第5話
雪華たちが梨鈴を追いかけ初めて十五分ほどが経過したころ、一同は東軍陣地の端へとたどり着いた。そこでは梨鈴と西軍との殺し合いの真っ最中であったのだが、一目でわかるくらいに奇妙な状況であった。なぜなら梨鈴一人に対し西軍の人数は千人を軽く超え、その大群は誰一人として声の一つも上げていなかったからだ。
「無事ですの! 梨鈴!」
「早く逃げてコッチ来とってぇなリリっち!」
ミシェとサクニャが梨鈴へ呼び掛ける、その声に当の本人は驚いてはいたが今の状況からか一瞬たりとも隙など見せられる余裕など何処にもなかった。
「なんで来たの、二人とも!」
後ろにいる親友達へ振り向くことなく質問する。本当ならこんなことをしている場合ではないのだが、ここはなんとか説得して二人にはこの場から逃げて欲しかった。
「そんなの決まってるやないの。わざわざ死にに行く友達を見捨てられるわけないでしょ!」
「サクニャの言う通りですわ。梨鈴はわたくし達を置いて逝ってしまうつもりでしたの!」
「――これはリリのケジメの問題。こんな事の為に二人を巻き込めないし、それにこうでもしないと二人を守れない」
「でも――それでもわたくし達は友達なのですから、せめて説明くらいはして欲しかった……」
嗚咽交じりの声でミシェは訴える。サクニャも何も言わないが気持ちはミシェと同じだった。
「二人の気持ちは分かった――でも……お願いだから逃げて。リリはもう誰かがいなくなるところは見たくない」
「ふっふっふぅ~……それではここからはわたしの出番でしょうかぁ~!」
梨鈴・ミシェ・サクニャが生みだした感動的ともいえる場面を、場違いな声が雰囲気をぶち壊した。
「え~と……あのセッちゃん? この場面で割り込んでくるのはいかがなものかとウチは思うんだけど――」
サクニャは感動的だったあの瞬間を返せとばかりに雪華に抗議する。そしていつの間にかサクニャからはセッちゃんと呼ばれていた。
「ですが~このままだといつまで経ってもわたしの入り込む隙間が来なさそうなので……つい?」
「――はぁ。……では雪華さんには、つい? で終わらせないような展開でもあったのですか」
「……正直言ってこの多さを相手取るのは予想外だけどもなんとかは出来ます」
そう言うと雪華は先ほども使っていた容器を取り出し、その中にある種のほぼ全てを梨鈴の前方へとぶちまけた。
「梨鈴さん! 今すぐ下がっていてください。でないと巻きまれますよ」
最低限の忠告を澄ませると雪華はすぐさま地面に手を置く。これも先ほどの恐竜にしたのと同様の手段で、種は雪華の力を受けて急速に成長を遂げていく。先ほどと違う事があるとするならば成長していく木の種類が違う事、その木が東軍陣営とそうでないものに分かつかのような壁を作って成長をしている事、そしてその範囲幅が今回は二十メートル程ある事だろう。
「ミシェさんとサクニャさんは梨鈴さんを連れて撤退してください」
「分かりましたわ。ですが……あなたはどうするおつもりですの?」
「わたしは……ここであれらを十分に足止め出来るほどの壁を作り終えてから撤退します」
「それでは本末転倒ではありませんの。あなた方も一緒でなくてどうするんですの」
「待ってミッこ! セッちゃんはまだ考えがあるんだよきっと。だからウチ等だけでも逃がそうとしとるんやと思う。そういう事でええんやろ?」
「……そうですね。あと、あなた達にはあれを渡しておかないと。レックス君、二人にあの筒を渡して貰えます」
レックスがケープの中から真っ赤な筒を一本取り出してサクニャに手渡す。
「これって……発炎筒かにゃ?」
サクニャが受け取ったそれは一般的に見かける発炎筒のデザインと酷似したものだった。
「これをどうしたら良いのでしょうか?」
「それをっ――わたし達が出会った所で使ってください。それは……合流の目印ですので」
種を成長させるのに力を使いすぎているせいなのか雪華の表情は途端に苦しげなものに変わってゆく。
「分かりましたわ、ではわたくし達は一度撤退いたします」
「お願いします、あとそこで会う方によろしく言っておいてください」
まるで遺言かのように伝えると雪華は再び自分の作業に戻る。
「心配しなくてもいい。やる事を終えたらすぐに戻る」
そう言って梨鈴はミシェとサクニャを腋に抱えこんで雪華が指定した場所へと駆け抜けていった。
「あのお姉ちゃんたちは行っちゃったけど……ぼくたちはいつここで食い止めるの?」
「ひとまずはっ……! 相手がこっちに侵攻しづらくなるまで……! ですかねっ……」
先ほどよりも疲労が激しくなっている雪華は、自分の魂を削ってでも足止めをしている様にレックスは見えた。そんな雪華を見かねてレックスは木の壁を脇からすり抜けて湧いて来る西軍へと突撃していく。
「うぇっ⁉ まさか一人であの数を捌くつもりなんですか⁉ 君に何かあったらわたしが姉御に怒られちゃいますよぉ!」
後ろで驚いている雪華を他所にレックスは向かってくる敵を迎え撃ち、斬り続ける。今のレックスには雪華の声どころか一切の雑音が耳に入ってこない、それ故に両親を殺した相手と同じように無心で人の心など無いかのように次々と斬り捨てていた。
「うっわぁ……派手に斬ってますね。――うぅッ、あまりの血しぶきに、吐きそうですぅ……」
幽霊なのに吐き気を催し作業の手が少し鈍る。だがそれでも自分より幼い子供が体を張って戦線をとどめているのに自分だけがへばってはいられないと己を奮い立たせる。
「でもあの戦闘能力……とてもじゃないけど年相応には見えない……ですね」
今現在木の壁は両側共に三メートル程がまだ塞がっていない状態で、そんな中でレックスは端と端を交互に行き来しながら十人程を目途に対処をしている。その戦い方も正面から飛び込んでいくと見せかけてその小柄な体型を活かし股下から切り込んだり、あるいはそのまま飛び込んで頭を掴み首を捻らせながら手にした剣で頸動脈を斬る。そういった殺しの技術が雪華には恐ろしくそして――美しくも見えていた。
「次は……あっち……!」
死体の山を築き上げながら着実に時間を稼ぎ壁は強固な物へと近づいていく。だが十分な形を目前にして雪華の方が先に限界を迎えていた。
「くっ、うぅん…………姉御、ごめんなさい。雪華はもう死んでしまいそうです」
雪華が倒れる。彼女が限界まで能力を行使するも力の供給が途絶えてしまい、木の壁は成長がそこで完全に止まってしまっていた。
「――! 大丈夫、おねえちゃん!」
雪華が倒れてレックスはすぐにそこへ駆け寄る。
「あ、ははは……ごめんねぇ。ちょ~っとだけ無理、しすぎたみたいですぅ」
いつもぼんやりと透けていた雪華だが、今の彼女はそれにさらに輪をかけて透けており触ったらそのまま淡く消えてしまうのでないかというくらい儚げな印象であった。
「でも、これで……今後はもう少し対処しやすくなるでしょう……。わたしはもうここで――」
「そんな勝手は許さないわよ――雪華!」
上空から声が響き渡る。上を見上げると水の龍が飛んでおり、そこから真っすぐ地上へと迫ってゆく。勢いを殺さぬまま地上へと辿り着きその龍は顎を開いて雪華とレックスをその体の中へと取り込むと、すぐさま空へと昇っていく。
「待たせてゴメンね二人とも。事情は後ろの三人から聞いたよ」
寸での所で現れたのは海織であり、その後ろにはさっき別れた三人組が顔を覗かせていた。
「間に合ったのはよかったのですが……この数を放っておくわけにもいられませんわね」
「確かにこれを相手にするのは骨が折れるわね。でも少しぐらいは減らしておかないと後がキツイかも……」
このまま全員を連れて撤退しようか考えていた海織だが、三人から聞いていたよりも数が明らかに増えていたので少し手を出そうと結論付けた。
「念のために水を大量に持ってきて良かった……」
海織は帯留めから扇子を一本取り出しそれを広げて突き出す。すると水の龍の背後にあった巨大な水の球が形を変えて蠢き始める。
「喰い千切れ、水恋!」
海織の掛け声に呼応するように背後の水球から小型の水の龍が何匹も飛び出す。そしてそれらは眼下に広がる西軍の兵士悉くを喰い散らかしながら蹂躙していく。
「うわぁお~……これはまたグロい。でもここまでやれば西軍の奴らももう手が出せへんでしょ」
「……そう上手く行かないみたい。ほら、あそこ――」
勝ち誇ったようなサクニャに現実を叩きつけるかの如く梨鈴がある地点を指さす。その場所をよく見ると兵士が地面の下から文字通り湧いて出てきていた。
「うわっ⁉ なんやのアレ……あないな出方しとったらまるでゾンビ……」
そこまで言って口を噤む。まるで――ではなくまさにこの光景は生ける死者が攻めてきているのだ。
「……キリがないわね、これは」
「それでしたらこれを投げ込んではどうでしょうか?」
ミシェが取り出したのは先ほど海織に位置を知らせるために使った発炎筒だ。見るとそれはまだ炎が付いており、雪華が創った木の壁に放り込めばそこから引火・飛び火して死体の軍勢の侵攻を止められるのではないかと考えていたようだ。
「なにもやらないよりかはマシ――か。ならやっちゃってください」
「えぇ」
そうしてミシェは発炎筒を投げ入れそれを海織は見送った。それと同時に梨鈴が緑色の何かを放り込んでいたがそちらは誰からも気付かれることは無かった。
「あとは――」
次いで海織は水の龍の腹に収まる雪華を見る。今も消えそうなくらい透けているのだが、海織が来てからは多少だが薄くなっていた体から色が戻り安定していた。
「雪華の方も何とかしないと……このままじゃ消えてなくなりそうだし」
「気になってはいたのですが雪華さんは本当に幽霊なのですか?」
ふわふわと浮いて且つほんのり透けているが、袖から取り出したあの容器はどう見ても実体があった上、雪華が蒔いていた種も目の前で成長した事から間違いなく実体を持っている。それなのにも関わらず幽霊を自称する雪華は実体のある物に触れたり存在も認識出来ていた。一般的な幽霊という概念からしてみれば雪華という存在はどうにも不可解だ。
「それは……分からない。なにせ雪華も自分がどういう存在だかよく分かっていないって言っていたから」
「そう……なんですのね」
それを最後に会話は無くなりそのまま海織達は迫り来る東軍から撤退していった。
東軍から撤退してきた海織達は南軍領のボロ小屋の前までなんとか逃げのびて来た。一人ずつ水龍から降りていく中、南軍の衛兵番が海織に対し声をかけてきた。
「御帰りなさいませ、副長! 後ろの三人は捕虜ですかい?」
「なっ……!? なんでウチ等が捕虜やね――モガッ!」
「ちょっとサクニャ! 余計な事は言わない、ややこしくなるだけですわ」
「リリは黙ってる」
三者三様の反応を返す彼女たちに、衛兵の顔はおかしな表情で歪んでいた。恐らくは関わると面倒な目に遭いそうだと感じたのだろう。
「えーと……副長はこれから組長の所へ行かれるので?」
「ええ、そうよ。でもその前に寄る所があるからおじ様には少し遅れると伝えてくれないかしら」
「了解です、副長!」
「それじゃあ三人はあたしに付いて来て」
雪華を背負いながら三人を誘導する。それに対し三人とも素直に頷いた。
「それじゃあこっちだよ」
海織に手招きされてボロ小屋の扉をくぐるとそこは先ほどまでのみすぼらしい内観と打って変わり、洋館を思わせるような豪華な造りに変貌していた。
「うぉっ⁉ なんやこれ、いきなりゴッツイ造りになったなぁ」
「――確かにこれは、凄いとしか言いようがないですわね」
ミシェとサクニャがいきなり変貌した内装に驚く中、梨鈴とレックスだけは二人が何に驚いているのかさっぱりという顔をしていた。
「……ミッことサーたんは何にそんな驚いているの?」
「えっ? だってボロ小屋かと思ったら中がこんなんて……普通驚くっしょ」
「ええ。わたくしもそう思いますわ」
「???」
二人のいう事が理解できず脳がパニックを起こす。
「あー……それは後で説明してあげるから今は――ね」
なぜこうなっているのか海織は当然ながら把握しているが、説明は後で一括でするつもりなのかここで話題を打ち切る。
「分かった。それじゃあ静かにしておく」
梨鈴はそれっきり黙り、海織の後を無言でついて行く。その様子にミシェとサクニャもそれに倣い目的地まで静かにしていた。
「着いたよ」
目的の場所についた海織はそこの扉をノックした。すると扉の向こうから女性の声が聞こえてきた。
『入っていいわよ』
入室の許可が出たので海織は扉を横に引いた。
「あら……副長じゃない。一日に二回もこんな所に来るなんて……今度は誰を――って、雪華⁉ 分かった、すぐに用意するわ」
女性が海織の背中でぐったりする雪華を見て慌てふためく。それを見ていまいち事情の分からない海織以外の四人は首を傾げていた。
「ここは医務室なの」
雪華をベッドに降ろしながらそう答える。
「それで副長、雪華は一体何をしてこうなったの」
「どうやら力を使いすぎたみたい。その所為で体内の霊力が枯渇寸前にまで陥っていたところですね」
「なるほどね、経緯は分かったわ。なら後はコッチで何とかしておくから副長は報告に戻っていいわ」
「そうですか……では
雪華を送り届けた海織は医務室を後にし章仁の所へと向かった。そして章仁のいる部屋の前までたどり着くと、ノックをしてから自分が戻って来た事を章仁へ報告する。
「海原海織、ただいま帰りました」
『開いているから遠慮せずに入っても大丈夫ですよ』
「では、失礼します」
海織と並びながらレックスが入室し、その後に続くように梨鈴・ミシェ・サクニャが入室した。
「お帰り海織。東軍では大変な事があったようだが」
「はい。その事ですが――」
海織は東軍での出来事を語る。途中、東軍の三人娘とレックスは海織が戦場にいなかった間の事を補足しながら説明し、西軍と東軍のいざこざと現状の知りうる限りを報告した。
「東軍は壊滅、西軍は大軍勢――か。予想だにしない事態に発展したようですね」
「さらに言えばこちらも樹さんと雪華が一時的に戦線離脱の状態ですからね……」
「そうですね。こちらとしてもこれ以上の戦力の損失は避けたいところですが……」
今の南軍の戦力は足の不自由な章仁を除いて海織、それと先の戦いで戦力としての実力を披露したレックスの二人、後戦力として数えれるとすれば東軍の生き残りである梨鈴くらいのものであろう。
「……南軍って思った以上に人手不足なのですわね」
「……ウチ等、前線に出されたりとかされへんよね?」
「リリは西軍を潰せるならなんだっていい」
「私の方からあなた方に何かをしてくれと無理強いするつもりはありませんよ。勝手な行動は当然ながら控えてもらいますが、望む事があるのであれば出来る限り便宜を図りますよ」
その言葉でミシェとサクニャが安堵した。梨鈴も西軍に復讐することへの協力を得れたようなものだと内心で喜んでいた。
「……まぁ彼女たちの処遇は追々決めていくとして、問題は――」
「分かっているさ、西軍の動向についてでしょう?」
「そうです。西軍の兵はどういう訳かどんどん増えていってます、それに対抗するにはこちらも戦力を整えるべきだと思うのですが」
「戦力か……だがこちらにはもう戦いに割ける人員はいない、いるとすれば――」
ミシェとサクニャの顔が青ざめる。先ほどは戦いに出向かなくていいような事を言っていたが、もしかすると東軍の人間だからと駆り出されてしまうのでは――と、戦々恐々していた。そうやって二人が自分たちに矛先を向けられるのではないかと心配していた所、突然電話のコール音が鳴り響いた。
「おや……? 内線とは珍しいですね。何処からでしょうか?」
章仁は受話器を手に取る。その電話の相手とは――
『もしもし、おやっさんですかい? 樹です』
樹だった。現在瀕死の状態に近い樹がなぜ電話をかけてきたのかは不明であったが、このタイミングから考えると急を要することがあるのだろうと章仁は予想した。
「どうしました、樹」
樹の容態は気になるが彼が自分の身を顧みず連絡を取って来たという事を考えても景気の良くなる話でない事は確実だろう。それもあって章仁は通話を他の皆にも状況が分かるようスピーカーモードにする。
『ついさっき西の方から圧の強い魔力を感じましてね。そう遠くないうちに攻めて来るんじゃないかと』
「……それは対策を急ぎ考える必要がありますね。その為には北と手を組む必要があると――そう言いたいのでしょう」
樹の考えを先読みして答える。それに対し樹はさらに自分の考えを補足する。
『そうです。ですが北軍はここから一番遠い上に今は最速で行動しないといけない、だけどおやっさんは足を悪くしているからとてもじゃないが北軍に着く事さえままならない』
「確かに――私ではそこまで行くのに時間が掛かりそうですね。それで、私が行けないのを分かってて敢えてその話を持ちだしたという事は――」
そこで章仁の視線が海織に向かう。真剣に話を聞いていた海織も自分に視線が自分に向けられるまで気が付かない程に。
「――えっ? あたし⁉ さっき戦場から帰って来たばかりなのに⁉」
「その点に関しては私も申し訳ないとは思います。ですが軍のトップが行けないのであれば必然的にその次の地位の者が適任という事になるのでは?」
「いやいやいやっ! あたしもすぐには向こうへは行けないですよ。雪華を助けるのに霊力をほとんど使ったから水恋だってこの通り――」
帯留めから水恋を取り出し広げようとするのだが、一向に水恋が広がろうとしない。
『もしかして姐さん、ガス欠っすか』
「そうですよ……さっきも言いましたが雪華を助ける為にほとんどの霊力を渡してしまいましたから。今は水芸の一つすら出来ない状態です」
『それは……想定外だったな。姐さんならすぐにでも行けると思ったんですがアテが……いや、あの道を使えば時間はかかるけどなんとか――』
急に樹が考え込んだ。今度は何を思いついたのだろうか少しの間黙りこくる。
「あの樹さん? 何か方法でも――?」
『姐さんには偵察部隊が使ってる抜け道で北軍に向かってもらおうかと』
「抜け道って……もしかして、世界の外周です……か?」
樹の提案する抜け道、それに海織が思い至ると次第に言葉尻がすぼんでいく。
「世界の外周? そのようなの聞いたこともありませんね」
「ウチも聞いたことないなぁ……リリっちは?」
(ふるふる……)
隅で静かに話を聞いてた三人は謎の単語について語りだすが、そもそも何に対しての言葉なのかピンとこない以上、話題はどうやっても膨らんでいかない。それを見かねた章仁は三人娘にも分かるよう説明する。
「この世界の端に岩の壁があるのは知っているかな?」
章仁はこの世界が箱庭であるという
「え、えぇ……岩の壁がある事は存じていますが――えっ! アレを登るんですの⁉」
「まさかそんなアホみたいなのが出てくるとは……」
『誰が騒いでいるのか分からんがうるさいぞ。後、壁の上に行くだけなら別に苦労はしない』
「上に行く手段はいいとしても、北軍の陣地まで行く足はどうするんですの? 軽く見積もっても六十キロはあると思うのですが」
『それも問題はない。あそこにはスクーターが常備してある』
樹がここに運び込まれてからまだそんな時間が経っていないのだが、これだけ喋っているとその内に傷口が開きそうだな……と章仁はふと思った。
「なんでそんなのがあるのか――とかは敢えて聞かないが、大丈夫なのだろうかソレは」
『問題無いで――アッ! き、傷が開いて……きた……』
章仁の懸念が当たったようで電話口の向こうで樹が呻いた。
「少し騒ぎですよ、樹。それで、それさえあればすぐに北軍に着けるのか?」
『その点は問題ないです。問題があるとすると……』
世界の外周の話が出てから、一度も海織の声が聞けていないというのもあってどこか不安げな声で樹が答える。
『姐さんがまだスクーターに乗れる歳じゃないって事ですかね』
「そこですか……」
『――という事で姐さん、前に俺が見せたあのスクーターに乗って北軍まで行ってくれやせんかね』
章仁は年齢に関しては戦争中だから問題ないとは考えていた。だから今問題になるのは海織がどう対応するかだが――
ガタガタガタガタ…………!
「わぁー……みおりんすっごい震えとんね。大丈夫?」
ガチガチガチガチガチガチガチガチ………!
「なんというか……憐れみすら覚えてしまいそうですわね、この反応は」
貧乏ゆすりなどとは比べ物にならないレベルで全身が震えており、海織の足元だけ地震が起こっているかのようだった。
『――なんかマズい事でもあるんですかい、姐さん?』
「マズいも何も…………あんな速い乗り物に乗れるわけないじゃない! あたし、自転車にも怖くて乗れないのよ⁉」
『「「「えぇ~~~……」」」』
レックスと章仁以外の声が重なる。それには思わず海織の耳が赤くなってしまう。
「えーっと……なぜ海織はスクーターがムリなのかは置いておくとして、この調子ですと北軍まで行くのは厳しそうですね」
「だってだって……スクーターなんて自転車の親分みたいなものじゃない⁉ それに加えてあの壁の上、高い上に速いが合わさって平気な人がどこに居ますか!」
誰かから理由を問われたわけでは無いが、自分に降りかかりつつある地獄のような事態に抗うべく必死に自己保身の説明へと走っていた。
『――普段もっと高く飛んでスクーターより速いもんを乗り回してる人それを言いますか』
「信頼度が違うもん!」
『そっすかぁー……』
これはにお手上げという様に投げやりに返した。
「……足があればいいのですわよね」
突然ミシェが会話に入り込んでくる。
『そうだけど……』
「それでしたらわたくしが運転手をしてあげましょうか?」
「えっ、ウソ! ミッこスクーターなんて乗れたんだ……」
「ええ。わたくしの家の私有地にサーキットコースがありまして、昔からそこでバイクを乗り回していたんですの」
「しかも想像以上のお嬢様なうえにギャップがスゲェ」
親友の思いがけぬ一面にサクニャが驚く。
「その上でわたくしが海織さんを後ろに乗せて北軍まで行けば全て解決ですわ」
「でででででもぉ~……怖いものはやっぱり怖いし――」
そこまでの提案をしてもなお海織は震えている。それどころか震えが増しているような気さえする程に。
「でしたら目を瞑ってわたくしにずっと掴まっていればよろしいじゃないですの」
普通はそんなことされたら余計に恐怖が増すのだが仕方がない。苦肉の策だが高い所が怖いのならせめて景色だけは映らないようするという配慮だ。
「ううぅ……ヒック――分かりまじた、後ろでじっかりとつかまりまず……」
常人であれば受け入れないような提案も、本人からすれば高速移動する乗り物から見る景色の方が怖いという事なので、涙ながらにその提案を呑みこんだ。
「では二人には明日の早朝で北軍へと発ってもらいます。以上、解散」
解散の宣言をするとすぐに通話が切れた。恐らくは医務室にいた真柴に通話を切られたのだろう。その樹の体も心配ではあったが海織にはまだやることがまだ残されていた。
「じゃあ、そこの三人集まって……」
「いい加減気を取り直さんと明日が辛なるよ?」
未だ気落ちしたままの海織が三人を呼ぶ。
「リリたちを呼んだ理由はなに?」
「おそらくはわたくし達のこれからでしょうね」
「はい! 皆集まったわね!」
「今度は無理やりテンションを上げよったね」
「あなた達には大部屋に入ってもらわ。ついて来て」
「ウチ等一緒の部屋やって。良かったなぁリリっち、ミッこ」
「――そうですわね。まぁ理由は透けて見えますが」
三人一緒の部屋というのは悪くはないが、実際の所は監視をしやすくする為だろう。そういう意図が見えはするが考え方は理解できるので反論もなくついて行く。
「ここがあなた達の部屋よ。ちなみに向かいはあたしの部屋だから困った事とかあったら遠慮なく来ていいわ」
海織に案内されたのはダブルサイズのベッドが二つあるだけの広さおおよそ二十帖程度の部屋だったが、三人で寝泊まりするには不満など出ようも無い対応だろう。一人を除いて――
「これが大部屋ですの……? わたくしの部屋のクローゼットより少し狭いですわね」
「お嬢様の家と比べたら可哀想だよ……」
「――十分」
部屋の大きさに一喜一憂する三人。ひとまず三人に生活拠点は与えたので次の段階に移る。
「じゃあ次はあなた達のここでの役割を決めようかな」
「えっ? ウチ等の扱いって捕虜とかじゃなかったん?」
建物の外にいた衛兵の言った事を真に受けたのか、そのような事を聞いてくる。
「ここに来るまでは一応その扱いだったわ。でも、あなた達がここであたし達と共に戦うと決めたその時から既に捕虜の扱いから脱しているの」
「では具体的にわたくし達に何をやってもらいたいかというのは決まっておりますの?」
「おじ様からは個々人で決めるようにと言われているから基本的には自由という事で」
東軍の判断にミシェは目を丸くする。本当にこの者達は戦争をする気があるのだろうかという考えが真っ先に思い浮かぶほどに。
「……破格の条件過ぎて自然と疑ってしまうのは嫌な
「まぁ、疑うのも無理ないわね。そもそもあたし達は
「えっ⁉ もしかして口に出ておりましたか⁉」
「まぁね。でもそれくらい疑ってくれる方が好ましいかな。用心深い人ほど最後まで生きていてくれそうだし」
海織の表情が愁いに満ちたものになるがそれも一瞬のことで、すぐ元通りになる。だからミシェもこれ以上この話題を広げないようにした。
「心配せずともわたくし達はこのような所で死ぬつもりなどありませんわ」
「そう。それなら良かった」
「あっ、みおりん! ウチやりたい事があるんだけど、コックとかどうやろか」
サクニャがパタパタと歩いて報告に来た。
「そういえばここにはコックの専任はいなかったね。でもコック……?」
「あーっ! もしかして意外って思ったやろ、ウチが料理すんの」
「えと……そういう訳ではないんだけど、えらくピンポイントだなと思って」
「ええよ、そんなに気を使わんでも。もといた所でもウチはコックをやっとったから」
「そうだったんだ。ごめんなさい、なんか紛らわしい反応して」
「もう終わった話なんやから蒸し返さんでいいの。ほら、ミッこはどうするん?」
「――サクニャに倣ってよろしいのなら、わたくしは軍師……のような扱いになるのでしょうか」
「軍師? 軍師って歴史物とかでよく聞くあの?」
「そこまで大仰なものではありませんが、作戦の立案とかはしていましたわね」
「そこまでいけば軍師でいいんじゃないかな、それは」
目の前にいるお嬢様然とした雰囲気を纏わすミシェは、どうやら実質的な東軍のトップと言い換えれる立場にいたようだ。
「でもいきなりここに転がり込んでその立場はちょっと無理くない?」
当然とも言える感想がサクニャから零れる。言い出したミシェもそんなもの容認されるなど思っていなかったのだが――
「あ、いいよそれくらい」
「いいんだ……」
「わたくし達の今後が心配になるくらい緩い所ですわね、ここ」
「それくらいなら問題ないって。軍の行動指針を決めたりするのも、偵察部隊が集めた情報を基におじ様と樹さんで策を練るので」
「あの……それですと海織さんって――」
「名ばかりのナンバーツー」
オブラートに一切包まれない梨鈴の言葉が海織の心を深く抉った。
「あーあ……みおりんがまた沈んちったよ。ゴメンねリリっちが……その、グサッとさせて」
「いいのいいの……事実だもん」
「リリは当然戦場に出る」
海織の事など既に眼中にないかのように自分の希望を言う。当然ながら反対する者はおらず、この場において決定権を持つ副長様は部屋の隅でうずくまってしまった。
(ねぇねぇ……みおりんを何とかしないとウチ等が苛めたみたいに見えない?)
(――そうですわね。梨鈴は何か海織さんの気を引けそうな話題とかないんですの?)
(…………そういえば、聞きそびれたことがあった)
そこで梨鈴はこの建物に入る時に感じた周りとの食い違いを思い出す。
「海織、聞きたいことがある」
「んー……? な~にぃ~」
やさぐれた雰囲気を前面に出し、気の抜けた返しをする。
「さっき言ってたこの建物の見え方の違いってなに?」
「――! よくぞ聞いてくれました。それはねこの建物の入り口には魔力を持つ者に対して視覚のフィルターがかかってしまうの! その結果、含有魔力が高い人ほどこの建物はぼろく見え、しまいには認識できなくなるのよ!」
「えっらいぐらいテンション上がってるにゃ~」
「とりあえず沈んだままでいられるよりはこの方がマシなのでは?」
見ててウザく思えるくらい気分の浮き沈みが激しかった。
「そうなんだよく分かった。それじゃあリリはもう寝るからバイバイ海織」
「あっさりした返しの上にまさかの強制退去⁉ ちょっと、まだあたしに活躍の機会を――!」
「ああごめんね、リリっちおねむの状態だといつにもまして頑固になるから」
「こうなったらわたくし達にも止められませんの。すみませんが今夜はここで――」
その言葉通り二人に一切止められることなく梨鈴にぐいぐいと背中を押され、海織は部屋の外へと追い出されてしまった。自分への扱いはやや悪いなとは思ったものの、済ませるべき事は終わらせたことだし自分も明日が早いので寝ようかと思った時ふと思い出す。
「そういえばレックス君どこに行ったんだろ? 解散してから見てないような……?」
東軍の三人娘の相手を優先していたためうっかりレックスの事が頭から抜け落ちていた。なので小さい彼が行きそうな所を考えた結果、一つ思い当たる場所へと足を向ける。
「失礼しまぁ~す……」
声が大きくならないように少し声を潜めて入室する。今いる所は医務室なのだが、そこには海織の読み通りレックスがおり、隣には横になったままの樹と雪華がいた。
「やっぱりここにいたんだね、レックス君」
「あっ、おねえちゃんだ」
「おっと姐さん。こんな色気の無い所になんのようですかい?」
「レックス君を探しに来たんです。樹さんのお見舞いはついでですが」
「俺達の方はついでっすか、まぁいいですけど。そうそう姐さんが留守にする間、小僧は俺が面倒見ておきますから」
レックスがここにいる間に二人の間でなにがあったのかは分からないが、樹はレックスの面倒を見ると言っているし、レックスも昨日とは打って変わって樹になついている様に見える。
「なにがどうあってそんな事になったかは聞きませんけど……その体で大丈夫なんですか」
さっきまで腕に穴が開いた上、全身ズタズタだった男がどう面倒を見れるのかは甚だ疑問だが、やると言ったらやる男なので深くは心配していなかった。
「大丈夫ですから。姐さんが帰って来た時にはコイツを見違える程の立派な男にしてみせますんで」
「あぁ、うん……お願い、します?」
やると言ったらやる男ではあるが、やりすぎてしまわないかといういらぬ心配事が出てきてしまう事となった。
「では姐さん、今夜からコイツは俺が預かっておきますからおやすみなさい」
「えぇ、おやすみ樹さん。雪華も……おやすみ」
樹におやすみの挨拶をした後、未だに眠ったままの雪華にも声をかける。当然返事などないが声をかけた時、雪華の表情が少し変わったように見えた。
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