アップダウンウェルノウン

はいきぞく

第1話

彼の心をすり潰したのは、私だ。

 五年前。

 蝋燭の灯火が揺れ。ミイラみたいな元老達の影も揺らぐ。

 儀式場は、ささやき声に満たされている。

 彼の目が、ぼぅっとこちらを見ている。

『どういうことだ。なぜカンノウの子に死霊が宿る?』

『決まっている。死んだ母親がやはりケガれていたのだ!』

 死に損ないが勝手なことを、と壁際に控える若い司祭たちは、小さな声で老人達を罵った。

 だが、明らかに反論する者はいなかった。

『くわばらくわばら』

『しかし、よりにもよって忌み血が混ざったなどと、自然主義者どもに知られたら、カンノウの沽券に関わる。いかように滅す?』

『いや、処分するのはたやすいが、これまでの投資が全てツユと消える。この損失、頭領殿はどう補うつもりなのか』

『金などどうでもよい。とにかくこれの存在をどう隠すのかが、問題だ』

 ほの暗く、煙る、部屋の中心で、父親が我が子の胸ぐらを片手で掴み上げて、吊る。

「——とう、さま」

 年の瀬で雪が降り、凍える夜。10歳の誕生日を迎えた彼は、部屋の中心で座して。護摩炎に炙られながら丸一日、呪文の雨を浴びせかけられていた。

 大人でさえ地獄の24時間。

 それを、彼は唇をかみ切るほどの決心で、儀式を耐えきったばかり。

 本当なら、労をねぎらわれ、ごちそうを食べて、暖かい布団に包まれているはずだった。

 彼の意識は朦朧としていて、大人たちが何を騒いでいるのか、わかっていない。

 父親が、一瞬のうちに、自分の襟首を掴み上げ、怒っている事だけが、なんとなくわかる。

 いつ、意識を手放してもおかしくない状態だ。

 もがく手足は弱く短く、空を切る。不安で涙があふれ出す。

「言うな」

 あの人は、彼の顔を、もう片方の手でこねくり回した。涙でにじんだ化粧が崩れた。すると、ごうごうと燃えさかっていた護摩炎が、かき消え、部屋に充ちていた香煙が薄れて消えた。

 結界が溶けたのだ。同時に、少年の手足から力が抜けた。

「何で、ボクは……」

 少年消え入りそうな声で言った。

「口を開くなと言っている」

 元老の一人が、こわばった声であのひとに尋ねる。

『如何なさるおつもりか』

 老人達が、骨と肉と皮の奥に埋まった目で、息子を吊る父親を見ている。身動きを許されない壁際の青年たちも、固唾を呑んであの人の選択を待っている。


「——死霊憑きの忌み子は、流すしかあるまい」


 彼は、父の手で吊り下げられたまま、儀式場から連れ出された。

 その後ろを老人達がぞろぞろと連れ立ってくる。廊下に置かれた行灯に照らされる、元老は全員、黴びた死体のように、痩けて一切の生気を感じさせない。

 まるで死者の行列。

 彼に向けて、我慢の限界を超えた若衆のうち幾人かが、怒声を発する。その声は、波のように大きくなる。彼は青年たちにとって実の弟同然だった。

 若い頃から麒麟児、天才、賢将と呼ばれ、信奉の篤い頭領。そして、冒険家の家系ではなかったが、優しさと賢さで、内助の功を残した、今は亡き女性。

 その一人息子が、『忌み子』であるなどと、にわかに信じられない若者が大勢いた。

『頭領殿のご意志に、もの申すなど10年はやい!』

 しかし、元老の喝に彼らはひるんで、命をかける事はできなかった。

 胸倉を捕まれたままの彼は、意識がだんだんと薄れていく中、父親をじっとみていた。

 視線は合わなかった。

 離れから渡り廊下を通り、母屋へ、そして、玄関を出て正門までの、長い道を門徒の行列が進む。

 さらに屋敷を出て、深い雪に染まる夜道を、老人達と若衆の喧噪が引き裂いていく。曇天の町に、言い合いを聞きつけて、起き出してきた民家の明かりが灯る。

 程なくして、あの人が立ち止まった。

 大穴のすぐ近くだ。

 そこで、ようやく、親子の視線が結ばれた。

「何で」

「お前が、カンノウにふさわしくないからだ」

 この言葉を聞いたとき、少年の顔にはっきりとした恐怖が浮かんだ。

「ボク……頑張って……きた……のに」

「努力など、才能の前には無意味だ」

「もっと頑張るから……っ父さま!」

 少年はすがりつくように、泣き笑う。

「黙れ! 二度と俺にその顔を見せるな」

 静夜を切り裂く大声で、子を捨てる親が叫んだ。

 視界がブレる。雲が空を覆っている。

 あの人の影が遠ざかっていく。

 一瞬の浮遊感が過ぎれば、後はどこまでも落ちていく。

 背中に雪が吹き付けて、凍えた頬を切る。

 彼は、奈落に落とされた。この穴がどこまで続いているのか、知る者はいない。

 だって、この大穴には、怪物がひしめいているから。

 カンノウ家は怪物から、力の無い人を守る、冒険家の名家だった。

 彼は、その頭領の長男として、物心つく前から修練に日々を費やしてきた。

 その子は今日、怪物の巣穴に捨てられた。

 その心と体は、絶望でバラバラに切り裂かれて、すぐに気を失った。

 私は、彼の傷だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る