第55話 妖鳥ガルダラ2

 楓と高見澤はチャーターしたヘリで、高度三千メートルから樹海を見下ろしていた。富士の山頂がすぐ隣に見える。富士の山体から広大な裾野が本栖湖、精進湖、河口湖に向かって広がっている。西に向かってはっきりと大沢崩れが確認でき、後方には富士市の向こうに駿河湾が望まれる。

 二人とも無線機を内蔵したヘルメットを着用して、つなぎのスーツを着ている。ヘリのローターの音が想像以上に喧(やかま)しかった。

 高見澤はただ景色を見下ろして楽しんでいるだけだが、楓は翼人族の在(あ)り処(か)を霊感で探していた。

「あ、あの辺かな」

 少しこんもり樹海が盛り上がったあたりに感じるものがあった。

「あの小さな丘みたいなところに降ろしてください」

 楓はパイロットに聞こえるように大きな声で言った。

 パイロットが手を上げて親指を立てて了解の合図をした。

 ふわっと体が浮き上る感じとともに、ヘリは高度を下げていった。

 降下するに従い、周囲に翼人族が飛び交い始めた––––––機械の飛び方とは違って軽やかな飛行姿勢が美しい。

 やっぱり鳥はいいわね––––––

 楓は携帯で写真を撮ろうとしたが、翼人族の動きが早くてうまくいかなかった。

「見張られてるな」

「まるでこちらが翼人族の領空を侵犯している感じですね」

 高見澤と楓は、樹海がすっかり翼人族の縄張りになっていることを悟った。

「この辺りには着陸できそうなところはありません」

 大分高度を下げてきたところで、操縦席のパイロットが振り向いて言った。

「じゃあロープで降ります」

 ヘリは更に高度を下げ、木の枝にかからない地上四十メートル弱くらいでホバリングした。これ以上下には危険で降りられない––––––背の高い針葉樹は三十メートル超になるのだ。

 楓は手に軍手をし、ロックを外してヘリの側面のドアを開けた。風が吹き込んでヘルメットが飛ばされそうになる。長いロープを地上に投げおろし、ベルトについたフックをロープに噛ませて、シートベルトを外した。

 首を出して見下ろすとビルの屋上から飛び降りる感じだった。ヘリが起こす風で下の木が揺れている。ローターの風圧が物凄く、上から頭を押さえつけられる。

「マサさん、行きます」

「俺が先に行って楓が落っこちてきたら受け止めてやろうか」

「大丈夫です。キャットウーマンですから」

 楓はそう言うとロープを両手でしっかり握り、足にロープを絡ませて空中に飛び出した。するすると上手に降りていく。

 いつの間にあんな技を身につけていたのかな––––––

 高見澤は感心しながら、自分も降下の準備をした。銃を落とさないようにホルスターに押し込み、予備の銃弾のマガジンがベルトに固定されていることを確認した。

 席を立つと突然の強風で機体が横揺れして外に放り出されそうになった。

 ロープにつかまった高見澤が揺れながら降りてきたとき、楓は両手を振って迎えた。

「何だかレスキュー隊員みたいですね」

 高見澤はフックをロープから外し、ヘリに手を振って合図したが、木々に邪魔されて見えそうになかった。

「無事着地した。連絡するまで待機してくれ」

「ラジャー」

 無線で操縦士と話し、ヘリはロープをぶら下げたままで、待機場所のヘリポートへ飛び去って行った。

「さて樹海の真っただ中に来てしまったぞ」

「もう後戻りできませんね」

 樹海の中は昼間でも薄暗く、空気は冷んやりしていた。

 ハリモミやアカマツなど背の高い針葉樹とミズナラなどの広葉樹が日光を遮(さえぎ)り、地面は緑色の苔や地衣類で覆われ、シダ類が生い茂っている。千二百年前の貞観大噴火で発生した溶岩流は、富士の裾野を覆い、当時存在した大きな湖水を埋(うず)めた。溶岩で埋め尽くされた広大な裾野に密生した原生林は、鳥や獣の棲(す)み処(か)であっても人間が暮らす場所ではない。

 樹海の中に入ると、二人は直ぐに方向感覚を失った。さっき上空から見えていたこんもりした丘がどっちにあったのかもわからない。だいたい見当をつけて歩き出したが、溶岩の大地は凹凸が多くて足場が悪く、木々の密度はますます濃くなった。

 楓は磁石を取り出して方角を確かめた。方角は間違ってはいなかったが、道がない深い森の中を彷徨(さまよ)って目的地に行きつけるのかどうか自信が持てなかった。

「森の中で迷って帰れなくなったらどうしましょう」

「探しに来られないだろうから、ミイラになって永久に発見されないだろう」

「このあたりには死霊の臭いがします」

「千二百年分の自殺者の死霊(しりょう)が屯(たむろ)しているのだろうな」

「うちに帰りたくなってきました」

 楓は心細くなって情けない声を出した。

「うわっ」

 高見澤が木の枝からぶら下がっているものに頭をぶつけて声を上げた。

 見上げるとミイラ化した首吊り死体が、アカマツの枝からぶら下がっていた。

「やっぱり自殺の名所っていうのは本当なんですね」

「自殺じゃなくても、迷い込んで出られなくてミイラ化している死体がゴロゴロしているのだろう」

「それ正に私達のことじゃないですか」

 楓は自分達ももうじきこうなるのかと思ってますます不安になった。

 樹海の中ではあちこちにいろいろな鳥の鳴き声がきこえた。姿は見えず何の鳥かはわからない。

 翼人族って鳴くのかしら––––––

「マサさん、さっきヘリの周りを翼人族が飛んでいましたよね」

「ああ」

「私達が降下したのを知っているはずですから、どこかで監視しているのではないでしょうか」

「そうかも知れない」

「下手に歩き回るより、翼人族を呼んでみましょう」


 おーい

 誰かー

 翼人族さーん


 ––––––楓はけっこう大きな声を出せる。

 声は樹海に吸い込まれ、耳を澄まして待ったが反応はなかった。

 翼人族なら空から来るかと上を見上げても、木々の枝葉で遮(さえぎ)られて何も見えなかった。

「駄目みたいですね––––––」

「よくあんな大きな声を出せるな」

「でも森が濃くて音も遮られてしまうみたいです」

 二人は声は誰にも届かなかったと思った。

 しかし、樹海の中には楓の声を聞きつけた思わざる者がいた。

 高見澤と楓が森の中で最初に出会ったのは、鳥でも翼人族でもなかった。

 血に飢えた青狼が、森の中からのそっと姿を現した––––––森の中なので人型ではなくて四つ足になっていた。しかも複数いる。狼の耳は楓の声を聞き逃さなかっただろうし、人間の臭いを嗅ぎつけたに違いない。

 しまった。こんなところにまでいやがったか––––––

 高見澤は焦った。

 抜かったことに、高見澤は青狼の群れと戦うに十分な銃弾を携帯していなかった。予備の弾倉はたった一つ––––––これでは青狼を二、三匹倒すのが精一杯だ。

 楓はいつも通り降魔の杭だけは持っていた。

 青狼の群れは、じりっと二人に近づいてきた。

「マサさん、こんなところで青狼にお目にかかるとは思いませんでした」

「最悪だ」

 高見澤はそう言いながら銃を抜いた。

 最初の一匹が飛び掛かってきた。

 高見澤の射撃は跳躍した青狼を確実に空中で捉えた。

 頭部を撃ち抜かれた青狼の死骸が足元に転がった。

 それを見て次の青狼が姿勢を低くして向かってくる。高見澤は二匹目も撃ち殺したが、早くも弾倉を一つ使い切った。空になったマガジンを抜いて捨て、予備のを挿入する。

 その間に襲ってきた青狼を、楓が降魔の杭を眉間に突き刺して倒した。

 しかし、青狼は次から次へとやってくる––––––どうやら樹海の中を移動していた群れを呼び寄せてしまったようだった。

「いったい何匹いやがるんだ」

「マサさん、多過ぎます。逃げましょう」

 高見澤と楓は後ろを気にしながら木々の間を縫って走り出した。

 しかし、二人はすぐに立ち止まった。走った方向からも青狼は姿を現した––––––大きな群れに囲まれていて逃げ場がないのだ。

 高見澤は、落ちていたアカマツの枝を拾って左手で握った。弾を使い切ったら、素手で狼と戦わざるを得ない。

 道に迷ってミイラになる以前に、青狼の餌食になりそうだった。

 絶体絶命のピンチ––––––

 二人がそう思った時、目の前にいた青狼が何処からか飛んできた長く太い針のようなもので串刺しになった。それは一撃で頑健な青狼を殺し、直ぐに飛び下がった。

 振り向くと後ろから、数匹の青狼が向かってくる。

 高見澤は片手で銃を構えた。

 しかし、それより先に、またどこからか太い針か槍のようなものが飛んできて、青狼を次々と串刺しにした。

 よく見ると針は飛んでくるのではなくて、何処からか鋭利な先端を持った長い棒状のものが槍のように突き出されては、引き戻され、それを繰り返しているようだった。

 青狼は高見澤と楓を攻撃する余裕を失い、草叢や木陰に身を潜めて、見えざる敵の攻撃をかわそうとした。

 しかし、致命的な武器の射手には隠れた青狼が見えているようで、長大なニードルは様々な角度から弾丸のようなスピードで伸びてきて、標的を過たず突き刺した。

 高見澤と楓は息を呑んで、青狼が一方的に殺戮される光景を見守った。


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