第50話 狂気のハロウィン1
耳がピンと尖った仮面に黒いマントと黒シャツに黒ズボン。太いベルトにいくつも弾倉をぶら下げ、手にしているフルオートの銃は本物だ。
引き締まった体形がバットマンの扮装をしても様(さま)になる。仮面で顔を隠しても土台がいいのでかっこいい。高見澤にこれほど相応しいキャラはないだろう。
楓はと言えば、体にぴったりの黒一色のボディスーツとロングブーツ。猫耳と一体になった仮面をつけ、手には降魔の杭と鞭(むち)を持っている。しなやかな肢体は黒豹の如し––––––キャットウーマンを演じた歴代女優を凌ぐ決まり様(よう)。
映画から抜け出してきたようなペアは、飾り付けられたハロウィンの夜の街に映えた。
ショーウィンドウには怪しい光に照らされた魔女や髑髏の人形。そして街の至る所に橙色のジャック・オ・ランタンが大きな口を開けている。
街路は奇妙奇天烈な仮装をした人々で溢(あふ)れ、人獣、妖怪、人間の見分けがつかない。人獣のコスチュームが激売れしたというから、コスプレも人獣ブームである。
毎年人獣に間違われて殺されたり、本物の人獣に襲われたりで、死者が続出する。血塗られた行事になっているのに、何故かハロウィンをやめようという話にはならない。ハロウィンで儲けを見込んでいるビジネスが多く、その利権を持っている大物政治家が背後にいて、役人はそれが自分の仕事であるかのように忖度(そんたく)して、危険なハロウィンを盛り上げている。政府がビジネス重視で人命のリスクには目を瞑(つむ)るので、人々もお祭り気分に浮かれて危険を忘れがちになる。
人々はコスプレが大好きで、大人も子供も堂々と仮装して外に出歩けるこの日を楽しみにしている。プロのレイヤーにとってもビッグイベントだ。人々は人獣や妖怪の被害が増えて、かえって仮装に熱を上げ始めた。どうやら自分も人獣や妖怪だったらどうだろう、というファンタジーを心に持つ者が増えたようだ。
人獣や妖怪のほうも、仮装した人間の群れに紛れやすいので、ハロウィンを待ちかねていて、これ見よがしに街に繰り出す。
一晩で死者が十人で済めば大したニュースにもならない。百人殺されれば見出し記事になるだろう。
高見澤と楓は、仮装した人々の流れの中で、人獣の動きに神経を尖らせていた。
高見澤はその夜人獣の派閥同士の抗争が起こるだろうとの事前情報を得ていて、その戦いの様子から、人獣の勢力図を描き出そうとしていた。
普段個別に人獣が起こす事件を潰していても、人獣社会の全体像は見えてこない。人獣の世界が中でどうなっているのかは、ほとんど何も情報がない。しかし、ハロウィンの夜は、どのような人獣のグループが存在し、それぞれどれほどの勢力で、どのように敵対し合っているのかを知る絶好のチャンスだった。
闇に包まれている人獣社会の構図が見えてくれば、それをどうやって潰せるか、手立ても見えてくるはずだ。
人獣と比べると、妖気や妖怪は組織化されておらず、もっと実態が把握しづらかった。逆に言えば妖気や妖怪はまだ個別対応のレベルであり、人獣のように内部社会を形成するまでには至っていなかった。
人獣については既に、「人獣比率」という見方がある。
かつては十万人に一人と言われていて、首都圏にいる人獣はせいぜい三百人くらいに過ぎなかった。それが今では千人に一人になっている。人口比0.1%に過ぎないが、それでも人獣に出くわす確度はぐんと高まっている。
これが1%、即ち百人に一人のレベルになると次元の違う脅威になる––––––人獣だけで百万都市が成立する勘定になる。恐るべきことに、今この人獣比率は0.1%から1%レベルに向けて急増しつつあると考えられていた。
人獣急増のメカニズムは不明である。従来は妖気に取り憑かれた人間が人獣化するパターンだった。しかし、急激な人獣の増加は、また別なメカニズムが働いているのでないと説明がつかなかった。
原因不明の急増で、人獣は独自の人獣社会を生み出しつつある。一定規模に達した人獣社会は、既にその内部で彼ら自身の秩序を求め始めている。その水面下の動きを垣間見られるのがハロウィンの夜なのだ。
「マサさん、向うからくる青い狼は人獣だと思います」
楓が背の高い高見澤の肩に顔を寄せて言った。
分厚い胸の体格のよい男で顔と手が狼になっている。急いでいるようで人混みの中を搔き分けるようにして早足で歩いている。
青い狼はチラッとキャットウーマンに視線を向けた––––––別に敵視する感じではなく、雌の黒豹への関心に過ぎない。
すれ違いざまに、楓は人獣の臭いを嗅ぎ取った。
「間違いないです」
高見澤と楓は踵(きびす)を返して、男の後を尾行した。青い狼人獣は新種である––––––従来の狼人獣は茶褐色かグレーと相場が決まっていた。
青(せい)狼(ろう)を追いかけるうちに、向こうからホログラムのように淡く光る妖怪や鬼の群れがやってきた。仮装した人間達と重複して見えるのは、その妖怪や鬼達は形はあるが妖気であり、人の体を透(とお)り抜けるからだ。
「マサさん、あれは百鬼(ひゃっき)夜行(やこう)です!」
楓は驚いた。
しかし、ハロウィン気分の仮装した人々は、百鬼夜行を見ても驚かない––––––自分達もその仲間になっているつもりなのだ。
ただそれは幻想に過ぎず、鬼どもに取って喰われる犠牲者が実際に出てくるのだが、ハロウィンの夜は、異常な群衆心理で人々の危険回避本能は麻痺している。
高見澤と楓は、緊張しながら長い百鬼夜行の行列とすれ違い、青い狼を追い続けた。
気がつくと青狼は数人のグループになっていた。
「どこかに集結しようとしているな」
「人獣の派閥対派閥の抗争が起こるというのはどうやら本当のようですね」
「青狼は増殖している人獣の中でも、特に急増してきている。従来種よりも戦闘力が強い」
「敵対するのはどんな人獣でしょうね」
「今までは、狼系以外には熊人獣、猪人獣などがいたが、狼系は熊系や猪系と争っている感じはなかった」
「青狼の敵方も新種の人獣かも知れませんね」
「虎系とか出てきて欲しくない」
虎人獣やライオン人獣が出てくれば、ますます手強い相手になる。青狼が敵対している相手を知ることが、今夜の重要なテーマになりそうだった。
その時、楓は夜空にたくさん見慣れないものが飛んでいるのを見つけた。
「マサさん、あれ!」
鳥にしては大き過ぎる。まるで獣に翼が生えたような姿だった。
「飛行人獣だ」
よく見ると鳥型のもいる。
「怪鳥と飛行人獣の空中戦ですね」
––––––ハロウィンの夜空では滅多に見られない空中ショーが繰り広げられていた。航空ショーのような見世物ではない、空飛ぶ化け物同士の本気の殺し合いだ。
地上も空もこんな状態で、よく人々は楽しめるものだ––––––
今のところ人間はまだ圧倒的多数なので、危機感が不足しているのだ、と楓は思った。
そうこうしているうちに、仮装した人々でごった返している、歩行者天国の大通りに出た。
青い狼は集団になっている。
むこうから顔が白い一団が、青狼の集団に向かってやってきた。
「おおっ!」
高見澤は思わず声を上げた。
それは初めて見る白(はく)狼(ろう)の人獣の集団だった。
青狼対白狼の抗争なのか––––––
人獣抗争が狼人獣の内輪の争いであったのは予想外だった。
その時、楓は人混みの中に、対峙した青狼と白狼の動きを見守っている、黒装束の忍者の姿を見つけた。
あっ、あれは鬼族だ––––––
楓は霊感ですぐにそれが亜空間霊界の鬼族の忍びであることを悟った。特徴的な一対の角は、ハロウィンの仮装ではなくて本物だ。
鬼族は百鬼夜行の妖怪の一種の鬼ではなく、ハロウィンを楽しむような輩ではない。
何しに来たのか––––––
「マサさん、あの黒装束の忍者はコスプレではなくて本物です。何が起ころうと、決して相手にしてはいけません」
––––––楓は、鬼族の忍者が如何なる人獣よりも遥かに危険な相手であることを知っていたのだ。
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