第2話

夢は、世界一の『冒険家』になることだ。

 ある男は言った。

 努力など才能の前では無意味だと。

 そうして、死の宣告とともに、これまでの10年の努力を否定した。

 あれから、もう5年経つ。

 いま僕は、地上数十メートルに張り出た巨大な木の根の上を、時速150キロで移動している。

 厳密には根の上に敷かれた、高速道路を走るバスの車内だ。

『ねえ、起きて、シロくん! ねぇってば!』

「なんだよ騒がしいな!」

 僕は直接脳内に響くフライパン目覚ましにたまりかねて、怒鳴り返してしまった。

「ふぅぇっ!? ご、ごめんなさいヤシロにぃ。うるさかった?」

「あ、いや。ちがう、ちょっと煩わしい夢を見ていたんだ」

 目を丸くする隣席の妹弟子に、僕はあわてて言葉を繕った。

 くそ、これがきっかけばれたらどう責任取るつもりだ。

『え……責任かぁ。結婚する?』

 何言ってんだこいつ。寝言は寝て言え。

「って、カエデ、何やってるんだ、おまえ?」

 幸い、まだまだ幼い赤毛の少女の興味は、ころころと簡単に移ろう。

「あっ、みてみてヤシロにぃ! 寝転がってもお空に枝が見えるよ、でっかい!」

 ハイテンションマックスな幼女は、窓から上半身を乗り出して、仰向けになり、座席に脚を突っ張った。

 重心が頭方向に落ちたことで、風圧も手伝って小さな体はずるりと車外に滑りだす。僕は慌ててカエデの体を抱えて引っ張り戻した。

 窓の縁を枕にして、青空いっぱいに広がる巨大な樹の枝を見上げて、カエデは「ひゃー!」と歓声をあげる。

 笑い事じゃない。

 が、怒る気力はそがれてしまった。楽しそうで何よりだ。

「そりゃ、世界樹だからな。ていうかいつも見てるだろ」

「あそこ何か光ってる! なんだろね!」

 この砂だらけの地上では、空が雲に覆われていない限り、世界樹の枝はどこからでも見える。

 天空を47本分の樹の枝が覆ってしまったこの世界は、不毛の大地と巨大樹と怪物で出来ていた。

 見飽きた風景でさえ新鮮にみえるほど、この赤毛の少女は今日を楽しみにしていたらしい。

「ほらカエデ、砂埃が入るから、閉めろ」

「えーっ! けほ、けほ……そうする」

 バス正面の視界を、樹の幹がいっぱいに埋めている。

「おまえらも、大人しくしてろ! もうすぐ到着だ!」

 暇を持て余して、車内で跳び回っていた他の子供も、ついでに叱りつける。

「うぇ〜い!」

 なんで、さらに煩くなるんだよ。

「やれやれ」

『すっかり子守がいたについてきたね、シロくん。このまま先生とか、保育士とか目指してみたら?』

 ありえないね。

 現在、僕らが向かっているのは、『スエラクリタ』というクラスタだ。

 故郷の都市とは、千キロも離れている。

 遡ること10歳の夜。

 僕はこの頭の中で煩いやつのせいで、一族から消された。

 この世界には47コの奈落があって、その中は怪物迷宮になっている。

 そんな地獄に落とされてから、どうやってこの都市にたどり着いたのか。

 実際の所はわかっていないが、幸運にも生きている。

『ひどい、私が頑張って運んだのに』

 信じるに値しないな。

『なんで?』

 理論的に考えて、不可能だからだよ。わかるだろうが、自分の事なんだから。

『わかってるわよ。でも本当だもの』

 まあ、真偽はどうでもいい。証明のしようが無いからな。

 聞いた話では、師匠の家の玄関前に、雪に埋もれて倒れていたところを拾われたらしい。

『でもまあ、おばさまには感謝ね。あのまま寝てたら雪だるまになってたわ、きっと』

 それを言うなら凍死体だろ。なにが雪だるまだ。

 戯れ言はともかく、確かに捨てる悪神あれば、拾う善神あり、師匠様々だ。

 拾った縁だといって、師匠は僕を『ジンクウ家』の前当主である、養子にまでしてくれたのだから。

 僕を処刑した『カンノウ家』はジンクウ家と同様に、その名を冠する対怪物戦闘術の本家本元であり、冒険家界隈では名の通った名家である。

 そして、両家は、音楽性の違いで、お互いを毛嫌いする仲だった。

 カンノウの血筋である僕が、師匠の養子になれたのは、ほんとうに幸運だ。

 努力して、ジンクウを継げば、僕を捨てたアイツを後悔させるに違いない。

 今僕は、その一心で努力を継続してきた。

 学園に入学してから、今日までで、分家として認められる程度の実績は作った。

『実績って言っても、アルバイトでしょ』

 うるさいな。それが評価点になるのは確かだろ。

 だから、もし5年前の自分にメッセージを送れるなら、安心しろと言ってやりたいくらいだ。

 だが、この道には、一つの懸念材料がある。

 頭の中で気持ち半分いじけている、この緑髪の謎存在Rだ。

『リ・ン・ジュ。名前くらいちゃんと呼んで。何よ、存在Rって。さすがに傷つくわ』

 こいつが原因で僕は処刑された。

 忌み子、死霊憑きなんて呼ばれたのだ。あの反応を思えば、ここでも、リンジュのことを知られると、あの時を再現してしまうのではないか。そんな可能性が怖い。


 ——努力など才能の前には無意味。才能が全て。


 アイツの言った『才能』とは、リンジュの事だろう。

 アイツへの復讐の為には、努力でのし上がるしかない。

 だから、リンジュのことは絶対に秘密だ。

「ヤシロにぃ、どうかしたの? お腹、痛いの?」

「いや、へいきだ。気にするな」

 どんな顔をしていたのか、カエデが心配そうにのぞき込んできた。

 この子は門下生だ。

 養子である僕は、師範代の立場もある。指導するべき妹弟子にこんな顔をさせるようじゃ、まだまだ努力が足りないのかもしれないな。

 頭を撫でてやると、くすぐったがりの幼女はルンルン調子に戻った。

 僕は車内を見回す。他にも数人の門下生の弟弟子が乗車しているのだ。

 どいつも近づけるとすぐ喧嘩するので、今はバラバラに座らせて、小山(他の村から合流した子供グループ)のボス猿方式ですきにやらせている。

 じきに、あいつらにも尊敬されるような冒険家にならなければいけないと考えると、自然と笑えた。

『復讐なんて理由がなくても、いまシロくんの抱いているその夢は、とても立派だとおもうよ』

 うるさい。ていうか、人の思考を読むな。

『なによ! ちょっとくらい良いじゃない!』

 よくねーよ。

 今の僕は、スエラクリタの協同公社が運営する冒険家の学園、その中等部の学生だ。

 このちびっ子たちの大先輩になる。

「ねぇねぇ、ヤシロ兄。学園ってどんなところ? たのしい?」

 カエデは赤毛のお下げを揺らし、そばかすの頬を両手で包んでうっとりした表情で、窓の外に見える街を見上げた。

「また、その話かよ。昨日まででさんざん話してやっただろ」

「そだね〜。でももう一回きかせてほしいの!」

「はいはい、わかったから抱きつくな」

『将来のお嫁さん候補はこの子かしら』

 何言ってんの、こいつ?

 明日は、初等科の入学式。そして、初めての都会、浮かれる気持ちはわからないでもない。

 でもたぶん、僕の想像出来る感覚と、カエデたちが感じているわくわく感は、質の違うものなのだろう。

 だって、この子たちは愛されて育った。

 そして、僕は親に捨てられた。

『ちょっと聞き捨てならないわ。私はシロくんを世界で一番、愛してるし、ぜったい捨てたりしないから』

 ……はぁ。で、同じ感情を共有できる訳がないと、僕は思っているわけで。

 そんな人間が、スエラクリタの属村から、期待と応援の満漢全席で送り出され、上都してくる新入生の引率係だ。

 金のためとは言え。正直、遠隔地の各属村を、子供を拾いながら巡る一週間の旅程は苦労と胃痛が絶えなかった。

 ちなみにこの任務の発注元は学園を運営する公社だ。公社の仕事は非常に手広い。冒険家関係なら、物資の流通から子守りまで、様々な事業を取り扱っている。僕ら学生は、その仕事の一部をアルバイトとして請け負う事が出来るのだが。公社の仕事のなかでも、とくにこの『新入生の引率係』は、前払いで報酬の金額もよく、ついでにただで里帰りできる可能性も大きいので、競争倍率がオニ高かった。

 拘束時間と精神的苦痛、そして金額に経験値を考えると、結果的に『割に合わない』ので、僕は、もう二度と受けないだろう。

 万感の思いをこめたため息がでる。

 そんな僕を乗せたバスは、ターミナル駅のゲートをくぐった。

「ヤシロ兄! いっぱい人が居るよ!」

「はいはい、揺れるから、座ってろ」

「都会だぁ!」

 いよいよだとなって、子供達の興奮ゲージが上がりっぱなしになった。

 子供は苦手だ。

 この旅の途中、大人しくさせる、最適な方法はついぞ見つけられなかった。

『子供は風の子。思い通りにならないのが普通でしょ。それに比べたら、シロくんもまだまだ子供なのね。私の言うこと全然聞いてくれないし、納得』

 一緒にするなばか。何キャラだよ。

 入門したバスはスロープを上り、エレベータホールに入った。

 ここから一台ずつエレベータでつり上げられ、30メートル上の乗降プラットフォームに入場することになる。

 しかし、この時期のターミナルが混みあうのは、クラスタの風物詩だ。

 最低30分は待たされるだろう。

「えー、お乗りのお客様に申し上げます。当バスは現在——」

 運転手のアナウンスに子供達が反感の声を上げた。

「おーい、おまえら。文句言うな。なんなら荷物を持って、上まで階段で行ってもいいんだぞ」

 親にいろいろと持たされている彼らは、そこそこな量の荷物がある。

 それを抱えて、もしくは引きずって、上まで約150段のつづら折りを昇るのを想像させると、静かになった。

 エレベータホールに、ぎっしりと整列したバスには、こちらと同じように、各地から集められた子供が乗っている。

 カエデの言った、『人がいっぱい』というのは、彼らを見ての感想だろう。

 都市のある世界樹を中心にして東西南北、別の世界樹の根がついている境界エリアの過疎村まで数えると、属村は300村以上ある。各地から集まる新入生と、その他大勢が乗り合わせたバス50台以上が詰めかけているのだから、田舎から出てきたばかりのカエデから見たら、そう見えるのもむりはない。

 まあ、都市部メインエリアに入れば、さらに人だらけになる。

 その時の反応を見るのも、面白いかも知れない。

「こんなの序の口だぞ」

「まじでぇ! 楽しみだなぁ」

 このときは、僕の言葉に目をキラキラさせていたカエデだったが。

 到着から30分経って、すっかりしなびていた。

 一向にバスは前に進まない。

 去年の混み具合を知っている僕からしても、これは異常だった。

「カエデ、僕は外の様子を見てくるから、あいつらを大人しくさせておいてくれ」

「え、私も行きたい!」

「だめ」

 運転手にひと言告げて、僕はバスを降りる。バスの待機列の前方——バスの昇降エレベータ前に行くと、学生服姿の集団が、話し合っていようだ。

「ちょっといいか。何が起こっているんだ?」

『こら、いきなりそんな横柄な口の利き方はよくないよ』

 たしかに、一人年増が居るな。だけれど、そんなことは関係ない。

 学院の学生服は、学年ごとに色分けされている。

 白が最下級生で。

 黒が最上級生。

 黒制服の老け顔の男(見た目も最上級生の貫禄があるな)は、話しかけた僕を見て顔をしかめていた。

 僕は、黒地に、そんな反応をされるすじあいはない、と思って睨み返した。

 僕ら学院生を定量的に測る物差しはもう一つ、金属製のドッグタグがある。制服と同じく色分けされたそれを視ないと、なんとも言えないが。黒い制服を見せびらかして威張っているのならそれは、年だけ重ねたと公言しているようなものだ。

 つまりはむのうということだ。

 可哀想。

「あ」

 ひらめいた。気がついてしまった。

 バスの旅で制服を着続けるのは疲れるので、いま僕は私服だ。

 飾り気のない無地の白シャツは、最下級生かけだしの制服だと言われれば、そうみえないこともないかもしれない。

『ないない。こんなだらしない普段着と、結婚式に着ていけるあの子らの超可愛い制服を一緒にするとか、あり得ないよ』

 だよな。

 最下級生の制服はよく、結婚式の任務が舞い込む感じのデザインなので、今の僕の輻輳がそれに見えたのならきっとそいつの網膜には写真か何かがプリントされているのだろう。

 そして、そいつはロリコン、もしくは、ショタコンだ。

 あぶないあぶない。

 まあ冗談はここまでにしておこう。


 ああ、とだけ言って黙ってしまったジャガイモ頭の堅物に代わり。

 まともな返事をしたのは、そいつの隣にいた女子だった。

 僕より10センチほど背が高く、背筋の伸びた背中に亜麻色の髪を垂らしている。

 端正で真面目そうな顔つきなのは、少し目つきがキツいのせいなようだ。

 緑色一色の制服を着ている。ということは、僕と同い年で。実力はそれなり。

 制服の交換は、半月前に行われたばかり。一年の評価が反映されて間もないから、最も色の示す信用度は正確なはずだ。

『あんまり良くないと思うなぁ。そういう態度は』

「詳しくはわかりませんが。エレベータの不具合か、プラットフォームで何か事故が起こっているのか。とにかく、私たちが確かめますので、一般人はバスの中で待機していてください」

 一般人?

 誰のことだ? 

『ぷふっ』

 なるほど……僕の事か。

 しかしさ。

 なおさら、こんな大男がしかめっ面で黙ってしまうでくの坊というのは、外聞が悪いじゃないか。ほんとうに僕が一般人だったら、最近増しになってきた探宮者に対するイメージをかなり損ねていたぞ。

 まあ、今は置いておこう。まずは勘違いを訂正しないとな。

「ああ、ごめん。僕は一般人じゃないから。はい」

 首から提げていた金属製のタグを相手に見せた。学生の身分を表すタグには、32コのごちゃごちゃした文字、が焼き付けられている。そして、これもまた、色合いの違う二種類の金属板が接合され、作られている。これで、相手の目には、僕のプロフィールが見えているはずだ。

「緑色と黒色、もしかして、あなたが……原始人」

 そんな不名誉なあだなで呼ばれるいわれはない!

「あ? 僕の名前はヤシロだ。 ジンクウ=ヤシロ。それ以外は認めない」

「ごめんなさい。取り消すわ」

 交換にと差し出された風合い違いのタグを見ると、彼女のプロフィールが読み込めた。

「私は、シシドウ=ミナセです。よろしくジンクウ君」

 サクサク行こう。あまり、長引かせると、あいつらがなにしだすかわからないからな。

「よし、じゃあミナセ。わかっている情報、全て教えてくれ。君らの推測まで含めて、洗いざらい」

 だれが、『原始人』だ、ふざけるな。という抗議は引っ込めて、笑う幻聴も無視して、僕は穏やかな笑顔で話を進める。

 なにか気に障ったことがあったのか、ミナセは顔をしかめつつ、知っていることを話し出した。

『初対面の女の子をいきなり名前で呼んだら、警戒されるのは当たり前でしょ!』

 うるさいなぁ。その口を閉ざせる、電源スイッチ、どこだよ。

『そんなモノはありません!』

 ちっ、まあいいや。

 ミナセたちから一通りの情報を聞き出したが、先ほど彼女が言ったとおり、詳しいことは何もわかっていなかった。

 これは直接上に様子を見に行くしかないな。

「僕はこれから、非常階段を使って上の様子を、確かめに行くけど。君たちはどうする?」

「私もいくわ。タガネ先輩は、どうしますか?」

 ミナセに訊かれても、なかなか返事をしない石頭に僕は痺れを切らして、踵を返した。

「………………待ちーや」

「なんだよ」

「俺も行くで」

 変なしゃべり方だな。なんだ、個性のかたまりか?

「はいはい、勝手にしてくれ」

「………………」

「はぁ……、やりづらいなぁ」

 僕とミナセと、鈍重なタガネ先輩の三人は、エレベータの横にある非常階段へ向かった。

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