第5話

甘く香ばしいお菓子の焼きあがる香りには、祖母との思い出が詰まっていた。

一緒に厨房に立ち祖母の横で、お菓子作りの手伝いをする幼い子供が、一人で厨房に立ちお菓子を作るなど誰が想像しただろう…

でも本当は、誰かと楽しくお菓子を作っていたかった。



「オープンは、この日で決定です。」

小春は、多那瀬に伝える。

いよいよ正式なオープンの日取りが決まった。先ずは近所の人に知って貰おうという事で、大げさに駅前でチラシを配ったりはしない…

「こんな感じでチラシを作ってみようと思います。」

多那瀬は、パソコンの画面を小春に見せる。

「素敵です。多那瀬さんは、センスがいいですね。」

小春が見たい画面には、手紙の様に書かれたチラシの画像があった。親しみやすい手書き風のフォントを使い、文字も大きめにしてある。

お年寄りの多いこの住宅地で配る為のチラシだった。

もちろんロゴマークも入っている。そして、多那瀬が描いた焼き菓子の絵も載せられていた。

「私の絵で良かったのですか?」

多那瀬は、自信なさげだが…

「この絵だから良いのです。」

目を輝かせて小春は言う。



「先輩、最近楽しそうですね。」

後輩の鈴木 圭太(すずき けいた)は、いつもの様にお昼ご飯の誘いに来たのだ。

「外食はしないですよ。」

いつかの様に、そして今回は自慢げに多那瀬は紙袋を取り出した。

「あっ…あのお店、見つかったんですね。」

鈴木は、少し驚いた顔を見せたが…

「今日は…俺の分ありますか?」

と、いつもの様に催促する。

「ない!」

と、多那瀬は言うと、鈴木は悲しそうな顔を見せるが…

「と、言いたいところだが…あるよ。沢山貰ってきてね。」

多那瀬は、紙袋から鈴木にいくつかお菓子を取り出す。

「嬉しいっす。この前、何となく美味しいなぁ〜と思って食べたんすけど…また食べたくなってたんです。」

不思議ですよねと言い、鈴木は嬉しそうにお菓子を持って席へと戻っていった。

それから、机にお菓子を置くと、給湯室に消えて行った。

コーヒーを入れに行ったのだろう…

多那瀬は、そんな鈴木を追う様に給湯室へ向った。

「鈴木、珈琲飲むなら待って…インスタントより、豆の方が美味しい。」

多那瀬は、手際よくドリップコーヒーの準備をする。

ケトルのお湯が沸くのを待って、コーヒーを淹れ始めた。

「先輩って、器用ですよね。」

鈴木は、興味津々に多那瀬を見る。

ケトルから細く少しずつお湯を出して、コーヒーを淹れる多那瀬の顔は楽しそうでもあった。

「本当は、専用のポットがあるといいんだけどね。」

多那瀬は、コーヒーを2つのマグカップに分け、1つを鈴木に渡した。

「ありがとうございます。」

鈴木は受け取ると、待てないとばかりに口を付ける…

「うまっ!」

思わず声が出た。

「席に戻って、マフィンと一緒に飲みな。」

多那瀬の言葉に、お菓子の存在を思い出したかの様に、鈴木は席へと戻っていった。



昼休みも終盤…外へランチに出掛けていた女子社員逹が戻ってきた。

すると、多那瀬は席を立ち、女子社員逹のもとへと向った。

「ちょっといいかな?」

多那瀬が、声をかけると女子社員逹は、嬉しそうに多那瀬の呼び止めに応じる。

多那瀬は、物腰が柔らかく、話しやすい先輩として女子社員にも人気があるのだ。

「突然ごめん、知り合いがお店を開くのに、練習でクッキーを焼いたから、良かったら食べてくれないかな?」

多那瀬は、女子社員の中でも、先輩かくの女性に紙袋を渡す。

「ありがとうございます。」

女性は、喜んで紙袋を覗くと…「わぁ〜可愛い。」とひと声あげた。

すると、私もみたい、私も…と次々、彼女達は紙袋を覗き、手を伸ばしていた。

「後は、よろしく。良かったら、感想聞かせて貰えると嬉しいです。」

喜んで紙袋の中を見ている女子社員をあとに、多那瀬は席へと戻っていった。



「お菓子、美味しかったです。あとパッケージ可愛いですね。」

一人の女子社員が、終業時間になり多那瀬のもとへ来た。

すると…他の女子社員も多那瀬の方へ駆け寄ってきた。

「何だか、優しい味がして、私好きです。」

「見た目も可愛いし、味も美味しいし、これは売れますね。」

「また食べたいです。オープンしたら、教えて下さい。」

等と、沢山の感想を聞けて、多那瀬は嬉しいかったが…パッケージデザインをしたのは自分だと恥ずかしくて言えなかった。

「ありがとうございます。作ってくれた知り合いに伝えますね。喜ぶと思います。」

多那瀬は、小春の喜ぶ顔を思い浮かべると、同じ様に笑顔になった。



最寄りの駅を降り、路地の奥へ進む…まだ店の電気は明るく灯っていた。

軽く戸を叩いて、ドアを開けて店へ入ると…厨房の方に居るのか、店は静かだった。

店の手前の席で、黒猫がすやすやと寝ている。

その脇を通り、多那瀬は厨房の方に顔を出した。

「小春さん、お疲れ様です。」

多那瀬の声に、小春は顔を上げる。

「お疲れ様です。おかえりなさい、多那瀬さん。」

小春は、ケーキの仕込みをしていた。

いよいよオープン間近になってきたのだ…横には、カットされ、あとは包装されるのみのパウンドケーキが並んでいた。

「包みますね…少し待ってて下さい、用意してきます。」

一度店の方に戻り、多那瀬は荷物を置き、ジャケットを脱ぐ、シャツの袖を捲りながら厨房へと戻ってくると、手を洗った。

「多那瀬用に、エプロンを用意してみました。」

と、小春はエプロンを持って待っていた。

「ありがとうございます。持って来ようか悩んでたので…助かります。」

多那瀬が、エプロンを付ける姿を見て小春は

「本当に、手伝ってもらう前提ですみません…」

と言いながらも、ニコニコしている。

ロゴが大きく入ったエプロンは、お店のエプロンと言う感じはするが…可愛い過ぎる気もする。

「やっぱり似合いませんか?」

心配そうに多那瀬は聞くと…

「あっ…違うんです。誰かと、一緒に作業出来て嬉しいなって…」

それなら良かったと多那瀬は、包装する為に用意された席に腰を下ろす。

多那瀬は、器用で包装の作業は、丁寧で早い…申し分無い働きだが…

会社帰りの多那瀬を手伝わせていることを、小春は助かると思いつつ…申し訳ないとも思っていた。

まだオープンもしていないので、収入はなく給金も出せない…

そう思いながらも…今だけは、手伝ってほしいと思ってしまう自分に、小春はモヤモヤしていた。



少しずつ、オープンへと向けて進み出す。

嬉しい気持ちと、これからやっていけるかの気持ちで、ずっと心臓はドキドキしたままだった。

甘えたままで良いのか…そんな気持ちも何処かにあるが…もう目の前まできているなら、進まなくては…



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