に身動きが出来なくなってしまう。

「梨鈴! クソッ!」

「あなたもついでに大人しくしていただこうか」

 攻撃のタイミングが遅れた弊害がここに現れる。傷馬は樹の拳を真っ向から握って受け止め、そのまま腕ごと捻ってから蹴り飛ばされ樹は蹴られた勢いで遥か後方へと吹き飛ばされた。

「うっ……何だこの威力にあの動き、本当にアイツは薬袋傷馬なのか? ――前にやり合った時とはえらい違いだ」

「ほ・ほ・ほ……まぁそう思うのも無理はないでしょうね、理由は教えませんが」

 手をひらひらさせながらとぼけたように傷馬は答える。どうやら本気で応える気も無いような彼だが、さらに驚くような行動を取り出す。

「それではワタクシはここいらで退散させていただくとしましょうか」

「――何っ⁉ 待て、逃げるのか!」

 傷馬が樹に背を向け歩き出そうとする。それに対し思わず樹が叫び呼び止める。

「ええそうです、逃げるんです。とは言ってもあなた達から逃げるのではありませんがね」

 理解不能な事を言いながらこの場を離れようとする傷馬に樹の理解度は限界を超えた。だがその時、傷馬の行動への解答が姿を現わす。

「――! ……って、なんだよアレはっ!」

 塔を挟んだ向こう側に突如として岩の巨人が現れた。十中八九この存在が傷馬が逃げざるを得ない原因だと樹は直感した。

「ワタクシも味方に殺されのは勘弁でして。では葉神樹、お互い生きていたらどこかの戦場でお会いしましょう」

 それを最後に言い残し薬袋傷馬は戦場から消え去った。傷馬が去って行く直前、彼はなぜか梨鈴の首を掴み上げていたのだが樹は岩の巨人に気を取られていたため最後まで傷馬の行動に気づくことはなかった。




 時を同じく――海織達も樹と同様の物を目撃していた。だが樹と違うのはソレが何なのか認識出来ない事であった。

「な、なんなのよアレ⁉」

 海織が天を仰いだ。そこには巨大な岩塊が空を覆っており、地上から見上げただけではそこに何があるのかようとして知れなかった。

「くっ! いったい何が……海織さんここは一度退避しますよ!」

 ユリウスは避難の勧告する。ここで避難をしなければ仲間たちが得体の知れないモノに巻き込まれる恐れがあるからだ。

「分かりました! 皆さん、一度戦闘行為を中断して撤退に専念してください。背後はあたし達が受け持つので絶対に振り返らないように!」

 海織が先導して北軍の兵士たちを避難させる。ユリウスは海織の背後を守りつつ残存している敵兵を屠りながら海織達の後に続く形で撤退する。

「一体なにが起こっているの……?」

「僕にもサッパリです――ですので状況確認を急ぎましょう。ミットシェリンさん、現在塔の周りでなにが起こっているのかそちらで確認できますか」

 トランシーバーを取り出したユリウスはすぐさまミシェへと連絡する。あの位置ならば塔の周りの状況が把握できると踏んだからである。

『こちらミシェ、視界良好ですわ』

「では、手短にお願いします」

『えーっと……言葉で表現しようにもわたくしの理解の範疇を越えおりまして……簡単に説明するならば――』

『デッカイ岩の巨人が塔を棍棒みたいにして引き千切ってるにゃ!』

 ミシェがどう説明しようか考えあぐねていると、横からサクニャが割り込んで見たままの状況を報告する。岩の巨人という事は以前ミシェ達を襲った恐竜と同等の存在であるだろう確信し、同時に大五郎が戦っていた相手がそれを操っていると確信した。

『それともう一つ不可解な点が。塔の最上部分辺りが浮いたままになっているのですが』

 サクニャと入れ替わるようにミシェが追加で状況説明をする。するとそれを聞いたユリウスが「なるほど」と呟き、ミシェに解説する。

「それは塔の最上部分だけ座標が固定されているからでしょうね。だからあの一部部だけが浮いて見える訳です」

『そうでしたのね。――こちらから見える範囲での報告は以上ですわ』

「ありがとうございます。ではそうですね――粒子砲の発射用意をしておくようあの姉妹に伝えておいてください」

 現状を把握すると今必要になりそうなものを手配する。それを伝え終わると通話をすぐに切った。

「ですが、岩の巨人ですか……ここからでは全容を窺い知れない辺り相当大きいのでしょうね」

 ユリウスが見上げるソレの大きさは目測で図る事すら困難であり、凡その感覚としては三百メートルはあるだろう。これがロボット物とかであったら間違いなくラスボスクラスとなろう。

「いやいやいやっ⁉ 呑気に考察している場合じゃないでしょ! 何か策があるんですか!」

「無いこともないですが……その前にやることがあります」

 そう言うとユリウスは足を止めた。そこには北軍の兵士たちが集まっており皆、一様に岩の巨人に畏怖していた。そしてそのうちの一人が不安そうな声でユリウスに問いかけた。

「なぁユリウスさん、俺達はどうすればいいんだ? 戦うこと自体に躊躇いは無いが、あんなデカいのを相手にするには何もかもが足りないぞ!」

 何もかも――その兵士が言うように今の北軍には武器も人員も練度も、およそ戦いに必要な要素がまるで足りていない。その状況を鑑みてユリウスは一つの決断に至る。

「心配せずとも分かっています。この状況はさすがに想定外でしたがそこまで追い込んでしまったのは僕の責任です。戦うために全てを賭けてきたあなた方にこれを言うのは心苦しいとは思いますが皆さんにはこの世界から退避をしてもらいます」

 ユリウスが皆に進言したのはこの世界からの脱出だった。元々ここにいた兵士達はとある組織に復讐するがために集まり、様々な武器や兵器の習熟に励んでいた。だが今現在このような超常的な存在に対処するための訓練など行っていないので兵士達が狼狽えるのも無理からぬこと、なのでユリウスは大きな被害を出す前に彼等をこの世界から退避させることを選んだのである。

「そんなことしなくても領内まで逃げればそれで済むんじゃないですか? 何も無理にギャンブルさせる必要性は――」

「悪いですが議論の余地はありません。仮に北軍まで逃げた所であの巨体相手ではすぐに追いつかれます。僕達の手でアレを食い止められる確かな確証がない以上は……後は説明するまでもありませんね」

「それは……」

 有無を言わさぬユリウスの反論に海織は押し黙ってしまう。ユリウスに対しそれ以上何も言えなくなってしまった海織を尻目にユリウスは兵士に向き直り告げる。

「では、それを踏まえて皆さんに理不尽なお願いをします。ここで無様に死ぬしかない道を避け、生きるか死ぬか分からない賭けを行っていただきたいのです」

 ここがまともな戦場でまともな敵であれば兵達は死ぬまで戦う道を選ぶのだろうが、今この場には常識の通用する相手など存在せず、常識の埒外にある者以外は犬死にするしか他ない状況に陥っていた。

「済まねぇユリウスさん。俺達が不甲斐ないばかりにアンタにそんな事を強いさせるなんて」

「僕なんかよりあなた方の方がよっぽど辛いじゃないですか」

「いいんだよ俺達の事なんて。どうせユリウスさんに拾われなきゃそこで野垂れ死ぬしかなかったんだから、今更博打をやるくらいどうってことないさ」

「そう……ですか。他の皆さんも同意見と考えても?」

 その問いかけに皆一様に頷く。その決断を見届けるとユリウスは直剣を地面に突き立て、中空に歪な形をした鏡のような物を創りだした。

「あなた方の覚悟は受け取りました、では皆さんこの中へ。念を押すようですがこの先がどうなっているのか僕も分かりませんが皆の無事を祈っております。そして必ずや皆さんを僕は再び見つけ出す事を誓います」

 そうしてユリウスが創り出した他世界へ続く不安定な道へ北軍の兵士達は進んで行く。この先がどうなっているのか分からないという不安はあれど誰一人として歩みは止まらず、遂に全員がこの世界からの脱出が完了する。

「行ってしまいましたね。――じゃあユリウスさん聞かせてもらいますよ、あの人達を他の世界に退避させてまでやろうとした策を」

 人員がいれば策次第ではどうにかなりそうな相手なのにも拘らず、ユリウスはその人員を手放す事を選んだ。よって彼は広範囲に被害が及ぶような策が頭に浮かんでいるのだろう。

「僕の通話を聞いていたのなら気付いているとは思いますが、粒子砲をまた使います」

 先ほどの通話の内容から恐らくはそうなのだろうと思っていたが、あのトンデモ兵器をまた撃つつもりであった。

「それは……まぁ察してはいましたが、そんなのを撃ってあたし達は平気なんですか」

「………………なんとかなるでしょう」

「なんですかその間はっ⁉ 大丈夫なんですよね⁉ 生きて帰れますよね⁉」

「そこら辺の事は白慈が適当に上手くやってくれるでしょう」

「えー…………、ホントに大丈夫なんですか……」

 まさかの丸投げにユリウスへの信頼度がちょびっとだけ下がりもするがそんな事はどうでもいい。要は海織には生きて帰れるだけの確かな保証が欲しいのである。

「とにかく合流しましょうか。どうするかはそこで」

 一抹の不安を覚えながらもユリウス達とは別の場所で敵兵の処理をしていた白慈と合流することとなった。




「白慈……それと、樹さんと大五郎……皆も一緒でしたか」

 白慈達と合流した時には海織とユリウス以外の皆が勢ぞろいしており、その様子を見る限り樹と梨鈴の方は決着がついたようだ。

「姐さん! 良かったご無事で……それとすいやせん、あの道化師野郎は逃がしてしまいました」

 何があったのかそれだけでは分からなかったが、ひとまず言えるのは厄介なのが一人減ったという結果であった。

「そうだユリウス、あの巨人なんだがオレとやり合ってた奴が岩を纏ったと思ったら急にデカくなっていってな。本体は胸の方にいるんだろうが――」

「まぁ状況から考えてそうだとは思っていました。それでその時他に変わった事はありませんでしたか?」

「んー……特に無かっ――いや、そういえばあいつとやり合ってた時、なんの情熱も気迫も感じなかったな。妙だとは思ったが――」

「今までの敵の傾向を考えるとその相手も死体かもしれませんね。――これ以上厄介な事に起こらなければ良いのですが」

 それからユリウス達は互いの戦場で起こった状況を整理する。神前初美はユリウスが斬り、薬袋傷馬は戦場から逃走。これで相手の戦力は残り一人となったのだが、その一人が岩を纏って馬鹿みたいに巨大化してしまったので戦況としてはむしろ悪化していた。

「では、ここに何時までも集まっているのは危険なので一度散開しましょう」

「そりゃそうだな。じゃあオレ達はアレを撹乱しておくから策が練れたら教えてくれ! そんじゃあ出陣だガキども」

 大五郎が樹とレックスと梨鈴、そして海織を引き連れて攪乱行動へと移る。

「えっ⁉ ちょっと待って、あたしも行くの⁉ 雪華は来ないの? ねぇ⁉」

「こっちの嬢ちゃんは連絡係だ。ほら、一緒に逝くぞ!」

「イントネーションが不穏なんですが⁉」

 引き摺られるように連行されていく海織の悲鳴が辺りに響き、雪華だけがいたたまれない気持ちになった。

「諦めやしょう姐さん。誰かがアレを食い止めなきゃ全滅しますって」

「えぇえぇ分かってますよ……一肌脱ぐしかないんですよね……」

 今までは常識的なサイズの相手だから戦闘に出る事も嫌がらなかったが、あれだけの大きさだと恐怖心が前面に出てきて自らを鼓舞しなければとてもではないがやっていけない。

「おっ! やっといつもの姐さんらしくなってきやしたね。じゃあちょっくらあの肩の辺りまで付き合って下せぇ」

 樹が海織を誘うのだが、どういう考えが彼にあるのか肩を指定していた。

「分かりました。では飛んで行きますからしっかりと掴まってて下さい!」

 海織が水恋を片手に扇ぐと水の龍が生まれそれに跨る。それに続いて樹が低空飛行している龍の尻尾に掴まりそのまま上昇していった。

「それで樹さん、肩って言っていましたけどどっちの方に行くんですか?」

「左肩の方で頼みます。ひとまずアレの行動を制限させたいんで」

 速度を上げつつ旋回しながら手に何も持っていない左側へと慎重に近づいてゆく。樹が何を狙っているかは未だに分からないが。

 そして相手もただの木偶の坊ではない為、海織を狙って棍棒代わりにされた塔が横薙ぎに振るわれる。

「姐さん! 前っ! 前っ!」

「分かってます! 上昇しますから舌噛まないで下さいよ!」

 眼前にゆっくりと迫り来る塔を回避するべく急上昇する。相手の打面が広い分回避もギリギリだがなんとか樹の靴を掠める程度で済んでいた。

「姐さん! なるべく上の方から近づいて下さい」

 樹の言葉通り巨人の頭より上に行くと、上空から狙いを定めて樹は巨人の左肩へと目掛けて飛び降りた。着地点が広いおかげで大きく目標点を外すこともなく、無事降り立つとすぐさま行動する。

「さて……参謀様の策だとこっちの腕を落とせばバランスを崩しやすく出来るかも――だったか?」

 樹が海織とユリウスと合流する少し前、大五郎らと共にあの巨人への対処法をミシェを交えて議論していた。その中に重量を偏らせて動きを鈍らせてみようという策があり、樹が実際に試すというところであった。

「まずは一発! せいっ!」

 右手には白慈特性のグローブが嵌められており、今そこに最初にこのグローブを見た時を再現するかのように振動するだけの魔術を込めて肩目掛けて殴りつける。

 激しい音と共に撃ち込まれた一撃は肩の岩を深く抉りはしたがそれだけで、切り離すまでには至らなかった。

「……あの嬢ちゃんみたいに綺麗には砕けないか。――なら!」

 ここぞという所で魔術のコントロール力の無さが足を引っ張る。雪洞が披露した時の様に微細なコントロールの出来ない樹にはひたすらに回数を増やすしか手はなかった。

「この硬度……ただの岩じゃあねぇな。岩同士の結合力が強化されてるのか?」

 十数度拳を打ち込んでも岩は砕けはするが腕を落とすまでには至らなかったが分かった事もある。この岩は高密度の状態で圧縮されており、その事から樹の力不足だけが問題となっているわけでない事が分かった。だがそれが分かった所で結局はどうしようもない。

「どけぇぇええい!」

「ん? なんだ、どこから声が――って上か⁉」

 声のする方へ顔を向けると大柄の影が斧を振り回しながら急降下してきていた。それに巻き込まれまいと樹が逃げると、彼が一瞬前までいた場所へと斧が突き刺さる。

「惜しい……」

「惜しい……じゃねぇよ筋肉ダルマッ! 共闘している間柄だろうと奇襲してくんのかよテメェは⁉」

「言葉の綾だ。お前の打ち込んだところから少しずれただけで別に他意はない」

「ホントかよ……まぁいい、壊せるのかコイツ」

「問題ない、もう崩した」

 大五郎が振り下ろした斧は樹が撃ち込んだ箇所から外れてはいたが、単純な力のみで肩の結合部を崩壊させていた。

「第一段階は完了した。巻き込まれないうちに退避だ」

「巻き込まれるって、誰に――」

 樹の疑問が解決する前に大五郎は樹を抱え込み、共に紐無しバンジーをする。巨人の方も片腕が落ちた事で重量が片側に寄り始めていた。

「樹さん! 蓮豆さん! 掴まって下さい!」

 空中落下を続ける二人の下へ海織が飛んでくる。二人にピッタリと並ぶと水の龍から腕が生え、その手が二人の胴体をガッチリと掴んだ。

「助かりやした姐さん。それで次は――」

「速度を上げますから喋らないで! 今度こそ舌噛みますよ」

 その言葉通り水の龍は速度を増すが、なぜか地上ではなく上空へと向かっていた。なぜ上へと昇るのか、そんな疑問が頭に浮かぶがすぐにそれも晴れる事となる。

『こちら簪。粒子砲の二発目いくよ』

 大五郎のトランシーバーから簪の声が聞こえる。そしてその言葉通り遠方から粒子砲が巨人の胸部目掛けて放たれる。

「言ってから行動するまでが速ぇよ!」

 上空へと避難はしているが、粒子砲の発射に伴う弊害に対処する途中の樹は悪態をつく。それでも最低限の防御策だけはすぐに取り始めていた。

「ちょっとの間暗くしますぜ、姐さん!」

 樹が魔導書を取り出しすぐさま術式を発動させる。それにより前方に外部からの影響を遮断する闇で出来た暗幕が現れ、それに飛び込んだ海織の体を包むことで粒子砲から受ける弊害を守ることとなる。

「ヒデェ目に合うとこだった……そういや下は大丈夫なのか?」

「向こうには白慈がいるからな。まぁ、なんとかしてるだろう」

 信頼しているのだろうがなんとも投げやりな対応に本当に仲間なのだろうかと思ってしまう。

「樹さん、これ早く取って下さい! 暗いです! 怖いです!」

 このままでは制御もままならなくなるので言われた通りすぐに幕を取り払う。視界が開けた海織の目に映るのは高熱により真っ赤に熱された巨人の姿だった。

「あれだけの兵器でもビクともしないの⁉」

『まだです海織さん、アレを冷やしてください!』

 大五郎のトランシーバーからユリウスの追撃要請がはいる。

「……! は、はい!」

 急にそんな指示が来た事で少し驚きはしたが、それに従い追撃の用意を取る。

「水よ! 我がもとに集え!」

 海織が水恋を高く掲げる。すると扇の先端に南から湖の水が、他の所からも様々な水が次々と海織の下へ集まっていく。

「来た、来た、来たっ! それじゃあ行きますよ――水龍波・極!」

 海織が水恋を振ると集まっていた水達が巨大な龍の姿を形取る。その巨大さたるや巨人の頭ぐらいなら飲み込んでしまえるほどだった。

 だが、相手もユリウスの意図は丸わかりのようで、手に持った塔を叩きつける様にして迎撃を試みる。その頃、地上の方ではユリウスが上空の様子を窺いながら着々と策を進行していた。

「まぁあれだけ見え透いた攻撃をしていれば自ずとそういう行動になりますよね」

「わるいなユリウス。粒子砲の出力が足りなかったせいで手間撮らせて」

「構いませんよこの程度。むしろ今は注意が上に向いてるので逆に好都合です」

「ユリウスさ~ん、白慈さ~ん……こっちは準備できましたよ~!」

 ユリウス達から遠く離れた巨人の足元で雪華が叫ぶ。すぐ傍には梨鈴もいたが待機しているのが煩わしいのか遠目から見てもソワソワしているのが見て取れる。

「希少品をこんな所で使いたくはなかったんですけど……おいでませ! 生命の大霊樹!」

 掛け声とともに地面に植えていた種から芽が出る。その芽は急速に成長を遂げ、巨人の右足へと絡みつき浸食する立派な大樹となる。そしてここでようやく梨鈴の出番が来た。

「これをリリの炎で燃やせばいいのか?」

「そうです~! もったいないですけど遠慮なくやっちゃってください!」

「わかった」

 梨鈴の両手が緑色の炎に包まれる。その手を大樹に押し当てると音も立てず瞬時に燃え上がり巨人の右足を緑の炎で染め上げ、やがてその炎が揺らめいた形を残したまま硬質化していった。

「今ですよ~、ユリウスさん!」

「お任せください!」

 雪華の合図が聞こえるとともにユリウスが弾丸のように飛び出す。動き出してから数秒の内に足元まで辿り着くとすぐさま硬質化した炎ごと右足を直剣で斬りつけた。

「いきますよ、レーゲンボーゲン!」

 ユリウスの手に握られた剣は銘を『レーゲンボーゲン』といい、自らの銘に反応して秘められた力を現わす。

「さあ、こちらへ来なさい」

 ユリウスがレーゲンボーゲンを手前に引くとそれに連動するようにして巨人の右足が剣の方へ引っ張られる。

「おお~! 凄い勢いで引っ張ってますねぇ~」

 ユリウスの持つレーゲンボーゲンは斬りつけた対象に三度まで引力又は斥力の向きを変更させる力を持っている。これにより巨人はバランスを大きく右側へと崩し反撃の芽を摘まれてしまう。こうなれば立て直すまでのわずかな間、巨人の一切の行動を阻止させていた。

「いけぇ~! 姉御ぉ~!!!」

 熱せられた巨人の体に膨大な質量の水の龍が突撃した。

 急激な温度変化によって巨人の体――その胸元に亀裂が入る。だが、そこまでしてもまだ崩壊にまでは至らなかった。

「おいおい……まだ形を留めてるのかよ!」

 樹が驚愕した。こちら側の戦力のもてる限りをぶつけてもまだ相手の止まる気配がなく、未だ武器を振り回し続けている。皆が絶望の色に染まりそうになった時、一人だけまだ抗い続ける者がいた。

「まだだッ!」

 レックスが風の様に駆け抜けて巨人の足元まで迫っていく。はたして何をするのだろうかと皆が思った時、レックスは巨人の体を登って行った。それもただ岩肌を掴んで登るのではなく、跳ねる様にして上へと向かっていた。

「おい、レックス! どうするつもりだ!」

「決まっている。本体を斬る」

 その眼差しは明確に敵を捉えており、迷いも無駄もなくひたすらに巨人の胸元へとその体を駆けあがっていく。

「本体……? なるほどそういう事か」

 樹が得心したように納得する。レックスの狙いが分かるや否やすぐさま自分に何が出来るか頭を働かせる。

「オレにもあのガキが何をやろうとしてるのか分かったが……あのガキ一人でどうにかなる訳がない」

「確かにレックス一人ではどうやっても無理だろうな」

「――みすみす死にに行かせるつもりか?」

「まぁまてよ。だからこそ大人である俺達が子供を導くんだろ? それにアイツなら辿り着きさえすれば何とかしてくれるさ」

 それを聞いて大五郎は少しだけ考え込む。子供にそれだけの重圧を背負わせて良いのか――と。

「随分とそのガキを信頼してるんだな。ならそのガキが攻撃を仕掛けるオレ達が道を切り開くって事か。いいぜその案に乗ってやる、異論はないな狂犬」

「無い! だが、壊せるのか? あの部分を」

 巨人の胸の辺りを見て言う。肩を壊すだけでもあれだけ苦戦していたのに、亀裂が入っているとはいえそれよりも分厚い部分を壊せる図がどうしても思い浮かばなかった。

「無理でもやるだけだ。現にあのガキ――いや、レックスは出来るかどうかなんて考えてはいないだろ?」

「――かもな。それじゃあ可愛い愛弟子の為に花道を作ってやるとするか!」

「じゃああたしは二人をそこまで送って行けばいいんですね」

 二人の会話に一度も口を挟まず聞いていた海織がここで口を開いた。というよりも今まで二人は水の龍に胴体を掴まれる不格好な状態でシリアスな会話をして、ただ単純に声をかけづらかったのでタイミングを探っていただけであったが。

「悪いが海織。ちょっくらあそこまで頼む」

「分かりました。では……行きますよ!」

 海織は腕を横に広げて水恋を水平に構える。そして腕を前へと突き出すとその動きに連動するかのように水の龍が直進していく。だが海織は空中に水の足場を作ってその場に留まっており、二人だけが水の龍と共に射出されていた。

「えっ⁉ 姐さんは来ないんですかぁ~~~!」

 送迎役を買って出たはずの海織がいるべき所におらず、思わず樹は情けない声で叫んでしまっていた。その声を聴いて海織は「ゴメンね」と可愛く笑い、扇で顔の下半分を覆っていた。

「そう嘆くな。どんな扱いを受けようともやるべき事を果たせ」

 捨てられた感が強く残る二人はさながら傷の舐めあいでもしているかのように惨めに見えた。それでもやるべき事だけはどちらとも分かっているのでそんな思考も一瞬のものであった。

「そ、そうだな。その通りだ。……姐さんが上手くやってくれると信じよう」

 樹の願いは仲間に対して向けるものとは少し違うような気もするが、そのささやかな願いはきちんと通じており、水の龍は自らの腕を巨人の頭当たりの高さの所で切り離した。

「それじゃあ先に行かせてもらうぞ」

 ほぼ同時に空へと投げ出された二人は攻撃目標へ向けて落下していく。その上で大五郎はいち早く攻撃を仕掛けるべく樹の体を蹴って一瞬だけ加速をした。

「あっ、テメッ! なに人の体を足場にしてんだ!」

「すまんな、一番乗りはオレが頂かせてもらう」

 樹を土台に加速をした大五郎はそこからさらに武器である斧を回転させ、同時に自身の体にも回転と捻りを加えだす。上でその様子を見ていた樹からは不可思議に見えるその行動も次の瞬間にはその理由が明らかになる。

「せいっ……りやぁぁあああ!」

 複雑な回転が加わった斧は巨人の胸元の亀裂へと吸い込まれるようにして振り下ろされる。強烈な破砕音を辺りに響かせて。

「なん……だ…………あの威力は。肩を壊した時とはケタが違いすぎる……」

 大五郎の持つ斧『グラビタス』その刃の部分は速度や回転力が乗れば乗るほどに威力を増していく。故に武器の回転と自身の回転、それに捻りの回転を加えた時の威力は肩を壊した時の威力と比較するとその威力は数乗程の差があった。

「――本体を守ってるところだけあって流石に硬い……な……」

 大五郎の全力は守りの全てを打ち壊すまでには至らなかったが、その攻撃で大きく防御層を剥がし本体となる核が薄っすら見える所までには迫っていた。そしてその功労者たる大五郎はその一撃に全霊を掛けた弊害により、力なくその場から落下していった。

「――⁉ 蓮豆! いや……心配するのは後だ。そんな事をしたらアイツに攻撃が無駄になる!」

 一瞬、樹は大五郎を助けようと考えた。だが、そんな事をしてる間にチャンスを逃してはそれこそもう打つ手が潰えてしまう。だからこそ今は自分のやるべき事を成そうとする。

「頼むからこれで壊れてくれよ……」

 両の拳に持てる魔力を全て込め、そこに振動の魔術を作用させる。あとはグローブの効力により増幅させるだけなのだが、魔力の調整が下手な樹が全力を出したことで左手のグローブに不具合が起こりだした。

「おいおい……勘弁してくれよこんな時に」

 元々は弱い魔術を強力なものに増幅するための道具なのだが、ここ一番で威力を重視し想定以上の魔力を込めた為にグローブが限界を超えてしまい、樹が望む水準の威力にまで届かなくなってしまう。

 焦った樹はほんの僅かな時間どうにか誤魔化して使えないかと考え、ふと思い至る。

「一か八かだ、考え込んでるヒマはねぇ!」

 右手に嵌めていたグローブを脱ぎ、それを無理矢理左手へと嵌める。するとその思い付きが功を奏したのか拳の中で威力が高まっていくのを感じる。

「――これで……どうだぁっ!」

 最大限まで威力の高まった樹の拳が巨人の胸へと鋭く突き刺さる。大五郎の時よりかは派手さは無いものの、確実に防御層を捉え、打ち崩し、そして……本体がいる空間までぶち抜いた。――だがその代償に樹の拳は犠牲となってしまった。

「へっ……! どうよ、今度はぶっ壊してやったぜ……」

 全ての力を使い果たし樹もまた空から落ちてゆく。そして落ちていく最中、一瞬駆け上がってくるレックスと目が合うと、その眼差しで自分の弟子へと言葉を伝える。

「道は……作った。だから、お前は遠慮なく全てをぶつけていけ! ――レックス!!」

 一瞬の邂逅――その時の樹は想いと共に何かを投げ込み、彼からその何かをレックスは受け取り、そして頷く。

「任せて。皆が繋げた道だから……必ず成し遂げる!」

 既に落ちて行った樹にはもう聴こえはしないが、その想いは届いていた。

「――そういえば樹は何を投げ込んだんだろ?」

 樹から投げ込まれた物を確認するとそれは先程まで彼が身に着けていた右手用のグローブだった。

「んっ……だいぶ大きいけど樹が今渡してくれたなら意味があるかも」

 樹から託されたモノを身に着けると、レックスはさらに速度を上げながら巨人の体を駆けあがっていく。

 そしてレックスは皆がつくった突破口を駆け抜け、ようやく巨人の本体内部へと辿り着く。

「なんだここは……」

 その内部はかなり広めの空洞でその中心にはこの巨人の核となる部分と思われる岩塊が、そしてその岩塊からはいくつもの岩の柱が伸びておりそれらは全て空洞の内壁と繋がっていた。

「とりあえずアレを斬ってみるかな」

 最初に目に飛び込んだ核と思しき怪しげな物体に狙いを定める。そして勢いよく飛びあがり手にした刀で一先ず叩き斬ってみた。

「大分硬い……ならこれが本体で間違いなさそう」

 一撃はその岩塊に与えたものの薄く傷が付いただけで破壊にまでは遠く及ばなかった。だがその事実がレックスにこの物体はただモノではないと確信させた。

「壊れるまであとどれくらい必要かな……」

『そんな心配などする必要などない。お前はココで朽ち果てるのだから』

 空洞内に重く低い声が響き渡る。その声に聞き覚えは一切ないのだが何故だか声の主は自然と頭に浮かんできた。

「……! この声は、いやあの男はユリウスに真っ二つにされたって聞いたけど……この感じはもしかして――」

「スオウアキヒト!」

『よく分かったな。だが、その名の人間は既にいないと言ったがまぁいい。どの道お前はココで死ぬんだ、そのような些細な事は許そう――この神前初美がね!』

 声の主は神前初美だった。だが神崎は先にレックスが言った通りユリウスによって真っ二つにされて確実にあの場で死んでいる、それだけに彼女がそこにいる理由は皆目見当がつかない。

『――ぅん? 随分と不思議そうな顔をしているね。さしずめ私がここにいる理由でも知りたい……という所か』

「必要ない。お前を斬ればそれで終わるんだ、だから関わる気なんてない!」

 神前の言葉に全く耳を傾ける事などせずレックスは斬りこむ。だがそれを阻む様に岩の壁が突如現れ、レックスの刀はそこで止められてしまう。

『随分とせっかちだねえ。少し見ない間に樹に似てきたじゃないの』

「クッ!」

 攻撃を阻まれてレックスは苦々しい顔をした。そして神前はと言うとレックスを嘲笑うかのように勝手に話の続きを語りだした。

『さてレックス、君がいくら刃を振ろうとも私を滅することなど出来はしない』

「…………」

『リアクションは無しか……まあいいさ。私には決まった肉体を待たず常に死者の体を使って行動をする――ここまで言えば君の疑問は解決するかな?』

「……体が死のうとも中身までは死なないという事か」

『その通り! つまり君がどれだけ頑張ってこの体を殺したとしても、霊体となっている私には一切手出しが出来ない。さぁそれが理解できたなら大人しくここで殺されてもらおうか』

「断る」

『なに……?』

 神前という存在へはどうやっても危害加えることが出来ない。だが、それが分かった所でレックスに諦める選択肢などもない。ここに至るまで少なくない者の死があり、道を開いてくれた者達の信念を受け継いできた。だからここで立ち止まる気などレックスには無くそして死ぬ気もない。それに――生き残る光明が見えてきたのだから。

「あんたが死んだ人間の体を使わないと何も出来ないのなら――俺がここで勝てばいいだけの事だ」

 この世界にはもう神前が使うことの出来る死体は今は存在しない。かつて南軍や東軍で命を落とした人々も、この二ヶ月の間でサクニャと雪華そしてレックスがその遺体を火葬して南軍の森の中に埋葬されている。よって神前にはもう後が無いのだ。

「やぁあああっ!」

 刀を両手に持ち替えてレックスは岩の壁へ向けて疾走し、そのまま壁を駆け上り神前を視界に捉える。

『子供如きがいくら足掻こうとも私に勝つことなど出来はしない!』

 レックスが駆け上がった岩の壁が急速に形を変え始め槍のような形状になる。そして間髪置かずにその槍はレックスへと背後から狙い撃つ。

「そんなもので――!」

 背後から迫り来る槍を視界の端に捉えると槍の先端に片手を添え、そのまま体を捻り上げて槍の上へと乗り移る。

『なにっ!』

 自らの攻撃が利用されたことに神前が若干狼狽えるが、岩を自在に操ることの出来る存在となっている神前はなぜか自らに向かう槍に迎撃などをする素振り全くない。

『――と、そんなもので私をどうにかできると思っているのか!』

 レックスを乗せた岩の槍が神前に到達するかと思われたが、槍が神前に触れた途端槍が弾け飛び、上に乗っていたレックスがそれに巻き込まれる形で岩の礫をその身に受けてしまっていた。

「そんな攻撃で止まるもんか!」

 岩の礫が体に当たりはしたもののレックスの動作を中断させるまでには至らず、レックスの刀は大上段で神前へと振り下ろされた。

『なかなかの威力だ。樹の教えだろうがよもやここまでとは……』

 レックスの一撃は神前が籠っていた岩の殻を断ち割って、その中から神前が姿を現わす。

「これでもうアンタを護る物は何もない。大人しくここで斬られてろ」

『自分が優位だとみると威勢がいいな。ならこれを見ても同じことが果たして言えるか?』

 自らを護る岩の殻が剥がれたにも拘らずその余裕は崩れることが無い。神前はそれを証明するかのように割れ落ちた殻の中から降り立ち、腕を軽く払った。

 すると巨人の内部が震え、内壁から先ほど放たれた槍と同様のと思われる物が四方からせり出してきた。

「さっきとやってることは同じ……進歩が無いね」

『同じ……? 同じかどうかはその身で確かめてみろ!』

 神前が腕を前へ突き出すと、それに呼応するように四方八方から岩の槍が降りかかる。その雨の様に降り注ぐ岩の槍の中をレックスは自らが傷つくのを躊躇うことなく突き進んでいくが、そのあまりの量の多さに一撃二撃三撃と岩の槍が体を掠め、四撃目で左腿を貫き五撃目で左足のアキレス腱を傷付けられそこで動きが止まってしまった。

『ふ……ふふふ……あっはっはははぁ~! 惜しかったなレックスウウゥゥ~……もう一歩踏み込めたらその刃が頭を貫けたのにな』

 レックスの一撃はその言葉通り僅かに届かなかった。突き出された刃は相手の額に切っ先が触れるほどの距離で止まってしまっていた。

『そう足掻かないで欲しいね。出来ればお前は綺麗な姿のままで死んでもらいたいのだ、我が体の新たな依り代としてな』

 左足が使い物にならなくなったうえその場に貼り付けられ、これ以上動くことの出来ないレックスへと言葉を投げかける――もう諦めろと言うように。

「――断る! ……まだ終わるわけにはいかないから!」

 体は傷付き、足も岩に固定されてしまったが諦めることなくもう片方の足を僅かに動かし、迫り来る死から抗おうとする。

『――なっ! まだ動くのか……その体、消すには惜しいが仕方ない!』

 レックスがまだ動けた事に驚きはしたものの、これ以上動かれて厄介な事をされるのではとの懸念からさらに岩を操ってレックスの体を岩の槍で完全に固定させた。そこまでいけば後は確実に仕留める為にもったいないがその体を圧殺するまで。

『潰れろ! レックス!』

「勝った気になるのはまだ早いよ。――終わりじゃないと言ったはずだ」

『なにっ?』

 神前の顔が強張る。その視線の先には突き出された刀から僅かに青白い雷が散っている。

「死んでいった人達に詫びて逝け!」

 ――瞬間、突き出されていた刀から散っていた青白い雷が激しさ増し、そして神前目掛けて放たれた。

『こ、こんな子供に……こんな、ところでエエェーッ!』

 刀から放たれた雷は樹から託されたグローブの力により、本来のレックスの出力を増幅させ、神前が依り代としていた体を岩の巨人ごと貫くと最終的に依り代となった体は炭化して崩壊していった。

「――やったよ。樹……ぼく、強くなったよね……」

 この戦争で最後の敵を倒したことで緊張の糸が切れてしまい、神前による岩の拘束も依り代としていた体が無くなった事により解かれた今、レックスはその場で倒れ伏してしまう。だが当の神前は体を失っただけなので、未だ魂だけの存在となって現世に居座り続けていた。

『ふ、ふふ……。お前は私を倒したつもりかもしれないが残念だったな、魂が滅びない限り私は不滅だ!』

 とはいえ、今の神前にはもう死体のストックが無いため自発的に誰かに影響を及ぼす事が出来ないでいた。だから今は風前の灯火となっているレックスが死にゆくまでの過程をゆっくりと眺めて過ごすしかなかった。

『男の子の体か、活きが良さそうね』

 魂だけになった神前は恍惚の表情で待ち望んでいた。そしてそちらの事に気を取られていたために周囲の警戒を怠っていた。依り代となった体が無くなった事で制御を失い、崩壊していく巨人の体内へなど誰も来ないと思っていたからだ。だからこそ例外には気付かなかった、最もここに来ないであろう人物の存在に。

「随分と楽しそうですねぇ~――元・組長さん?」

『……はっ?』

 気が付くと――雪華がいつの間にかそこにいた。

『どうしてお前が此処に⁉ いや……お前如きが一人いたとしてなにも変わりはないか』

「おやおやぁ~……? いぃんですかぁそんな事を言っててぇ。わ・た・しが、こんな所にいる理由――これっぽっちも分からないんですかぁ?」

 煽るように雪華が聞いて来る。だが神前は、章仁として雪華と接していたのにも関わらず、彼女がこの場に存在する理由が何一つ分からなかった。

「う~ん……本当に分かっていないみたいですね。まぁほとんど情報を与えないように動いていたらそうなりますか。じゃあ、これ見たら――どうでしょうか?」

 雪華はおもむろに木の枝を取り出した。それは地上で振り回していた物とは違い表面を削られた木刀のような見た目をしているが、その枝を出した途端――神前は体中が粟立つような感覚に見舞われる。

『ま、まさかそれって……生命の霊樹⁉ 何故そんな――それは絶滅種では!』

「あっ! やっぱりわかりますぅ? じゃあ、あなたがこれに触るとどうなるかもご存じですね!」

 雪華が手にしているこの枝――先ほどは巨人の足を止める為に梨鈴に燃やさせるという使い方をしていたが、その本来の使われ方としては霊的なモノに属する存在を触れただけで捕食し成長の糧とするシロモノであった。故に魂だけが現世に留まっている神前は無論、自称幽霊である雪華もまた本来なら喰らわれて然るべき植物である。

『天敵の存在を知らない訳があるまい! だが、なぜお前は取り込まれない! 幽霊であるお前も例外ではないだろう!』

 尤もな疑問が口を衝いて出てくるのも当然、だがそんな疑問をよそに雪華は何も言わず歩み寄っている。

「知りたいですかぁ? 知りたいですよねぇ?」

 そう言いながらゆっくり歩み寄って来ていた雪華は、神前の傍までくると耳の傍で屈み込む。もはや抵抗の余地がない神前からしたら助かる道があるかもしれないと僅かな希望が芽生え始める。

 そして雪華は神前の耳元で優しい吐息を交えて囁く。

「それはですね…………な・い・しょっ!」

『えっ?』

 ズプリ――と枝が体を貫く。突然の事に神前は狼狽えるが、何が起こったのかを確認する時間は残されてはいなかった。

『ど、どうして……』

「どうしても何も…………敵にそんな事教えてどうするんですか~? わたしが知ってる組長さんだったらそんな話になんて乗らなかなかったはずですよ?」

 クスクス笑いながら雪華は生命の霊樹に喰われていく神前を見下ろしていた。そしてその神前はと言うと希望を打ち砕かれ全てに絶望した表情で雪華を見上げている。

『や、やめろ! まだ……まだ私は消えたくないぃぃぃ! セムリ様の復活まで私は――』

「往生際が悪いですねぇ。幽霊なら幽霊らしく大人しく喰われて成仏してください~。わたしはもうあの駄羊なんかとと関わるのは御免ですのでぇ~」

『まさかっ⁉ 主様を知っているのか! ではお前の目的は――!』

 駄羊。その単語に神前は敏感に反応した、その一ワードで会話が通用した事から見るに、雪華が何らかの事柄に絡んでいるのは明白だ。自らの主に牙を剥くであろう存在から新たに情報を引き出そうとしても、神前にはもう次の句を告げるほどの時間は残されていなかった。

「バイバ~イっ!」

 手を振って神前を見送る。驚愕と恨みが入り混じったような神前の視線が雪華が最後に見た神前の光景であった。

「ふぅ~……これで面倒なのは片付きましたね。後は、この子が死なないようにするだけでしょうか?」

 崩れ落ちる巨人の体内の中、雪華はレックスを抱え込んで空へと脱出した。この高さから落ちてしまった時、雪華は実体が存在しないから助かるがレックスは生身なので助からない。だから叫ぶ――頼りになる仲間の名前を。

「姉御~! 受け取って下さい!」

 遥か上空から海織の名を叫ぶ。樹と大五郎の救助を終えていた海織は上の様子を見ていたので雪華の行動にもいち早く気付き、すぐさま水恋を抜いて対応に当たる。

「随分と無茶苦茶するようになったわね……雪華!」

 巨人に大穴を穿つためいろいろと立ち回っていた海織はこの時点で水と霊力がほぼ底を突いており、満足に水の龍を生みだす事は出来なかった。なので海織は違う方法で落ちてくるレックスを受け止めるしかなかった。

「逆巻け炎!」

 何らかの式句なのかそう叫ぶと水恋が炎を纏う。そして非常用に隠し持っていた飲み水を瓶の容器ごと空高く放り投げ、水恋が纏った炎をその容器へと向けて放つ。すると、炎によって水は急激に熱せられて膨張し水蒸気爆発を起こさせた。

「集まれ、水たちよ! 水雲みなくも

 水蒸気爆発が起こった瞬間、水恋を舞わせるとその動きをなぞるように水蒸気となった水が動き出し、周りに漂う水の粒子を巻き込んで雲のように成長する。そうするとその雲をレックスの真下に来るよう操る。

「オーライ! オーライ! …………よし、キャッチ!」

 狙い通りの所へ落ちてきたレックスを雲がふんわりと包み込むように受け止め、そのお陰で落下に対しては怪我をさせることはなかったが、それ以外の出来事でで負った怪我は大きく目立っていた。

「姐さんのその掛け声はなんか違う気がする」

「……いいじゃないですかそういうのは。それよりも、この傷を何とかしないと!」

 レックスの足の怪我は誰が見ても重傷で、しかもこの中にはそれを治療できる者はいなかった。

「その事だが……どうする? 医者は本陣だ、今から連れて行ってもこの怪我じゃたぶん持たんぞ」

 現在位置から北軍までの直線距離は十㎞は少なくとも越している。地下の電車も行きの分の燃料しか考慮されておらず、それ以外の高速での移動も海織の霊力はガス欠な為それも叶わない。

「そうだ雪華、前に俺にやった事をレックスに出来ないか?」

 空から降りて来た雪華に対し樹が提案する。この怪我の具合を先に見ていた雪華ならあるいはとも思ったが、首を横に振られてしまう。

「あのねいつき君。わたしがあんな所に行って何も出来ていなかったんだから察してよ」

 雪華が巨人の内部に向かったのは別に神前の事だけが理由でなく、メインとしてはレックスの救助をする予定だった。

「真柴女医のところまでは間に合わない、であれば手段は一つ――医者のいる世界に飛びましょう」

「随分とぶっ飛んだ発言だな、オイ!」

 もっといい案は無いのかと思いながらも先にツッコミをしてしまう樹だが、その後のユリウスの発言からそうせざるを得ない状況に置かれていることを知る。

「時間が無いのですよ、ほらあそこを見て下さい」

 ユリウスが指し示す方を見る。そこは何の変哲もない空のように見えるが、突如空間がねじ曲がった。

「なんだよ……ありゃ……」

「大方、神前か誰かが何かしら仕込んでいたんでしょうね。そういえば雪華さん、その神前はどうなりましたか?」

「えぇっと~……レックス君が倒したと思うのですが、わたしが着いた時には他に誰もいなかったので詳しい事は分からないです」

 雪華がユリウスに対しなぜか嘘をついた。無論これには彼女が明かすことのない事情があるからなのだが、この時点では雪華の嘘を誰も疑うことが無かった。

「そうですか、まぁ今は気にすることもないでしょう。後すべきことは塔の上にある門を破壊することだけですね。白慈、例の物は出来ていますよね?」

 白慈に目を向けると当人は服をまくり上げ、腰に付いている物を見せる。

「完全ではないがな。それで、オレが行くのはいいとして……念の為あと一人くらいは欲しい所だな」

「ならリリが行く」

 白慈の呼びかけに梨鈴が応える。消去法で考えても現状まともに動けるのは梨鈴だけであり、半ばこの組み合わせと言うのは決まっていた様なものである。

「現状ではこの組み合わせは必然でしたね……では、お願いします梨鈴さん。それと白慈……門を壊したらやる事は分かっていますね」

「大丈夫、分かっている。アソコに行けばいいんだろ? んじゃあ行ってくる」

 白慈が塔へと走ってゆく。梨鈴も後に続き後は二人が仕事を終えるのを待つのみなのだが、それでも天の果てまであるような塔を登るのはどう考えても時間が掛かるように思える。

「あの二人を行かせた後に聞くのもなんだが……間に合うと思うか?」

「あの塔が当初のままであれば厳しかったでしょうが、大部分が失われている今ならば可能性はありそうですね」

「そうか……で、あの二人はどうやってあそこまで行くんだ? 飛べないのはさっきの戦いを見てれば分かるんだが」

「さぁ? そのあたりの方法は白慈に任せているのでどうやってあそこまで行くのかは僕は知らないですね」

「マジかよ……一気に不安になって来たんだが、本当に大丈夫なのかよ」

「なんだかあたしもいきなり不安になって来た。今からでもあたしが……うぅ!」

 樹とユリウスの会話から不安が海織にまで伝わってきており、いてもたってもいられなくなった海織は二人を追いかけようと水恋を振るうのだが、霊力の切れた今の海織には僅かな水すら操ろうとするだけで立ち眩んでしまっていた。

「あ、姐さん⁉ 無理しないで下さい」

「彼の言う通り無理は良くないですよ。それに今の貴女にだって出来る事はあるじゃないですか」

 ユリウスがそう指摘すると海織は冷静になって現状を見つめ直す。

「そう、ですね。今のあたしが出来る事は…………雪華! あたしにも手伝わせて」

 最初にレックスを地上に降ろした際、雪華は今までずっと彼の手当てをしていたのだが、植物を使って傷口を埋めることの出来ない今では患部の付け根を抑えるだけに留まっていた。そこで海織はまずは自らが着ている着物の帯に付いている帯締めを外し、それをレックスの足の付け根辺りで縛りあげ、ひとまず出血を止めようとする。

「完全に血が止まらないっ⁉ それなら――」

 それならと水恋を手に取りレックスの足と帯締めとの間に滑り込ませる。そしてそのまま水恋を使って帯締めを捻じりきつく縛り上げた。

「――これで大丈夫かな?」

「応急処置としては問題ないと思いますよ。後は二人を待つことだけですね」

 今自分達に出来る事は尽くし、レックスの命運は梨鈴と白慈の結果を待つことのみとなった。

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