第4話

「それにしてもおやっさんの考えはよく分からねぇな……」

 海織や傷馬と別行動をとった樹は隣を歩くレックスを横目に見て呟く。どう見ても場違いな存在が傍にいる為、ここが戦場という事を忘れそうになるほどだ。

「さて……愚痴ってもしょうがねぇ、とっとと仕事をすっか」

「ねえおじちゃん、結局僕はなにをしたらいいの?」

 これから何をするのかを分かっていないレックスは、上目がちに聞いてきた。

「あー……俺は襲ってくる奴は適当にボコるくらいだが、オマエは……そうだな、誰かが近づいて来たら俺に知らせろ」

「う~ん……でもじゃまな物がいっぱいでよく分かんないよ?」

 レックスが指摘するようにここは高層ビルが崩落した時の残骸があちこちに散乱しており、道幅が狭くなっているところもあれば寸断されているところもある。その道路だって陥没していたり捲れあがったりと悪条件が多い。それで他人の察知を行うなど子供でなくとも難しいだろう。

「しゃーねぇーな。ならオマエは俺の邪魔にならないようにしてな」

 樹は道路に転がっている手ごろな石ころを手に取る。それを拳の中で砕き辺りにばら撒くと樹は自身の感覚をフルに集中させる。

「なに、やってるの?」

「隠れている奴を探すのさ」

 樹がばら撒いた石の欠片には自身の魔力が籠められおり、それを辺りにばら撒いたのはその小石が発する魔力をソナーのように使い、樹はその反応から相手の居所を探っていた。

「だけどなぁ……これ近場にいる奴しか分からんから結局は目で見た方が分かりやすいんだよなぁ」

 パッと聞いた感じ有用そうかと思えるがその実、効率を考えるとあまりよろしくない。というのもいくらソナーとして使おうにも、相手の姿が見えない時くらいしか使えない上に効果半径も狭い、となればコレの有用度など単なるパフォーマンス程度しか使い道がない。

 当の本人も子供の前だからとそれっぽい事を見せてただ単にレックスを誤魔化しているに過ぎない。むしろこんな事をせずとも樹は普通に生物が近寄ってくるなら察知する事などどうという事はない、こんなんでも樹は偵察部隊の隊長なのだから。

「ぇと……それで誰かいた?」

「あぁ、反応は無…………いや、いるな。そこのビルの残骸の中に三人ってところか?」

 なんと、ただのパフォーマンスのつもりだった小石でのソナーに、敵の反応を感知した。

(まさかあんなソナーが引っ掛かるなんて思いもよらなかったな。俺自身の感覚に引っ掛からねぇって事は、相手は相当の手練れか?)

「よーし小僧、俺はココにちょっとした罠を仕掛ける。その間、俺の背中は無防備になるからそのフォローを頼む。――出来るか?」

 ……こくこくっ!

 レックスが力強く頷くのを見て樹はすぐさま迎撃の用意に取り掛かる。

 樹は魔導書を取り出すとそれを地面に置き見たこともないような文字が書かれたページを開く。そしてその状態のまま本に手を押し当てると本より向こうの地面に変化が起こり始めた。

「まずは小手調べって所だな」

 樹が行っているのは魔導書を用いた魔術であるが、樹は炎だとか雷だとか自然を司るような魔術はほとんど扱えないどころか苦手分野である。そんな彼が得意とする魔術はおよそ直接的な戦闘には向かない類の嫌がらせと肉体強化くらいである。

 そんな彼が今おこなっているのは、アスファルトで舗装された地面の硬度を際限なく柔らかくさせる事で相手の足を鈍らせる罠を張っていた。

「こっちの準備は終わった。小僧、そっちは何ともないか」

 自分の役目に注視している樹は振り向く事をせずただ事務的にレックスとやり取りを躱す。

「だいじょうぶ、こっちは何ともないよ」

「そうか。じゃあ引き続き頼んだ」

「うん!」

(なら、後は隠れてる敵さんを誘きだすだけか)

 どうやって敵を誘きだすか――ほんの少しだけ考えると樹は両の手を前に差し出し、勢いよく手を叩きそして――

「う――!」

 辺りによく響いた拍手の音が一発、それに付随してこれまた周りによく聞こえる音量でわざと呻き声を発する。これは樹の状況がよく見えていない相手へ明らかに何かが起こっている事を知らせる、要は単なる自作自演なのだがまだお互いに姿を確認していない状態では誰かを引き寄せるには魅力のある音とタイミングであった。

「おじちゃん!?」

 当然――樹の咄嗟の発想である演技にレックスはそれが本当に敵に攻撃されたと錯覚し、思わず振り向いて駆け寄ろうとする。

「来るなっ!」

 樹の怒号にレックスの足がピタリと止まる。ここで駆けよられてはレックスを余計な危険に遭わせる可能性が出てくる上、肝心の罠も悟られるかもしれないからだ。

「今は互いの背中を護る時だ……分かるよな」

 そしてまた勝手な動きをされないよう念押しをする。さすがにここまで言えばレックスも無暗に動こうとはせず、改めて樹と背中合わせになり互いの背中を護り合う形となる。

「聞きわけが良い奴で助かるな。さて、後は敵さんがどう動くか……」

 樹がこんな馬鹿げた方法を取った事は当然ながら理由がある。今、樹が待っているのはこの馬鹿げた罠に相手がどう反応するかを確認したかったからであった。

「――こっちに来る、か。ならアイツらは……」

 敵の行動から何らかの確証を経た樹は驚きの行動に移る。それは――ちゃちな演技をしてまで罠の所までおびき出そうとしていたのにも拘わらず、自分がここにいる事を強調するかのように罠のすぐ前で仁王立ちし、先程までの演技の内容は全て捨て去られていた。

「――来な、哀れな駒ども」

 相手を煽るように挑発をしてみせると、そうなることが判っていたかのように敵の三人が姿を現わす。そしてその三人は樹の不審な行動に一切の疑問を持つことなく仕掛けられた罠へと直行していく。

「悪いなテメエら。恨むならテメェらを殺した奴に言いな」

 その言葉を最後に地面が大きく変容する。アスファルトが身動きの取れない三人を飲み込み地面の奥深くまで押し込むと、そのままアスファルトは以前の姿を思い出したかのように元通りの形状と硬さに戻る。

「終わった――の?」

「ああ、三人脱落だ。そういうこったから次探しに行くぞ」

 一仕事終えたように樹が体を伸ばしてからレックスの方を見る。

「そうなんだ、よかったね。ぼくの方も終わったよ」

 終わった――レックスが言うそれがどういう意味なのか、樹の頭が理解する前に自らの両の眼が答えを捉えた。

「……⁉ お、おい小僧……。ここの奴ら、全部お前ひとりでヤッたのか?」

「……? そうだけど、ぼくなにかおかしなことでもしたかな?」

 樹の目にした光景――それは西軍の兵士二人が折り重なり合いながら倒れ、その前には血溜りの中に立ち大量の返り血を浴びたレックスが何事もなかったかのようにそこにいた。

「なぁ小僧。そいつらは……完全に死んでんのか?」

「たぶん……」

 怒鳴られると思ったのか、レックスは体を縮めこませ声にも覇気が無くなる。

「……そうか、参ったな」

「どうして? この人達、ぼくに剣をむけて来たんだよ? だったら殺されても文句は言えないんじゃ……?」

「いやそういう事を言ってんじゃないんだ。ただ、サンプルが減ったから俺の考えが合ってるかどうか結果が出せないだけだ」

「じゃあ殺しちゃダメだったんだね……」

 見てわかるぐらいレックスが落ち込んでいた。その反応に樹は、普通の子供相手でさえ難儀するのに他人を殺す事を躊躇わない子供とか樹でなくても扱いに難儀してしまう。

「やっちまったんならしょうがねぇ。いくらなんでも黙って殺されろとは言わないからな」

 やってしまった事に文句を言うつもりも無いし、この戦争のルールに則るのならレックスのやった事を咎める事もおかしいことである。

「……ホントに怒らない? 僕なにか悪い事をしたんだよね?」

「別に怒らんって。オマエが生きていたんだから喜びこそするが怒る理由はどこにもねーよ」

 樹がレックスの頭に手を置く。話の流れで怒らないのは分かっていたのだがそれでも手が出てくるとビックリしてしまう。

「そんなにビクつくなよ、俺だって傷付くんだぞ……」

「ごめんなさい……」

「別に謝らんでも……。――足音? 誰かまた近づいてきたみたいだな」

 背後から足音が聞こえた。会話に集中してしまっていたがここはまだ戦場、気を抜いていた事を少し後悔するが後悔は後でも出来る。だからこそ今は足音の主を特定することの方が先決である。先の様な敵の同類の可能性だってありうるのだから

「誰だっ!」

「ほ・ほ・ほ、ワタクシですよ、ワ・タ・ク・シ。ですからその危なそうなものを下げていただけませんか?」

 足音の主は薬袋傷馬であり、相手が分かるとなると樹は魔導書を下ろした。そして互いに現状の確認をしあった。

「なるほど・なるほど・なるほど……そちらはもう五人も片付けていたのですね、お見事です。ワタクシの方はアナタ以外誰とも会えなかったのですがね」

「そっちは成果なしか。それで? アンタは一人でここまで来たのか」

「いいえ、先程までは梨鈴さんと一緒だったのですがいつの間にかはぐれてしまいました」

「なるほど――迷子か!」

「ほほほっ、お恥ずかしい限りです」

 本当に恥ずかしがっているのかも分からないが、口ではそういう事らしい。

「さて……と、奴さん達、次はどこから来るかな」

 樹はくるりと向きを変え敵の援軍が来そうな方角へと眼を向ける。

「ん~~~……アッチか? それともコッチ?」

 隈なく戦場を見渡し先程の失敗を生かして最大限の警戒をする。そして……その警戒は思わぬ形で正しい選択となった。

「――! そこ退け! 小僧!」

「ふぇっ!?」

 勢いよくレックスの事を突き飛ばす。そして一瞬前までレックスのいた所に、今は樹の左腕があった。――何かが貫通して血塗れになっていたが。

「くっ! ――どういうつもりだテメェ。ガキを狙った不意打ちだなんて随分イイ趣味してるじゃねぇの……」

 ――不意打ち。樹の口からそのような言葉が発せられる、そして樹の言葉に該当するのはこの場には一人しかいない。

「やれ・やれ・やれ……少しでも邪魔者を減らしておきたかったのですが――ままならないものですねぇ」

 傷馬はその手に小形のダーツを携えていた。そしてそれこそが樹の腕を貫いた要因だと確信した。

「どういう了見だ――とは言わねぇ、なにせ戦争中だからな。だが今事を起こしてどうする」

「……目障りなのですよ、アナタ方。それと……東軍そのものが」

「東軍の連中……だと? 待て、じゃあテメェは――」

 傷馬の言葉に違和感を覚える。その感じた違和感が正しいのならば傷馬の目的、そして本来の所属は――

 そこまで考えが浮かんだ時、傷馬の後ろからもう一つ足音が近づいて来る。

「ショウマの奴……逃げ遅れたのを逃がしたらすぐいなくなるなんて。勝手すぎる……」

 梨鈴だ。おそらくは傷馬が先行したことではぐれてしまい探してたところなのだろう。

「やっと追いついた。…………? なんか怪我してる、誰かにやられた?」

 ようやくだったのか傷馬を見つけた梨鈴は三人の下へと迫ってくるが、そこで樹が怪我をしているのに気付いくとその速度はさらに速まる。

「待て! こっちに来るな!」

「邪魔が入ると厄介ですね。少し大人しくしててもらいましょうか」

 樹が警告する。だが梨鈴がその警告の意味を理解する前に梨鈴に向かって傷馬がダーツを投げ込む。

「え――、ショウマ……なんで……?」

 傷馬の放ったダーツの全てが梨鈴の身体へ命中し、そのまま梨鈴は力なく地面に倒れ伏した。

「同士討ちした……だと? ってーことはやっぱりテメェは東軍の人間じゃねぇな」

「ほ・ほ・ほっ! えぇそうです、ワタクシ東軍では副司令官の任を賜っていると申しましたがそれだけではなく西軍では総司令官を兼任しているのですよ」

「……笑えねぇ冗談だ」

「それがアナタの遺言でよろしいですかな?」

「はっ! これが遺言だと? 今の冗談はおもしれえじゃねぇか!」

 樹が嗤う。そしてそれを合図として火蓋が切られた。

 初めに動いたのは傷馬だ。彼はズボンをまさぐり、そこから巾着袋のような物を取り出すと、さらにその中からカードの山を手に取った。

「……なんだあれは? まさかあんなオモチャみたいなので俺とやり合うってのか」

 傷馬の意図は分からないし言動もふざけているが、先程樹の腕をただのダーツで貫いたり、梨鈴に対しても急所こそ外してはいたがそれでも四肢を撃ち抜いて動きを止めていた。その経験からただならぬ事をしでかす気配だけはひしひしと伝わってくる。

 だからこそ樹は傷馬が何か事を起こす前に魔導書を開き突き付ける。

「あなた――メンコはご存じですかな?」

 だがそれも――いきなりされた突拍子の無い質問により中断させられてしまう。

「ナニくだらないこと聞いてやがる」

 どこまでも意図の分からない行動を警戒していても気疲れするだけだが、得体の知れない行動こそ危険だというのは目の前の男を見ていれば想像がつく。だからこそ樹は傷馬の意図を探ろうとする。

「コレ、メンコというのは厚紙を地面に叩きつけて相手のメンコを裏返したりする遊びですが――」

 手に持ったメンコの山を傷馬は辺り一面にバラ撒く。

「ワタクシのメンコは一味違います。ほら、この様に……」

 手元に残った一枚のメンコを叩きつける。それは傷馬の狙い通りに裏返るが……それだけで済むわけもなかった。

「ぐぅっ! な、なんだ、いったい……何かがのしかかっているみたいな……この圧は」

 メンコが裏返ってすぐに変化は訪れた。樹が膝を突くようにうずくまり体のあちこちから骨が軋み、しまいには折れる音までする。

「もう一つどうぞ」

傷馬がもう一度メンコを叩きつけると今度はひっくり返らずにメンコの下を通り抜ける。すると樹の腹の辺りから何かに切り裂かれたような傷跡と共に血が流れていた。

 樹を襲った圧力はメンコが裏返った際の空気の壁であり、それは裏返ったメンコの数だけ重圧を増していった。そして二撃目のメンコを叩きつけた時の衝撃が空気の刃を生み出し、それが樹の腹を切り裂いていた。

「どうですかこれっ! メンコのルールに則るだけで相手をいたぶれる。ワタクシのお気に入りのオモチャのひとつなんですよっ!」

 傷馬は膝を突いたままでいる樹の鳩尾へと鋭く蹴り込む。蹴りの威力自体はそこまでではなかったが、骨が折れていることに加え当たり所がよくなかった。

「――カハッ……! クソッ、わざわざ傷口を広げるたぁ――随分とビビりだな。そんなに俺が怖いか」

「あなたは南軍の中ではどうにも厄介そうな手合いみたいなのでね。確実に弱ってもらわなくては」

 空気の壁はメンコが裏返った時だけのもののようで今は無くなっていたが、樹はそれがなくとも満足に動ける体ではもう無い。そして動けないままでいる樹の横を傷馬は悠々と通り過ぎていった。

「ではそこでカエルのようにうずくまっている狂犬さん――」

 樹の横を通り過ぎた傷馬は一度後ろを振り向く。

「アナタは最後にキッチリ殺してあげます。ですので今はそこの坊やが死ぬところをじっくりとご覧ください」

 ――と、樹に向かって宣言をする。そうして改めてレックスの方へ向き直り、巾着袋から細長いゴム風船を取り出すとそれに息を吹き込んでいく。何から何まで行動が読めないのだがこれはさらに輪をかけて理解しがたかった。

「ではお立ち合い! この風船をギュギュっといたしますれば出来上がるは――何の変哲もない剣でござぁい!」

 風船をねじり上げて出来あがったのはどこにでもありそうな形状の剣であったが、傷馬の態度からレックスにただプレゼントする為に作ったわけではないのは明白だ。

 意図が分からず訝しんでいる樹に見せつける様に傷馬が風船を振るった時、ようやく傷馬の意図が判明する。

 スパッ!

 すぐ傍にあったガードレールが何の変哲の無い風船の一振りで綺麗な断面を残して切り裂かれていた。

「……オイオイ冗談だろ? なんで風船なんかで鉄が斬れる」

 傷馬の手に握られた風船の危険度が跳ね上がり、樹は傷馬を阻止しようと動こうとするが先ほど受けた傷と出血と骨折が足枷となり立ち上がることが出来ないでいた。

「では来世の彼方までおやすみなさいませ……」

 傷馬が風船を今から殺す者へ見せつけるよう高々と振り上げる。

「――させるかよっ!」

 動けない体を無理やり起こし魔導書を傷馬に向けて構え、空いた方の手を何もない中空ちゅうくうへと向ける。

「天の果てまで跳べ!」

 樹の叫びに反応するかのように魔導書が光り輝く。そしてその数瞬後、傷馬の足元が輝いたと思うとすぐ後にはレックスの目の前から消え失せ、樹の手が向いた方向――高度約百五十メートル上空――へ投げ出されていた。

「――咄嗟に組んだ術式だったが、なんとかなるもんだな」

 遥か上空から重力に引かれ落ちていく傷馬を見て呟く。奇天烈な道具に奇抜な格好、それに何より言動から滲み出る得体の知れなさに確実にここで潰しておかなくてはならないと樹の今までの経験が警鐘を鳴らしていたが、さすがにあの高さから落ちてはもう生きてはいないだろう。

「――怪我とかしてないか、小僧」

 樹が傷だらけの体を引きずりながらレックスの下へ近づき、そこで彼の身に怪我がないかを確かめる。

「ぼくは大丈夫だけど、おじちゃんの方が――」

 パンッ!

 互いの心配をする二人の意識が突如現れた場違いな破裂音に引き込まれる。

「――なんだ今の音? まるで……風船でも……割れたかのよう……な」

 あり得ない。そう思いつつ――ゆっくりと振り返るとそこには今まさに立ち上がろうとする傷馬がいた。

「やれ・やれ・やれ……流石にあんなことをして来るとはヒヤッとしましたよ。おかげでワタクシの貴重なカイトと風船がダメになってしまいましたよ」

 傷馬の後ろを見るとそこには割れてバラバラになった巨大な風船の残骸と、大型の凧の残骸があった。状況から考えるに風船をクッションにしつつ、落下から来る威力の減衰に凧を使い上手く着地したのだろう。

「あの高さからの落下で無傷とか……」

 目の前の男を見て樹は如何にこの戦争というのが常人ならざる者達の集まりというのを思い知らされていた。

「ほ・ほ・ほ……一流の道化師と言うのは仕込みを怠らないのです。詰めが甘かったですね」

 傷だらけの樹へ若干足を引きずりながらゆっくりと歩み寄ってくる。その様子から多少はダメージがあったとは思うのだが、どう見ても戦況を左右するまでは至らないであろう。

「多少予定は狂いましたが……今度こそキッチリ死んでもらいますよ」

 傷馬の手には先ほどと同じ風船が握られていた。そして少し歩いたところで傷馬はふと立ち止まる。

「おっと……そういえばアナタの傍は危険でしたね。今度は何をされるやら……」

 樹に跳ばされた経験から傷馬は不用意には近づこうとはせず、一定の距離を保ったまま攻撃態勢へ移る。その視線の先は未だレックスを目標にしていた。

 傷馬が風船をダーツのように投げ放つ。風船の動きとは思えない程鋭く真っ直ぐに飛び、レックスの心臓へと向かう。

「させるか……よっ!」

 迫り来る風船に対し樹は掌を差し出して防ぐが、その手にかかる勢いと質量はやはり相手が風船とは思えず完全に勢いを殺すことが出来ないどころか、掌に風船の先端が突き刺さっていた。

「おや・おや・おや……ここに来て注意力が落ちてきましたかな? 相手がただの風船だと思って素手で受け止めようとするとは……」

 その先を言いはしなかったが樹にはその先が想像できた。そしてここに来て傷馬の戦術の本質を理解し始めていた。

 傷馬は見た目には馬鹿らしく思えるような品々を用いて相手の油断を誘い、その油断の隙を的確に突く事により理解される前に殺るスタイルなのだ。

「――痛ぅ……クソッ、しくったな」

 手に刺さった風船を引き抜く。相手が相手だけにこのまま風船を保持していてもロクな事にならないと感じた樹は、風船を握って破裂させる。

「いえ・いえ・いえ、まさかアレを素手で受け止めてその程度とは驚きですよ。だからこそ……殺しがいがあるのですよ」

 そう言いながら傷馬は再びズボンの中を――しかも今度は股間部分を重点的にまさぐる。そうしてゆっくりと――硬質の棒状のものが姿を現わしていく。

「……ナニを出す気だ」

 樹の脳内には一瞬げんなりしそうなモノが思い浮かんだが、よく見るとそれはナイフの柄のようなであった。

「これですか? これはですねワタクシが自らの手でキッチリと殺すと決めた時に使用する品の一つですよ」

 ドコに入っていたのかは気にしない事にしたが、出て来たものは今までで一番身の危険を感じるシロモノだった。

「……短剣のようだがただの短剣じゃなさそうだな」

「えぇ! そうです! これはとある異世界で手に入れた忘れられた遺物クストゥリッチと総称される道具の一つでしてね。これは振るたびに異なる毒素を刃に纏うのです。故に斬られ続ければ確実に死ねるというスグレモノですよ!」

 思っていた数倍も物騒な物が出て来たのだが問題は無いと樹は考える。なぜなら、斬られなければ良いのだから。

「面白れぇ――胡散臭い道化師からサイコな道化師になったってわけか。いいぜ、斬れるもんならやってみろよ」

 誰の目から見ても明らかに挑発をしている。傷馬の方もそれが分かっているようなのだが、短剣の効果から来る自信なのかその挑発に乗ろうとしていた。

「ほほほっ、ではお望み通り斬って進ぜましょう!!!」

 傷馬が身動きのほとんど取れない傷だらけの樹に向かって短剣を構える。そして傷馬がナイフを突き出しながら動き出した。

「さぁ死んで下さいませ、葉神樹!」

 皮膚を傷つけるだけでよいのでどこを斬ろうとも結果は同じ、故に特定の箇所を狙う必要が無く斬られればそこで終了となる。だから傷馬は満足に動けない樹へと突っ込む。

「待ちかねたぜ……この瞬間を!」

 体全体が地面に根を張ったみたいに動けていなかった樹が突然立ち上がる。予想外のその動きに傷馬の手と足が一瞬だが鈍る。

「――なっ、なんですと⁉ まだ動け――」

「くたばれ――道化師ヤロウ!」

 動きの鈍った一瞬で短剣を躱し驚愕の表情に染まった傷馬の顔面を力強く殴りつけた。その一撃はすさまじく、傷馬の体は遥か先まで吹き飛びその体で後方にある廃屋をことごとく破壊していった。

「た、倒した……の?」

「――多分な。あの道化師野郎が引くほど頑丈でなければ、だが」

 傷馬の飛んでいった方向を見て答える。あれで動かれては困るのだが念には念を入れようと魔導書を開く。

「なにをするの?」

「まぁ見てな……」

 傷馬を殴り飛ばしてからの樹はもう体に力が全く入らず、分厚くて少々重い魔導書を持つまでが精一杯だった。

 というのも先程までの樹は傷馬に致命的な一撃を与える為だけに魔力を温存しており、動けなかった状態からいきなり動けたのも、温存していた魔力を使ってさながら人形を操るかのように無理やり体を動かし、そこから残った魔力のほぼ全てを唯一無事であった右拳に圧縮して殴っていたからだった。

「――今の魔力残量でキッチリとトドメを差すとすると……」

 パラパラと魔導書をめくり、どう追い打ちをかけるか選んでおり、ある程度めくっていると一つのページに目を落とす。

「……こんなのもあるのか。これならいけそうだ」

「自分の本なのに全部知ってるんじゃないの?」

「んーあ~……この魔導書、厳密には俺のでなく葉神家の物なんだよ。だけど俺は半年くらい前に初めてコイツを手に取ったわけで中身の方はまだ全部把握してるわけじゃないんだ」

「そうなんだ」

 レックスと話しながらもそのページからは一切目を離さず内容を熟読し、完全に理解する。

「術式の形態は……重力系か。なにをどういう理論で組み上げたらこんな低燃費で大規模な魔術が出来るんだか……」

 樹は魔導書を構える、だが今までで血を流しすぎた所為か手が震えていてあまり力が入っておらず今にも倒れそうになっていた。

「……大丈夫? おじちゃん。ぼく、お姉ちゃん達を呼んでくるよ?」

 今にも死んでしまいそうな樹の様子にレックスも気が気でなく、すぐにでも助けを呼ばないと樹の意識が飛んで行きそうであった。

「――いや、いい。それよりも……むこうから来てもらう」

 手だけでなく声も震えてきていよいよ危険な状態になって来たところで樹は――その身に残った魔力と体力を振り絞り、最後の魔術を放った。

 傷馬が吹き飛んで行った建物の真上に光を通さない黒い球状の物体が現れる。それは拳大の大きさであったが次第に大きさを増していき直ぐに直径十メートル程にまで成長していた。

 そしてその球状の物体は崩れかけた高層ビルを強力な重力によって瓦礫として取り込む。

「…………これだけの質量があれば十分だろう」

 そう呟き、樹は魔導書をパタンと閉じた。するとその重力の坩堝はたちまち霧散し、取りこまれていた瓦礫は真下への重力に引かれて雨のように落ちていく。

 瓦礫は大きな地鳴りと地響き、そして粉塵を周囲へと振りまき、それはどこにいようとも異変がそこにある事を喧伝しているようなものだった。

「これだけ派手な事をしたら姐さんも気付いてこっちに来てくれるだろう……それまで俺は寝てるから姐さんが来たら……ヨロシク……頼む……」

 そこまで言うと樹は全身の力が抜け落ちて泥のように眠りこんでいた。

「……寝ちゃった。でも……そうだよね、死にかけたんだもん」

 眠る樹を見てレックスはふと気付く。あれだけ派手な事をしていたのだから海織達はおそらく来るであろう……だが、ここは戦場だ。であれば当然だがあの光景を見たのは海織達だけとは考えにくい。そしてその考えが間違いではなかったことを証明するかのように西の方角から西軍の増援と思しき連中が集まってきていた。

「おっとぉ⁉ 派手な音がしたから見に来てみたら……とんだ大物がいるじゃねぇの」

 樹と同じくらい口の悪い男が一人やって来た。

「――だれ?」

「んん~~~? 南軍の狂犬はいいがこのガキはなんだ? 殺しのリストにはいねえな」

 レックスの問いには答えず樹の下へ迫っていく。その手にはマチェットが握られており、独り言の内容から考えても樹を殺そうとしていることは明らかだった。

「だめっ! この人は死なせない。ぼくが……守るんだっ!」

 レックスは両親と死に別れ唯一の肉親である妹も消息不明である。だからなのか、ここで樹を死なせるようなことがあってはならないと剣を力強く握りしめてその男と相対する。

「あぁん……? ガキは殺せって言われちゃいないから見逃してやろうかと思ったが……そうか、そこで転がってる奴といっしょに死にたいってんならしょうがねぇな――」

 男が、マチェットを向けてきた。完全にここで樹諸共レックスを始末する気らしい。

「ってぇ事でサヨウナラだガキィ!」

 男がマチェットを腰だめに構えて突っ込んでくる。それを見てレックスは単調な攻撃だと思った、これならば容易くいなして首を刎ねる事は訳ない相手であった。だがその時先ほど人を殺した時の事を思い出す。それと同時にこの相手は本当に殺していいのかと考えると不意に動きが止まり、相手の攻撃に反応するのが遅れてしまった。

「うっ!」

 見え見えの攻撃を躱すことが出来ず咄嗟に剣の腹で受け止めはしたのだが、子供と大人とではそもそもの膂力と体格に差があり、レックスは剣と一緒にその小柄な体が跳ね飛ばされてしまう。

「ハッハァッ! 守るだなんだと粋がってた割に対した事ねぇなぁ」

 男はレックスが落とした剣を踏みつけながら見下ろしていた。

「さて、と――あの狂犬を殺してくるからそこで待ってろ――よっ!」

 男はレックスのどてっぱらを蹴り上げてその場を離れる。ここであの男を止めなければ樹が殺されてしまう。その考えが頭をよぎった途端、さっきまでの葛藤はどこかに消え失せる。

「まったくもって俺様は運がいい。こいつを殺したとなれば幹部クラスも夢じゃねぜ!」

 男は樹の頭を踏みつけ、万が一にでも逃げられないよう念を入れる。そうして……マチェットを振り上げ心臓へと狙いを定める。

「あばよ! 犬っころ!!!」

 樹の心臓目掛け凶刃が振り下ろされようとした時、目の前の樹を殺す事にだけ気が向いていた為にその男は気付けなかった。先程自分が蹴り上げた取るに足らないと思っていた子供の刃が、背後から己の首を刈り取ろうと迫っていることに。

「――!? カハッ!」

 そうして……それに気付いたのは既に己の首と胴体が永遠の別れを告げる直前のことであった。

「守れた……今度は守ることが出来たよ」

 未だに眠ったままでいる樹はレックスによってかろうじて生き永らえることが出来たのであった。

 それから十分くらいは経っただろうか。ビルが崩れ落ちた轟音に呼び寄せられた海織達が血相を変えて駆けつけてきた。そこで一同は樹と梨鈴が倒れ伏している光景を見て何事かと慌てていた。特に樹に至っては全身血塗れの状態であり、彼が着ていた真っ白な服がズタボロなうえに血で染まった状態を見れば如何に今の樹が危険かが一目で分かってしまう。

「これはヒドイわね……すぐにでも医者に診て貰わないと」

 海織は調べるまでもなく危険な状態の樹を抱えるとすぐさま水恋を取り出した。

「あたしはすぐに樹さんを連れていくから、雪華はレックス君の事をお願い!」

 水恋を振りかざし水の龍を生み出すとその上に樹をゆっくりと横たえさせる。そして海織も水の龍に乗ると、樹が途中で落ちてしまわないようその体をしっかりと抱き寄せる。

「ちょっと待って下さい、姉御」

 一分一秒を争う時になぜか雪華が待ったをかけて来た。

「ゴメン雪華、後にしてちょうだい」

 当然のことながら急ごうとする海織は雪華の事にかまっている余裕などない。ないのだが、雪華の鬼気迫る様子からただ事ではないなにかを感じ取る。

「――手短にお願い」

「はい。今のまま行ってもいつき君を診てもらうまで時間が掛かると思うんです。だから今応急で手当てくらいはしておいても……と思うんですが」

 言われてみると確かにその通りだ。このまま無茶を樹にさせるよりは少しでも手当てをしておく方が良いに決まっている。

「そういう訳ですのでこの種を傷口に埋め込んでください」

 雪華は首から提げているペンダントを手に取り、その中からかなり小さな種を取り出し海織へと手渡す。

「……分かった。……………………これで全部ね」

 海織は言われるがままに種を傷口に埋め込む、それを確認した雪華は自らの手を樹の心臓の上へと掲げる。それからすぐに樹の体と種に変化が訪れた。

「これは――種が成長している? でもこれは……?」

 雪華は植物を急速に成長させ操る能力を有している、それ自体は海織も知っているのだがこのように種から成長させる光景というのは見たこともない上、種そのものの正体すら分からない。――であるが海織は雪華自身にしか分からない事もあるからと海織から聞こうとはしなかった。

「この種は急速成長すると傷を塞ぐことが出来ますがそれは副次的なんです。本来は宿主の血液と同じ血液の精製をするんです」

「そういえば樹さんの血液型って……」

 そこで海織は思い出す。樹の血液型は非常に珍しく輸血用の血液が殆ど無い事を。

 その植物の効力は宿主からほんの少しの血液と大量の養分を吸って成長し、宿主と全く同じ血液を精製するという今の樹からしたら体力がない状態で養分を吸い上げるという事は死に近づけるが、それ以上に希少な血液を増血させる方が最善だと雪華は考えていた。

「そうです。危険な賭けにはなりますがそれでも今出来る限りの処置をしてから連れて行って欲しかったんですよ」

「そういう事だったのね。だったらもうそろそろいいかしら?」

「そうですね…………うん、大丈夫そうですぅ」

 ここで雪華からのお墨付きをもらい、それを聞いた途端に樹を抱えて海織は水の龍を駆り南軍の拠点へとカッ飛んで行った。

「う~ん……気持ちいいぐらいのぶっ飛びっぷりですねぇ」

 海織が飛んで行った方向を眺めながら雪華が呟く。その口ぶりから判断するに一番の危機はどうやら脱したようで、それを聞いたレックスは力なくへたりこんでいた。

「――おじちゃんは……助かるの?」

「はい~、いつき君はもう大丈夫でしょう。ですが問題はこの娘と……他には生き延びた東軍の方達ですかねぇ?」

 言われてレックスは樹が倒れていた所とは違う所を見る。そこには未だ倒れたままの梨鈴がいた。

「そういえばこのお姉ちゃん、ずっと倒れたままだけど……生きてるのかな?」

「どうでしょう? …………息はあるみたいですから生きてはいるみたいですねぇ」

「よかった……」

 ホッとしたのも束の間、事態はまだ収束しておらず、考えようによっては悪化しているともいえる状況になりつつあった。

「気をに抜いちゃダメですよ~ここはまだ戦場の中ですから~」

 その一言でレックスは急に現実に引き戻される。そう、まだ完全に終わっていないのだと。

「……どうしよう」

「どうしようも何も……一旦撤退しましょうか~?」

「…………ダメ」

 くぐもった声がどこかから聞こえてくる。声の出所を探そうとするが、そんなことする必要はどうにもいらないみたいであった。

「逃げるのは……ダメ」

「え~っとぉ~? 確か……梨鈴さんでしたっけ? 気が付いていたんですかぁ?」

「さっきの騒がしい音で目が覚めた。それより、逃げるならリリの仲間を一緒に連れて行って欲しい」

「梨鈴さんのお仲間……ですか。それは構わないですがその方たちはわたし達から見て敵でないと考えていいんでしょうか~?」

「問題ない。二人の事は信頼しているから敵対することは絶対ない」

「分かりました~。それではわたし達は梨鈴さんのお仲間を連れてここから撤退しますが……そちらはどうするおつもりで?」

 今までの梨鈴の様子から何か良くない事が起こりそうな予感を感じ、梨鈴の動向を確認する。

「決まってる。ショウマを殺して一緒に西軍のヤツらを滅ぼす」

 潔く答える梨鈴だがそれが不可能な事をレックスは知っていた。

「あのおかしな人ならあそこで潰れて死んじゃったよ」

 と、レックスはビルが崩れ落ちた個所を指し示す。それに釣られ梨鈴もそちらを見るがその惨状と自身の薄っすらとした記憶から、レックスの言う事に間違いはないだろうと納得していた。

「そう……なら仕方がない。だったら西軍のヤツらを全て潰す」

「待って下さぁ~い! 梨鈴さん一人で向かうつもりですか?」

「当たり前。そうでなければリリは皆にあわせる顔が無い」

 このままでは梨鈴は一人で特攻してしまい、下手すれば玉砕してしまうだろう。そんな未来を回避させるべく雪華はなんとか梨鈴を止めるべく策を急ぎ考える。

「えーっとぉ……えーっとぉ……そ、そうだ! 先に梨鈴さんのお仲間を探しに行きませんか? 同じ戦いに行くのでも戦力が多い方が良いのでは……?」

「それはダメ、リリの戦いに巻き込みたくない。だってミッこもサーたんも戦うなんて出来ないから」

「その方達は梨鈴さんのお仲間さんですか~?」

「ミッことサーたんはリリの友達。他にも戦えないのが二人と一緒にいる」

「なるほどですねぇ~。それでは確かに一緒にという訳にはいきませんね」

 自分達は元より東軍の救援に来たのだから非戦闘員を保護するのは今回の目的に沿っている。だからと言って梨鈴を一人で戦いに行かせるというのはそれはそれで救助に来た意味が半減してしまう。

「それでしたらわたし達も一緒に――」

「話はもう終わり。じゃあリリは行くから」

 梨鈴が共に行動しようと提案するも、それを最後まで聞き入れる事をせず梨鈴は颯爽と西へと駆け抜けていく。これでは梨鈴の仲間達になんと説明したらよいのかと戸惑う。

「どうしましょうか? レックス君」

「ぼ、ぼくに聞かれても……」

 ほんの十数秒くらいだが二人の間になんとも言い難い空気が流れる。その空気を壊してくれる何かを二人は望む。

 そしてその望み通り静寂を壊す出来事が起こる――二人分の悲鳴を伴って。

「だ、誰かーっ! 誰か助けて下さいませんかぁーーー!」

「ひぃ~ん! なんでウチら追いかけられてるん⁉」

 岩石で出来た様な恐竜と思しき物体に追いかけられ、雪華たちの下へと向かってくる二人組が叫びながら迫って来る。

「な、なんなんですかぁ~あれっ⁉」

「うーん……あれ、災害獣かな? それとも似てるだけ?」

 突如現れた異形の物体にレックスは冷静に、雪華は今まで体験したことのない物体を目の当たりにして気が動転しそうになっている。

「そこのあなた方! ぼさっと立っていないで何とかして下さいませんか!」

「お願い! ウチらもう走りっぱなしでダウン寸前だよ」

 レックスと雪華がただ立っているだけでも事態はどんどんと悪い方へと転がってゆく。だからこそ逃げ惑う二人は最悪の方に向かっていかないよう何度も助けを求め続ける。

「ちょっとそこのあなた方、聞こえていますの!」

「――はっ! 危ない危ない……あまりに非現実的な事に我を忘れるところでしたぁ」

 雪華の存在も目の前にいる岩で出来た恐竜の様なものと同じくらい非現実的な気もするだろうとレックスは密かに思っていたが、そんなジョークを飛ばす暇はないと頭を振る。

「早く助けなきゃ!」

「そ、そうですねぇ~……でも、どうしましょうか……あれ……」

 あの恐竜を止めて二人を助けるのはいい、いいのだが……どうやって止めたらいいのかが分からないでいた。

「とりあえず叩いてみるよ」

 雪華が攻め手をどうするか考えていると、レックスがケープの中から鞘を取り出して恐竜目掛けて飛び込む。その行動に雪華が驚くが、それ以上に二人組の方が驚いていた。

「えっ⁉ 子供の方が来るんですの⁉」

「ちょっ、やめなよ! 死んじゃうって!」

 二人の制止させる様な声に耳を傾ける事をせずレックスは恐竜の目と思しき所へ鞘を差し込む。その対処に効果があったのかは分からないが少しだけ恐竜の動きが鈍る。

「おねえちゃん達、早く! 急いで!」

「は、はいっ!」

「ありがとっ!」

 二人は体力の限界を超えて走る速度を上げ、なんとか雪華のすぐ傍まで命からがらといった状態でたどり着いた。

「お二人とも大丈夫ですかぁ~?」

「えぇ……なんとか」

「ウチももうクタクタやよ~……って、浮いてるっ! しかもなんか透けとる! アンタってもしかしてお化け!?」

「あら、確かに……幽霊なんて初めて見ますわね」

「あぁ……この反応も久々ですねぇ~」

 両極端な両者の反応に雪華は思わずこの世界に来た当初の事を思い出す。が、忘れてはならない、今レックスが一人で恐竜を足止めしており保護者の代わりとを自負しようとする自分が子供に任せっきりにするわけにはいかないと。

「こんなことならもう少し種を持ってくれば良かったですかねぇ」

 雪華が袖の中からプラスチックの入れ物を取り出してふと呟く。だが嘆いてるヒマなど無い、急ぎ種を取り出して恐竜の足元へとばら撒くとレックスに声をかける。

「レックス君~。すみませんがもう少しそれを引き付けてもらってもいいですかぁ~?」

 その言葉に雪華が何か大規模な事をすると予感し恐竜の視線が常に自分に向くよう攻撃を加えつつ翻弄していく。

「任せて!」

「では行きますよぉ~!」

 雪華が両手を地面につけると先ほどバラまいた種が淡い光を放ち急速に成長してゆく。最初は小さな芽だったのがすぐさま蔦のように成長し、それは恐竜の足を伝い上へ上へと伸びていき、やがては恐竜の体全てをツタが覆い尽くしてしまう。

「おおっ! ……って、これだと岩の表面に植物が絡んでるだけじゃないの?」

「これで終わりじゃないですよぉ~。もっともっと太く硬くなっていきますからぁ~」

 雪華のその言葉通り恐竜に絡みついた植物はまだ成長できる事を示すかのように脈動を強めてゆく。そして植物は勢いを増して成長していき岩石の恐竜をきつく締めあげていき、やがて――その体が耐えられる限界が来たのか恐竜の姿を保てず崩壊してゆく。

「…………はぁっ! つ、疲れた~」

「えらいえらいですぅ」

 レックスの必死の時間稼ぎにより雪華はこの場をなんとか切り抜けられると、頑張ったレックスに対して頭を撫でて労う。

「あの……助けていただきありがとうございます。念の為伺いますが、あなた方は西軍の者ではないですよね」

「えぇ、そうですよぉ~。わたし達は南軍から来た雪華です。こっちの子はレックス君」

「助けてもらったことに感謝は致しますが、あなた方はなんの目的でここにいらしたの。事と場合によっては――」

「わーわー! ちょっと待って下さいよぉ~。確かにわたし達が怪しく見えるかもしれないけど今はそういう事を言ってる場合じゃないんですぅ。梨鈴さんが……」

「――むっ! リリっちの事をなんで南軍が知ってるのさ。まさか……誘拐⁉」

「違いますぅ~! 今から説明しますから黙って聴いててください!」

 どんどんと話が明後日な方へ向かって行き、これ以上収集が付かなくなる前に雪華とレックスはこれまでの経緯を手短に説明した。最初こそ怪訝な顔で聞いていたものの、重要な情報が出てくるにつれ二人は淡々と聞いてくれるようになっていた。

「怪しいのは見かけだけかと思っていましたが……まさか薬袋さんが敵でしかも西軍の人間だったとは――」

 雪華たちが説明する中でお互いに軽く自己紹介をしており、フリルワンピースを着た巨乳のこのいかにもお嬢様みたいな喋り方をするのが梨鈴がミッこと呼んでいたミットシェリン=ラインノルド――

「確かに驚いたけど、それよりもっ! リリっちが一人で西軍に喧嘩売りに行ったって……早く助けな死んでまうよ」

 革製のサロペットと麦わら帽子に身を包み、所々どこかの方言のような喋り方になるのはサクニャ=キッツェル――梨鈴からサーたんと呼ばれていた――と名乗っていた。

「ですが困りましたわ……わたくしとサクニャでは梨鈴を連れて帰ろうにも、その――」

「そうなんよー。ウチ等は戦闘員と違うから追いかけようにもちょっと……だからお願い! ウチとミッこをリリっちのとこまで連れてって貰えんかな」

 どうにもこの二人は戦いというものにまるで縁が無い様で、梨鈴の所に行きたくとも道中が危険すぎて行けないのである。だからこそ二人は雪華たちを頼るほかないのだ。

「いいですよ~。もともとわたし達も梨鈴さんのお仲間の無事を確保出来たら追いかけるつもりでしたので」

「本当によろしいんですの⁉ わたし達がいては足手まといになるというのに」

「ですが……連れて帰りたいんですよね、梨鈴さんを」

「当たり前だよ! リリっちは大切な友達だもん、友達の事を心配しない奴は友達でも何でもないよ」

 二人の意志は固く、危険だと分かっているところにも躊躇わずに飛び込んでいける強い心を持っていた。

「分かりました。ではわたしの傍から離れないよう付いて来てください」

「「はいっ!」」

「――ぅん?」

 と、レックスが何か思い当たる節を見つけたようで、小首をかしげていた。

「どうかしましましたか~? レックス君」

「ぁっ……えっと……そういえばあの時言ってた仲間ってお姉ちゃん達二人だけなのかな……って」

「そう言えば梨鈴さん、ミットシェリンさんとサクニャさんの事を話していたけど、仲間が二人だけとは言っていませんでしたねぇ~。そこの所どうなんでしょうか?」

「……確かにあなた方が仰るように梨鈴に逃走路を確保してもらった時、わたくし達以外にあと三人おりました。ですが途中であなた方も見たあの恐竜モドキにやられてしまいましたの」

「そう――だったんですね」

 なんとなく予想が出来た事であるために雪華は聞くべきではなかったと後悔する。

「ああ、でも気にしないでよ。二人が助けに来てくれた時はウチ等も嬉しかったからさ!」

「そうですわ。まだわたくし達は生きています、亡くなった方の分まで生きる事も出来ますしそれに――仇を取ることだっていつか出来ますもの」

 その言葉からは純粋な気持ちが伝わってきており、この二人はどんな状況においても諦めずに生きてみせるという意思をひしひしと感じていた。

「……分かりました。ならわたしはこれ以上聞くような事はしません。それでは梨鈴さんを追いかけましょうか」

「じゃあぼくはお姉ちゃん達の後ろを護るね」

「はい。では~お願いします、ナイトさん」

 こうして雪華を先頭にして梨鈴を追いかける事となった。

 梨鈴の後を追いかけていく内、梨鈴の眼には奇妙な物が飛び込み始める。それは道中で梨鈴が倒したと思われる兵がそこら中に転がっているが、そのあまりの多さに雪華はどこか異常な事が起き始めていると感じていた。

「……ここに倒れている人たちは西軍の方……なんでしょうか?」

「それはどういう意味ですの?」

 ミットシェリンが雪華の呟きに反応して来たのだが、その呟きの意味がどうにも腑に落ちない様子であった。

「ミットシェリンさんはこの戦争に参加させられている人数をご存じでしょうか」

「いえ……存じ上げないですわ。あと、わたくしの名前は長いからミシェでいいですわ」

「分かりましたミシェさん。それで参加人数なのですがおよそ二百人、正確には百九十七人が開戦当初の人数のようです」

「二百って事は……各軍平均で五十人ほどか~。――あれっ? なんか数かおかしくないかにゃ~?」

「――確かにそうですわね。人数に偏りがあったとしても流石にこれは多すぎ……どころか今まですれ違った数は二百を優に超えておりますね」

「その謎は今は考えても埒が明きそうにないですが……これだと想像以上に梨鈴さんの身が危ないでしょうね」

 西軍を削り東軍を仲間に引き入れようかと割り込んだこの戦だが、事態は誰の想像もつかない方向へと進行していくのであった。

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