第6話

 翌日の朝。海織とミシェが北軍へと協力を求める為に対話をする日がやって来た。今は南軍の主だった面々が岩壁の上で二人を見送る所であった。

「ではミットシェリン=ラインノルド、これより海原海織副長殿を北軍へとお連れ致しますわ」

「よろしく頼みます。それと――貴女の役職を相手方に伝えるのをお忘れなく」

「分かっておりますわ。南軍の戦術顧問でしたわね」

 出立の直前、ミシェが昨晩の出来事を章仁に伝えるとそこで正式な役割が三人に与えられた。ミシェは戦術顧問に、サクニャは今まで専任の者がいなかったコックに、梨鈴は偵察部隊所属の唯一の戦闘部門となった。

「気張って行ってくるんだぞーミッこ!」

「ミッこ、ふぁいと」

 親友の二人もここまで見送りに来ていた。だが樹とレックスの二人だけはここにはいない。樹はあの怪我なので見送りは出来るとも思えないし、レックスも樹に付きっきりであったので彼もまた見送りには来ていない。実のところは二人して寝過ごして見送りに行けなかっただけなのだが。

「では彼女の事はお願いしますね、ミシェさん」

「お任せて下さい。必ずや副長をお届けしますわ」

 ヘルメットを手にしながら護送の成就を誓う。その後ろでは海織が青い顔をしながら俯いていた。

「みおりんもほら! 覚悟を決めないと」

「もう好きにしてちょうだい……」

 観念したかのようにミシェの後ろへ歩いて行った。ミシェがスクーターに跨り、海織もその後ろに座ってミシェの腰を思いっきり抱き締める。目を瞑りながら。

 そして皆に見送られながら二人を乗せたスクーターは北軍へ向けて走り出していった。

「――んじゃあウチ等も行こっか」

「わかった」

 サクニャと梨鈴がどこかに行くそぶりを見せたのでそれが気になった章仁は声をかける。

「おや? あなた方もどこか行かれるのですか?」

「ちょっと東軍の跡地まで。急にコッチに来たもんやからウチ等なんも荷物を持って来てないんです」

「リリもそう」

「そうでしたか……して荷物というのは具体的にはなんなのでしょうか? 大きいものでしたら人員をそちらに割くことも出来ますが」

「心配せんでも大丈夫。三人分の着替えを持ってくるだけなんで」

「分かりました、では気を付けてください。なにか必要なものがあれば可能な限り手配致しますので」

「気持ちだけで充分です。じゃあ行ってきますわ」

「じゃあ」

 ミシェ達を見送ってすぐ梨鈴とサクニャも自分達の用事のために出かけて行った。




 一方その頃、樹とレックスは見送り組が帰って来たころになってようやく目を覚ました。

「ふわぁ――あ~……もう昼前か。ってことはもう姐さん達は向こうへ行ったかな」

 未だに痛む傷口を抑えて起き上がる。ふと隣を見るとレックスが樹にしがみつきながら眠っていた。

「なーんか暑苦しいと思ったらこういう事か。おーい起きろ小僧」

「う……ん、みにゃ…………おふぁよう~」

「よし起きたな。じゃあさっさと支度をしとけ」

 起き抜けの子供に酷な事を言う。寝ぼけ眼のレックスの頭をガシガシさせて楽しみながらベッドから抜け出すのを待っている。

「アンタはこんな子供に何してんだい」

「なんか用でもあんのかババア」

 起き抜け早々真柴に噛みつく樹だが、真柴はまだ二七歳なので樹の言葉に青筋を立てる。

「ほう……? 命の恩人にそういう態度を取るとはね……一遍死んでおかないとこの部屋では誰が上か分からないようね」

 真柴は両手に手術で使う様々な道具を持ちながらにじり寄ってくる。

「悪かったよ……冗談だからそれを下ろしてくれ!」

「ほう……? 冗談?」

「すいませんした! 調子に乗って!」

「分かればよろしい。ほらほらレックス、顔を洗ってスッキリさせてきなさい」

「ふみゅぅ……わかった」

 言われるがままに洗面台へと向かうが、そこで足を止めてしまう。どうしたのかと思い近寄ってみるとすぐにその理由が分かった。

「もしかして使い方が分からない?」

「うん……」

 何をどうやったらいいのか分からず所在なさげに手を彷徨わせていた。なのでレックスに使い方を教えるとすぐに覚え顔を洗う。

「しっかしまぁ、蛇口の使い方が分からんとはますますどこから来たのか分からん奴だな」

「そうね……少なくともまともな上下水道が存在するところではなさそうね」

「そうなのか?」

「多分よ多分。それよりもアンタ、しばらくの間どうするつもり?」

「目先の目標としてはあの小僧をしごいてやるつもりだが?」

「その体でよくやるもんだね」

「今は戦える奴はそれだけで貴重なんだ。だからこそあの小僧が死なないように徹底的に鍛え上げるつもりだ」

「……アンタの考えには賛同しかねるけどこんな時なら仕方がないか」

 そこで顔を洗ってすっきりしてきたレックスが戻って来た。

「それでなにするの?」

「お前を今から戦場で死なないように鍛え上げるつもりなんだが……どうする、やるか?」

「うん、やる。ぼくも強くならないと……って思ってたから」

「いい返事だ。ならとっとと外行くぞ、付いて来い!」

 樹がベッドから起き上がって降りるのだが、まだ万全でない為に震える足で外へと歩こうとする、とてもではないがこれで外にたどり着けるとは思えなかった。

「はぁ~……無茶するねアンタ。ちょっと待ってな、今いいもん持ってくるから」

 そう言って真柴は部屋の隅に置いてある物を取りに行く。

「ほら、これ。今のアンタにはピッタリだろうさ」

 持ってきたものとは歩行アシストスーツであった。

「……いくら何でもそれはないだろ」

 南軍の物資が予想外の方向に調いすぎて、本当に戦争をするための施設なのかと疑ってしまう。

「いいから持っていく。無茶な使い方さえしなければ今日一日ぐらいはバッテリーが持つはずだから」

「……よく分からんがありがたく受け取っておく」

 樹はアシストスーツを受け取り装着する。すると今まで覚束なかった足取りが多少マシに歩けるようになり、その足でレックスを連れて外へと出ていった。




「さて、と。ここら辺なら余計な奴を巻き込む事はないだろ」

 樹が特訓の場所として選んだのは南軍の拠点から少し離れた、辺りに樹木が乱立した見通しの悪い広場だった。

「さて小僧……いや、もう小僧とは呼べないか――レックス」

 先の戦いでのレックスの戦いぶりとその時見せたガッツからか、樹は一人の男として認め、初めて小僧ではなくレックスと名前で呼んでいた。

「修行の前にちょっと剣を出せ」

「うん。……はい、どうぞ」

 ケープの中から剣を取り出して樹に手渡す。それを樹は受け取ると剣の細部まで確認する。

「どれどれ…………はぁ、結構無茶な使い方をしたもんだな。こりゃあと数回斬ったら本格的に使い物にならなくなるかもな」

「そうなの? じゃあぼくはもう戦う事が出来ないの?」

「いや……そういう意味で言ったんじゃないんだが、そんなに戦いたいのか?」

 樹はレックスには戦って欲しいとは微塵も思ってはいない。だが、本人は戦いから降りる気はないようなので、樹としてはせめて死なないための方法を教えておきたい。

「戦うのは好きじゃないけど、強くないとティセアを探す事が出来ないから」

「そういや妹を探してる最中なんだっけか。お前の覚悟次第では更に強くなれるぞ」

「ホントに⁉ だったら早くして!」

 レックスが今まで見たことのない積極性を見せたことに樹は面食らう。そして、その食い気味な向上心が樹にハートに火をつけた。

「よーし、お前の覚悟は受け取った。そんじゃいっちょ魔術でも覚えてみるか!」

 レックスの剣を地面に突き刺す。それに何の意味があるか分からなかったレックスはその行く末を静かに見ていた。そうして樹はいつもの分厚い魔導書を取り出し剣の上にかざした。すると剣の周りが淡く輝き硬質の殻のようなものに包まれていく。

「えっ……えっ? なにをしたの⁉」

「まずは魔術の適性を見させてもらおうか。この魔導書を貸すからこの殻の中から剣を出してみな」

 レックスに魔導書を手渡し剣が収まっている殻を足で蹴る。その足は剣に届くことなく淡く輝く殻の前でピタリと止まってしまった。

「この通り今は剣に触る事が出来ない。その魔導書を使って剣を出せたら次のステップに進むからな」

 必要な事だけ言うと樹はごろりと寝転がってしまった。

「こんなのあってもぼくには無理だよぉ……」

「泣き言を言うな。魔術は発想力だ、発想次第でいくらでも剣を取り出す方法はある。まずはどうやって剣を取り出すのかイメージしてみな」

 早い段階から諦めムードになったレックスに叱咤し、自分流の基礎をヒントとしてレックスに伝える。

「俺から言えるのはここまでだ、じゃ頑張れ~」

 そして樹は今度こそ本当に寝てしまった。

「がんばれってそんなの無責任だよ……もぉ、どうしたらいいんだろう」

 レックスは初めての事に頭を悩ませる。父親の形見を再び手に取るために、樹が渡してきた魔導書を開いてみる。だがここで問題が起こる――

「――どうしよう、なんて書いてあるのか分からない」

 樹の魔導書には確かに剣を取り出せる為の魔術の術式が色々と記されていた。だがそれらも、レックスが読める文字で書かれていなければただの紙きれと変わりなかった。

 そうこうしてレックスが魔術の取得を始めて一時間ほど経った頃、樹は言い知れない気配を感じ跳ね起きていた。

「――なんだこの魔力は!」

 得体の知れない異常な魔力に樹の感覚は最大限まで高まる。その異常を感じた出所を探そうとしたがそれもすぐに見つかる。

「レックス……なのか、この魔力⁉」

 樹はレックスに関していくつかの思い違いをしており、その結果魔導書は暴走してしまっていた。その理由として一つは魔導書に使われている文字が魔力を扱わない人では到底読めない事。一つはレックスの魔導書の使い方が樹の予想を超えていた事。最後に、樹の魔導書ではレックスが内包する潜在的な魔力に到底耐えられない事であった。

「どうしよう、これ! 変な事になっちゃったよ!」

「そこでじっとしてろ! なんとかしてやるから」

 急いでレックスの下へ駆け寄ると魔導書を取り上げる。だがそれでも暴走は止まらず魔導書は無差別に魔術を行使している。

「どんだけの魔力を込めたらこんなことになるんだよ!」

「分かんないよ、そんなの!」

 本人が分からないという様に辺り構わず魔術が放たれ、辺りは右を見れば火の海、左を見れば氷山の群れ、上を見れば嵐が巻き起こり、下からは強さを増していく振動が起こり始める。このまま放っておけば被害はここだけに留まらず、自分達の拠点をも危険に巻き込む恐れがある。

「しゃあねぇ――これを鎮めるにはあれしかねぇか」

 樹が取る方法とはこのまま暴走を続けさせ、自然に収まるのを待つことだった。だが、さすがに何もせずにこのままという訳にはいかないのでひと手間加える。その為にはある物を用いる必要があった。

「使いきりの魔術だから失敗も無駄使いも出来ねぇのがネックだな」

 魔導書とは別の薄い手帳をポケットから取り出して一ページ分だけ破り捨てる。その破った紙を暴走を続ける魔導書に押し当てると途端に紙が光り始め一つの魔術が発動する。そして数瞬後には魔導書と一枚の紙は忽然と消え失せていた。

「…………ふぅ。なんとか大きな被害が出る前に対処できたな」

「あの本はどこにいったの?」

 危険が去った事が分かると樹の下へと近寄ってくる。

「ああ、あれな。魔導書は今何もない場所で暴れまわっているはずだ」

 樹の取った方法は魔導書を何もない異空間に放り込んで沈静化するまで待つことであった。

「これは完全に俺のミスだな。適性を見るつもりだったんだがやり方が間違っていたみたいだ、済まなかった!」

 一歩間違えば大惨事になる所だったので自分の非を認めすぐさま謝る。

「ぼくは大丈夫だったから謝らなくても――」

「いいやっ! 今回の事は俺が招いた不始末だ、だから謝らないと俺の気が済まない」

 たとえ相手が子供であろうとも自分に非があれば謝る。だからこそ樹はレックス相手に深々と頭を下げていた。

「も、もういいってそんなに謝らなくても」

「そ、そうか?」

 こくこく!

「まぁこれ以上引っ張ってもしょうがないか。それで……こんな無茶苦茶な結果になった以上、魔術の適性は分からず仕舞いか」

「え……でも、これ。ちゃんと殻の中から剣は出せたよ?」

 ほら、と樹に見せつける。

「なっ⁉ 取れたのか、それ」

「うん。殻みたいなのは壊れちゃったけど」

「壊れた、か。アレを壊せるくらいなら魔術の適性としては攻撃系統か? だが、魔術体系が違うばかりか、攻撃系統の魔術なぞレックスにどう教えたものか――」

 ブツブツと自分にしか分からない事を言っている。樹の言う事は恐らくは専門的な事なのでレックスには理解できない事ばかりだ。

「さっきの魔導書の反応からすると、お前の内包魔力の量は恐らくは俺よりも上。しかも魔術体系も俺は魔導書を使うが――お前がいた所ではコレとは違うんだろう?」

「う、うん。ティセアも魔術は使うけどその時は本なんて使ってなかったよ」

 樹の世界での魔術の初心者は魔導書を使うが、より上位の魔術者でさえ術式が書かれた物を用いなければ魔術を行使できない。だがレックスの世界ではそのような物は使用しない事が今ハッキリと解った。

「そうか。ちなみになんだが、オマエの妹はどんな魔術が使えたんだ?」

「えーと……火と水と風と雷と後……他にもいろんなのを同時に出すくらいはしてたかな?」

「自然系統の魔術他を完備か……オマエの妹どんだけスペックが高ぇんだよ」

 樹も自分自身の魔術の素養についてはたかが知れていることは分かっているが、それでも相手の力量を推し量ること位は出来る。幸い、レックスの妹は今樹が教えようとしている自然系統の魔術は目の当たりにしているため、魔術の指南方法もおおよそだが方針が定まった。

「という事で……お前にはこっちの方が肌に合いそうだな」

 樹が新たに取り出したのは一冊のスケッチブックであった。

「なぁに、これ?」

「コイツは俺の姉貴が昔描いた魔導書の……簡易版というか教科書みたいなもんだ」

 どうやらそれも魔導書らしいが、簡易版やら教科書やらと言われてもレックスにはそこになんの違いがあるか判らななかった。

「百聞は一見に如かず、一回試せば分かるさ」

 そう言ってスケッチブックを開くと、そこには魔術を行使するためのイメージ図と魔術式が書き込まれていた。

「なんだろうこの絵、かいてある事は分からないけどさっきの本より分かりそう」

「そりゃよかった! なら俺がみっちり術式の理論と意味を教えるからしっかりと頭に叩き込めよ」

「分かった……やってみる!」

 レックスには魔導書の内容や術式を事細かに理解して行使できるほどの才はなく、術式を簡略化した図案くらいで無いと常人には理解しがたいのだ。それでも樹の魔術講座は二時間を掛けることで全てのページの講義は終わった。

「どうだ、魔術式は頭に叩き込めたか?」

「ふにゅう……たぶん……」

 二時間の詰め込み講座でレックスの頭はすっかり茹で上がってしまったようだ。

「そうか。そんじゃま一丁確かめてみるか!」

 樹が手を前にかざすと魔導書が現れた。どうやらもう暴走は収まったらしく現在は至って平静な状態であった。

「じゃあルール説明だ。お前は魔術だけを使って俺の膝を突かせてみろ。――ってことでどこからでもかかってこい!」

 樹からは一切手を出さずレックスから攻撃してくるのを待つ。

 レックスもいきなり自分に攻撃して来いと言われては及び腰にもなるが、今までの樹の行動や海織から聞いた話を総合すると、これぐらいの無茶はやって当たり前という認識がいつの間にか付いていた。当然、樹から動く訳が無いので必然とレックスが動かないと進まない、なので樹は『早くかかって来いよ』と言わんばかりに手をクイクイさせて攻撃を催促する。

「そ、それじゃあ…………いけぇ~!」

 人指し指を樹に向ける、その指先には小さな火が点りか細い矢となって樹へと迫る。だがそれは攻撃と呼ぶにはあまりにも弱弱しく、樹の下へ届く前に自然と消滅してしまった。

「ふーむ……魔術そのものは問題なく使えるみたいだが、出力が弱すぎるな。魔導書を介さない時点で俺よりも優秀なんだが、これじゃあなぁ……」

 レックスの才能は評価できても、これでは戦闘にはまるで向かないという事に頭を悩ませる。その間にもレックスは無差別に魔術を行使するが一向に樹へ届くことはなかった。

「理論は正しいはずなんだが……俺と同じで魔力のコントロールが下手なのか?」

 レックスの魔術は理論としては間違いがない。だが、どうにも樹の用意した魔術式とレックスとの相性が悪いのかなんなのか、威力が最低限として必須な水準にまで中々至らないのである。

(こりゃ急ぎすぎたか? いっそのこと追い込んでみるか?)

 時間がとにかく惜しい樹は強硬策で鍛える事を考えた。

「一発目は軽めでいっておくか」

 レックスに危機感を与える為魔導書を開く。だが、その時思いもよらない事態が樹を襲う。

 シャッ!

「――⁉ 今なにかが掠った?」

 慌てて自分の頬を確かめると僅かに肌が裂けていた。だが、それよりも気になるのは傷口の周りが焦げていたのである。そして後ろの方へと振り向くと木々が燃えずに焦げつきながら縦に割れていたのだ。

「おいレックス……いま何をしたんだ……?」

「なんだろう……? 多分、雷……だと思うけど夢中になってたからよく分かんない」

「雷か……じゃあ取り敢えず俺に向かっていろいろな魔術を撃ってみろ。俺がキッチリと見極めてやる」

「分かった、じゃあいくね」

 手始めに火の魔術、それから水・風と続けて放つもそのいずれも樹には届きすらしない。そして雷の魔術を放とうと構えるとその瞬間――周囲の空気が急変する。

(この肌をひりつかせる感覚……どうやら特定の属性にだけ魔術の理解が深いけども、それ以外だとからっきし……ってところか)

 そして樹の考えを裏付けるかのようにレックスから雷の魔術が放たれる。今度は樹を掠めるようなコースでなく直撃コースだ。

(今度はシッカリと受けて確かめてみるか)

 未だ魔力も体力も回復しきっていないが、今残された魔力全てを左手に集約させると雷に向けて殴りかかる。その一撃で雷の魔術は霧散させたが樹の拳は少しだけ焦げつく事となった。

「初めてにしては中々の威力だな。他が駄目な分鍛え上げるならこれ一本に絞った方がよさそうだ」

「大丈夫……? おじちゃん」

 拳が焦げて少し黒くなってしまった樹を心配しレックスが駆け寄ってきた。

「ああ、大丈夫だ。あと、いい加減おじちゃんはやめてくれ。俺はまだ二十一歳でおじちゃんと言われる歳じゃない。せめて名前で呼んでくれ」

「ぼくの魔術はどうだった、えっと……樹」

「いろいろとすっ飛ばすのかよ⁉ まあいい、とにかくお前の魔術の才能は雷の属性だけ飛び抜けているが、他は落第点にすら届かんな」

「そ、そんなぁ~……」

 いきなり距離感が近くなったことに一応ツッコみを入れるが本題はそこじゃない。樹の素直な評価にレックスは一度は喜んだがすぐに落ち込む。

「そこまで落ち込む必要は無ぇよ、誰にだって相性ってのがある。俺だって自然系統の魔術なんかはインチキしないと使えないぐらい苦手だしな」

「ビックリだよ、樹にも苦手なことがあったんだね……」

「いいじゃねぇか、得意不得意があっても。誰も彼もがお前の妹みたいな万能じゃないんだ。だからこそ長所だろうが短所だろうが伸ばし甲斐があんだよ。そんじゃあ、もう一丁いくぞ!」

 気持ちを新たに魔術の修行を再開する。だがそれも思いもよらぬ所から邪魔が入ってしまう。

「こんなとこに居ったんか、樹の兄やん!」

 突然サクニャが樹の所へ飛び込んできた。どうしてここが分かったのか――とか考えたがどうもそんな事を聞いている場合ではないようだ。あの慌てようを見るに火急の事態が起こったと見るべきだ。

「どうした、なにがあった!」

 今この時にこれほどの慌てるような事態があるとするなら思い当たるのは一つしかない。

「西軍の奴らが攻めて来たんよ。そんで兄やんが外にいるって聞いたからウチが呼びに来たんや」

「思っていたよりも侵攻してくるのが早いな……それじゃあ今戦える奴は梨鈴だけか」

「リリっちは今西軍の奴らの侵攻を食い止めとる。でも建物の中まで攻められたら誰も戦えるの人がいないんよ」

「姐さんが異変に気付いて戻ってくることは期待できねぇよな。よしっ! なら俺達は梨鈴の加勢に行く、サクニャはおやっさんの指示に従っとけ」

「分かった。じゃあ組長はんに報告しとくね」

 サクニャは章仁に報告するため急いで拠点へと走り、樹とレックスは梨鈴の救援のため南軍領地の外側へと向かう。

「あっ、しまった! サクニャからどこでやり合ってるのか聞いておくべきだった」

 急いでいたとはいえ有用な情報を聞かなかったのは樹の落ち度だ。時間を無駄にできない樹は一度立ち止まり戦場となっているところを探る方法を考える。

「そういえば梨鈴の奴……魔力を持っていたんだっけか」

「あの入り口で驚いていたから多分持ってるね」

 レックスもまた樹から入り口にあるフィルターの仕組みを聞いていたので、梨鈴の反応から魔力を持っている事が分かっている。

 それならばと樹は戦場に渦巻く魔力を注意深く探る。あちこちで大小さまざまな魔力を感じるのだが、それらが邪魔をして本命を中々探し出すことが出来ないでいた。

「クソ……アイツでもない、コイツも違う。いったいどこに……ん? これは……周りの奴と違う感じがするな――ってことは、そこか!」

 様々な魔力の大群に埋もれた中に一つだけ動きが他と異なる魔力を感じる。その魔力の主は少しずつ南軍の拠点へと後退していた。

「この動きは間違いなさそうだな、それと――意外と近いな。よし、戦闘準備だレックス!」

「うん!」

 木々をかき分けながら最短ルートで距離を詰めてゆき、途中西軍の雑兵と出くわしたもののすぐさま蹴散らす。そうこうしているうちに二人は梨鈴の下へと辿り着いた。

「助太刀に来たぜ、梨鈴!」

「樹……? それとレックスも。どうして――?」

「今はそんなことを聞いてる暇はねぇだろ。コイツ等を蹴散らしてから話を聞いてやる」

 樹の背後からレックスが躍り出て雑兵たちの首を剣で刎ねてゆく。ほんの少し開いた空間目掛けて樹が追撃とばかりに細長い筒を投げ込む。

「なに投げた?」

「拘束魔術を籠めたもんだ。雑魚相手なら効果は十分だが、残念ながらこれで弾切れだ」

 樹から解説されながらも梨鈴の攻撃は止むことなく続く。スカートを翻しながら小柄な体格に似合わないサバットで応戦していた。

「そう、だけど助かる」

 樹の投げた筒は敵の群れに投げ入れた瞬間光の網が展開し、それにより西軍の雑兵共の動きは目に見えて鈍っていき、やがて完全に動きが止まる。

「どうやら上手くいったようだな。後はコイツ等を燃やせればいいんだが――」

「任せて」

 すかさず梨鈴が大きく息を吸い込む。そして勢いよく緑色の炎を扇状に吐き出す。

「緑色の炎? 初めて見るな~」

 初めて見る色の炎につい興味を惹かれ、そっと手を伸ばしてそれを分析しようとする。

「あまり触らない方がいい。この炎は空気に触れるとすぐに温度が下がって硬化するから」

「そりゃ危ないな……ってことはなにか、この炎の役割はその熱量で焼くんじゃなく固めて足止めするのか。こんな足止めに最適なもの、なんで最初から使わない」

「あそこの木をよく見て」

 梨鈴に言われるがままに木を見る、すると緑の炎が燃え移り瞬く間に炎に包まれる。そしてその木を中心に炎が広がり続けていく。

「なるほど、場所が悪いと下手すりゃ自分が巻き込まれると。よく考えたら炎なんだから当たり前か」

 樹が納得している間に炎は硬化し結晶の様になる。そして硬化した炎の中には西軍の雑兵が取り込まれ、完全に動きを封じ込めていた。

「何はともあれここはもう問題ないか。後はおやっさんの所に戻って――」

 ドオォーン!

 ――と、激しい音が樹たちの耳朶を打つ。音の出所は背後なのだが、その方向に何があるのかは確認するまでもなかった。

「な、なにかな……今の音」

「さぁな、だが原因を調べるのは後だ。急いで戻らねぇとおやっさん達がが危ねぇ」

 爆発が起こったのは南軍の拠点だった。しかも今、あそこには戦える者など章仁がかろうじているだけ、攻め込まれたその時点ですう勢はほぼ決してしまっている。

「サーたんが危ない!」

「待てっ! 一人で行くな!」

 樹の制止など耳に入っていないようで一人先行する。残された樹とレックスはすぐに対策を相談する。

「敵の数も正体も分からないうちに飛び出しやがって……おいレックス、お前は梨鈴を追いかけろ! 俺はコイツ等を片付けてから後を追う」

 足止めされていた西軍の兵達を踏み越えて新たな兵達が迫ってきていた。ここでレックスと共に追いかける事も考えたが、敵が南軍の拠点に現れた以上何かしらの手段で湖を渡っていることになる。だから樹はすぐに章仁の下まで駆け付ける事をせずここで敵の足止め兼殲滅をすることを選んだ。

「分かった。すぐに来てね」

 そう言い残しレックスは梨鈴を追いかける。

「さーて……少し俺とここで遊んでいってもらおうか、雑魚ども」

 樹は魔導書を開いて臨戦態勢を取ると僅かに残った魔術を揮い敵兵をなぎ倒していく。そうして侵攻が落ち着いてくるまで樹はそこに留まった。




「はぁっ……はぁっ……はぁっ!」

 梨鈴を追いかけるレックスは一度も彼女の姿を捉えることなく湖まで辿り着く。

「ここまで来たけど……どうやって向こうに行ったらいいんだろう?」

 湖に辿り着いたのは良いものの、レックスには湖を泳いで渡る以外の小島へ行く手段を持ち合わせておらず、一㎞もの距離を泳ぐことも子供の身では無理であろう。肝心の梨鈴はというと、彼女はここにはいないため何らかの方法で湖を渡った事になる。なのでレックスは梨鈴の痕跡を探してみると湖の上に緑色の結晶で出来た板の橋みたいなものが長々と浮かんでいることに気付く。

「なんだろうあれ……? もしかして――」

 恐る恐る湖の上に浮かぶ物体に飛び乗ってみると、それは不安定ながらも沈むことはなかった。

「この上を歩いていけば向こうに行けそう」

 そのままレックスはその不安定な橋を渡り、そうして一度もバランスを崩して落ちることなく小島へと辿り着いた。

「梨鈴はどこにいるんだろう……おじさんも探さないとダメだし」

 階段を下る前に誰をどの順番で探すか考える。優先順位としては南軍のトップである章仁を探すのが先決だろう。だが彼は足を悪くしているため先に合流してしまうとお互いを危険に晒してしまう可能性が出てきてしまう。

 雪華も同様に今はまだ眠り続けている事を考えると、先に梨鈴と合流しまだ見ぬ敵に対処するための戦力を確保する。後は章仁の下へ行けばサクニャも一緒にいるだろうからそこで二人と合流しその後医務室で雪華と真柴の二人と合流、最後に残った人員と合流しようと考えた。

「これよりいいのはなさそうかな?」

 合流する順番は決まった。そうしてレックスはゆっくりと階段を下りて敵が潜むであろう自分たちの拠点へと足を踏み入れた。

「梨鈴―! どこー?」

 敵が潜んでいるかもしれない所で探し人の名前を叫んでいる。もっともレックスは誰が出てこようとも敵ならすぐ斬るつもりでいたため、自分の状況など微塵も気にもしていなかった。

「おーい……!」

 レックスが曲がり角に差し掛かった所、不意に角から手が伸びてきてレックスの口を塞いだ。

「んんっ~⁉」

「こんな所で叫ぶて……何考えとるんにゃ⁉」

「ふぁふにゃ?」

 レックスの口を塞いだのはサクニャだった。彼女は章仁への報告に戻ったのだからここにいること自体はおかしくないのだが、何故だか僅かな違和感を感じた。だが緊急の事態である今、深く考えようとはしなかった。

「なに言うてるか分からんけど少し静かにしぃ。いいか、手を放すで」

「ぷはぁっ! ヒドイよいきなり口を塞ぐなんて」

「ヒドイも何も敵がうろついとるかもしれん所で叫んだらおかしな奴呼んでしまうやん。それで……なんかリリっちを探してるみたいだったけど――」

「そうなの。樹から梨鈴を追いかけるように言われたんだけど、どこにいるか分からなくて」

「だからって叫ばんでも。それよりまずは組長の所に行かへん? ウチもさっきここに来たばっかりでまだ報告をしとらんのや、だから一緒にいてくれると助かるんやけど……」

 この口ぶりからするとまだサクニャは章仁の所に行けないまま先にレックスに出会ったようだ。

「うん、いいよ」

「ああよかった……リリっちにも遭わないまんまで誰かに襲われたらたまらんからにゃ~」

「そうだね……でも、ここを襲った人はどこから来てどこにいるんだろ?」

 考えながら歩いているといつの間にか医務室の前に来てしまっていた。このまま通り過ぎて章仁の所に行くくらいなら雪華を先に連れて行こうとした時、中から激しい音が聞こえてきた。

「なんや今の音!? まさかここに敵がおるんか!」

 サクニャが勢いよく扉を開けると中には眠ったままの雪華と真柴がいたのだが、もう一人――微かに見覚えのあるような男が手に黒い何かを持って真柴と対面していた。

「――助けて!」

 助けを呼ぶ声が聞こえた瞬間レックスは飛び出していた。医務室の中に駆け込むとすぐさま男の背後から体勢を低くして足を払う。

「ぅわっ!」

 足を払われた男はバランスを崩し頭を強打した。男が脳震盪を起こし動きが止まっている間にレックスは手に握られていた物を奪い取る。

「てやぁっ!」

 レックスが奪い取ったのは柄から刃までが真っ黒に染められている折り畳みナイフで、得物を確認するとすぐさまそれを男の心臓へと突き立てようとする。

「待って! 殺さないで!」

 すんでの所で真柴から制止する声が聞こえる。反射的にその声に従いナイフを何もない床へと突き刺した。

「間一髪だったわね。今コイツに死なれたら情報が聞けないもの」

 真柴は棚から点滴用のチューブを取り出すと男の両手首を縛り上げる。

「あの……ごめんなさい。えと、怪我とか、なかった?」

「えぇ、お陰様でこの通り無事よ。ありがとうねレックス」

「真柴センセに怪我が無くてよかった。そんで、聞きたいことがあるって言ったけど、どうやってゲロさせるんや?」

「組長に任せるのよ。ですので悪いのだけれど組長を連れてきて貰えないかしら」

「いいよ。最初からそのつもりだったから」

「それじゃあウチは足手纏いにならんようにここで待っとるわ。いくら戦えんくても籠城くらいは出来るからにゃ」

「分かった、じゃあ行ってくるね」

 章仁を連れてくるため医務室から飛び出す。途中火が燻っているところもあったが何事もなく章仁がいる部屋までたどり着き、ノックも何もせずに転がり込む様に部屋へと駆け込む。

「おじさん!」

「レックス? どうしましたそんなに慌てて」

 駆け込んだ部屋の中では章仁が優雅に紅茶を飲みながら椅子に座っており、ここだけ外の喧騒が嘘のような静けさだった。

「雪華のいるお部屋でおばさんが待ってて、今すぐ来て欲しいの」

「雪華のいる部屋――と言うと真柴の所か」

「うん、そうだよ。そういえば他の皆は無事なの?」

「もちろん無事だ。今は地下の防壁の中に行くよう指示しているから安心するといい」

「そうなんだ、よかった」

「では、真柴の所へと行こうか」

 ソファーの横に立て掛けられた杖を手にして医務室へと向かう。ゆっくりとした歩きではあったが、南軍を襲った者とは出会う事なく医務室に到着できたのは幸運であった。

「私を呼んだと聞きましたが、何がありましたか真柴」

「あら組長、お早い到着ですわね。それで頼みたいのは彼の事なのですが」

「このような形で顔を合わせるなんて思いもしなかったですね」

 章仁が見下ろす先には今までこの南軍で幾度ともなく顔を見合わせており、それは皆と初めて顔を合わせた時に丸太から船を造った船大工の男その人であった。

「……東軍の状況を聞いた時から間者の類はこちらにもいるだろうと想像していたが、まさか戦争が始まる前から存在していたとは。さすがにそこまでは想像がつきませんでしたよ」

 予想外の事態だと口では言うものの、表情は予想通りだと語っていた。

「私が来たという事はなにをされるかはお判りでしょうね」

「…………」

 南軍にスパイとして最初から潜り込んでいた男は、これから起こる事が分かっているからなのか一切抵抗するそぶりを見せずに黙り込んでいた。

「だんまりですか、まぁそれもいいでしょう。では五分後のあなたは今と同じように口を噤んでいられますかね?」

 章仁はポケットから十徳ナイフを一つと普通の折り畳みナイフを二つ取り出す。何をされるのか男は分かってはいても恐怖で次第に顔が引きつってきている。その反面、レックスとサクニャはなにが起こるのかピンと来ていなかった。

「ちょっとそこの二人、こっち来て」

 言われた通り二人は真柴の下へ近づき耳を近づける。

「あなた達は耳を塞いでこの部屋から一旦出て行って。何が起こっているかは聞かないままで」

「え……う、うん。分かった?」

「なーんか嫌な予感がする言い方やな。まあそうするけど……」

 言われて二人は素直に耳を塞ぎながら部屋を出る。するとそのすぐ後、医務室からは耳を塞いでもなお頭の奥底に響き渡る絶叫が聞こえてきた。

「なんか……ものすっごい事されとるみたいやなあのおっさん。ここにいると頭おかしなりそうだからリリっちを探そうか」

「そう……だね」

 今医務室で何が起こっているのかは聞こえてくるあの声から朧気ながら想像できるが、その光景を想像すると途端に背筋が寒くなる感覚を覚える。

「梨鈴を探すのはいいとして……どこ探そう?」

 南軍にいた期間がたったの三日ほどなうえ、その時間の大半が戦闘関連を占めているレックスは元より、サクニャ達に至っては半日ほどしか南軍にいない。その状況で梨鈴を探すにはあまりにもここの構造と情報を二人は知らないでいた。

「うーん……リリっちは自由人やからなぁ。敵がいてるんならどこかできっと暴れてると思うんだけど」

「そう……だといいね」

 当てもなく歩いて探し回る。この建物は地下三階建ての構造になっており現在二人は地下二階にいる。そこもまだ火の手は燻ぶっておりいつ火が付くか分からない状況で、早く梨鈴を見つけて南軍の人間と合流したいのだが、歩みを進めるたびに言い知れようのない不安が込みあげてくる。

「なんだかいやな感じがする……」

 込み上げてくる不安に耐え切れず、レックスは急いで地下へと駆け下りていった。

「あっ! ちょっと待ってよ、ウチを置いていかないで」

 背後からサクニャが文句を言ってくるが今のレックスの耳には届かず、講義は諦めせめて大きく距離を離されないようにレックスの後を追いかけるのであった。

「――ここにもいないみたい」

「はぁっ……はぁっ……やっと追いついた。――って、一番下まで来たはいいけど不気味なくらい静かやな」

 地下三階。梨鈴を探しにここまでやって来たのだが、そこは上階以上に戦闘の跡も人の気配も感じられなかった。

「ここに梨鈴はいるのかな?」

「うーん……ウチの勘やとおらんやろうなぁ。リリっちが通ったにしては綺麗すぎるし」

 ここもいなかったという事でこの階を一回りし、ここから引き上げる前に章仁から聞いていた避難した皆の様子を確認しようとした時、ふと鉄のような嫌に血生臭いにおいが鼻腔を突いた。

「なんだろうこのにおい……血、かな?」

「血のにおいがするってことは誰かおるのは間違いなさそうやな、それも一人二人じゃきかんくらい」

 レックスが血の臭いを嗅ぎ取り、サクニャが身構える。そうして臭いの出所と思しき部屋の前に着いた時、考えたくもない想像がレックスの頭をよぎる。

「血の臭いはココからするみたいだけど――」

「……? なんかあるんか?」

「うん……。おじさんから皆は防壁の中に集まってるって言ってて」

「つまり、このゴッツイ扉がそれっちゅーことか。でも……この扉、見た感じかなり頑丈そうだしちゃんと閉まってて何も問題は――」

 ――と、ここでサクニャはなにかが脳裏に引っ掛かった。扉はかなり丈夫でどこも損傷しておらず違和感などどこにも無い――。無いのだがそれがなんだが奇妙に感じ、そして――

「いや、やっぱりおかしいわ。防壁って言ったんやったら臭いが漏れるほどの隙間なんてあるわけがない。もしかして――」

 今自分が感じたその違和感――それを確かめるべくサクニャは防壁のドアに手を掛け、力を込めてゆっくりと押し込む。するとサクニャが扉を押すにしたがって扉がゆっくりと開かれていく。

「あっ、開いた……」

「うっ! ヒッドイ臭い……。しかも……惨い有り様」

 サクニャが目にした光景は凄惨という一言で表す事が出来ない程の惨状で、血だまりの中に人が折り重なり、何人か状態を確かめるも誰も彼もが皆息絶えていた。

「これは……もう手遅れだね。本当なら埋めてあげたいけどゴメンな、落ち着いた頃にゆっくり弔うからね」

 この惨状を前にしても大きく動揺することなく犠牲になった者達の前で手を合わせる。ここは今戦場の真っただ中であり、この惨状を生み出した人物がまだどこかに居るかもしれない状況でもだ。

「……ふぅ。それじゃあ早くここから離れんと、こんな逃げ場のない所で襲われたら堪らんし――ほら、行くよ」

「うん、分かっ――あっ、ちょっと待って。今そこで何かが動いた」

 レックスが指さす方向、そこで何かが動いたという事でサクニャが様子を見に行くと、そこには大量の返り血を浴びた男が横たわっており、その体を震わせていた。

「大丈夫かいなアンタ。ケガは……しとらんみたいやけど何があってん!」

「ひぃっ! 触るなっ! ほっといてくれ!」

「落ち着けっておっちゃん。ウチ等はなんもせぇへんから、なっ?」

 サクニャがなだめて落ち着かせると男はここであったことを語り始める。その話を要約すると、章仁から避難を要請されここに集まった南軍の非戦闘員およそ三十五名はこの部屋で襲撃にあったという。そしてその襲撃犯というのは、扉はロックされており外から開ける事はほぼ無理であった為、南軍の人間以外状況的にありえないと言う。

「まさか……そんな事って。これじゃ東軍の時とまるっきり同じやないの! それでおっちゃん、ここを襲ったのはどないな奴や?」

「そ、それが……分からないんです。気付いた時には皆斬られていて、だからどのような人物だったかは判らなくて」

 内部からの襲撃に僅かな生き残り。東軍と南軍で起きた出来事は似通っているが、東軍を壊滅に導いた下手人である傷馬と違い、こちらは襲撃者の人物像すら不明瞭であった。

「そうか、残念だけどまぁしゃあないか。厄介ごとに巻き込まれる前にここから出るよ、おっちゃんは走れるか!」

「は、はい! 自分は大丈夫です!」

「それじゃ急ぐよ。このままここに籠っとったら東軍の二の舞や」

 東軍の二の舞、その言葉が重くのしかかる。たとえ非戦闘員であろうと東軍の状況は南軍の人間でも知っている、だからこそ現状は逃げる事しかないという結論になる。

 そうして急いで上へと駆けあがり現状唯一生存者がいる医務室へと駆け込む。

「組長はん! さっさとここを出るで!」

 扉が外れてしまうのでないかというくらいの勢いで開け放つ。そこには先ほどと変わらず四人いた。だが、動いている者は誰一人としていなかった。

「ちょ、組長はんどないしたんやしっかりしぃや! …………あかん脈がない、完全に死んでもうてる。おっちゃん、そっちはどうや!」

「真柴さんは……生きてます! 微かですがまだ息があります!」

 レックスとサクニャが医務室を離れた時間およそ二十分。その間に何者かが――おそらく地下の防壁内で襲撃した人物だろう――この医務室に侵入しそこで章仁とスパイの男を殺害、そして真柴は瀕死に追い込んだのだと推測できる。

「ここにいたらウチ等も殺られてまうかも。おっちゃん! アンタは真柴センセを。ウチはセッちゃんを背負うからレックスはウチ等の護衛を頼む」

 サクニャが二人に指示をする。すぐに二人とも指示通りに動き、僅かな生存者を連れて建物から脱出した。だがそこまで来れてもまだ問題はある、どうやってこの湖を渡るかだ。

「リリっちが作った道はあってもウチ等全員で乗ったら沈んでまいそうやな……」

「それなら俺に任せろ」

 視界の外から声が聞こえた。声の出所に目を向けるとそこには地面に座りこんだ樹がいた。

「樹の兄やん⁉ どうしてここに、敵は片付いたんか」

「雑魚の方は問題なく片付けてきた。だが、それよりもマズい事が起きた。さっきその森の向こうで薬袋らしき奴の影を見た」

「薬袋って……ビルの下敷きになったって聞いとったけどまだ生きとったんか!?」

「かもしれんというだけだが……アイツと同じような格好のイカレた奴がそうそういるとも思えん」

「ちゅー事は……リリっちが見当たらんのも薬袋のオッサンを追いかけていったからかもしれんな」

「なるほど――梨鈴が一緒にいないと思ったらそういう事か。とにかくここも危険になるだろうから場所を移す、全員俺に掴まってろ」

「ちょっとまってぇな! リリっちはどないすんねん!」

「今ここにいない奴が悪い。まぁあれだけの実力があれば野垂れ死ぬことはないだろうさ」

 樹の言う事は現状においては尤もである。こんな所で足踏みをしていては何者かに襲われる危険性が遥かに高く、現に地下では何者かの手によって殲滅までされている。そのような状況下で梨鈴を待って全滅などしては目も当てられない。だからサクニャは渋々と言った感じで樹に従い、他の面々は何も意見など言わずに樹の言う通りにする。そして全員が掴んだのを確認すると魔導書を開きその魔術により別の所へ転移した。

「ここは……ああ、世界の外周ってとこやったか」

 樹たちの現在位置は南軍から北東に位置する世界の外周と呼んでいる壁の上にいた。

「そうだ、現状あまり身動きが取れない以上ここが一番襲撃されづらい。それにしてもえらく切り替えが速いな」

「リリっちなら無事やって信じてるから」

 最終的に生き残った南軍の人間は北軍にいる海織とミシェを除くと僅か六人。その内、戦闘要員は三人いるがうち二人は満足に動ける状態ではない為、実質的にレックスだけが戦力として扱える状況だった。

「まぁ色々あったがそういう訳で暫くは傷が癒えるまでここで潜伏という事になる。後は食い物があればいいんだがあの状況では持ってきてねぇよなぁ……」

「ならウチが行く! この中ではウチが一番動けるしなにより……リリっちも探せるから」

「じゃあ決まりだな、任せたサクニャ。後は……レックス、お前もついてやってくれ」

 樹がレックスをサクニャの護衛につくよう頼む。それに対し何も言わずにレックスは頷いた。

「でも、いくら二人で行ったところでそんなに多くは持ってこれないやん。そこんところはどうするんにゃ」

「それについては問題ないだろう。コイツの羽織っているケープ、恐らくは魔道具の類だ。魔道具が何かはニュアンスで察して欲しいがとにかくその中になら食料をたらふく詰め込めるだろう」

「そういえばあの時変な所から剣とか発煙筒を出しとったのはそういうことやったんか」

 なぜレックスを連れて行くのか理由がハッキリした所でサクニャはレックスを連れて一番近い食料庫――ここからだと東軍の跡地――へと向かう。

 そうして樹たちの怪我が治るまで間中レックスとサクニャは何度も食料を運び、たまに襲ってくる西軍を迎撃するような生活が――およそ二ヶ月程続いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る