第45話 寝夢4

 ロルルルは人通りのない深夜の街を歩いていた。

 ポケットには寝夢が入っている。行先は楓の賃貸アパートだ。

 朝はもうそう遠くない。この時間には宿鼠を狩る人獣も眠っている。宿鼠が外に出歩くには一番安全な時間帯。ロルルルは夜明けまでには隠れ家に帰るつもりだった。

 慎ましい二階建てのアパートの郵便受けに、水神楓の名前と部屋番号があった。外部階段を音を響かせないように二階に上がり、ロルルルは楓の部屋の扉の前で霊感を展開した––––––楓は自分の部屋でもう眠っていた。

 ロルルルはノックして楓を起こそうかと思ったが、思い留まった––––––楓が自分から何を聞きたいのかはわかっていた。

 ロルルルはポケットの中でうとうとしていた寝夢を起こして外に出した。

「水神楓さんは確かにこの中にいる。水神がミズカミかどうかはまだわからないが、自分で行って話をするといい」

「どうもありがとうございました」

 寝夢はロルルルの掌の上で礼を言い、流動体に変化して指の間からしたたり落ちた。

 液体化した寝夢は床を伝って楓の家の玄関の隙間から中に入っていった。

 寝夢が無事に入れたのを見届けたロルルルは、精神を集中して楓に思念を送った––––––明け方の夢で見られるように。


 その夜、楓の夢の中に仮面をつけたフードの男が現れた。

 仮面を付けている点以外は宿鼠そっくりだった。

 男は眠っている春瀬あやかに暗示を掛けているところだった。

「眠れるものなら眠って見ろ。それがお前の最後の眠りになるだろう」

 ベッドに眼を閉じたまま腰掛けていた春瀬あやかは、男の言葉を聞くと、ベッドにもぐりこんで眠りについた。

 楓はその男に呼び掛けた。

「あなたは何者なの?」

 男はゆっくりと楓のほうに振り向いた。

「水神楓、あなたこそ何者なんですか?」

 そう言って男は黒い仮面を外した。

 ロルルル––––––

 春瀬あやかを眠らせないように脅迫していた犯人はやはりロルルルだったのだ。

 宿鼠がなぜそんなことをするのだろう––––––

「楓さん、春瀬あやかを守ってください。私が掛けた暗示はもう効力を失いました。目覚めるとまた同じことを繰り返すでしょう。体内に潜んでいる魔が、眠りの中で春瀬あやかを殺そうとしています。降魔の杭では殺せませんが、きっと寝夢があなたの助けになるでしょう」

 それだけ言うと、ロルルルの姿は霧状になって消えていった。

 ロルルルがいなくなると、目の前にベッドがあって春瀬あやかが眠っていた。ロルルルが消えるのを見計らっていたかの如く、春瀬あやかは虚ろな眼で立ち上がった。

 バルコニーの扉を開けて外に出ようとする。

「春瀬さん、駄目です!」

 楓は腕をつかんで止めようとしたが、春瀬あやかは激しく振り払って外に飛び出し、バルコニーの鉄柵の上に身を乗り出して飛び降りようとした。

 楓は急いでその背中に飛びつき、高見澤がやったようにはがいじめにして鉄柵から引きはがそうとした。春瀬あやかは思わざる力で抗(あらが)った。

「邪魔立てするでない!」

 春瀬あやかはしゃがれた声で叫んだ––––––何者か別人の声だ。

 獣のような力で、楓を背中に背負ったまま鉄柵を越えようとする。

 遥か下の道路が見えた。

 その刹那、足下のバルコニーが消え失せ、楓と春瀬あやかは宙に投げ出された。

 もろともに真っ逆さまに転落していく。

 あっ

 その瞬間、夢の中の映像が消えて真っ白になった。

 楓はベッドの中で目を覚ました。

 カーテンから朝の光が漏れている。

 夢か––––––

 その時、楓は隣で寝ている小さな生き物がいるのに気付いた。

「あれ、これは何かしら」

 楓は起き上がって、知らぬ間に自分の布団の中にもぐり込んでいた生き物を手にのせた。

 すべすべした幼児体形の体は薄桃色で、ハートの形をした赤い尻尾がある。頭の上部に丸い耳が出ていて、毛髪の替わりに栗色の紋様がある。あどけない顔は眠そうで、瞼がトロンとしていた。

 可愛い––––––

「あなた、いつの間にどこから来たの?」

 楓は掌の上で大人しく座っている子の頭と背中を撫でた。

「夜のうちに連れて来てもらいました」

 驚いたことに、その小さな生き物は言葉を喋った。

「連れて来てもらった?誰に?」

「宿鼠です」

「そうなんだ。夜中に宿鼠が来たのね」

「楓さんはもう眠っていたので起こさなかったのだと思います」

「どうやって中に入ったの?」

「水になって隙間を通りました」

「あなたも水栗鼠の仲間なの?」

「私は夢の精です。寝夢といいます」

「夢の精?霊界獏の精なの?」

 ––––––楓は夢の精と霊界獏については知っていた。

「はい、そうです」

「夢の精も霊界獏も亜空間霊界に住んでいるのよね。なぜ人間界にやってきたの?」

「人間界に生まれました」

「それはどうして?」

「わかりません。ロルルルは楓さんが教えてくれるかもと言っていました」

「それで私のところに来たの?」

「夢の精はミズカミの使徒ですから」

「水神の使徒?私を助けてくれる精霊なの?」

「はい」

「へえーっ、そうなんだ––––––」

 どうやら突然現れた寝夢は楓の味方のようだった。

「さっき少し夢を食べましたが、お腹が空きました」

 寝夢が情けない声を出した––––––リリルルにたくさんバナナを食べさせてもらったのに、寝夢はすぐにお腹が空いてしまう。

「夢を食べた?」

「二人で落っこちる夢」

「あっ、それで急に夢が真っ白になって眼が覚めたのね!」

「ロルルルは話したかったことを夢で伝えました」

「そうだったのね。昨日占い師に頼んでおいたから、来てくれたのね」

「お腹が空きました」

「何が食べたいの?」

「果物とか木の実とか。それがなければ葉っぱでも我慢します」

「ちょっと待ってね」

 楓はナイフで林檎を小さく刻んで皿に入れ、食卓に置いてやった。

 ヒュイッと上唇が伸びて、器用に林檎の欠片を口に運んでもぐもぐする。

「美味しいです」

「その食べ方はやっぱり霊界獏ね」

 楓は寝夢が食べている様子がとても可愛いので、笑顔になった。


 楓が寝夢をバッグに入れて、隔離病棟の春瀬あやかの部屋に来た時、高見澤が部屋のドアに持たれていびきをかいていた––––––床に座って寝ずの番をしていたらしい。

 春瀬あやかのためならそこまでやるのか––––––

 楓は呆れて言葉がなかった。

「あ、この人は夢を見ていますよ」

 バッグから首を出した寝夢が高見澤を見て言った。

「何の夢」

「夢の中で楓さんの眼を調べています。眼のことを不思議に思ってますね」

「そうなんだ」

 ––––––春瀬あやかの夢を見ているに違いないと思ったのに、楓の夢だった。

 マサさん、私の眼が気になっているのね––––––

 でも可愛い!

「起こします」

 寝夢はふわりと浮き上がって、寝ている高見澤の顔に近付き、長い上唇を伸ばして高見澤の鼻を突(つつ)いた。

「ん?」

「マサさん」

「この眼は一体なんだ––––––ん?」

 夢の途中で起こされた高見澤は一瞬寝ぼけたことを言った。

「マサさん、お疲れ様。朝ですよ」

「ん、楓か。うわっ!こ、これはなんだ?」

 高見澤は、飛んでいる寝夢を見ていっぺんに目が覚めた。

「夢の精霊の寝夢です。私の助っ人です」

「また新種が出たな」

 高見澤は目をこすりながら立ち上がった。

「味方ですから安心してください」

「それならいいけど」

 高見澤も一応驚くけれど、驚くことには慣れている。

「マサさんの推しは大丈夫ですか?」

「ちょっと様子を見てみよう」

 高見澤は部屋の鍵を持っていた。

 保護室に隔離された春瀬あやかは、ベッドで眠っていた。

「あ、虫だ」

 寝夢は春瀬あやかを見るなり言った。

「体内に屍(し)虫(ちゅう)という深い睡眠時に目覚める虫が巣食っています。眠ったままで体を動かします。屍(し)虫(ちゅう)は体外に出ると『ショウケラ』という妖怪の姿になります」

「それが夢魔なの?」

「違います。夢魔よりはずっとずっと下級の魔です」

 その時春瀬あやかの体が起き上がった。

「屍(し)虫(ちゅう)が目覚めました」

 春瀬あやかはベッドから下りて、楓と高見澤を無視して保護室のドアを開けようとした。しかし、強固なドアは鍵が掛かっていてびくともしなかった。

 ウウウッ

 春瀬あやかは苛立(いらだ)ったような呻(うめ)き声をあげた。

「ショウケラが出てきます」

 寝夢がそう言うと同時に、上半身裸の女の餓鬼が春瀬あやかの体から分離して現れた。醜(みにく)過ぎて眼をそむけたくなる。

 覚醒した春瀬あやかが、ショウケラの姿を見て絶叫し、また気を失って倒れた。

「なんて醜い奴なんだ」

 高見澤はショウケラのあまりの醜さに呆れた。

 高見澤は銃を抜き、楓は降魔の杭を構えた。

「ショウケラは妖気で体は実体がないから、武器で攻撃しても駄目です」

 寝夢が二人を止めた。

「じゃあどうすればいいの?」

「お腹が空きました」

 楓は食べてる場合かと思ったが、ポケットからグミを取り出して、寝夢に差し出した。

 ヒュイッと口が出て、もぐもぐしてごくんとグミを呑み込むと、寝夢はやる気を出してショウケラに相対した。

 ショウケラは寝夢が近づくとあとずさった––––––怖れている。

「マサさん、やっとわかりました。この醜い妖怪が、美女への妬(ねた)みから、美しい女優ばかりを狙って殺していたんです」

 楓は遂に連続夢遊病事件の犯人を見つけたと思った。

 寝夢はふわふわ浮遊してショウケラに近寄った。

 醜い女の餓鬼は寝夢が近づいてくると、慌てて逃れようとして、狭い部屋の中を走りまわった。

「悪霊退散!」

 寝夢は餓鬼を追い回しながら、長い鼻を出してラッパのように膨らませた。ヒュイッと音がして、ショウケラは寝夢の口の中に吸い込まれた。

 もぐもぐ、ごっくん

 ゲプッ

 寝夢はショウケラを一瞬のうちに消化してげっぷを出した。宿鼠は妖気を呑み込んで宿すことができるが、寝夢は本当に食べてしまうのだ。

 小さな体の寝夢が自分よりずっと大きな妖怪を一呑みにしたのには、楓も高見澤も驚いた。

「小さいけど凄くないか?」

 高見澤は寝夢の力にすっかり感心してしまった。

「楓さんの使徒ですから」

 寝夢はちょっと自慢気に言った。

 小さくてあどけない顔をしているのに、妖怪妖気キラーなのだ。

 ––––––夢の精霊寝夢恐るべし。


 寝夢の活躍で春瀬あやかは救われた。生気を取り戻した春瀬あやかの美貌は眩しいばかりだった。醜いショウケラが美しい女優に恨みを持っていたのは明らかだった。

 春瀬あやかは悪夢と夢遊病から解き放たれ、また忙しい女優業に戻った。こんな事件でも起こらなければ、高見澤も楓も近寄ることさえできないスターだった。

 春瀬あやかは、高見澤と宿鼠のロルルルの共通の推しであることが判明した。女優春瀬あやかの魅力は、刑事だけならず、なんと水栗鼠の妖怪の宿鼠まで虜(とりこ)にしていたのだ。

 高見澤とロルルルは、感謝の印に春瀬あやかの直筆サイン入り写真集を贈られた。

 高見澤もロルルルも嬉しくてメロメロだった。二人は共通の推しを通じて、すっかり意気投合してしまった。

 楓は高見澤の軽薄さに呆れて、冷ややかな視線を送ったが、あまりうるさくは言わなかった––––––実は楓もこっそり春瀬あやかのサイン入り写真集をもらっていて、嬉しくて仕方がなかったのだ。

 ––––––女優春瀬あやか恐るべし。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る