第62話 水妖4
楓は竜宮城に集まっていた魚人や海で死んだ人々の妖気と話そうとしたがうまくいかなかった。魚人達は普通の魚と違って、表情がある。だいたい悲しそうで沈んでいるが、少し微笑んだり、笑顔を作ったりするので話ができるような気がする。楓が話し掛けると魚人のほうも楓と話したそうにはする。でも口がパクパクするだけで言葉は出てこない。魚人は困ったような顔になる。魚人は姿形だけでなく、意識も変わってしまっていて言葉を失っているのだ。
魚人は水妖の餌として、順番に殺される運命にある。彼らにはもうそれが普通になってしまっている。でも竜宮城の外に出れば、より大きくて凶暴な魚類や首長竜のような恐ろしい怪物に襲われて、あっという間に全滅してしまう。楓は帝亀の言う通り、確かに魚人達はここから出ていかないほうがいいと思った。
妖気もここに留まれば喰われるのを待つばかりだ。海で溺れた人々の妖気には妖力がなく、魚人同様会話もできなかったが、自分達の運命を嘆いているように見えた。
楓は生け簀(す)になっていた船室を開け放って、妖気を竜宮城の外へ逃がしてやった。妖気を餌にするのは水妖だけで、魚類や首長竜に喰われる心配はない。楓はせめて妖気達が自由にどこへでも行けるようにしてあげたのだ。
寝夢から話を聞いた宿鼠達は海へ楓を探しに行った。宿鼠は電車に乗りたくないし、車の運転もできないので、湘南までボートを漕いでいった。遠い道程だったが、夜通し漕いで、翌朝には竜宮城のあるあたりの海に辿り着いた。
ルルロロが衣服を脱いで、海に入った。ルルロロは海の水を吸収し、加水分解して流動体になった。流動体の宿鼠は泳ぎが格段に速くなる。魚雷のようなスピードで、あっという間に海の深みに潜っていった。
楓を襲った首長竜を見掛けたが、むこうは流動体になっている宿鼠には気づかなかった。地上ではいつも狙われていてびくびくしている宿鼠が、水の中ではのびのびと行動する––––––水を得た魚というが、水を得た宿鼠というほうがもっとぴったりする。
楓が竜宮城の外で帝亀と話していた時、流動体になったルルロロがやってきた。
楓には水の中で透き通った宿鼠の輪郭が見えた。
ルルロロは帝亀を見て驚いた。
「これは言い伝えに出てくる神の遣いの大亀ではないですか。こんなところで出会うとは」
ルルロロは帝亀のことを知っていたが、目で見るのは初めてだった。
「宿鼠とはあなた達の何世代も前からの古い付き合いです」
帝亀のほうは宿鼠をよく知っていた––––––帝亀は宿鼠より遥かに長命なのだ。
あ
ちょうどその時、楓の体に変化が起こった。下半身が勝手にぴちぴち動き始めた。
楓は自分の体が元に戻り始めたことに気づいた。
楓はビキニの上しか着ていなかったので、船室の窓に残っていたカーテンを外してきて、スカートのように腰に巻いた。カーテンはうまくフレアのスカートになった。
ぴちぴち動いていた尾鰭は、やがて絡んでいた紐が解けるように足に戻った。
「私また人間になってしまったわ」
楓は一安心したものの、少しがっかりした。
「水妖の呪いが解けましたね。水妖は逆にミズカミの祟(たた)りで下半身が人間になり、もう流動化もできなくなっていましたから、妖力が失せたのでしょう。水妖はもう二度とここに戻ってくることはできないでしょう。厚かましくも我々に助けを求めてきたので追い返してやりました。今頃当てもなく路頭に迷っていることでしょう」
ルルロロが言った。
「水妖は死者の妖気と魚人を餌にしていました。妖気はもう逃がしてあげました。魚人は竜宮城に守られていますから、水妖がもう帰って来ないなら、城の中で安全に暮らせると思います」
「ここでの仕事は済んだようですから帰りましょう。きっと高見澤さんが待っていますから」
「まだあなたの名前を聞いていませんでした」
楓は帝亀にきいた。
「私の名前は長過ぎて覚えられないですから帝亀でいいです」
「帝亀さん、大変お世話になりました。またいつかお会いしたいです。あの海底に眠っている怪物達が目覚めて陸に上がってくる前になんとかしないといけないですね」
「もう人魚になってここへ来ることはないでしょう。望むらくは古代生物は埋もれたままで、いつまでも眠り続けてもらいたいものです」
楓は帝亀に別れを告げ、流動体になった宿鼠とともに水面に上がっていった。
帝亀は首長竜のいる深度のあたりまで、楓を護衛して送ってきてくれた。
帝亀が海底に帰っていき、さらに上昇していくと上のほうに水面が見え始めた。
キラキラ光る海面に小舟がいて、ロルルルとリリルルが待っていた。
ぷはーっ
楓は久々に空気を吸った。
楓は腰に巻いていたカーテンに替えて、ルルロロのフード付きのパーカーとズボンを借りた。
ロルルルが小舟を漕ぎ、ルルロロは船を後ろから押して浜につけた。
高見澤が手持無沙汰で砂浜に座っていた。
楓は宿鼠達に礼を言い、宿鼠になった気分でフードをかぶってポケットに手を入れ、背を丸めてボートを降りた。
「マサさん、宿鼠の楓です」
「昨日は人魚だったのに、今度は宿鼠か」
高見澤はズボンの砂を払って立ち上がった。
「せっかく人魚になっていたのに、また二本足になってしまいました」
楓は悲しそうな声で言った。
「水妖は死んだ。公園に骨と足だけが残っていた。どうやら猫に喰われたようだ」
高見澤が水妖の残骸の写真を見せた。
「随分な殺され方をしたのですね」
「魚の天敵野良猫恐るべしだ。竜宮城はどうだった?」
「残念ながら竜宮城はお城ではなくて竜宮丸という沈没船でした。水妖のせいで魚人に変えられた人達がたくさんいました。魚人になってしまった人達はもう人間には戻れません。でも水妖が死んだ今、竜宮城の中にいれば危険はありません」
「人魚の王子様には出会えたか?」
「残念。人魚は私しかいませんでした」
「人魚姫は人間になって王子様と会えたのにな」
「それどころか、海の怪物に遭遇して追い掛けられました」
「人魚も楽じゃないな」
「それよりも何よりも海底で大変なものを見ました。帰り道に話します」
楓はそそくさとパトカーに乗りこんだ。
高見澤は海沿いにパトカーを走らせた。
キラキラした海面に、サーファー達が浮かんでいて、順番に岸に押し寄せる波に乗ってくる。彼らは海の底で起こっていることを知らないので、心からサーフィンを楽しんでいる。
でも首長竜がここまで来ないとは言い切れない––––––
海の中の現実を見てきた楓は恐ろしくなった。
「マサさん、今まで全然気づいていませんでしたが、海をこのまま放置するとたいへんなことになります。海底は今にも目覚めようとしている怪物達の巣です。膨大な数の恐竜で、あれが出てくると人獣なんか目じゃありません」
「やっぱり海底にはゴジラが眠っていたか」
「怪獣映画じゃないですがそれに近いです。ジュラシックワールドです。時が来れば数知れない恐竜が陸に上がってきます。私はもう少しで一足先に目覚めていた首長竜に喰われるところでした」
「人獣でさえ手を焼いているのに、恐竜まで出てきたらお手上げだな」
「先制攻撃してください。恐竜達が目覚めないうちに」
「海の底じゃ無理なんじゃないのか」
「でもいつ目覚めるかわからないんですよ」
「ガルーダ族みたいにずっと寝ていてもらいたいな」
「そうですよね。眠り薬があればいいんですけど」
その時楓は閃いた。
「マサさん!やっぱりそれかも知れません」
「それって?」
「ガルーダ族です」
「ガルーダ族は恐竜も眠らせられるのか?」
「そうではなくてガルーダ族なら上陸してきた恐竜を、マサさんのモグラみたいに叩き潰せるかも知れません」
「それ何だ?」
「マサさんのモグラの風船がたくさんいて、女王ガルダラと二人で破壊したのです。夢の話です」
「変な夢を見る奴だな」
「きっと恨みがあるからですよね」
「ガルーダ族には既に青狼人獣でお世話になっている。それとはまた別に恐竜まで相手にしてくれるだろうか」
「まともに頼んでも駄目でしょうね。女王ガルダラをその気にさせるものが必要です」
「あんな食物連鎖の頂点にあって、いつも眠っている連中にアピールするものなんてあるのかな?」
「帝亀なら知っているかも知れません」
「それ何だ?」
「海の中で出会った古代亀です。首長竜に追いかけられてあわや食べられるかというところを救われました」
「亀に助けられたのか?亀を助けた浦島太郎と逆じゃないか」
「凄く大きいです。大昔から生きていていろんなことを知っています」
「鶴千年亀万年というからな。ひょっとするとガルダラの好物を知っているかも知れんな」
「竜宮城にいた時に聞いておけばよかったのですが、そこまで思いつきませんでした」
「何かで釣らないとガルダラは乗ってこないだろう」
「もう私は人魚じゃなくなってしまったので、帝亀に会いに行くのも難しくなりました。わるいけれどまた宿鼠にお願いですね」
「人魚になった怪我の功名だ。陸にいたら知り得ない海の中の事情がわかったじゃないか」
「最近いろいろ視野が広がりました。でも新しいことを知るたびに事態はますます悪化している気がします」
「確かにそうだな。気が重くなる」
「少しでも心が晴れるように、せめてバイト料だけでも上げてもらいたいです」
「最近強引に金の話にもっていくな」
「生きているうちに少しは洋服も買いたいですから」
「百均魂はどこへ行った」
「百均への愛は不変です。でも百均じゃ洋服買えないです」
「必要なものは経費で買ってやる。今色々やってみているところだから期待せずに待ってろ」
「ほんとですか?何かいいものを買ってくれるんですか」
「そのつもりだ」
「つまんないものだったら、また憎しみを込めてマサさんのモグラ風船を叩き潰しますよ」
「相当根深い恨みを抱(いだ)いているな」
「夢にまで出るんですから」
しかし、世の中そう悪い話ばかりでもなかった。宿鼠が再び海に潜って帝亀にきいてみたところ、女王ガルダラの大好物は恐竜だということがわかった。巨大な妖鳥ガルダラは、餌も大物なのだ。眠りから目覚めて海から上陸してくる者達は、予期せざる強敵と出くわすことになるだろう。
妖鳥ガルダラ恐るべし––––––
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