第2話

 豪華な内装の通路を海織に手を引かれて進むと、左右の壁に扉のある行き止まりに辿り着いた。

「ここは……?」

「ここはあたしの部屋だよ。今日のところはレックス君はココで寝ててね」

 章仁あきひとの部屋から長い廊下をまっすぐに歩いた突き当り――そこに海織みおりの部屋はあった。

「好きなとこに座ってて。あたしはお菓子の用意をしておくから」

 そう言われてレックスは床に置いてある座布団に腰を下ろした。

「さて、いろいろ気になる事とか知りたい事もあると思うけどまずはこの世界のルールを知っておかないと」

「……???」

 この世界のルールなど知らないレックスは当然のように頭にハテナマークを浮かべる。

「まぁピンとこないよね実際。でも非常に大切な事だからしっかりと聞いていてね」

「う、うん」

「まずこの世界の事なんだけど、あたし達はユールレシアって男にここに集められたの」

 まず海織は自分達がこの世界に来るまでの顛末から話し始めた。

「ここに来る前あたしは家督を継ぐための稽古をしていてね、その稽古の途中目の前にいきなり穴が開いたと思ったらすぐに引きずり込まれて気が付いたらこの世界に来てしまっていたの」

「ぼくと……似ている?」

「まぁここにいるんだもの経緯は殆ど同じだよね。それでこの世界に来てから知らされたのは絶望だった」

 その時起こった事、言われた事を海織は正確にレックスに伝え始める。



 それは三ヶ月ほど前に遡る――

「う、う~ん……いったい何が起こって――ってどこよ此処ここ⁉」

 得体の知れぬ穴に引きずり込まれた海織が最初に目にしたのは霧が立ち込め大地がぬかるんだ湿地のような場所だった。

「あたしさっきまで庭にいたはずよね。いつの間にこんな所に来たの……?」

 海織はここに自分がいることになるまでの経緯を思い出し始める。

「確かさっきまで稽古をしていてあの時は休憩中だったっけ。それでその後……あっそうだ、いきなり変な穴が目の前に開いてそれから……」

 ここに来るまでの事を全て思い出すと途端に不安が襲い掛かってくるが無理もないだろう。何せ海織はまだ一五歳、世間的には中学生でありこんな得体の知れない所に一人で投げ出されては無力と言わざるを得ない。

「やめやめ変な事を考えるのは。それより今はどう行動するかだけど……あれ? あそこにいるのって人……かな」

 考える事を早々に放棄し、当てもなく湿地を歩いていると海織は人の集団に出くわした。あそこにいる人達ならばここがどういう所か分かるかもと思い声をかけようとする、だが声をかける前に海織はなにか得体の知れない感覚が襲ってくることに気付いた。

「……⁉ なんだろうこの感じ、なんか……イヤな気配がする」

 そう思ったのも束の間、突然謎の声が辺りに響き渡る。

『ようこそ蠱毒こどくの世界へ。我が名はユールレシア、諸君らをこの地へといざなった張本人だ。今から諸君らには生き残りをかけた戦争をしてもらう』

 このなんだか分からない所で海織は――いや、このどこかも分からない地に居る者達は唐突に戦争をすることを余儀なくされた。

「……一体なんなのよこれ。訳が分からない、夢でも見ているの?」

 訳も分からないまま戦争をしろと言われれば誰であろうと取り乱すだろう。海織もまたそのうちの一人ではあったが、姿が見えず声だけを無機質に飛ばしてくる謎の存在がまたも語り始める。

『この戦争では東西南北の四つの軍勢に分かれて戦争をしてもらい、自軍以外の軍勢を全て殺した軍勢はこの地からの脱出が許可される』

「戦争ってなによ……殺し合いってなによ……いきなり連れてこられてそんな事をなんでしなきゃいけないのよ……」

 当然とでもいうのだろうか、周りにいる人達は自らの置かれた状況に理解が出来ていない――否、理解したくなどないのだろう。事実この異質な状況に狂乱するものが数名だが見受けられた。この状況で行動できた上でこのイカれた現実と決別できるのならば今すぐにだって死を選ぶ者もいたであろう。

 だがそんな行動など望まれていないのか、謎の存在は死という名の希望ですら摘み取りにかかる。

『今諸君らの周りにいるのが共に共闘しあう仲間たちだ。そして諸君らは愚かな行動は犯さないであろうが、ここでは自殺行為及び自分の属する軍内での殺し合いは一切不可能となっている』

「――どうあっても殺し合いをしてもらいたいみたいね」

『この世界のルールは理解できたかな諸君。では最後の生き残りが現れるのを楽しみにしているよ』

 言うだけの事を言って謎の存在であった主催者――ユールレシアの声はそれきり聞こえなくなった。

「あーもうっ! 意味わかんない、大体なんなのよ! 他人を殺していかないとこの世界から出る事が出来ないだなんて」

 一通りのルールを聞いてはいたが、あまりの理不尽に海織はまだ気持ちの整理がついていなかった。

「ああまったくですね。こんなのとてもではないが容認など出来はしない」

 ――と、一人愚痴を零していた海織の下に見知らぬ男が反応を返していた。

「あの……どちら様ですか?」

「私は蘇芳すおう章仁。君と同じく無理やりここに連れてこられた一人ですよ。それでお嬢さんの名前は」

「あたしは水劉寺すいりゅうじ――じゃなかった、海原かいばら海織です」

 杖を片手についた40歳程の男で、その人を見た時の印象は戦争という場には似つかわしくない物腰の柔らかそうな人だと海織は感じた。

「一体……これからどうしたらいいんでしょうねあたし達」

 まったくの初対面である人物に思わず自分の不安を漏らす。それほどまでにこの先行きの見えない事態が海織の心を蝕んでいた。

「私の体の事もあるが、取り敢えず何をするにしても落ち着ける場所の一つは欲しい所だ。他の方々の意見も聞いておきたいですね」

「確かにそうですね」

 取り敢えずの指針が決まり、そのことを他の皆にも共有しようとした時、大声が辺りに響き渡った。

「おい、そこのオッサンと嬢ちゃん! 二人してなにこそこそしてやがる」

「うわっ……なんか面倒そうなのに絡まれた⁉」

「気持ちは分かるがまずは自己紹介をした方がよいだろう。私は蘇芳章仁、彼女は海原海織という。君が何を言いたいのは分からないがまずは名前を教えてはくれんかね」

「はっ、いいぜ。しっかりと聞いてなよここの頭を張る俺の名を!」

「テンプレの塊みたいなガラの悪さね」

 その者の格好は金縁のサングラスに長い襟足、胸元どころか腹筋まで見えるほど前が開いた白いジャケットに白いジーンズといった格好で、ツッコむ気は無かったが結局ツッコんでしまっていた。

「ん? なんだよその眼は……俺のファッションになんか文句でもあんのか」

「いーえ全然。それで結局あなたは一体誰よ」

「おっといけねぇ! 俺の名は葉神はがみいつき、てめらぇみたいな奴なら軽くひねる事が出来るほどの強者よ」

 聞いてもいない事を喋り出す。こういう手合いに今関わっている暇はないと海織は判断するとさっさと先へ行ってしまう。

「ちょっと待てや! 嬢ちゃん大人を舐めたらいかんぜ。自分よりも目上の人間には敬意を払わんといけないだろ」

「目上って……確かに歳はあたしよりも上かもしれないけどそれだけじゃない。それより今は誰が上に立つかではなくこの場をどう切り抜けるかを考える方が得策でしょ?」

「彼女の言う通りだ。今は我々で争っている暇はない、戦争の話が本当であればとにかく身を隠せるような場所に行かなくてはならないだろう。他の皆もそうは思わないかい?」

 必要以上に絡んでくる樹を牽制するため章仁は未だ状況を掴み切れていない者達に呼びかける。そうすることで自分の意見を通しやすくなると考えたのだろう。

 すると、すぐに効果が出て来たのかちらほらと章仁の考えに賛同する者が現れ始めた。

「確かにそうだな。さっきの奴の事をどうこう考えるのはここでなくてもいいもんな」

「だったらあのおじさんについて行った方が今はよさそう」

 明らかに樹が不利になる状況が生まれたため、樹もそれ以上何も事を起こせなくなる。そうして樹が事を起こせなくなると、章仁たちは樹を無視して先へと進む事となった

「ありがとうみんな。ではこっちだ、おかしなのに見つからない様に急ごう」

 先を行くために一歩足を踏み出すと章仁はぬかるみに足を取られ転びそうになる。

「危ない蘇芳さん!」

 間一髪で海織が章仁の体を支えるとまた転ばれては危ないと思い海織は章仁の腕を肩に回した。

「大丈夫ですか蘇芳さん? 怪我とかはしてないですか」

「ああ大丈夫だ、あなたのおかげでケガもないみたいです」

「良かった……じゃあ行きましょうか」

 そして海織は章仁に肩を貸しながらゆっくりと霧の中を進んで行きやがて大量の水がある場所へとたどり着いた。

「ここは……湖みたいだね」

「そうみたいですね。ここならしばらくは飲み水の心配とかはなさそう」

 ひとまずの飲み水を確保し安堵あんどしていたのも束の間、二人について来た者の中ら予想だにしなかった言葉が飛び出す。

「ちょっと待った。なぁ……あの湖の真ん中に建物が見えないか?」

「そうなのですか? 私には何も見えないが、海原さんはなにか見えますか?」

「えーっと……霧が濃くてあたしにも見えないですね。疑うつもりは無いのですが、その建物というのはどれくらいの大きさなのでしょう」

「そうさな……平屋の旅館ぐらいの規模はありそうに見えるな」

「……それはだいぶ大きいですね。それだけの規模があればここにいる皆を収容するのに困らないでしょうね」

 ひとまず腰を落ち着けそうな場所は見つかりそこを目的地とするが、困った事に湖が一行を阻む要因となってしまっていた。

「それで親父さん。あそこに行くことはもう決まったみたいだがどうやってあそこに行く? 目測だと一㎞はあるぞ、まさか泳いで行くわけでもないだろ」

「それは……確かに遠いですね。船を造ろうにも時間が惜しいですし、なにか良い案は無いものか」

 章仁が顎に手を当てて考えているとその状況を見ていたうちの一人がおずおずと手を上げた。

「あのぉ~……ちょっとよろしいですかぁ~?」

 そこで手を上げていたのはふわふわとした印象の年端のいかない――海織と同年代くらいの――少女だった。

「何かいい案でも……って、ひゃあっ⁉」

 章仁の隣にいた海織だが章仁よりも先に振り向くとそこには和ゴスの格好をした童顔の可愛らしい少女がいた。そこまでは良かったのだがその少女は心なしか透けており、足も――比喩でもなんでもなくふわふわと浮いており地に足がついていなかった。

「ま……ままままさか!? お、お化けぇ~⁉」

「確かにそうですけどぉ、そこまで怖がられると傷つきますぅ」

 お化け――というより幽霊という方が正しいのだろうが、それに気付いた瞬間海織は発狂し、どこからともなくお札のようなものを取り出した。

「あくりょうたいさ~ん……あくりょうたいさ~ん……」

「あの、えっと……わたしは確かに幽霊に間違いはないんですけどぉ、悪霊では断じてないですぅ」

「え! そうだったんですか、あたしてっきり――」

 非常識とも思える存在が現れた事に驚いたというより、悪霊が現れたと思った事に驚いたようで、ただの幽霊だと分かると途端に落ち着きを取り戻した。

「まぁ彼女も悪気があって脅かしたわけでは無いでしょう。それより何かよい案でも?」

「はい~。とにかくここを渡れればいいのであれば自分が何とか出来るかもと思ってぇ~」

 そう言って少女は手ごろなところにあったやせ細った木に近づき手を触れる、するとその木はまるで意思を持ったかのように動き出し、先端がスルスルと湖に入り込みつつ伸びていった。

「木が動いたっ⁉ で、でも橋とかにするなら全然足らないんじゃあ……」

 海織が不安に駆られるがその少女はまだまだこれからという顔をしていた。

「確かぁ~一㎞でしたっけ~、あそこまでの距離は。それならこの子を成長させて船にしてしまえば良いのですぅ」

 そしてその木はどんどんと成長していき立派な大木へと変貌すると、まるで湖の上に巨大な丸太が浮かんでいるような姿となる。

「どうですかこの大きさ。これなら船としては十分ではないでしょうか」

「船にするには問題ない大きさに見えるけど……でもこれだと単なる丸太が浮かんでるだけよね」

 海織の指摘通りこれではただの大きい丸太が浮いているだけで、船としての機能にはまだほど遠かった。

「なんだいなんだい、お困りみてぇじゃないか。それなら俺っちが造ってやるぜ、船をよぉ」

 海織と章仁の下へ続々と人が集まり始めてくると、その中から今度は船が造れると言った人が名乗りを上げた。

「そうですか、ではお願いいたしましょうか。ふむ……どうやらここにいる人達はなんらかの技能が高い者が多そうですね」

 集まった者達を見渡しながらそう呟く。ここに集った者達は身体つきを見るに戦闘に適しているとは思えない者達ばかり、だが先の船を造れると言った男を筆頭に体の僅かな動きから戦闘以外の能力が特化している者が多いと章仁は気付く。

「どうかしましたか蘇芳さん? なにか考え込んでいるように見えますけど」

「ああいや……何でもないですよ。それよりももう少しで船が出来るのではないですか」

「あ、本当だ……というか早すぎない⁉ まぁいいや、取り敢えず行ってみましょうか」

 章仁の言う通り見てみると、三十分かからずに船が完成しておりまずは件の船大工が乗り込む。そしてその出来を確かめOKが出た後二人はそれに乗り込み、後から来た者たちも全員が乗り込んだ。だがそこで海織はある事に気付く、船を動かす動力がないという事に。

「そういえばこの船、どうやってあそこまで動かすんでしょうか?」

「おっといけねぇ! 俺っちとしたことがオールを作るのを忘れてたぜ。待ってな、今速攻で作っちゃるぜ!」

「オール……ですか。確かにそれがあれば向こうに渡れそうですが、四十人程が船に乗った状態では息を合わせながら漕いでいくのは難しいのでは?」

 章仁の言葉通り四十人が息を合わせて舟を漕ぐなど確かに難しいだろう。だが進む以前の問題が山積みなので解決できそうな問題から先に片付けるつもりなのかもしれないが。

「あの……あたしが何とか出来るかと……思います」

 安全に行くためにはどうすればよいだろうかと章仁が思案しているところに海織がおずおずと手を挙げていた。

「出来るんですか海原さん。というよりなぜ先程私に対してどうやって船を動かせるのか振って来たのですか?」

「いや……あの……これぐらいの船を動かすのは出来ないことは無いんですが、そのちょっと燃費がよろしくなくて」

「でも出来るのですよね」

「そうですけど……実の所、あたし以外に低燃費で船を動かせる人でもいればその人に任そうかとも思ったんですが、この状況だとあたしがやるしかないのかな……と」

 まるで言い訳でもしているかのように早口でまくし立てる。そのあまりの剣幕に章仁もあまり責めるような言い方は出来なかった。

「そ、そうでしたか。では、お願いしてもよろしいのでしょうか?」

「任せて下さい。決して乗り気ではないですし向こう岸まで行ける自信は無いですが何とかやってみます」

 本当に大丈夫なのだろうかという不安を周囲の人々に与えながらも海織は帯留めから扇子を二本取り出した。

「それじゃあいくよ――水恋すいれん!!」

 海織が水恋という銘の扇子を取り出したそれは、うっすらと水気を帯びていた。

「よっと!」

 そうして海織は船の後方に立つ。それから扇子を広げて両手に持ち、腕を水面に向けつつ広げて構える。そしてその構えから勢いよく両腕を船の進行方向へ振り抜く。

水龍波すいりゅうは!」

 湖から扇子へ水が伝う。そしてその水は扇子を介して龍の形を創りだし、それは船を包み込んでそのまま船を動かす動力源となる。

「これは……だいぶ規模が凄いですね。海原さんは水芸が達者だったんですね」

「あの、蘇芳さん……これ水芸と違います。あたしのこれは一族秘伝の、本来は門外不出の技です」

「ふむ……もしかして言い訳みたいな誤魔化し方をしていたのは――」

「そうです、他人にはあまり見せたくないものでしたので、つい……」

 そのげんで章仁は得心がいった、海織は誤魔化し方が雑だと。

「まぁ誤魔化した理由は分かりました。それでその水芸について語った事はどれほどまでが真実なのでしょう?」

「あのだからこれは水芸じゃ……イヤいいです、多分訂正しても意味なさそうだし」

 訂正はするだけ無駄だろうと割り切り海織は諦めた。だがそれでも章仁が聞きたがった所くらいはハッキリとさせようとする。

「燃費が良くないって言ったところ以外は全部本当です。でも、なんでそんな事を聞きたがるのですか」

「それは決まっているじゃないですか。これからここにいる皆と共に戦争をすることになるのであれば一人でも仲間の事は知っておいた方が良い、ただそれだけです」

「戦争……か……」

 海織が呟く。今はまだ戦いなんてものは起こっていないからこの状況も心のどこかではほんの少しだけ楽しいとも思っているが、今後はそうもいかないだろう。なにせ自分達はユールレシアと名乗った者から無理やりこんな所に連れてこられているのだ、その事実がある限り戦争というのがいつかは来るだろう。

「不安……ですよね」

「そうですね。戦争なんて過去にあった出来事をまとめた本とか……それとかフィクションとかでしか見たことがないので現実感は無いですけど、いざそんな時が来るんだと思うと……」

 海織は自分の不安を吐露したがそれも当然だろう。海織はまだ十五歳、当然ながら戦争など経験が無い。そんな海織の心情を推し量ることは誰にも出来ないだろう。

「君がこの現状をどう思っているのか、それは私には分からないが誰にだって出来ることはある」

「それは……あたしも、ですか」

「ああ。現に君は今出来る事をやっているじゃないか」

 そう言われては悪い気はしない。だがそれでも不安というものは消えるわけでは無い。

「それとだが海原さん、今言っておかなければならないことがあるのだが」

「なんでしょう?」

「もう少しで船は建物があると思しき島に到着するのだが……いつ船は速度を落とすのだろうか」

「あっ!」

 章仁に言われて思い出すが時すでに遅し、四十人余りを乗せた船は速度を落とさないまま岸に乗り上げそのままガリガリと船底が地面を抉りながらようやく止まる事となる。

「うきゅ~~~……き、キモチわるいですぅ……」

「幽霊でも船酔いってするんだね……」

「あいたたた……そんな事を言っている暇があったら助けてほしかったですね」

 章仁が岸に乗り上げた衝撃でひっくり返って身動きが取れなくなっていた。

「ごめんなさい、すぐに助けますんで」

 海織は急いで手を差し出すと章仁を引っ張り上げる。章仁の無事が確認出来た後辺りを見渡す、どうやらおかしな体勢になっている者はいるようだがケガ人とかは特にいないようでその点についてはホッとしていた。

「やれやれ……ひどい目にあったが何とか着いたようだな」

「あれ、あたしまだ責められている感じですか?」

 責められていると感じたのはおそらくは海織の思い過ごしだろう。

「気にすることはないさ、それよりもせっかく着いたのだから島の中を確認しておかないと」

「確認と言ってもどう見てもここに建物なんか見当たらないですよね」

 そう、建物があると言われた島に上陸したのは良いのだが建物など何処にも見当たらなかったのだ。

「ふむ……そこの君ちょっといいかね」

「どうしたんですか親父さん? なんか凄く険しい顔してますが」

「どうしたと言われてもだな……どう見てもここには君が言う建物が見当たらないのだが」

 章仁がそういう反応をするのも当然だろうなにせこの島、そこら中に木が生えているだけで何もないのだ。だからそのことを建物がここに見えたと言った男に問い詰めたのだが、その男は耳を疑う事を言ってきた。

「何を言っているんだよ親父さん。ここにあるじゃないか立派な建物が」

「…………どこにだろうか?」

 今度はその男が驚く番だった。そしてその男は信じられないといったような顔で章仁を見る。

「おいおいマジで言ってんのか? ここにあるじゃないか、ほら」

 その男がバンバンと空中を叩く。傍から見ればなんてことのない光景だが、ある地点に手が来ると何か硬い物が当たる音が何もない空間から聞こえてきた。

「……信じられない話だが確かにそこに何かあるみたいだな」

 そのような光景を見せつけられれば誰であろうとも驚くだろう。だが、そんな状況の中ただ一人驚いていない男がいた。

「ほう……どうやらこの館、認識疎外の魔術をかけられているな」

「あ、あんたは確か……葉神樹! いつの間にか姿を消したかと思ったけど、どうしてここにいるのよ!」

 声のした所を見ると樹が建物の反対側から回り込む様に出て来ていた。

「あんたらが余りにものんびりなもんだから先に来ただけさ」

 海織たちを他所に樹が何も見えない空間を触りながら近づいて来る。

「それは……あなたがここにいる理由にはならないんじゃない?」

「どうでもいいじゃんそんな事は。それよりもお困りなんだろ? だったら俺がなんとかしてやってもいいんだぜ」

 嫌味そうな笑みを浮かべながら海織に迫ってくる。

「……本当にそんなことできるのかしら。疑わしいわね」

「おっ? 言ってくれるじゃねぇの。だけど残念だなー……嬢ちゃんが疑ってくるからやる気失せたわー」

 チラッチラッと海織を誘う様に見ながら何事かを伝えようとしてくる。

「……なに? 言いたいことがあるならハッキリ言ってくれない?」

「聞きたいか? 見たいのか? だったら俺と勝負しな!」

「えぇー……何言っちゃんてんのこの人。どうします章仁さん、相手してあげた方が良いんでしょうか?」

 予想より数段ウザく絡まれ若干イラっとするも、努めて冷静に章仁に相談をする。

「すいませんがお願いします。このままだと先に進みそうにありませんから」

「はぁ、仕方ない……相手してあげるわよ。それで勝負って何をやるつもり?」

 ウンザリとしながらも渋々と樹の勝負とやらに乗っかる。何をするのかは分からないがさっさと終わる事を海織は願った。

「なに……難しい事じゃない。俺と嬢ちゃんのどっちが強ぇかハッキリさせるだけさ」

「女の子にそんな物騒な提案しないでよ……勝負を受けるとは言ったけど」

「勝負を受けた以上拒否はさせんぜ」

「しないしない……それであたしはどうしたらいいワケ?」

「ルールはただ一つ――足の裏以外が地面に付いたら負けだ。そんで負けた奴は勝った奴に従うシンプルだろ?」

「あぁ、うん、そうだね……」

 樹の提案したルール、それを聞いて海織は内心では喜んだ。これならば大して痛い思いをする前に組み伏せてしまえばそれで済む。そして勝てばこのウザい絡みもなくせるだろう。

 そして何の合図も無しに二人が対峙し少しずつにじり寄る。そして、樹が先に動いた。

「っしゃぁ! 往生しなぁ!」

 樹が拳を振り上げ海織目掛けて飛びかかる。自分から提案しただけあってか拳にはいささかの迷いもなく、最短最速で勝負を決めにかかっていた。

「お互い考える事は同じみたいだね」

 樹が最短最速で来ることは彼がルールを提案した時から想像は付いていた。だから樹の攻撃にあわせて海織は迷うことなく水恋を抜き放ち、拳を水恋の骨で的確に防ぎきった。

「それで防いだつもりか?」

 このルールでお互い同じことを考える事など想定の範囲内――とでも言うかのように樹の行動もまた素早い。防がれた拳はそのまま扇子ごと海織の手を掴み、反対の手は海織の着物の襟にかかる。

「ヤバッ!?」

 気づいた時には海織の体は浮き上がり、既に地面が間近に迫っていた。

(ゴメンね水恋……ちょっと無理させちゃうかも)

 地面に叩きつけられそうだった海織は、樹に取られた手とは逆の手で水恋を力強く握り、眼前に迫っていた地面目掛けて水恋を突き立てた。

「なっ!? マジかよ!」

 水恋を支点にして海織はほんの一瞬地面への激突を回避する。そしてその勢いを殺さぬまま海織は腕を曲げながら体を捻り、そのまま強引に樹の拘束を切り離して地面への激突を逃れた。

 思いもよらぬ海織の行動に樹が驚嘆の声を上げる。だが樹はもう一度驚く、樹の手から逃れたばかりの海織はすぐさま接近してきて、扇が自分の側頭部を打ち抜こうとしている事に――

「セイやぁっ!」

 ――そして水恋は吸い込まれるようにして樹の側頭部に直撃し、そのまま彼はよろめきながら一歩後退した。

ゥ……チッ!」

 打たれたところを抑える素振りはしたものの、たいしたダメージは受けてはいないようで、すぐに次が来ると思った海織は攻撃に備えるのだが、肝心の樹はそれからちっとも動こうとはしなかった。

「ヤメだヤメだ。こんなのやっぱり俺には向いてねぇや」

「そっちから切り出してヤメだなんて何を言い出すのよ……」

 もはや言っていることが滅茶苦茶で呆れる以外の選択肢が無くなった。

 そして何を思ったのだろうか、樹がいきなり服を脱ぎだした。

「ちょっ!? 何いきなり乙女の前で脱いでるのよ、このヘンタイ」

「勘違いするな。俺には女との殴り合いというのは肌に合わなかっただけでちょっと攻め方を変えるだけだ」

 服を脱ぎ終え上半身裸になった樹は立派な筋肉を見せびらかす。そしてその脱ぎ散らかした服の中から一冊の手帳のような物を取り出し、そしてその中から一ページ分を破り取ると宙に放り投げてそれを殴りつけた。

「これで死んでも恨むなよ」

 殴られた紙から雷が迸る。目を開く事すらできない雷が大気を焦がし、閃光が海織を貫いた。

「なに――これ……息が……カハッ!」

 そしてその威力に海織は膝を落とし、水恋を支えにして何とか膝を突かないように堪える。

「はぁっはっはっはぁっ! どうだこの威力、身体の芯まで痺れただろう。なにせ俺の魔術は右に出るものなどいないのだからな」

「……高笑いしているとこ悪いけどあたしは無傷よ」

 海織がゆっくりと立ち上がる。その様子に樹は驚いた。

「おいおいマジかよ。今のは間違いなく直撃だっただろ? なんで無事なんだよ」

「呆れた……あなたここの主催者の話を聞いていなかったの?」

 主催者とはもちろんユールレシアの事なのだが、どうやら樹はあまりピンと来ていない事から海織の言う話というのが分からないようだ。

「この戦争とやらでは同士討ち――つまり同じ軍の仲間を手に掛けることは出来ないのよ。言い換えると死ぬような威力の攻撃をあたしに加えても意味が無いって事」

「…………マジですか」

「本当かどうかは自分の目で確かめたじゃないの、今」

 とどめを刺すように現実を突きつける。だが、それでも樹は諦めようとはしなかった。

「だったら! 死なないように加減をすればいいってことだな。なら第二ラウンドだ」

 有無を言わさず勝手に始め、またも手帳から一ページ分破り取って放り投げる。

「そこまでだ」

 いつの間にか二人の間に章仁が割り込むと放られた紙を握りつぶした。

「なにしやがんだオッサン。どっちが上か決めようって時に邪魔すんな!」

「どちらが上か……そんなもの、彼女を殺そうとする威力の攻撃をしてまで決める必要があるのか?」

 威圧の籠った言葉に思わず樹がたじろぐ。

「必要に決まってるだろ! 俺達は今戦場に立ってんだ、なら人を殺す覚悟のある奴、どんな状況でも冷静に敵を潰す指示の出来る奴――それが上に立つ奴に求められることだろ!」

 それを聞いて章仁はフムと頷く。

「確かに私たちが戦火に晒されるのであれば君の言う人材も必要になるかもしれない、だが今は存在するか分からない敵を気にするよりも安全を確保するのが先決ではないか?」

「ぐっ……確かにそれも一理あるかもしれんが、でもだな!」

 樹も章仁のいう事の重要性は理解していた。お互いの主張そのものは別に間違っているという訳ではないのでこのままいけば平行線となってしまう。そう考えた時に樹はある事を思いついた。

「だったらどっちの主張を通すか拳で決めようじゃねぇか」

 海織に向けたのと同じ拳を今度は章仁へと突き付けた。

「断ります」

 ――が、章仁はそんなものには一切応じぬと言わんばかりに拒否を突き付けた。

「ぁあ⁉ 逃げんのかよオッサン!」

「逃げるのではなく必要ないだけです。武力で勝ったところであなたの主張が正当化されるわけでもありませんので。それよりこの見えない建物を何とか出来るのならそっちの方を先に済ませるほうが票が稼げるのでは」

「うるせぇ! だったら力づくで――」

 樹が腕を振りかぶる。海織に対して振るった拳より遥かに鋭い一撃だった。だが――

「ふっ!」

 樹の拳は完全に捉えたと思っていた章仁の頭から大きく逸れ、逆にその拳は勢いそのままに腕を掴まれたまま投げられ気付けば地面と口づけをする形で組み伏せられていた。

「…………んぁ? なにが起こった……?」

「はい終了、地面に倒れたのであなたの負けです。あなたのルールに則るなら私のいう事を聞かないといけないのでは」

「…………あークソッ仕方ねぇ! ルールはルールだ何でも言いな」

「おや? 存外素直ですね。では、この見えない建物をなんとかしてもらいましょうか」

「……すごい」

 章仁の一連の行動を見て思わずそんな事を呟いていた。あの厄介そうな樹をあっさりと手玉に取って組み伏せた事もだが、割り込んできたにもかかわらず樹を説き伏せる事など章仁の立場に自分がなった所で到底自分には出来ないだろうと感じていた。

「さて、と。こういう場合はどうするんだったかな」

 早速とばかりに樹が起き上がって行動する。未だに服は着ていないがそれでも章仁の指示にはキッチリと従うあたり、少々おかしな所はあるものの基本的にはまともなのだろう。

「意外と真面目なのね、あなた……」

「ちょっと黙っててくれ、気が散るから」

 海織が茶々を入れる中、樹は何もない空間から一冊の分厚い本を取り出しペラペラとページを捲りだす。そのまま捲り続けたところ、目当てのページを見つけたのかそこで手が止まる。

「おっ、あったあった。そうだな……これならすぐに終わりそうだ」

 すると目当てのページの所に栞を挟み本を閉じる。そしてその閉じた本をそのまま見えない建物があると思しき個所に勢いよく叩きつけた。

「えっ? その本ってそんな使い方なの⁉」

 予想外な本の使い方に思わず海織がツッコみ、そのすぐ後には見えなかった建物が姿を現わした。

「さて、これでいいだろう」

「ありがとう葉神君」

 一方的に敵対心を向けられていた相手だが、自らが定めたルールに則った樹へ章仁は礼を言い、そして現れた建物を見て呟く。

「思った以上に立派な屋敷だな、これなら拠点として十分機能しそうだ」

「確かに……そうですね」

 姿を現わした建物に続々と人が入って行く。

「ちょっといいかい、お嬢ちゃん」

 それを眺めていたところ海織は不意に声をかけられた。

「あの……あたしになにか御用ですか」

 声をかけて来たのはさっき船を造ってくれた男だった。

「嬢ちゃんとあのやんちゃなあんちゃんって同じところの出身なのかい?」

「どうなんでしょう……でも水劉寺には魔術なんてモノは無いからなぁ……」

「ん……? よく分からんが同郷じゃないのかい?」

「ですね、多分違うと思います。でも、それがどうしたんですか?」

「いや、なに……アンタ等がファンタジーの世界の住人に見えてな。ただそれだけだ。変なこと聞いて悪かった、じゃあな!」

 奇妙な事だけ聞いてその男は建物の中へと消えていった。海織はモヤモヤだけを残されて立ち尽くしてしまった。

「言われてみると私も気になりますね」

「気になるって……何がでしょうか?」

「水劉寺とは一体何なのでしょうか? 初めて聞いた単語なので」

「え……? あっ! あのあのっ気にしないで下さい!」

「……? まぁ言いにくい事もあるでしょうから私は気にしませんよ」

「あ、ありがとうございます……」

「ところでアンタ等……盛り上がってるとこ悪いが俺の事をいつまで無視する気だ?」

「あ、まだいたんだ」

 一仕事終えたにも拘らずまだ上半身裸のまま海織の前に野生の本能を滾らせた樹が現れた。

「……いい加減服を着ろ」

「ふっ……」

 それが返事なのだろうか、樹はいそいそと服を着だす。

「そうそうお嬢ちゃん、なんか会話が噛み合わないと思っているんじゃないか?」

「確かになんか変かなとは思っているけどそれが何」

「お嬢ちゃんのその疑問、俺が心行くまで説明してやろう!」

「ふーん……それで? そんなあなたはどういった説明をしてくれるのかしら?」

「そいつはここでは言えないな。話はこの館の中でしよう」

「えー……」

 自分から話を切り出しておいてその話を引っ張る。その意味の分からなさに不満を覚えつつも海織は大人しく建物の中に入って話を聞くことにした。

「よぉーし、集まってるな全員」

 パッと見ただけで全員いるのが分かるのだろうかと言いそうになる海織だが、また話を引き延ばされても困るので黙っていた。

「また迷惑で騒がしい人が来たですぅ」

「はいそこの幽霊、静かにしろ!」

 樹が幽霊少女を指さし注意する。そしてその光景を見て海織は思う、ナチュラルに幽霊が存在する上、他の者達も何も言わないという事は全員この幽霊は認知しているみたいだと。

「では改めて。さて諸君、オマエ達に聞くが、今自分達がどういう境遇にあるか分かる奴はいるか」

 そこに居る者全員に聞こえるくらいの声で樹が問う。そしてその反応は樹の予想した通り沈黙であった。

「まぁ分からんだろうな。俺もここに連れてこられた時はなにがなんだか分からなかった」

 誰もがただ黙って樹の話を聞いていた。そして樹はこの場に居る者全員が冷静でいられなくなるであろう事実を語る。

「ここは……誰もが知らない所。分かりやすく言うのであれば異世界といったところか」

 樹が語った異世界という単語にここにいる誰もが動揺し、どよめきが生まれる。その反応が来ると分かっていた樹は、場が落ち着くのを待ってから現状説明を再開した。

「残念ながら事実だ。俺はこの館に着く前にここよりさらに向こうを調べたところ、世界の果てに辿り着いた」

 今まで以上の動揺が広がった。だがそれだけでなく、もうここから出らないという絶望に支配されたと言った方がしっくりくる。

「この湖を越えた更に向こうには五百mほどの高さの岩の壁があるんだが、その壁を登ったところに奇妙な材質で出来た硬質の壁がすぼむ様にして空まで続いていたんだ」

 自分達がいる世界というのはどこまでも脱出を阻むのか――そのような悲嘆の声が広がっていく。

「なるほど。それで葉神君、世界の果てとやらに辿り着いてどう思ったかな」

 だがその中でただ一人動揺をしなかった章仁は、冷静にこの世界の事を探ろうとする質問していた。

「そうだな……俺も異世界だなんてものは姉貴に聞いただけの知識しかないから断言できないが、ここは異常ってことだけは分かる」

 常人ではとてもではないがついていけない話に章仁は反応を返す。それを見ているうちに海織は一つ疑問が浮かんだ。

「あの、気になる事があるんだけど」

「どうした、何が気になる」

「ここがあたしのいた所と違うのは分かった、変な壁が空まで続いていることも分かった。でも、結局の所ここがどういう所なのかって意味あるの?」

「さぁな。まぁ訳の分からん塔も遠くにあったりもしたが、自分がどういう状況か知っておけば少なくとも落ち着く材料ぐらいになるじゃね?」

「特に意味は無いのね」

 海織は期待して損したという様にガッカリしていた。

「いや、意味ならあるだろう」

「えっ⁉ 意味、あるのか……?」

「あなたが驚いてどうするのよ」

 解説役を買っていた樹の方がなぜか驚く。

「どういう事だ、おっさん!」

「まぁまて、君に一つ質問だ。この世界で我々は戦争を強いられているようだが、この人員で果たして戦い抜けると思うかな?」

「無理だな。どう見ても戦力なる奴が少なすぎる。だが、それがどうした。そんなもの俺が足手纏いの分まで敵をぶちのめせばいいだけだ」

 章仁の問いかけに樹は自分の見解を述べた後、両の拳を「パンッ!」と打ち鳴らす。

「随分と頼もしい言葉ですね。ですが、たかが一人が暴れた所で戦況がこちらに優位に動く訳が無いでしょう」

「じゃあどうするってんだよ。まさかこそこと逃げ回って最後に美味しいとこだけいただくつもりか? だったらその考えに協力するのは御免だね」

「なるほど……そういう手もあったか。まぁ当たらずとも遠からずといった所でしょうか」

「あの……蘇芳さん? 結局どういう事です……?」

 章仁と樹の間でしか分からないような話が繰り広げられ、あまりにも話について行けない海織はたまらず割り込む。

「流石にこれだけ戦闘に適さない方々が集まっては正面切って戦う事は出来ません。ですが我々は何としてもここから出なくてはならない……ではどうするか。必要最低限の戦闘はしょうがないとしてもそれ以外はここから脱出する方法を探ろうかと思っています」

「えっ……⁉ そんなこと出来るんですか!」

「出来るかどうかではなくやらなくてはなりません。幸い、戦い以外では優秀そうな方もいそうですし、調べるべき場所の目星もついています」

「ははぁ~ん……ようやく意図が読めてきたぜ。つまりアンタはいかにも怪しそうなあの塔になにか秘密があると睨んだわけか」

「えぇそうです。まぁ空まで伸びる壁も十分怪しいですが、この世界の構造上壁は調べるだけ無駄な気もしますからね」

「この世界の構造……? そう言えばそこの人がなんか変わった事言ってたっけ」

 この世界の構造――それは最初に樹が話していた不思議な壁の事なのだが、その言葉を思い返し頭の中で想像すると奇妙な形をしている事に気が付く。

「上に行くごとに窄まった形状の壁……まるで瓶の中に居るかのような……」

「まるで……じゃなくほぼそんな感じだなここは。さっき言った壁も恐ろしく硬くて濁った色をしたガラスみたいだったし」

「それならなおの事調べるべき場所はあの塔のようですね」

「だが、あそこを調査するのはいいとしてこの世界から脱出できる見込みはあるのか?」

 そう、この戦争の首謀者の思惑に乗らない事は決まったものの、実際に塔を調査してこのおかしな所から脱出できるのかまでは保障されていない。だから樹は言外に念押しする――本当にこの路線が正しいのかと。

「さて、ね。……まぁ確証はないですがやるだけの事はやりませんと。ですが、きっと大丈夫でしょう」

「なんだかねぇ……」

 どこからそんな自信が湧いているのかは知れないが、章仁には何らかの公算があるようで、失敗のビジョンなど存在しないかのように見えていた。

 そして章仁のその言葉は――一時はここは異世界などと言われ落ち込んでいた者達が僅かな希望を見出し、抗い、すがろうと藻掻もがくための道標が顔を覗かせてきた。

「では調査をしましょうか……と言いたいが、今はまだ外を調査するのは危険だろうから私は先にこの建物内の調査を提案したい。それについて異議のあるものはいるだろうか」

 章仁の問いかけに誰からも声があがらない、つまり章仁の考えに誰もがついて行くという事だった。

「ありがとう。では皆さん手分けして調査をお願いします」

 そう言った直後、四十人近くいた人々は一斉に動き出し、残ったのは海織と樹そして章仁の僅か三人だけとなった。

「なんか、とんとん拍子に話が進んだわねー」

「俺は結果的には燃焼不足だがな。それで、嬢ちゃんは連中と一緒に行かなくていいのか?」

「あたしも後から行くつもりよ。でもその前に――」

 そう言って海織は章仁へと近づいていく。

「どうかしましたか海原さん」

「お礼を言いたいと思って……。あのままだったらきっと皆は希望なんて持てずにいたんだろうな――って。でも、蘇芳さんの言葉で皆は希望を捨てずにいられるんです。これからもよろしくお願いしますね、リーダーさん」

「えっ……!」

 いきなりリーダーと言われた事にどう言っていいのか戸惑っていた。ようやく絞り出した言葉が――

「私がリーダー? そんなご冗談を、器じゃないですよ私など」

 ――と、出会って間もない人達を動かして見せたとは思えない程謙遜していた。

「またまた~。あなただって異議はないでしょう?」

「……そうだな。俺も特に異議はない。実際、俺ではどうやってもアイツ等から賛同を得られるような芸当は出来そうにないからな」

「と言う事ですよ。蘇芳さんが断ったら今度こそこの人が出張ってきますよ?」

 樹を指さし、笑いながら冗談めかすように章仁こそがリーダーとなるのに相応しいと言っている。

「……ですが他の皆は私が率いる事に賛同してくれるでしょうか」

 なおも自分がリーダーとなる事を躊躇っている章仁だが、もう一人海織たちの後押しをする人がいた。

「大丈夫ですよぉ~、おじさんだからこそ皆納得して動き出したんですからぁ~」

 建物内を探索していたはずの自他共に認める幽霊少女は、三人が動かないところを目撃しており、そこで何か起きる事を予感したのが功を奏し章仁のリーダー就任を後押しする一因となっていた。

「そうか、参ったな……誰かの上に立つのは自信がないが――そこまで言われたからには降りては皆に申し訳が立たなくなるな」

「やたっ!」

 海織がガッツポーズをする。内心ではこれで樹のような無茶苦茶な人から命令されることが無くなる事を喜んだ。

「では同時に副リーダーを決めようか」

 章仁の横にいる海織を横目で見ながら彼はすぐさまリーダーとして指示を出す。

「えっ! 嘘ぉ⁉」

 海織は予想していなかったと驚き。

「そんなもの俺一択しかないだろ」

 樹は自分しかいないとだろうと、確定事項のように吼える。海織もまた副リーダーとなるのはリーダーに反論のできる樹だと思っていた。

「少し落ち着いてください二人とも。まだ他の皆さんは戻ってきてはいませんが私は――海原海織さんを副リーダーに推したいと思います」

「なんで!?」

「マジかよっ⁉」

 海織と樹の予想だにしていなかった人物への任命に、建物が震えるかと思うぐらいの声量で驚いていた。

「おいおい耄碌もうろくでもしたのかよオッサン。どう見てもこの嬢ちゃんより俺の方が優れてるだろうが」

「確かに武力や思考能力は海原さん優れているようだが、彼女を推したのは私が必要とするのはそんなものでは無いからだ」

「あれ……? 気のせいかな、さり気に貶されたような」

 流れ的に章仁にとって海織がどれほど重要なのかを語る場面だと思ったのだが、実際に聞こえたのは海織より章仁の方が優れているという事だった。

「待てよ、俺達はこれから嫌でも戦争させられんだ。それなら強ぇ奴が上にいなくてどうすんだよ」

 掴みかからんばかりの勢いで食って掛かる。そのような態度を取られても章仁はまるで揺るがず自分の考えを言う。

「無論、君の強さはちゃんと理解しているし頼りにもさせてもらう。だがその強さを十全に発揮するには組織として上の方にいるより中間にいてもらった方が良いと判断したからです」

「ほーぅそうか……アンタの考えは理解した。――で、決して体よく扱えそうだからとかそんな理由じゃないんだな?」

「当たり前じゃないですか。君の実力は守るべき部下がいて、指示を的確に出してくれる方がいる事で全力を発揮できると確信しているからですよ」

「なーんか話を聞く限り、あたし自身が評価されてるわけじゃないみたいね」

 自分が副リーダーに選ばれた理由がどうにも消極的なようで、もしかしたら章仁には何か深い思惑があっての事だとしても、結局章仁の真意は最後まで明かされることは無かった。




 そんなこんなで大多数の同意がまだ得られていない状態でリーダーと副リーダーが決まったころ、建物内の探索に出ていた者達が続々と帰ってきた。

「おぅ、やっと帰って来たかテメーら。今から俺様が直々に大切な話をするからよーく聞きな」

「なんであなたが偉そうに仕切っているんですか。あなたから切り出したら信用されづらくなりそうだからちょっと静かにしてください」

 集団の前で不必要に目立とうとする樹を海織が副リーダー(仮)権限で黙らせると探索に出ていた間に起こった出来事を皆に向かって説明した。

「――という事なんですがどうでしょう、あたし達は今後の事を考えてこの蘇芳章仁さんが皆を引っ張るリーダーに相応しいと思ったのですが、皆さんはどう思いますか」

 そう、海織が問いかけると最初はしん……と静まり返ったものの、すぐ周りからは口々に「いいんじゃないか」「ああ、そうだな」「そこの単細胞よりかはずっとましじゃない?」などの賛成の声が上がり、ついでに海織が副リーダーに推したいという章仁の要望も誰からも否定される事もなく、章仁と海織はこの集団の№1・2となった。

「では、私は必ず皆さんをこの世界から脱出させることを誓います」

「まだなにも始まってすらいないのによくそんな事を断言できるもんだな」

「え~っと……露出狂のお兄さんは黙ってろって言われてませんでしたかぁ~?」

「うっさいわ!」

「そこにいる露出狂は置いておくとして。なにか気になるものとか見つけた方はいますか」

 樹の事は存在の端に置いてかれ、何事もなかったかのように探索の報告を章仁は聞く。するとその中で一人の男が何か困ったような表情で手を上げ見たものの報告をする。

「……ちょっと説明しづらい物があったんだが、見に来てもらってもいいか」

「もちろんさ。では案内をよろしくお願いするよ」

 あの気まずそうな表情、それは良い方向には事態は転がらないだろうという事を如実に伝えるには効果覿面であった。そしてその彼に連れられるがままやって来たのは[厨房]と書かれた部屋だ。

「これ……なんだが、あんたはこれを見てどう思う」

 説明のしづらい物――そう言われてついて行った先にあったのはなんの変哲もない厨房にある食材の保存室だった。だがその扉の前に一枚の張り紙がしてあるのを見て、この戦争をさせようとする主催者の意地の悪さを目の当たりにする。

『この先、保存室

この保存室の中身は一ヶ月に一度補充される

※注意 補充されるのは食料と飲み水のみ。戦争が長引くほど補充される食料の質と量は低下していく

それを回避したくば他の軍から命を奪うべし(他の軍の命を奪うごとに贖罪の質と量は最初の水準に戻る)』

 戦争を回避しようとする章仁の考えを根底からぶち壊すようなことがその一枚の張り紙に記されていた。

「……えげつねぇなこれは。戦争をやらずにセコク生きようとするやつは飢え死にしろってか」

「……誰かを蹴落とさない限り生きることも許されないって――」

 章仁の掲げる目標を聞いていた者達は、平和的に物事を解決する術を早速奪われてしまった形となってしまった章仁の顔を見る。

「大丈夫ですか蘇芳さん」

「……大丈夫、とは言えないかもしれません」

「おいオッサン、フザけた事抜かしてんじゃねぇぞ――」

「えっ……⁉ ちょっと、いきなり何てこと言うのよ!」

「俺はそんな弱音を聞くためにオッサンがアタマ張るのを認めたんじゃねぇ。俺や嬢ちゃんに他の奴らもアンタが戦争という場で戦う以外の解決に導くからってのに賛同してんだ、それをたかがオカシなルール一つがさらに分かったからって――」

 章仁の弱気な発言に苛立ちを隠さずぬまま樹はツカツカと歩み寄り、樹は自らの思いの丈を叫び、そしてぶつける。

「――立ち止まんなよ。ココにいる奴らの命を背負っちまったからには何が何でもやり遂げろよ」

「そ、そんなの無茶じゃない! 確かにあたし達が勝手に決めちゃったことだけど……」

「だからこそ――! 嬢ちゃんがいる。俺もいる。他の奴らだっている。こんだけいんだからクソッタレなこの戦争とやらもなんとかなるだろ」

「――えっ。…………うん、そうだね。あたし達も頑張らないんでどうするんだよ、だね!」

 最初から樹は章仁に全てを背負わせようとはしていなかった、だが皆の命を背負っているのは事実――故に、樹は『弱音なんぞ吐くくらいなら自分達を頼ってから人知れない所で弱音でも吐いていろと』語っているのだ。

 もっとも、そんな樹の考えを海織は理解はしてはいたのだが、なにぶん語っていない事の方が多いので樹の表に出てない言葉を完全には共有出来てはいなかったが。

「あ~うんうん、わたしは君の言いたいことがよ~く分かりましたぁ。でもそんな語らなかった言葉が完全に伝わる訳ないじゃないですかぁ~」

 幽霊少女がしたり顔で樹を批判する。

「いいーんだよ伝わりゃ。現にそこの嬢ちゃんもアンタだって伝わったじゃないか」

「わたしの場合は伝わったというより~…………フィーリング? って言うのかな~?」

「なんのこっちゃ。まぁいいさ、そんな訳でオッサンには倒れられたりすると困るんだからそうなる前に遠慮せず言ってくれや」

「そうですか、いやいやこのような人材に恵まれていたとはツイていましたなぁ」

 ここに蘇芳章仁を頂点とする戦わない軍が誕生した。

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