第3話
夢を現実に出来たら、それはどんなに素敵な事だろう…
それかが叶うのは、一握の砂にすぎない事かもしれないが、してみたい事があるなら動くしかなかった。
休日だというのに、早起きをして家を出た。
「小春さん、おはようございます。」
私の向かった先は、あの古民家カフェである。
昨夜、お互いに自己紹介をした…彼女の名前は、吉野 小春(よしの こはる)さん。
製菓の専門学校を二年前に卒業して、つい最近までイタリアンレストランでパティシエをしていたという。
「多那瀬さん、おはようございます。」
と小春は、笑顔で出迎えてくれた。
今更だが、私…多那瀬 信彦(たなせ のぶひこ)は、30歳独身の平凡なサラリーマンである。
「お休みの日にすみません…さぁ、どうぞ。」
小春は店の戸を開け多那瀬を招き入れた。多那瀬は店の奥へと進み、まだ3回目だというのに、当たり前の様に奥のテーブル席に座た。
ここの居心地がいいのだ。他の席に座ったわけではないが、しっくりと席に馴染む…そして、ここは店内が見渡せる場所でもある。
「今日は、来てくれて本当にありがとうございます。」
カウンター奥から、グラスに入ったお茶を2つお盆にのせ小春は、多那瀬のいる席へと来た。
多那瀬の席のテーブル…少し隅の方にコースターを置き、グラスをのせると…カランと氷がグラスにあたる音がする。
小春のグラスも、テーブルの端に置かれた。
「今日は、熱くなりそうですね。」
と言いながら小春は、多那瀬の前の席に座った。
「そうですね。…では、本題に入りましょう。」
多那瀬は、持ってきた用紙数枚をテーブルに丁寧に順番通り並べて見せる。
「これが、開店するために必要な準備なのですね。」
彼女は、用紙をまじまじと眺めていた。
喫茶店の開業に向けて、色々と独自に進めてきた彼女だが…行政的手続きと、メニュー開発のみで、市場調査やマーケティングについての知識はなかった。
もし、人通りの多い場所で開業したのなら、それでも良かっただろうが…ここは路地裏の民家が並ぶ住宅地と言ってもいいだろう場所。
しかも、問題はそれだけではなかった。看板がないまでは、仕方ないが…まさか店名がないとは思いもしなかった。
「書類は、本名でさらさらと…」と昨夜、小春は軽く言ったが…多那瀬にとっては、まさかの出来事だった。
検索しても出てこない理由だ…そして、そんなお店を知るお客はいない…重要な話しだった。
「お店の名前は決められましたか?」
多那瀬はダメもとで聞いてみた。1日2日で考えるモノでもないが、決まらなければ話は進まない。
「ひより…こんな日は、此処へ行きたい。と言う意味を込めて、カフェ『日和』にしようかと…」
小春は自信なさそうに言うが…とてもこの店に合っている感じがして、多那瀬の心にスッと馴染んでいった。
「カフェ『日和』…とても良い名前だと思います。カフェ日和ですね。そんな会話の一文になりそう、何よりこの店に合っていると思います。」
多那瀬は、ワクワクする少年のような顔を見せる。
名前が決まる、それだけで他のイメージも想像しやすくなるのだろう。広げたい資料以外に持ってきていた紙に、次々と案を書き出していく…
「良かった。名前を付けるって、センスが問われるので…ちょっと、恥ずかしかったんです。」
小春は、褒められた事が嬉しくて、笑顔がこぼれた。
「軽く描いてみたのですが…こんな感じに店の外観をしてみてはいかがでしょうか?」
多那瀬は、ラフに描いた絵を見みせた。今の店の外観をそのままに頭上にヨーロッパの商店街で見かける鉄製のアイアン看板を取り付け、open時にはスタンド型の看板を出してはどうかと提案した。
手書き風の字体を使い、素朴さと親しみやすさを出してはと…そこまでは勢いがあったが、急に何かを考え始める。
「ここの丸を描いた部分なのですが…お店のロゴマークを入れたいんです。何をモチーフにロゴマークを作るか?」
多那瀬は、真剣な表情をみせる。
「ロゴマークって、そんなに重要なんですね。」
小春もつられて、真剣な表情になってしまった。
「お店の顔ですからね。字体は途中でも変えられますが…ロゴマークはそうそうに変えられるものではない。一番の難関とも言えます。」
多那瀬が一番真剣になる理由は解ったが…どの様にロゴマークを決めるのかはいまいち解らない小春だった。
「皆さん、どんな感じで決めるんですか?」
小春は、多那瀬に尋ねる。
「そのお店の売りや、名物…店主の好きな物。後は、店名の文字をそのままデザインしてみたりと色々ありますね。」
店内を見渡す…少しでも印象に残る物はないかと、小春は探してはみるが思い浮かばない…
「急には無理ですよね。他から決めて行きましょう。」
多那瀬は、店内を見渡し…考える。
「オーダーは何処でとりますか?」
先ずは、入店してからの動線を考えようと多那瀬はカウンターに向かう。
「一人でやろうと思っていたので、先にカウンターで注文を受けて、お会計もすれば、後は席に運ぶだけなので…私にもできるかな?と…」
小春は、何かの試験を答えるかの様に、恐る恐る応えた。
「そんなに、固くならないで下さい。私は、試験官ではないので…」
多那瀬は苦笑いする。
しかし、カウンターでオーダーを聞くのは、いいと多那瀬は思った。
忙しくなれば、席を一つ一つまわるのも大変になる。一人ならなおさら…それに、カウンター横のショーケースには焼き菓子やケーキが並ぶだろう、見ながら選べるのもいいと思った。
「ドリンクだけ頼もうとして入って、ふと横に目がいくと注文してしまう、いいですね。」
多那瀬は、人の動きが見えるかの様に頷いた。
店にお客さんが入れば、問題はなさそうだ…多那瀬は思った。
「メニューは…」
多那瀬は辺りを見回すが、肝心のメニューがない…小春は、もじもじしながら口を開いた。
「ドリンクメニュー…が、決まらなくて…」
小春の言葉に、多那瀬は来た日の事を思い出す「スリランカから届いたばかりの紅茶で、今日は試飲の為に淹れたんです。」と言っていた…ドリンクメニューがどこまで決まっているか聞いてから、メニュー表を考えなくては…焼き菓子や、ケーキはショーケースにPOPを付ければ良さそうだし…
「ドリンクメニューは、何処まで決まってますか?」
多那瀬が聞くと、小春は駆け寄ってきてカウンター裏へと案内された。
珈琲豆が深煎と中煎り、紅茶はダージリン、ウバ、アールグレイ…ハーブティー用のハーブが色々とある…多那瀬は、少し考え…
「珈琲と、紅茶は何とかなるかぁ…ハーブティーは…ブレンドなさいますか?」
少しの間を開けて…
「したいと思ってますが…その日の天気で決めたくて…」
小春の言葉に、多那瀬はなるほどと思いつつ席へと戻り、またさらさらと描きだす。
「カウンターから見える位置に、黒板を付けるのはいかがですか?」
そう言うと、多那瀬は描いたものを見せる。
「2つ黒板を付けるのですか?」
小春は不思議そうに聞くと…
「はい、固定の定番メニューと、書換えできる方には、本日のハーブティーを書くのです。」
多那瀬の説明に、小春は、なるほどと理解し、悩みが解決したと喜んだ。
「多那瀬さん、凄いです。」
小春は、多那瀬に尊敬の眼差しを向ける。
「凄いのは、小春さんですよ。私は、一人で企業するなんて勇気はない…」
多那瀬は、少し考え…小春を見た。
「手伝わせて下さい。こんなに楽しい気持ちになったのは久しぶりです。」
多那瀬に、真っ直ぐな目で見られた小春は、一瞬驚いたが…
「多那瀬さんが、居てくれたら心強いです。これから、よろしくおねがいします。」
まだまだ未熟な店主…小春と、偶然の出会いをした普通のサラリーマン多那瀬。
前途多難なカフェ『日和』はどうなるのか?
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