第38話 億り人1

 火葬師美濃妖(みのよう)吉(きち)は億り人だった。

「億り人」とは、仮想通貨や株式投資で泡(あぶく)銭(ぜに)を稼いで、億万長者に成り上がった者のことをいう。死体を綺麗にして棺(ひつぎ)に入れる納棺師の「送り人」をもじった造語である。

 億り人美濃妖吉は美濃の山奥で生まれた。背が低く、くりくりした大きな眼は可愛げがあり、瞼(まぶた)には皺がある。鼻は小さく、口は大きいが唇は薄く、上唇にも年寄りみたいな皺がある。風貌に妖怪の相があり、妖吉という命名からして、その素性は得体が知れなかった。

 妖吉が両親から聞いた話では、祖先は山の神であり、毎年肉付きの良い里の娘を生贄にもらって喰らっていたという。それが法力のある僧に敗れて神の座を追われたのだと。実態は神に成りすましていた、山神の使いの猿の妖怪だったようだ。

 妖吉の顔はちょっとヨーダに似ていた。友達にはヨーダの妖吉と呼ばれ、小学校までは、面白い奴ということで意外と人気があった。他に売りがないので、妖吉はヨーダの物真似をして受けを取っていた。しかし、中学になって思春期になると外見から差別を受けるようになり、特に女子からは冷たくあしらわれた。

 妖吉は勉強もできなかったし、塾にもかよわなかった。友達もいなくなり、いつも一人離れているようになったので、ヨーダの妖吉はぼっちの妖吉になった––––––妖吉は学校を止めて働こうと思った。

 中学を中退した妖吉は、都会に出てきて年を偽って火葬場で働き始めた。年齢不詳な顔付きはこういう時には役に立った。

 火葬師になることを希望する若者は多くない。死体の焼却や残った灰と骨の処理は慣れてしまえば、何ということはないが、一生の仕事としてはイメージが良くない。結婚相手も二の足を踏む。しかし、毎年全国の死亡者の数はおよそ百四十万人にものぼる。死者はすべからく荼毘(だび)に付される国柄であり、火葬師は食いっぱぐれのない仕事だった。

 むしろ火葬場は、美濃の山奥で育った中学中退の妖吉には、願ってもない夢の職場だった。

 妖吉は自分自身妖怪の血筋だとの自覚があった。両親は妖吉が中学を中退した時、忽然と行方不明になった。子供の目にも父親も母親も普通の人間には見えなかった。妖吉は無理して人間と競争して生きていくよりは、自分らしい生き方をしようと思った。

 妖吉は人の死体に触れることには何の抵抗もない。納棺師に比べれば、火葬師は死体処理より、むしろ火葬後の灰の始末のほうが多い。毎日火葬炉でせっせと死体を焼き、煙となって立ち上る死霊の匂いを嗅いで過ごす。そんな生活が、妖吉には最高の人生に思われた。

 火葬場の丁稚(でっち)に過ぎなかった妖吉が、身を立てることができたのは、ひょんなことから始めた副業のお陰だった。火葬場に来た遺族に、飼う人がいなくなった故人のペットの処分を頼まれた妖吉は、自分に最適なアルバイトを思いついた。

 個人で始めたペット専用火葬サービス。最初は夜中にこっそり人用の火葬炉で焼いていたが、頭金を稼いでローンを借りて自らの火葬場に投資した––––––中古の火葬炉を小型トラックに積んだだけの移動式火葬場だった。人の火葬は昼間なので、昼間は火葬場の丁稚をしながら、夜はペットの死骸を引き取りに行って、海辺の空き地にトラックを止めてペットを火葬して、灰を砂浜に捨てた。

 幸運だったことに、空前のペットブームで需要が急増し、この仕事で妖吉は自分の本物の火葬場を持つ元手を稼ぐことができた。

 自前の火葬場を持った妖吉は、直ぐに人の死体を使った新たな商売を考え始めた。

 ただ焼いてしまうのはもったいない––––––

 遺族の承諾があれば、研究用や解剖用に死体をさばくことはできたが、火葬場に来る人々はそんなことは考えもしない。死体を欲しがっている者は多いのに、古い風習に支配された人々は、故人を灰にしてしまわないことには気が済まない。

 もったいない、もったいない。何とかやり方はないものか––––––

 そう思いながら、妖吉は日々死体を焼いていた。

 ある日、そんな妖吉を長い銀色の髪の老婆が訪れた。皺だらけの顔はどす黒く、どれほど歳を取っているのかわからなかった。

 妖怪の血を引く妖吉は、その老婆が人間ではないことを本能的に感じた。

「死体一つにつき切りよく百万円で引き取らせてもらうおう。頭と胴体と四肢が揃っている死体なら、多少損傷があっても構わない。手入れはこちらでやるから」

 老婆は名乗らずに、用件だけを手短に述べた––––––相手も妖吉が普通の人間ではないことを知ったうえで商談に来ていた。妖吉にとっては正に渡りに船の申し出だった。

「いくつ欲しいんですか」

「いくらでもあるだけ引き取る」

「現金と引き換えなら」

「望み通りに」

 老婆は即座に承諾した。

「このことは他言無用じゃぞ」

 謎の死体の買い手は、妖吉に釘を刺した。

「もちろんですとも」

 ––––––妖吉が億り人への第一歩を踏み出した瞬間だった。

 火葬場の仕組みは単純だ。木の棺に入った死体を耐火壁に囲まれた火葬炉の中に車のついた台車で入れ、炉の蓋をロックして、遺族に点火のスイッチを押してもらうだけだ。強力なバーナーが1000度の高温で、棺もろとも焼き尽くして灰にする。

 遺族は死体がいったん火葬炉に入ってしまうと、二度とそれを目にすることはない。それが本当のお別れの瞬間だ。

 妖吉は、火葬炉の裏側にいて、炉に入った死体を取り出し、素早く犬の死体と入れ替え、表に回って遺族に声を掛ける。

「準備が整いましたので、点火をお願い致します」

 これで死体は妖吉のものになる。焼き上がって灰になった遺骨を台車で引き出して、遺族は犬の灰と骨を拾って骨壷に入れて大事にもって帰る。

 この仕組みが学歴も教養もない妖吉を、人もうらやむ億り人に変えた。毎日火葬炉から立ち上る煙を見て暮らす生活は変わらないが、死体売買で稼いだ現金を種銭に、仮想通貨と株に大きく投資して巨万の富を築いた。

 ––––––妖吉には仮想通貨は「火葬通貨」だった。

 火葬師は社会的地位と言えるものはなかったが、職業がなんであれ、金の力は万能だった。億り人の妖吉は竜宮城をイメージした豪邸を建てて、贅沢な暮らしをしていた。大卒のエリート金融マンや保険や不動産会社の担当が、毎日のようにコメツキバッタのように妖吉に頭を下げにやってくる。

 妖吉は火葬場の煙を見上げながら言う。

「それで何億やればいいんですか」

 そんな時、妖吉はほんの少し気分がよかった。しかし、自分の出自や学歴を考えると、どうしても頭を下げに来ている人達のほうが自分より上に見えて、決して横柄にはしなかったし、素直に業者の言うことをきいた。そのため火葬場の億り人は、ますますエリート金融マン達の大切なカスタマーになった。

 死体の買い手は、いつもあの銀色の髪の老婆と決まっていた。

 夜摩の巫女––––––それが老婆の正体だった。

 妖吉は夜摩が死霊界を牛耳る者であることは知っていた。

 夜摩は死霊や妖気を宿らせる体を求めており、妖吉が提供する良質な死体を、いくらでもいい値段で買い取ってくれた。

 夜摩の霊力は強力で、死体さえあれば、それに死霊や妖気を吹き込んで蘇生させることができた。生きている人間に妖気が取り憑くと、人獣化する場合が多い。しかし、死体を使うとそのような現象は起こらない。全く普通の人間の姿で別人として蘇る。

 夜摩が何を目的にしているのかわからなかったが、妖吉は自分の商売に関係のないことには、余計な口出しをしなかった。

 妖吉は、自分の仕事は死体を無駄にしないことと、死霊や妖気にもう一度人として生きる機会を与える点で、社会的意義が大きいと思っていた。新聞紙やペットボトルを再生するのが世の中のためなら、死体を再生するのはもっと立派な社会貢献事業だと思った。ただ世の中にそれが知られれば、大騒ぎになる話なので、固く口を閉ざしていた。

 火葬場の億り人の秘密は、誰にも知られることはなかった。

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