蠱毒なる戦争 ~war of loneliness~
くろねこ
第1話
眼前に広がるのは所々に枯れ木の生える荒野。何処を見まわしても同じような景色が広がるが、背後には天を衝くかのような高い塔が聳え立っている。
気が付いた時にはそんな見知らぬ所に独り静かに立っていた。
いつまでもこんな所で突っ立っているわけにもいかないという考えが頭によぎり移動してみると、目の前から自分よりやや背の大きい着物を身に纏った小柄な少女と、隣にいる女性と比べると長髪長身でサングラスを掛けた柄の悪そうな男という組み合わせの二人が近づいてきた。
「おっ!?
「確かにいますね。こんな所に一人でいるなんてどういう訳かな? あと姐さんはヤメてください」
少女の方は多少不信に感じながらも謎の子供に近づいていく。
「ちょっと待った姐さん。アイツがどっかのスパイの可能性も考えられないですかい?」
男の方は謎の子供に対し隠す事なく不信感をぶつけてきている。
「ヤメなさいよ……子供に向かってそういう事言うの。とりあえずあたしが話を聞いてみるから
「りょーかいだ姐さん、こっちは俺に任せといて下さい」
少女はゆっくりと少年に近づいていき樹と呼ばれた男の方は周囲を警戒しながら少し離れていく。なにが起こるのかは分からなかったが特段恐怖とかは感じなかった。
「キミ……お名前はなんていうのかな? 歳はいくつ?」
中性的な容姿に加え所々赤黒く滲んだケープを羽織って髪を銀色のバレッタでポニーテールに纏めた子供と、見た目の情報からは女の子に見える子供に対し少女は目線を低くしながら接する。。
「ぼ、ぼくの名前……は、レックス。十歳……です」
レックスと名乗った少年は少し怯えながらも少女の問いかけに答えた。
「うんうん、レックス君っていうんだね。あたしは
海織は自分の名前をその子供に教えると、少し離れた樹の方に声を掛けた。
「樹さ~ん! 取り敢えずここは一旦引きませんか?」
「そっすね。今は周りに怪しい影とかは見当たりませんが……西側から強い魔力の気配が近づいているみたいですぜ」
「そう……。なら長居は無用ね、この子を連れてすぐに離れましょうか」
状況が何も呑み込めないままレックスは初対面の二人に傍目から見ると誘拐でもされているかのように手を引かれ、連れていかれるように保護された。
海織と樹の二人に連行という名の保護をされたレックスは、なすがままにされながら湿地のような場所に来ていた。
「ここ……どこ?」
海織と手を繋ぎながら歩いているレックスは辺りをきょろきょろと見回している。湿地らしく足元は水場だらけであり、周辺にはレックスがいた荒野と違い枯れていない木が乱立している。
「ん~? ここはあたし達の生活拠点だよ」
「まったく、いいんですかい姐さん? 俺達がどこの馬の骨とも分からない奴を拾ってきた事、おやっさんに知られたらマズいんでないですかい?」
レックスを見ている樹の眼差しは、サングラス越しではあるが厳しい目つきをしていた。
その威圧するような眼差しにレックスは海織の陰に隠れるようして視線を逸らす。
「なーんでこのちっこいのは俺を見てこんなに怯えてんだ」
「…………理由、知りたいんですか」
ひどくウンザリした顔で樹の事を見つめる海織を見て樹は「やっぱいいです」と断った。
しばらくは海織と樹の馬鹿話が続いていたが、やがて二人は湖と思われる畔で足を止めた。
「あ、あの……いったいどうしたの?」
「あぁゴメンね。この湖の中央に島があるんだけど見えるかな?」
湖は霧に包まれておりその中央には薄っすらとではあるが島のような影が見える。
「う、うん……」
「あそこがあたし達の隠れ家。知らない人には教えちゃだめだよ?」
レックスからしたら目の前にいる海織と樹はさっき会ったばかりのまさに知らない人ではあるのだが、そんな事を言い出したら横にいる樹に睨まれてしまうのではないかという恐怖心でなにも言わずにいた。
「それより姐さん……俺達が乗ってきた船、何処にも見当たらないんですが」
「あたし達以外の偵察組が戻るのに使ったのかな」
「だとしても、副長である姐さんを差し置いて島に戻るなんてことはしないでしょう」
「……ここで議論していてもなにも進展しないよね。仕方ない……コレを使うしかないか」
海織は周囲に自分たちが居ない事を確認すると帯留めに挟んでいる扇子を取り出した。
「出番よ
海織は取り出した扇子に口づけをしてから開きそして舞う様に扇子を扇ぐ。すると湖が左右に割れ、人が歩くのには問題の無い道が出来上がっていた。
「水の事ならこれくらいってなものよ」
「ひゅ~! 相変わらず姐さんのその扇子は豪快だぜ。さて、誰かに見られる前にとっとと渡っとかないといけねぇな」
樹が使い古されたようなリアクションで口笛を吹いた。海織の方は樹の反応になれているのか特に何の反応も示さなかった。
「そんじゃあそこのおチビ、ちょっとこっち来な」
樹がレックスに対して手招きをする。今までの言動から樹に対し恐怖心を抱いているレックスは海織の手を掴んだまま中々樹の所へと足を踏み出す娘が出来ないでいた。だから、レックスのあまりの行動の遅さ故に樹はレックスを肩に担ぎ上げる。それと同時、ついでとばかりに海織もレックスとは逆の方に担ぎ上げられる。
「ふぇぇっ⁉? な、何するの⁉」
「そうだよ樹さん! レックス君はともかく、あたしが担がれる理由が分からないんですけど⁉?」
樹の行動に意味が分からないと抗議をする。
「だって姐さん……この力、あんまり他人に見られたくないんでしょう? なら、こうして行ったほうが速いじゃないですか」
「た、確かにそうかもしれないけども……」
言って、海織は自分の足を見る。そこには早く走るにはおそらく不向きであろう下駄を履いていた事を思い出す。
「……分かりました。それじゃあ樹さんに任せます」
「おっけー姐さん! じゃ二人とも振り落とされないように気をつけてくれ」
二人を担いだ樹は水の無くなった湖の底に降り立つ。すると水面が閉じ始めさながら水中トンネルの中といった景色へと変貌する。そして外からは中の様子が見えなくなったことを確認すると樹は全速力でその中を駆け抜けていく。
「ひやぁ~~~!! 速い、速いって樹さん!」
樹のあまりの足の速さに担ぎ上げられている海織は辺りに響き渡るような叫び声をあげていた。そして、もう一人のレックスはと言うと体験したことのないスピードに目を回して叫ぶどころではなくなっていた。やがて目の前に岩の壁が現れるとその上部の水面に穴が開き、樹はその穴から飛び出すように出ていきそこで樹の絶叫トレインは終了となる。
「よーし到着! ほら姐さん降りれますかい?」
「お、降りれるって…………オウェッ!」
樹の肩からゆっくりと降りた海織ではあったが、思いがけない速さと揺れの為に気分を悪くしていた。
「これぐらいで目回してたら他の組員に示しがつきませんぜ?」
「もぅ……そんなにいじらなくてもいいじゃないですか!」
「いやだって……この後おやっさんに報告があるじゃないですか。少しでも姐さんの緊張がほぐれればと思って……」
「残念だけどいらないお世話です。そんなの無くてもあたしは問題ないですから」
海織の足はプルプルと震えており、とてもじゃないが大丈夫には見えない。だからこそ樹も気を使っていたのだが。
「とにかく! この子はあたしに任せて、樹さんは当たり障りのない程度の口出しで構いませんから」
「そうですかい? だったら俺は後ろの方でじっとしてますかね」
海織の緊張をほぐしながらも海織たちの足は島の中央へと向かって行く。
すると霧の中からいつ崩れてもおかしくなさそうな一軒のボロ小屋が見えてきた。
「…………誰か戻ってきてくれてたらソイツをとっちめるだけで済んだんだが、船が無くなってたのは単なる事故だったか?」
「今は船よりも先に総長への報告をしないといけないんでしょう。気になるなら早く報告を済ませたらいいじゃないですか」
「それもそうか。了解です、姐さん」
海織の言葉に納得した樹は小屋の扉を蹴破りながら入っていった。
「ヒッ⁉?」
「あー……ゴメンねレックス君、樹さんのガラが悪くて。後であたしが折檻しておいてあげるから安心してね」
「折檻って……マジ?」
「ふふふ……」
そんなやり取りをしている中、小屋の床から地下へと続く穴が開いていた。
「さて、入り口も開いたことだし行こうか」
樹に対しておびえきったレックスの手を海織はギュッと握ることで安心させようとする。
「う、うん……」
地下に降りてから海織はあちらこちらですれ違う人達に声を掛けながら総長なる人物のもとへ歩いていく。
「みんなただいま。早速で悪いけど
「御帰りなさいませ副長。総長でしたら自分の部屋にいると思いますよ」
「そ、ありがとね。じゃああたし達はちょっとおじ様の所へ報告に行って来るけど何かあったらお願いするわ」
「了解です副長。ところで……その子供は一体なんですか?」
「この子? 怪しい子じゃないから気にしないでいいよ。それじゃみんな後はお願いね」
「は、はいっ!」
他の者から見たらどうやっても怪しいレックスの存在を、怪しくないからの一言で黙らせつつ総長なる人物の扉をノックする。
「海原海織と
「そうですか。ではあなた方の報告を聞きたいので入って下さい」
「失礼いたします」
海織と彼女の手に引かれるレックス、そして樹の三人は部屋の中へと入っていく。
「おかえり海織、ついでに樹も。とりあえずそこのソファーへどうぞ。それからその子供は……?」
海織たちを迎えたのは物腰の柔らかな男性で、ソファーに座りながらテーブルの上にある地図から目線を前へ向けた。
そして海織たちは章仁に促されたソファーへと腰を沈める。
「……俺はついでっすか」
「君は殺したって死ぬような輩じゃあないからね。それでもう一度聞くがその子供は?」
「この子は開かずの塔の前で倒れていて、名前はレックス十歳の男の子です」
「男の子? そうだったんですか……私はてっきり女の子かと思っていました」
「女の子って……どこをどうみても……って、あっ!」
章仁の返しに海織は思わず呆れたような口調で答えてしまい、言い終わってから失礼な態度を取ってしまった事に気付く。
「どうって……顔つきも女の子に見えるし、髪も艶のある上ポニーテール。おまけに女性物の髪留めをしていれば女の子だと思ってしまうのは仕方ないんじゃないかい? むしろこれだけの要素が合わさって男の子と判断するのは第一印象としては難しいと思うが」
「い、言われてみれば……」
見た目だけで言えば服装はケープに隠れて見えない。髪はポニーテールで女性もののバレットを身に着けている。顔つきや声も男の子・女の子どちらともとれるように見える。それを踏まえたうえで総評すると名前を聞いて判断するか、本人に確認するしかない訳だ。
「ね、ねえレックス君。このおじさんの他に女の子に間違われた事ってあるかな?」
引きつった笑みと止まらない冷や汗を伴いながら聞いてみる。その質問に対しレックスの出した答えというのは。
「うーん……あんまりなかったかな?」
「そ、そうなんだ……」
「大分話は脱線したみたいだが……戻っても大丈夫かな、副長殿」
「え、ええ大丈夫ですとも。それでどこまで話したっけ……?」
「姐さんが小僧を拾ったところっすよ。ほぼ最初の方じゃないっすか」
後ろから助け舟がきた事により海織は報告すべき内容を思い出した。
「そうっ! そこでこの子を保護した時、西の方から濃密な魔力を感じると偵察部隊隊長の報告があり、その場に長く留まるのは危険と判断したため引き返してきた次第であります!」
「なるほど、ね。戦争が始まってから三ヶ月が経つが、新たな問題に対処が必要となって来たみたいだ」
「新たな問題とは何でしょうか?」
レックスという少年の登場と樹の感じた魔力、その二つの出来事に章仁は迫り来る厄介事の匂いを予感しているように見える。
「まず一つ目の問題だが樹、今までに今日の様な魔力を感じた事はあったかい?」
「いえ……今回が初めてっすね。アレだけの魔力、普通なら近づいてくる前から分かりそうなもんですが今日感じたのは突然現れて近づいてきた……そんな感覚です」
樹の報告から章仁はフムと考える。そしてほんの少しの静寂の後、彼は自分の考えを口にする。
「まず私の考えを聞いてもらう前にこれを見て欲しい」
章仁は机の引き出しからボロボロになっている一冊の薄い冊子を取り出した。
「あの……それは?」
「こいつは各陣営に一冊置いてあるこの戦争のルールと参加人数が書かれている」
「そんなのがあったんですね。というかあたし副長なのにそれの存在知らないんですけど」
「それはそうだ。他人に教えたのは今回が初めてなのだから」
「あたしの副長としての意味って一体……」
海織が膝を突きながら無様に頭を垂れていた。
「気持ちは分かるが姐さん……そこで項垂れていても話は進みませんぜ」
「そ、そうね。それでおじ様その冊子と今の状況、それになんの因果関係が?」
「まずこの戦争の参加人数だが総勢百九十七人これを仮に四等分したとする。だがこの人数ではどうやってもキリの良い人数にならない」
「確かにそうみたいですが……それがなにか? という感想しかないんですが」
「……そういう事を言いたいんじゃないと思う」
一度は話題の中心となっていたレックスがふと漏らした。
「えっ、レックス君!? というかどういう事!?」
「おじさんが言いたいのは平等が存在しないことじゃないかな」
「ふむ……なかなかおもしろい所を見ているね」
章仁は感心したようにレックスを称賛する。
「そう、確かにこの戦争には最初から平等などどこにも無い。そうだろう樹」
「……そっすね。確かにウチの所は四十人ほどで東側も同じぐらいの人数。西の奴らはは他より少なく、北側は八十人ほどの規模があると調べがついています」
「えっ、そうなの⁉」
自分の知らない情報が次々と出てきた事で、海織にある副長としてのプライドがズタズタになっていた。
「今こうしてこの子が現れた事や西軍に現れた魔力の反応。それらはこの不平等な戦争に一石を投じるものだと私は睨んでいる」
「ふーん……この小僧一人が加わったぐらいでなんか変わるのかね」
樹は訝しむような眼でレックスを見ながら頭を突っつく。するとレックスは大方の予想通り怯えだし海織の足にしがみつくようにして隠れた。
「変わるさ。だが何か変化が起こったとしても君の事を知らねば私は君に何も指示をする事が出来ない。だから教えてくれいないか? 君がこの戦争に巻き込まれるまでの経緯を」
章仁は優しい眼でレックスを見つめる。すると隠れていたレックスはひょっこりと顔を出していた。
「反応が俺の時とはえれー違いだ」
樹が後ろでぼやくがレックスはそちらを見向きせず無視を決め込む。
「それでどうかな、私達に教えてもらってもいいかな?」
それを聞いてレックスは少し戸惑ったがやがてゆっくりと首を縦に振った。
「そうかありがとう。なら飲み物が要るな、樹人数分頼む」
「了解っす。それじゃあなんにしますか、いろいろありますが」
「ならミルクティーをお願いしようか。君もそれでいいかい?」
レックスは無言で頷くと樹は手際よく作り、ものの数分で人数分が出来上がると皆に配る。
「さて皆に回った事だし心の準備は出来たかな?」
「うん……大丈夫」
頷いた後レックスはまるで昔を思い出すかのように遠くを見つめた目をして……そしてゆっくりと語り始めた、ここに来るまでに何があったのかを。
「ここに来る前、ぼくは行方不明になった妹と両親の仇を探していたの」
「うわぁ~……軽い気持ちで聞いてたら思いもよらないのが来たよ」
のっけから来る重い話に海織は眩暈を覚えそうになっていた。
「何がどうなってそんなハードな事になったの?」
「ある日妹が行方不明になってぼくは森まで行って探しに出かけたんです。そこでは妹が見つからなかったから違う所を探そうとした時、町が火に包まれていたんです」
レックスは他人が聞いても重い話をしているのだが、当人はなんの感情も無いような語り口でただ他人の思い出をなぞっているかのように語っていた。
「その時はもしかしたらこの火事で妹も心配になって戻ってきてると思ったの。そしたら思った通り人がいたんだけど、家の前にいたのは妹じゃなかった」
「そ、それでどうなったの……?」
一度レックスはそこで話を区切る。だが話の内容が気になるのか海織は次を催促するように急かしてくる。
「家に戻って来た時そこにいたのは妹でもなければ家族の誰かでもない……お父さまの首を手に持った知らない人だった」
「「「……………………」」」
一同は黙りこくった。よもや十歳の口から出て来たのは父親の生首を持っている人だった、そんな単語出るなどとは誰も思っていなかったものだから淡々と過去を語る少年に対し、どう声を掛けたらよいのか分からないでいた。
「……一ついいかなレックス君」
この状況にいち早く復帰したのは章仁であった。そして彼は他の二人が聞き辛いであろうこと、そしておそらく本人も言いづらいであろうことに対してズバリと質問をする。
「確か君は最初に両親の仇を探しているといっていたね。という事は当然、その相手は逃がしてしまったと捉えていいのかな?」
その質問に対しレックスは首を――横に振った。
「おいおいちょっと待ちなよ小僧。オマエさっき両親の仇を探してるって言ってたよな!」
「うん……言ったよ」
「じゃあおかしいだろ。なんで親の仇を探してるってのにお前の親父を殺した奴は逃がしていねぇんだよ!」
「そんなにおかしなことかな。お父さまの首を持ってた人はぼくがお父さまにしたのと同じようにしてちゃんと殺しだよ」
「こ、殺したって……おいおいマジか……?」
樹の動揺は他の二人にも伝わっていた、その上その動揺の意味すらも伝わっていた。だからこそ目の前にいる十歳の少年が異質なものとして一同の目に移ることとなっていた。
「そうだよ。でも残念だったのはお父さまとお母さまを殺したのは自分の意志でじゃなかったみたいなの。だからぼくはそんな事をするように言った人を探しているところだったの」
「「「……………………」」」
再びこの場に沈黙が訪れる。そしてその沈黙を破ったのはまたしても章仁であった。
「……君のこれまでの経緯は理解しました。だからこそ聞いておかなければいけないのですが……君はこれからどうするつもりだろうか」
他人を見定めるかのような目で聞いてきた。その眼力はただの子供であれば泣いてしまいそうなほどに。だが――
「ぼくのやることは変わらないよ。今すぐにでも探しに行きたい」
樹がレックスに向ける視線より威圧感があるのにもかかわらず、彼は少しも怯むことなく、淀むことも一切なく答えた。
「そうか……それほどまでの意志を持っているのなら私がとやかく言う必要は無いがこれだけは言っておこう」
章仁は一度そこで黙る。そこまで言ったはいいが本当にこの先を言ってもよいのかと。だが、この少年は他人がとやかく言っても止まる事などなさそうだと思い直し、次の句へと続ける。
「この世界からは出られない、今はまだ……だが」
「えっ? ねぇおじさん、それどういう事」
今にも泣き出しそうな顔で章仁を見つめる。すぐにでも話さないと爆発してしまいそうなほどに。
「まぁまて、今説明する。説明はするが……私は子供に対して上手く伝えられる自信がない。そういう訳だからお願いしてもいいか、海織」
「…………なんでそこであたしに振るんですか⁉」
予想外からの攻撃に対し海織は分かり易く狼狽えていた。
「さっきも言っただろう、私は子供に簡略に説明できるだけの話術がないんだ。だが海織ならばその子も懐いているようだし説明も容易くなると思ったのだ」
ハハハと悪びれもせず押し付けてくる。それに対し海織は少し唸ったがやがて観念したかのように頷いた。
「分かり……ました。それならレックス君は一度あたしの部屋に連れて行こうかと思います。そのほうが余計な邪魔も入らなそうなので」
「あ、姐さん……年下を部屋に連れ込むなんて……ナニをするつもりなんですかい」
「あの樹さん、おじ様の話聞いてた? あたしはただ自分の部屋で説明するって言っただけなんだけど、どうしたらそんな曲解になるんでしょうか?」
笑顔で反論する海織だがその笑顔というのは引きつっており、それに加え背後からはオーラが見えそうなほど迫力を伴っていてレックスに至ってはゆっくりと後ずさりまでしてしまっていた。
「だいたい、あたしはまだ十五歳よ! 五歳も年下を部屋に連れてナニをするっていうのよ! 樹さんの歳なら犯罪になりそうだけど」
「悪かった、悪かったよ姐さん。そうだよないくら俺でも十一も歳の離れた奴を部屋に連れ込むなんて出来ないしな」
「分かればよろしい。という事であたしは部屋に戻っていますね」
「ちょっと待ちたまえ。最後にやっておかなくてはならない事を思い出した」
今まさに海織がレックスを連れて部屋から退出しようとしたところ、章仁が呼び止めてきた。
「まだ何かあるんですか?」
「とても大事な事が残っていたのでね。ではレックス君、君に聞いておかなければならないことがあるのだが君は……どこかに所属しているスパイではないのだね」
「すぱい……それってなぁに?」
たどたどしい感じで聞き返してくる。どうにも言葉の意味があまり分かっていないようだが、その反応から一つの結果を導き出す。
「おやっさん、これをどう見ますかい?」
「こんな子供を疑うのも馬鹿らしいな。変な事を聞いて悪かったねレックス君」
レックスに対し城の判定を出したにもかかわらず、章仁はまだ顎に手を当てて何事か考えこんでいる。
「まだ何かあるんですか。今度は一体何をするつもりですかおじ様」
「レックス君がスパイでない事は分かったが他の皆に彼をどう説明する?」
「それは……えっと……普通に新しく仲間に加わることになったと言えばいいのでは?」
「そう簡単に皆に納得してもらえる思いますか? 戦時中にしかもどうにも言い訳しにくい要素を持った子供を」
言われて海織はレックスを見てみる。服装は最初に遭った時とそのままであるが、腰にまで届きそうな長さの髪、そしてその髪の色は全体的に見ると銀色であるが前髪の一部分だけ黒色になっている――と、見た目は至って普通だ。だが、ただ一点だけ彼が羽織っているケープに付いている赤黒いシミだけは皆を納得させるのは難しいかもしれない。誰も言及しないが先の話を聞いた後だとこれは明らかに返り血の跡だ、十歳を自称する子供とはいえさすがにこの要素がある限りまともに説明しようにも誤魔化そうにも彼が無害だと証明するのは絶望的だろう。
「……厳しいかもしれません。でもっ――」
「今更過ぎやしないですか姐さん。俺は一目見た時にスパイの可能性を持ちだしていたはずですが」
「それはそうですけど。でもどうしろっていうんですか」
どこから対処したらよいのか分からない問題に海織は頭を抱える。
「……今そんな事になってたの?」
「本人は自覚無しかよ!?」
「そっか、お母さまから貰ったケープがそんなことになってたんだ……」
「そうしょげるなって。それくらい俺が何とかしてやるよ!」
レックスの様子を見かねた樹が膝を突きながら傍に寄る。
「ほんと?」
樹の言葉を聞いて、沈んでいたレックスの顔はみるみるうちに元気を取り戻していた。
「じゃあ! 前みたいに真っ白にして!」
このケープは今は亡き母から貰った形見の様なものだ、それが元に戻ると知ってレックスは嬉しさのあまり先程まで怯えていた相手に笑顔を見せていた。
「さて、と――どれどれ~……」
樹がレックスのケープを手に取って眺める。その行動に何の意味があるのか分からないが、樹が何とかすると豪語したのだから深くは考えずに身を委ねた。
「うーん……これはチョイ面倒だな」
「あの樹さん、何がどう面倒なんですか?」
観察を終えた感想がつい零れる。それに海織が反応しどういう事なのかと詰め寄る。すると会話の内容を誰にも聞かれたくないのか海織にだけ聞こえる音量で樹が答える。
「姐さんが気付いてるか分かんないんですが、コイツの前髪が黒いのは――」
「――返り血ですか、これも……」
「俺も最初はそう思ったんですがどうにもこれ、魔術に近いナニかでマーキングされているみたいなんすよ」
「害……とかはないんでしょうか?」
「初めて見るものだからなんとも。まぁ出来る限りのことはやってみますよ」
樹の手がレックスのケープに触れる。そしてその状態のまま樹は何もない空間から一冊の分厚い本を取り出し目当てのページまでめくった。
「なに、やってるの?」
樹の行動に疑問を持ったレックスが質問してきた。
「おいおい、動くなよ……もし動いて失敗したりなんてしたらおかしな色合いになんぞ」
「う、うん……」
脅しつけたつもりは無いのだが、動く事への危険性を説いたらもぞもぞと落ち着かなそうに動いていたレックスはその動きをピタリと止めた。
(さて、と――小僧が大人しくなったところでやっと作業できるな)
樹が取りだしたのは魔導書であり、ケープから返り血を抜くとともに謎のマーキングを魔術により解析するところであった。
(しかしこの小僧……ここに来る前ナニをされた。パッと見でも魔術の痕跡は無いし、姐さんも分からないとなると霊術の類でもない。……こんな時姉貴だったら、いや、姉貴に頼るなんて考えるな)
レックスのケープを綺麗にするという他愛のない事だったのが、いつの間にやら目の前の少年に対し樹はを得体の知れないナニかを感じていた。
(ま、いいや。ちゃっちゃと血を抜いてお望みどおりに綺麗にするか)
「ねぇ……あのおじちゃん、急に静かになったけどどうしたの?」
「あぁ、あれね。樹さんって色々な魔術を扱えるんだけどどうもコントロールの方が苦手みたいでね、ああやって集中しないと上手くいかないみたい」
「それでも樹なら上手くやれますよ。なんたって魔術の名門を数多く輩出した家系だと言っていましたから」
「おやっさん達さぁ……少し静かにしてもらえないっすかね」
外野が騒ぎすぎて樹の集中力がやや落ちてきていたようだ。
「ム……すまない」
「ご、ごめんなさい樹さん……そういえばレックス君はあそこのおじさん達の言ってること分かったかな?」
「俺はお兄さんだっ!」
まだ二十そこそこの歳でおじさん呼ばわりされるのはよほど心外なようで、集中し直さなければならないというのは分かっていたが、それでもツッコまずにはいられなかった。
「うん、いつもティセアが……じゃなくて、ぼくの妹が難しい魔術の本とかいつも聞かせてくるから……」
「あーうん……大丈夫、理解したから」
今ここに自分以外誰もいなかったら海織は泣いていたかもしれない。自分にはそんな難しい本などとてもではないが読めないし、なにより年上に対し何かを教えられるほど知識も技術もない。それ故にまだ見ぬレックスの妹であるティセアに女どころか人として言い知れない敗北感を味わっていた。そしてそうこうしているうちに樹の作業の方もいらない妨害こそあったがなんとか完了し、レックスのケープは綺麗な色を取り戻していた。
「……ふぅ。こっちはもう済んだんで後は姐さんに任せます」
「ご苦労さま樹、もう戻っててもいいぞ」
「それじゃあ俺はここで失礼しゃっす」
(どうもあの小僧はよく分からん術をかけられている事だけは確かだな。だが何をされたのか分からない上に解析すら無力化するとはねぇ。……影響が髪の色が変わるだけならそれでいいんだが)
表面上では何事なく終わったかのように退出したが、内心ではレックスに対してただの子供ではないという不信感を強めていた。
「あ、行っちゃった。それじゃああたし達も行こっか」
「うん」
「それではおじ様、あたし達もここで失礼します」
樹の後を追うかのように海織とレックスも部屋から退出し、章仁一人だけが部屋に残った。
「さて……この戦争の参加者が増えた事がどう影響するかな」
誰もいない部屋で一人章仁はこの先の展開を考えていたのであった。
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