第3話

「という事が三ヶ月前にあった出来事とこの世界のルールね、分かった?」

「えっと……な、なんとか……? でも話の中のおじちゃんと今のおじちゃんってなんというか……同じ人なの?」

 この世界のルールとやらはおおよそ理解した。だがそれよりも樹の海織への対応が違いすぎていることの方が気になっていた。

「あー……うん……。あれから色々とあったのよ、そう、色々とね――」

「そ、そうなんだ……ごめんなさい」

 レックスの質問に暗い顔で海織は答える。だが、あまりにも何かが表情に出過ぎているのでそれ以上の事を聞くに聞けず、聞いた本人が謝ることでこの話はお開きとなる。

「じ、じゃあ気を取り直して! この世界の仕組みも分かった事だし、これから生活する施設を教えておくね」

「あ~ね~ご~……お部屋にいますかぁ~?」

 扉の向こうから間延びしたような声が聞こえてきた。

「あれ? 雪華せっか? どうしたのよ、そんな所で。用事があるなら入ってくればいいのに」

 そう言われて扉の前にいた声の主は、扉をすり抜けて中に入ってきた。

「お邪魔しますぅ~姉御ぉ~」

「いらっしゃい雪華。それでどんな用事なの」

 海織の部屋へ招き入れられたのは地に足がついておらず体全体が少し透けた少女、特徴から察するに先程の海織の話に出ていた幽霊少女であった。

「え~と……さっき組長さんから聞いたんですけどぉ、その子が新入りの子ですよねぇ~?」

「もう雪華にも話が伝わっているのね。あっ、そういえばレックス君はコレの名前を知らなかったよね」

 話には何度か上がっていたが、確かにこの幽霊少女について名前だけは一度も出ていなかった。

「姉御にぞんざいな扱いをされたわたしの名前は、雪華・コルティーネです。これからよろしくお願いします」

 と、幽霊少女改め雪華・コルティーネが自己紹介をした。

 そして初対面ながら彼女についてわかった事が一つ出てきた。どうやら彼女、真面目な話をするときは間延びのしない喋り方になるようだ。

 この二人の上下関係、先程の話から海織は№2というのは分かっているが雪華の態度の内、この部分だけ切り取った場合だととてもそうは見えなかった。

「そう言えばどうしたのこんな時間に来て。今日は一緒に寝てあげられないわよ」

「ち~が~い~ま~すぅ~。組長さんから伝言を預かって来たんです」

「伝言? なんだろ……まだ大事な事ってあったかな?」

 レックスを保護した時の経緯はあの時に全部報告したからそれ関係ではない。あるとしたらレックスの部屋割りとかそんな些細な事しか思い浮かばないな――と、そのような事を考えていたら雪華が伝言の内容を伝えてきた。

「別に重要な事じゃ無いですよ~。明日の偵察はわたしと姉御の予定だったのが、わたしと姉御以外の人という事で変更になっただけですから~」

「……そこそこ重要だと思うんだけど、雪華がそう感じるならいいわ。それじゃああたしは明日はゆっくりこの子の相手が出来そうね」

 むしろレックスを海織に任せようと考えたからこそ偵察の任から外されたのだろう。

「組長も早く言ってくれればわたしも伝言なんてする必要なかったんですけどね~」

 やいのやいのと騒がしい二人に囲まれていたレックスは、そんな喧騒に包まれながらもいつの間にやら静かに眠っていった。

「あら? いつの間にか寝ちゃったわね」

「そうですねぇ、でもあれだけ長い話を聞いてたら無理もないと思いますけどぉ」

 二人してレックスの寝顔を覗き込みながらさっきまで海織が話していた三か月前の出来事を少し思い出す。

「そういえばおじ様はレックス君がこの世界に来て何か変化が起こるような事を言ってたけど、どう変わるんだろう」

「それは……どうなんでしょう。少なくとも今は眼に見える変化はないですけど」

 今は大きな変化は起こっていない。だが、それも次の日には章仁の予想が当たっていたことを実感する事となる。




 次の日の朝。

「起きて、レックス君!」

 微睡まどろみの中、レックスは海織の鬼気迫る声にたたき起こされた。

「……うぅ~ん? ここどこ?」

「あー……まだ寝ぼけてるみたいね、ってそんな事言ってる場合じゃないよ。とにかくすぐ来て!」

 寝ぼけ眼をこすりながらゆっくりと起きるレックスをよそに、海織は急いで寝間着から着替えると彼を連れてある場所へ一直線に駆け抜ける。

「すみません! 遅くなりました」

「別に急かしているわけじゃないから気にすることはないさ」

 駆け込んだ先は章仁が普段いる部屋であり、海織は南軍の副長として緊急で呼ばれていたのである。

「おはよ~です、姉御」

「おはよう雪華。あともうそろそろ姉御はやめて欲しいかな」

 海織たちが来るよりも早く雪華が集合場所にいた。

「姉御も来た事ですし……始めますか?」

「それはちょっと待って欲しい。まだ樹の奴が来ていない」

「そういえば~確かにいないですねぇ」

「まったく、雪華はもう少しあの人にガツンと言ってもいいんじゃないの? 偵察部隊の副隊長として」

「わたしが言ってどうにかなったら、苦労はしないですよ……」

 途端に素に戻った所を見ると、何度も注意をして何度も失敗に終わったのだろうという事が目に見えた。

 それから五分後。樹が来る気配のないまま時間が過ぎていき、そして――

「こんな朝っぱらからどうしたんですかい、おやっさん」

 ようやく集合場所に来た樹だが、彼を見る目は全員冷ややかなものであった。

「…………もしかして、遅刻でもしました……か?」

「いいや、別に時間を決めていたわけでは無いから厳密には遅刻とは言いませんよ」

 笑顔で樹をたしなめる様に言ってはいるが、他の者からしたらその笑顔がとてつもなく怖く見えていた。

「すんませんっ!」

 章仁が次に口を開く前にすぐさま土下座をし、章仁が動く前に謝っていた。

「……ふむ、樹の行動はよく分からないが先には進ませてもらおう」

 樹の行動など気にせず章仁は机の上に地図を開く。この地図は樹と雪華がこの世界に来てから調査をして作りあげたもので、各軍勢の大まかな拠点の位置と世界の形くらいしか分からないがこれからの事を説明するには十分な代物であった。

「地図……緊急の用件……そしてこの面子……もしかして――」

 今手元にある情報で得られる答え、それに辿り着いた海織はハッとなる。

「どこかで……大規模な戦闘が起こったんですか……」

 震える声で訊いた。この世界に連れてこられた時に知ったこの世界の存在理由、その現実がすぐそこまで自分の身に迫っている。

「残念ながらその通りです。わたしがこの目で見たのだから間違いがないのです」

 章仁の代わりに雪華が答える。どうやらこの面子を集める様に働きかけたのは雪華だったようだ。

「さて、これで集まってもらった理由は分かったと思うが議題は私達がとる行動についての事だ」

「「「…………」」」

 この場にいる全員が押し黙る。今からする話というのは南軍のこれからの身の振り方に関わるからだ。

「まずはっきりさせておかないといけないことがあると思うんだが、どことどこがやり合ってんだ?」

 まだ聞いていない事実があるだろうという様に樹が聞いてきた。

「なんで偵察隊の隊長が直属の部下の動向を知らないんですか……」

 樹と雪華は上司と部下の関係であることに間違いは無いのだが、さっきの樹の発言だけを聞くととてもじゃないが樹の方が位が上には思えない。

「遠くから見た限りだと西軍が東軍へと攻撃していたみたいなんですけど……どうも様子が変なんですよね」

「確かに昨日の段階では東も西もおかしな素振りは……いや、そう言えばあの時デカい魔力があったがそれは前兆か? だがそれにしては急すぎるな、まさか内部から食い破られたか……」

「……間近で見たわけでは無いから断定はできないが、東軍の内部に樹の考えていたような輩でもいたのだろう」

 相変わらず樹に一部隊の隊長としての威厳は見られなかったが、それでも状況の不自然さを瞬時に理解し、それと同時に相手の手口を思い至るのは早かった。

「まぁ相手の手口に関しての議論は置いておくとして……今回の議題は我々南軍はこの争いに介入するか否かだ」

 そう、今現在重要な事は両者の戦闘に首を突っ込むのか静観を決め込むのかどちらをとるのか。もし介入するとした場合はさらに選択を迫られることになる。

「いつかはこの時が来るとは思っていたが……唐突に来たな」

「戦いなんて結局そんなものじゃないかなぁ~?」

「それよりかはあたしはおじ様が急に他所の戦いに乱入するっていう方が話題になると思ったけど」

 南軍は戦いを避けるという選択を三ヶ月前にしたにも関わらず、章仁は二つの軍の戦いに介入するか否かを持ち込んだ。それだけで現在の事の異常さが窺える。

「状況が状況だけに静観という訳にもいかなくなりそうなのでね。だが、私はこの軍を率いる者として戦いを避けると明言してしまった以上、それに反することを行うには君らへの相談なしには進めないという事だ」

 章仁の言葉の端々から重苦しい雰囲気で方針の転換を図らねばならないという事がひしひしと伝わってくる。

「それくらいスッと決めればいいじゃないっすか。……それとも、まさかこの期に及んで自分は戦いから降りるとか言わないですよね。もし降りるってんなら俺がアンタの地位を奪わせてもらうぜ」

「……それも含めての相談だ。君らはこの状況で逃げるか、それとも戦うか――どちらがいいと思う?」

 この局面ではどう動いた方が理になるのか……そのことに真っ先に答えたのは樹だ。

「そんなもの両方潰せば済む話だろ」

「あたしは……あんまり戦いたくはないけど、一方的に襲われている方を救援してそこに加勢するのがいいかと思います」

「う~ん……わたしは戦いそのものを反対はしませんけど、やるならごく少数の――それこそリーダー的な役割の人を両方叩いて残った人達を抱え込むのはどうでしょうかぁ~?」

 意見こそ三者三様ではあるものの、方向性としてはどの意見も戦いはやむ無しだけど終着点はそれぞれ異なっていた。

 樹は敵をどちらとも殲滅させるに限ると言い。海織は戦いはするものの、あくまで犠牲を抑える為に。雪華は両方のトップを再起不能にして残った両軍を大胆にも抱え込もうという魂胆だった。

「……誰一人としてという選択肢はないのだな」

「俺はハナっから殺る気だったけどな」

「いつき君はそうだよねぇ。わたしは生き残れる手ならどっちでもいいですけど」

「あたしは逃げれるのならそうしたいですけど、でもおじ様が戦うかどうかを選択させるならそれは戦わなきゃマズい状況なんですよね?」

「そうだな。正直言って戦力には事欠かない軍勢を相手にする気はサラサラないが、その後の展開を考えると逃げ回るのも上策とは言えないからね」

 くいくいっ……

「ん? どうしたのかな、レックス君」

 ただ流されるままに連れてこられたレックスが海織の着物の裾を無言で引っ張っていた。

「みんなと仲良くは出来ないのかな?」

「「「あー…………」」」

 レックスの発言はここが戦場で無かったら、今この時が臨戦態勢で無かったら実に平和な言葉だったのだが時と場所が悪かった。

「確かにそうなれば理想だが所詮は幻。この極限状態に置かれ続けた人間であれば敵と共にするなどとてもではないが許容は出来まい。まして、自分達だけが残らないといけないのだから」

 そう、レックスの考えなぞ所詮は机上の空論。この戦争ゲームが個人個人での戦いであれば少数のコミュニティは築けるだろうが、一つの団体としてすでに出来上がっている所に他所の団体を抱え込もうとするのは相当難しい。ましてや片方は既に奇襲という形で攻撃をしているのだから共存など到底不可能だ。

「いやぁ雪華の案も悪くは無かったんだよなぁ……ただ、抱え込むにしても多すぎるからな」

「そうだな、雪華の案もこの戦争の初期も初期であれば有効だったかもしれないな」

 話の流れで雪華の案はほぼ実現不可能で却下行き、残るは樹と海織の案だがそこでも問題は出てくる。

「じゃあどうなった方がグッドなんですかぁ~?」

「――南軍が望む流れとしてはこのまま互いに消耗し合った結果東軍側の勝利が好ましい。逆に西軍側に勝たれたり共倒れになってもらっては困るな」

「まぁ協力するんであれば攻められた側の方を助ける方が面倒事が少なそうだもんな……主に人間関係では」

「……そう考えると~漁夫の利ってわけでは無いですけど、両軍が消耗している中で西軍だけを倒す方がわたし達の消耗も抑えられて同時に借りを作れますね~」

 結果的に三人の案の中間点――要は適度に互いが減ってもらい、最初に攻められた方を救援、その後は片方だけを徹底的に潰し残りを抱え込む事に決まった。

「そういう事になる。そしてここにいるメンバーでこの事態の収拾にあたって欲しい」

「ここにいるメンバーって……あたしと樹さん、それに雪華。おじ様は外へ出歩くことが出来ないから…………えっ? 三人だけで行くんですか⁉」

 海織が絶叫し、同様に樹も不満を垂らす。

「おやっさんよぉ……南軍でまともに前線に出られるのが俺達しかいないからって、ドンパチやってる中に三人だけで飛び込むのはいくら何でもキツイってコレは」

 樹の抗議に海織と雪華が頷きながら激しく同意する。

「まぁ待て、人員ならもう一人いるじゃないか」

 もう一人――そう章仁が言った時、皆は一斉にある一点に視線が向く。

「ほぇ?」

 その視線の先にいたのは昨日この世界に流れ着いてしまったレックスであり、当の本人は自分に向けられた視線の意味が分からず戸惑っている。

「え~と……組長さん? いくら何でもこんな子供を前線に出すのはいくら何でも無謀なのでは?」

 さすがに昨日今日の関わりしかない人物――さらに子供とあっては流石に戦場に連れ出すのは気が引け、そんなこと雪華がこの場で言わずとも全員が理解していた。

「まぁ反論されるのは眼に見えていたが理由なら無論ある」

「どんな理由があろうとここに来たばかりの、しかも子供を戦わせるのは同意しかねます」

 子供を戦わせようとする章仁に対し海織は激しく反対する。だが章仁の方も譲りはしない。

「南軍の副長である君なら知っているだろう、戦力として数えられるのはここにいる者だけだと」

「それは……確かにそうですが、でも!」

 ここいる者はレックス以外知っている事なのだが、南軍には戦いにえることの出来る人員が、章仁・海織・樹それと雪華が一応戦えることが出来るくらいで、その他のメンバーは戦い以外の技能に能力を振っているためとてもではないが戦争の前線には駆り出す事などできない。だからこそ章仁はそれらの者達よりも戦えそうなレックスを連れて行かせる事を考えていた。

「――それに理由もある。少なくともその子は親の仇を討ち取る程の実力はあるだろう。つまりは少なくとも雪華以上の実力はあると思ったのだ」

 何を根拠に言い出したのか章仁はレックスと雪華の戦力を比較した。その事についていつ彼の実力を測ったのかは分からないが大して疑問には感じてはいなかった。

「いきなり比較対象にされましたぁ⁉」

「実力に関してだけで言えば疑いようなく納得できる。確かに雪華以上だ」

「いつき君にまでディスられた!? それじゃまるでわたしがダメ幽霊みたいじゃない!」

「あの……ぼくは結局どうしたらいいの?」

 論争の渦中にあるレックスはただただ戸惑い、狼狽えているだけしかできない。

「…………連れていきましょう」

「いいんですかい、姐さん。一番否定してたのは姐さんでしょう」

「ここで言い合いをして両軍の介入に失敗しました――なんて事があったら取り返しがつかないと思っただけです」

 これ以上の言い争いは不毛だと悟り、レックスを連れていくかどうかの議論を打ち切る。

「気乗りはしないがおやっさんが連れてけって言うなら仕方ねえか」

「わたしも賛成しかねますけどぉ、組長さんが言うなら連れて行った方がいいんですよねぇ」

 やはりというか全員が納得などしておらず、トップの指示だからと従っている形だ。

「ではあたし達はこれから戦場に向かいます。そういう事だからレックス君も一緒に来てね。あと戦場に着いたらあたし達の傍から離れないようにしててね」

「うん」

 緊急の用件であった議題は東軍への助太刀となり、それに対応する人員も決まり四人は部屋を後にする。そうして今出来る事を終えて静かになった部屋で章仁は一息つく。

「さて……今の所私が出来るのはここまでですかね。後は――彼が上手くやってくれくれるまで待機ですかね」

 その独り言は誰かに対しての願望なのか――返事をする者のいない部屋で静かに響いた。




 章仁の指示により拠点を飛び出した一行は、これから行く戦場のことで少し迷走していた。

「ねぇ雪華、くだんの戦場ってどこら辺? 距離があったら大変そうだけど」

「え~と……ここから北東およそ二十kmってところですねぇ」

「……結構距離があるのね。その先場が今どうなっているのか気になるけど問題は――」

 と、海織は遠くの戦場に目を向けそして――ため息をつく。

「どうやってそこまで行くかだけど……」

 海織は右を向く――その先にはサングラス越しに自分を見る樹がいた。

 同様に海織は左を向く――その先には期待するような眼でこちらを見る雪華がいた。

 最後に下を見る――状況が分かっていないレックスが海織を見あげていた。

「ですよねー……知ってましたよあたし以外出来そうにないって」

 そう、ここには海織以外に戦場へと素早く移動できる者はいないのである。

「そういう事なんでお願いしゃっす、姐さん!」

 こんな所でまごついてなどいられないのは海織も同じなので、帯留めから扇子を一本取り出す。

「分かりましたよ。じゃあ、超特急で行くつもりなので振り落とされないようにして下さいね」

 海織が扇子を一振り扇ぐと湖の中から水の龍が現れる。そして海織は龍の頭の部分に跨り、樹はレックスが振り落とされたりしないようしっかりと掴みながら海織の後ろにドカッと座り込む。雪華はと言うとなぜか海織に背後から抱きつくようにして乗り込んでいた。

「……ねぇ雪華。あたしに掴まるのは百歩譲っていいとして、なーんであたしの胸にあなたの手がかかっているのよ」

「この微妙なふくよかさが~、わたしの手にジャストフィットしていていいからですよぉ」

 今が緊急事態でなければ海織はすぐさま雪華に折檻していただろう。別に雪華の胸が自分の胸よりも大きくて形が良いから腹いせに――という考えなど微塵もない。ないったらない。

「しょうがない、しっかりと掴まっててよ。全部終わったたら折檻だけど」

「はぁ~い!」

 雪華は元気よく返事をするが折檻などこの幽霊少女には意味の無い事は海織もよく分かっている。なにせ本人が触れようと思わなければ実体を持たない雪華は折檻を行おうとしてもすり抜けてしまうからだ。そしてそれを知っているからこそ雪華は臆すことなくセクハラを働けていた。

「皆、準備は出来たわね」

「こっちは問題ないですぜ、姐さん」

「わたしもしっかり掴まってるから大丈夫ですよぉ。この手は死んでも離さないのでぇ~」

 どうやら皆問題ないようだ。あと、雪華に対しどこまでツッコミを入れていいのか理解に苦しむ。物理的にも精神的にも。

 そんなこんながありつつも水の龍は両軍がぶつかる戦場まで高速で飛行していった。

「しっかし姐さん、俺達こんなにのんびりしてて良いんですかね」

「良いも何も……おじ様の考えをあたしに聞かれても」

「まぁ、組長さんの考えはたまに突飛でわたし達にも理解しかねる時がありますからねぇ」

 そもそも、章仁にはこの面子を戦場に向かわせることはほぼ確定していた。なのにわざわざ引き延ばすような事を言ってきた事から、なんらかの意図は存在していたのだろう。

「それは帰ってから聞いてみるしかないわ。今はとにかく目の前のことを何とかしないと」

 章仁の真意を議論するも答えは出ないまま目的地に近づいていく。そうして目視できる距離にまで迫って来た時、徐々にだが戦場の様相が明らかになってくる。

 そこは崩れて低くなった高層ビルと原形を留めている低層住宅が立ち並んだ奇妙な地形であった。

「……こりゃまたけったいな事になってんのな」

 樹が戦場を空から見下ろすとそこに広がる光景は樹の予想とはだいぶ違っていた。

 そこにいたのは武器を持って散開しつつ徐々にその輪を狭めている者達およそ三十人、それに対し五人程が逃げ隠れしつつ抵抗しているところだった。

「なんてーか……俺達が来る必要は無かったんじゃないか」

 東軍が奇襲されたとは聞いていたものの実際には片方の軍が不利そうではあるが、それでも局所的に見れば拮抗しているところもある。

「でもぉ、なんか妙じゃないですかねぇ?」

「どういうこと雪華」

「だって……東軍が奇襲されてわたし達がここに来るまでそれなりに時間が経っていますよねぇ?」

 雪華の言う通り最初に東軍が奇襲されたと発覚してから今まででおよそ五十分が経過している。

「そうね……」

「でも、それだけの時間があればもう少し被害が出ていてもおかしくないんじゃないですかぁ?」

 そして現在、時間の経過により戦力が拮抗しているように見えるものの、目立った怪我人も戦闘不能者も見当たらない。

(確かに雪華の言う通り被害が少ない気もするが、五人程度での奇襲で十人近く始末出来たなら御の字もいいところ……後は適当に特攻でもして相打ちに持ち込めばさらに戦力差を広げられるのになぜ逃げ回る……?)

「どしたのいつき君、柄にもなく考えるフリして」

「オマエは俺を何だと思ってんだよ……ただ気になる事があって考えてただけだ」

「気になる事……? 姉御がおっぱい小さいのを気にしてることかなぁ?」

「違っげぇよ! 姐さんがそこを気にしてんのは前から知ってるよ!」

「なんであたしが槍玉に挙げられなきゃならないのよ! 樹さんも雪華のアホな妄言に付き合わない!」

 樹が考え事をしていただけで全く関係の無い海織に飛び火し、あろうことか本人が一番気にしている事を男二人の前でカミングアウトさせられるという恥辱を味わされていた。

「はい、すんませんでした……じゃなくて! おい雪華、話を勝手に逸らすんじゃねぇ!」

「ごめんねぇ~姉御の胸を触ってたらつい感想がポロっと……それで、何を考えてのかなぁ?」

 自らが行っている所業をよそに樹へと本題の事を聞く。

「あぁ。どうにも妙じゃないか、あの逃げ回っている連中」

「う~ん……妙と言われるとそうかもだけどぉ~、でも逃げ回るくらいは普通じゃない? 誰だって命は惜しいだろうし」

「そうね、別に不自然ではないわね。でも、樹さんはどうしてそこが気になったんです?」

「いや、な……別に逃げ回ってる事が妙という訳でなく、大した抵抗を見せないのが妙だと思ってな」

 樹の指摘する通り、スパイだと思われる五人は逃げているだけであまり反撃もせず、かといって撤退する素振りも見せない。

(いや、待てよ……? やることやって逃げるんならなんでアイツらは未だここにいるんだ? もしや前提が間違って――)

 ブツブツと呟きながら考えを整理していく。あまりの不気味さに海織も雪華も話しかけづらいようで、どう声をかけたら良いのか戸惑っていた。そして不意に樹はガバッと顔を上げる。

「マズいっ! このままだと手遅れに……。雪華! 小僧を頼む!」

「えっ⁉ ちょっといつき君、いきなりどうしたの⁉」

 何かに気付いた樹はレックスを雪華へと預けるや否や水の龍から飛び降りていった。

「あんなに血相変えるなんて何かあるんだ……よし、あたし達も後を追うわよ雪華!」

「姉御も紐無しバンジーするんですかぁ? わたしはやるつもりは無いのでご自由にどうぞ~」

「飛・ぶ・わ・け・がないでしょ! あなたや樹さんと違ってあたしはか弱い普通の女の子なの! こんな……こんな高い所から落っこったら死んじゃうじゃない!」

「あのですねぇ姉御……わたしも女の子ですし、なんならか弱い通り越して貧弱ですよ? まぁ普通かどうかはおいておきますけど~」

「むうぅ……まぁいいわ、こんなくだらない事で時間を使っている暇なんて無いし。とにかく樹さんを追いかけるから二人ともしっかりあたしに掴まってて」

「言われなくてもちゃ~んとこの両手は離さないですから~」

「うん……」

 終始海織の胸から手を離さなかった雪華と、いつの間にか海織の腰に抱き着いていたレックスを伴って、水の龍は樹の後を追いかけて行った。




「さてと、上から見た時だと確かここら辺に居たはずだが……」

 地上に降り立った樹はまず辺りを見回した。ここは戦場のど真ん中であり周りを警戒するのは当然だがそれだけではない。誰よりも先にあの集団に合わなくてはならないからだ。

「おや・おや・おや……いきなり空から何かが落ちてきたかと思ったらアナタはもしかしなくとも南軍の狂犬さんでございましょうか」

 辺りを警戒しつつ目的の集団を探していた樹の背後から一切の気配も無く一人の男性が話しかけてきた。それはやたらとウザったい――というより耳障りで怪しげな声で、すぐさま臨戦体制へと移る。

「まぁ・まぁ・まぁお待ちくださいな。まずはその拳を引っ込めて話し合いましょう」

「――ナニもんだアンタは、っていうか狂犬って呼ばれてんのかよ俺は」

「おほほほ、これはこれはお初にお目にかかります。ワタクシ薬袋傷馬みない・しょうまと申します。ここでは東軍の副司令官というケチな立場をいただいたケチな道化師でござい」

 胡散臭い――道化師然としたような赤と緑を基調としたどぎつい単色を散りばめた服もそうだが、少し話しただけでもその強烈なキャラはとてもではないが一度目にすれば忘れる事など出来ないシロモノであった。

「いきなり出てきてなに? コイツむかつく」

 傷馬の背後からブレザーの学生服を着た少女が物騒な事を言いながら顔を覗かせて来た。

「ダメですよ梨鈴りりんさん。この人はワタクシ達の今の状況を見かねて来たのですから、そんな事を言ってはいけません」

 傷馬が梨鈴という名の少女を諫める。敵意むき出しの少女がその敵意を引っ込めた事により、樹もまた己の拳を引っ込めた。

「あーなんだ……邪魔じゃ無いなら本題に入っていいか?」

「えぇ・えぇ・えぇ構いまいませんとも。ワタクシ達を襲った西軍の方達の事ですよね?」

「……だろうなとは思ったがやっぱりそうか。確認だがアイツらはどこから来たんだ?」

 早く救援に――と行きたい所だがその前に確認を取る。目の前の軍勢は東軍と敵対している西軍なのは恐らく事実であろうが、重要なのはその出所――加えて言えば薬袋傷馬という男の証言が信頼に値するかどうかを見極めようとしていた。

「彼らは西軍の間者でしょうね。いつ入り込んだかについては分かりませんが、ここに連れてこられてから新たに入り込んだ方はいらっしゃらないので最初から西軍の間者だったのでしょうね」

「そうか……貴重な情報だと受け取っておく」

 ひとまずの所、傷馬の発言には気になる個所はあるがそれを除いた部分はおおよそ納得した。

「そうですか、それは良かった」

「…………」

「どうかなさいましたか?」

 だがそれでも、気になった事柄を放置して事は樹には出来ず考え込んでいたのだが、傷馬にそれを察せられてしまう。

「どうも府に落ちねぇな。お前等が東軍の連中なのはいい、だが向こうでうろついているアイツ等の存在が気にくわない。いや、三十人もスパイやら裏切りやらが実際に牙を剥くまで本当に気付かなかったのか?」

 三十人もの裏切り者――突拍子もない事を言った樹だが、その瞳は確信を持っていた。

「あぁ、その事ですか。間者についてはおそらく最初から潜り込んでいたようですが、それに気づいたのが先程。それ以外の方についてはワタクシの予想なのですが、西軍の間者と総長が繋がっていたが故に起きた造反だと思うのですよ」

 あっさりと内部に三十人もの造反者がいた事を傷馬は認めた。

「――って―事は西軍のトップが内部を西軍に染め上げて、オマエ達は余りものみたいな扱いか」

「ほっ・ほっ・ほっ、これは手厳しい。ですがそういう事ですかね。これで気は晴れましたかね?」

「そうだな……すっきりとはいかんがまぁ良いだろう」

「あっ、いた! お~い樹さーん」

 粗方の状況を確認し終えた頃、樹の後を追っていた海織達がようやく樹に追いついた。

「姐さん! ここに来る途中何かされませんでしたかい」

「あぁ、うん。雪華以外から何もされてないから心配ないですよ」

「そうですか、良かった……。早速ですが現状を報告しやす」

 海織が到着したことにより樹は傷馬から得た情報を簡潔に三人へ伝える。全て聞き終えると海織は南軍の副長として樹に指示を出す。

「大体の事情は分かりました。確認しますが、あなたを含めたこの五人に敵と通じている方はいないと断言できますか」

「ほほほっ、それなら心配ご無用。この場におられるのは全員東軍の方達ですよ。ここの副司令官として断言致します」

 傷馬の一挙手一投足と言動には胡散臭さは感じるものの、これでも副司令官としての信頼はあるのか他の者たちも否定はしていなかった。

「――だって言ってるけど……どう思う、樹さん」

「そうっすね……まぁ取り敢えず注意しておくには越したことはない、ぐらいが丁度いいんじゃないかと」

「分かったわ」

「わたしも気をつけとくよぉ」

 海織と雪華が了承する。

「おい小僧、お前はどうなんだ。分かったなら返事ぐらいしたらどうだ」

 文字通りの上からの目線でレックスにも返事を求める。だが、やはり樹との相性が悪いのかレックスはまごつく。

「……子供にも容赦がないねぇ。いつき君は」

「で? どうなんだ小僧、返事は!」

「わ、わかった……」

 傍からだと子供を脅しているように見える光景だが、樹からしたらレックスには死んで欲しくは無いので、口が悪いのは自覚しながらも確認はしておかなくてはならなかった。

「ほほほ。話し合いは終わりましたかな?」

 南軍側の話し合いが終わったタイミングで傷馬が話しかけてきた。

「おかげさまでな」

「では、反撃開始といきましょうか。あちらの戦力は三十人ほどですが……こちらはあなた方を含めて十人に満たない数。あちらは余裕でもあるのかこちらをいたぶるように攻めてきております」

 傷馬は追い詰められつつある現状にも冷静に戦況を分析している。そしてこの戦争、参加させられている人数こそ少ないものの参加者は樹を始めとして、常識の埒外にあるような能力を持つ人間も少なからず存在する。だからこそ数で有利な相手側は余裕でいられ、数的に不利であっても行動如何でどうとでもなるということだ。

「なら俺と小僧で切り込んでいく。出来るか、小僧」

「た、多分……」

 攻め込むにあたって樹は一つ心配事があった。レックスを近くに置いて戦う事はなんてこともないのだが、最低でも本人が自分の身を守ってくれないとその負担が樹に集まって来てしまう。だが、その樹の心配事もすぐに消えてなくなる事となる。

 レックスがケープの中に手を入れる。そしてゆっくりと引き抜くとそこには中ほどまで折れて、且つ刃こぼれの激しい剣が一振り握られていた。

「…………コイツはまた……コメントしづらいものが出て来たな……」

 どう見てもそこには収まりそうにないものが出て来たこともそうだが、武器というにはあまりにもお粗末な剣を握っていた事だった。

「あ~……えっと……大分使い込まれているんだな、ソレ」

「これ、死んじゃったお父様が最後まで持っていたから……」

(((おっも~~~!!!)))

 まともな武器がそれしかないとはいえ、父親の形見を使わせるのは流石に気が引ける。それよりもこの少年から発せられる痛々しい言葉の方が気が引け、結果これから戦おうという気勢が削がれていく。

「そ、そうか……まぁ、何も持たないよりは……マシ、だよな」

 もはやフォローですらおぼつかなくなる樹である。

「じ、じゃああたしは雪華と一緒に行動してきますから、その……頑張って」

 自分ではいいフォローのタネが見つけられない海織は、雪華を連れて遊撃へと向かって行った。

「……俺達も行くか」

 拭いきれない不安を持ちながら樹はレックスを連れ、海織たちとは異なる方向の戦場へと赴き、その背中を傷馬は見送くるや否やすぐさま自軍の兵達に指示を飛ばす。

「南軍の方々は二方向に分かれましたか……ではあなた方は退路の確保をお願いします」

「えっ、なんだって⁉ 正気か薬袋さん、あの人達はおれ達を助けるためにここに来たんだろ。それを裏切るのか!」

 軍の№2たる男が、将来敵になるかもしれないというのに救援に来た者達を置いて逃げるような指示をしたことに、他のメンバーは憤慨する。

「まぁ・まぁ・まぁ……あなた方が怒るのも分かりますがこれは戦争です、甘い事なんて言ってられないのですよ」

「それは……そうだけど」

「心配しなくてもいいですよ、どうせこちらの言う事なんて碌に聞かない方がいらっしゃいますし」

 傷馬が目を向けるとそこには既に敵のど真ん中へと走り込む梨鈴の姿があり、誰がどう見ても止まってくれる気配も指示に従う素振りもなかった。

「また、アイツか……」

「ワタクシが何を言った所で梨鈴さんは素直に従う方ではありませんからね。だからこそワタクシはあなた方にここを死守して退路を作ってもらおうと考えたのです」

「まさか――」

 兵士の一人が何かに気付く。それに呼応するように傷馬が動き出す。

「えぇ。ワタクシが梨鈴さんを追いかけるついでに裏切り者達を倒してきます。そうすれば南軍の方々を裏切ることもありませんしね」

「分かったよ薬袋さん。ならおれ達はここで皆の脱出経路を死守しておくぜ」

 多勢に無勢、いくら自分達が行った所で多数相手には足手纏いにしかならない。仲間意識を無暗に発揮するより有用なことがある事を分からせる為、敢えて傷馬は仲間達を煽り問題を提起させた後で効果的な解決法を提示することにより、より強固な指示となっていた。

「では梨鈴さんと残りの方を救助したら戻ってきます」

 そう言い残して傷馬は梨鈴の後を追いかけ、すぐに合流したのであった。

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