第61話 水妖3
水妖は地下の排水路を宿(すく)鼠(ね)の隠れ家へ向かっていた。体は魚だが鰭(ひれ)の替わりに二本の足があり、立って歩いていた––––––楓を魚類に変えようとしたら、呪いがうまく働かず、楓は人魚になって、逆に水妖自身は半魚半人になってしまったのだ。
水妖は怯えていた。魚類の妖怪水妖は、いまだかつて足で歩いたことはなかったし、移動する時はいつも流動体になっていたのに、今はそれもできなくなっていた。尾鰭が変化した足は膝が曲がったままで、動きがぎこちなかった。慣れない足元はふらつき、裸足の足の裏は、硬いものを踏むたびに痛んだ。
直立すると、魚の眼は空と左右は見ることができたが、前が見えなかった。魚は首を回すこともできないので、水妖は歩くとき、斜め方向に歩かなければならなかった。でも曲がった二本の足で斜め歩きするのは難しく、歩みはふらふらして定まらなかった。
水妖は、異様な姿を見咎(みとが)められぬよう、物陰から物陰へと身を隠して歩き、開いているマンホールを見つけて地下深い排水路に降りた。
水妖が知っていて助けを求められるのは、同じ水棲妖怪の宿鼠だけだった。水妖は宿鼠に泣きついて、なんとか元の姿に戻してもらいたかったし、せめて身を隠す場所だけでも提供してもらいたかった。
地下の排水路から宿鼠の棲(す)み処(か)に行くには、鉄(てつ)梯子(ばしご)を上がる必要があったが、手がなく曲がった足だけの水妖は何度も梯子から転落し、嫌というほど強く体をコンクリートに打ち付けられた。落下するたびに魚の部分の鱗が剥がれて、惨めな姿になった。それでも水妖はなんとか鉄梯子をよじ登り、地下鉄のトンネルに出た。轟音とともに走り過ぎる地下鉄の車両をやり過ごし、水妖は宿鼠の隠れ家の前に辿り着いて鉄の扉を足で蹴った。
リリルルが扉の隙間から覗いて、予想外の来訪者を見て驚いた。
「あんた奇妙な姿になっているけれど水妖じゃないの」
リリルルは一目見て、半魚半人の化け物の正体を見抜き、中へ入れなかった。
「呪いを掛けられて尾鰭が足に変形し、流動体になることもできなくなってしまった。なんとか助けて欲しい。呪いを解くまじないでも何でもやって欲しい。元に戻れるまでここに置いて欲しい」
水妖はリリルルに懇願した。
「水妖は質(たち)が悪い妖怪だから信用できないわ」
そう言うとリリルルは中に引っ込み、変わってルルロロが出てきた。
ルルロロも水妖の異様な姿に驚いた––––––水妖は明らかに呪いを掛けられていた。
「宿鼠には水妖を助ける義理はない」
ルルロロは水妖の惨めな姿を見ても、リリルル同様情けを掛ける気にはならなかった。水妖は善妖の宿鼠とは違って、妖力で人間を魚類に変異させては喰らうことで悪名が高かった。気を許せば宿鼠達にも呪いを掛けてくる危険があった。
「水神楓に呪いを掛けて魚類に変えようとしたら、そうならずに人魚になった。逆に俺のほうが半分人間になってしまった。呪いが反射して自分に返ってきた。何とかして元に戻して欲しいんだ」
「ミズカミの祟(たた)りだ。呪いを掛けたのは自分だし、呪いを掛ける相手を間違えたのも自分だから自業自得だ。ここはお前のような悪妖の来るところではない」
––––––ミズカミに危害を及ぼすものは、宿鼠にとっても敵なのだ。
「ミズカミだと思わなかったんだ。ただの人間にしか見えなかった。俺はこんな姿では生きていけない。もう呪いを掛けるのは金輪際やめにするから、同じ水棲の妖怪のよしみで助けて欲しい。後生だから」
水妖は哀れっぽく訴えた。
「人魚になった楓さんはどこへ行った?」
「今頃は海に行っているだろう。多分俺の竜宮城を見に行っているんじゃないか。人魚の行くところはあそこしかない。でも俺はこんな姿では海に帰ることもできない」
「海に帰れなくても、どこへでも好きなところへ歩いて行けばいいじゃないか。そのために足があるんだから」
ルルロロは冷たく言い放ち、話しを打ち切って鉄の扉を閉じた。
「開けてくれ。入れてくれ。俺はどこへも行くところなんかないんだ。お願いだ」
水妖は扉を足で蹴った。爪先が痛かったが、水妖には手がなかった。何度蹴っても宿鼠達はもう相手にしてくれなかった。
水妖はもはやどこにも助けを求める当てがなくなった。
夜になるのを待って水妖は地上に出た。
ふらふらと二本足で斜めに歩き、人のいない公園の池に行って、魚の上半身を水に浸した。鰓(えら)に水を通すと少し生き返ったような気がした。一息ついていたところ、後ろから秘かに忍び寄ってきた者達がいた。
野良猫の群れだった。
野生に戻った狩猟者達は餌の臭いを嗅ぎ、半魚半人の水妖に引き寄せられてきた。
水妖は自分自身が猫達が狙っている獲物であることに気づいた。
流動化して逃げたいと思ったができなかった。
猫達は水妖を威嚇するように鳴き声をあげた。
水妖はふらふら歩いて猫から逃げようとした。しかし、どこにも逃げ場がなかった。
猫達は水妖の体に爪を立てて駆け上り、上半身の魚の部分に鋭い肉食獣の歯で噛みついた。
振り払うにも水妖には手がなく、何匹もの猫に食いつかれたままふらふら歩いた。
猫の鋭い爪が眼玉をえぐり眼が見えなくなった。平衡感覚を失った水妖は地面に倒れた。
池に飛び込めばよかった––––––
水妖はそう思ったが、既に遅過ぎた。
倒れた水妖に猫達はどっと群がってきた。尾鰭の替わりに足があっても、猫には大きな魚にしか見えなかった。水妖の肉はあっという間に喰い取られていった。
翌朝公園をジョギングしていた人が、大きな魚の骨と二本の曲がった足が落ちているのを見つけて警察に通報した–––––それは水妖の惨めな成れの果てだった。
––––––ミズカミの祟(たた)り恐るべし。
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