第37話 イミテーション5
翌日、変身人獣とは別件で高見澤は朝から外に出ていった。
楓は前夜の失敗に懲りて、今日は大人しくしていた。
高見澤が外に出て、楓はお留守番––––––刑事とバイトのあるべき姿の一日になりそうだった。
楓は昨晩は迂闊(うかつ)にシャンパンを口にして不覚を取った。あっという間に気を失ったが、別に眠り薬が入っていたわけではない。楓はほんの僅かな量でも意識を失うほどアルコールに敏感なのだ。
楓は自分の間抜けさに、一夜明けてもまだ自己嫌悪を感じていた。
それにしても昨晩高見澤は見事に楓のピンチを救った。その手並みの鮮やかさは尋常ではなかった。
マサさんはまるで霊感で私のピンチが見えたかのように助けに来てくれた––––––
その時の高見澤は、楓を守護する聖杯の騎士のように見えた。
楓はイミテーションの高見澤が素敵だと思っていたが、昨晩の高見澤は文句なしにかっこよかった。押しつけがましくない優しさも最高だった。
マサさんって最高のネギね––––––
楓はその時のことを思い出すと、知らず知らず笑顔になっていた。
高見澤は霊感者ではないのだが、どこか奥深いところで楓の心とつながっているのでないかと思われた。
楓がほっこりした気持ちで和んでいた時、出ていったばかりの高見澤が帰ってきた。
「あれっ、マサさんもう帰ってきたんですか」
そう言いつつ楓は息を呑んだ。
さきほど出ていった時と服装が違った。
変身人獣––––––
「おはよう、水神楓さん」
イミテーションの高見澤は、本物のそっくりの仕草で「自分の」席に腰を下ろして、頭の後ろで腕を組んだ。
「昨日は、縄で縛り上げたりして失礼した」
楓は答えず、懐を探った。
降魔の杭がない––––––
昨晩どこかで落としたのか、楓は記憶がなかった。
「ん、これを探しているのか?」
人獣の高見澤はポケットから降魔の杭を取り出して、楓に投げ渡した。
「危険だから預かっておいた。それを持っていたので悪いけれど縛らせてもらった。目覚めると俺を殺そうという魂胆が見え見えだったからね」
「あなたはここへ何をしに来たんですか?」
楓は受け取ったばかりの降魔の杭を握りしめた。
「一言言っておきたいことがことがあってね」
「私にですか?」
「誤解されたままなのも嫌だったから」
「誤解って何ですか?」
「俺は高見澤の姿をしているが、それを利用してナンパしていたわけじゃない」
「海辺で一緒だった女性は人獣だったのですね」
「俺と同じ種族で俺の最愛の人だった。それを残虐な高見澤が惨殺したのだ」
「マサさんはそんな残虐な人じゃありません」
「人獣と見れば見境なく殺す虐殺者だ」
「それは人獣が人殺しをするからでしょう」
「俺達の種族はそんなことはしない。人獣でも変身人獣は違う種族なんだ」
「イケメンのマサさんに化けて、女性を誘惑して殺していたではないですか」
「それが誤解だというんだ。いつ俺がそんなことをした。俺が付き合っているのは、同じ変身人獣の女性だけだ。そんなことぐらい霊感でわからないのか」
そう言われて、楓はイミテーションの高見澤の眼を見詰めた。
楓の瞳が、キラキラと星屑を集めたような煌めきを放った。
はっ
その瞬間、楓は悟った。
この人が言っていることは全部本当だ––––––
私をカフェに連れていったのも、パーティーに誘ったのも、悪意はどこにもなかったんだ。昨晩その気があれば気を失っていた私を殺すのは簡単だった。この人は初めから私を殺す気なんかなかったんだ––––––
殺す気があったのはこの人じゃなくて私だった––––––
楓は取り返しのつかないことをしてしまったと思った––––––本物の高見澤は何の罪もない無害な変身人獣の女性を撃ち殺してしまったのだ。
楓は握りしめていた降魔の杭を机に置いた。
「ようやく気がついたようだな」
イミテーションの高見澤は席を立った。
「俺達は殺し屋じゃない。殺し屋はあいつなんだ」
「マサさんは知らなかったんです」
「知らなければいいのか」
成りすましの高見澤の声は怒りで震えていた。
「俺は殺し屋にはなりたくなかったが、あいつだけは許せない」
そう言って変身人獣の高見澤は出ていこうとした。
「待って。どこへいくの?」
「もちろんあいつを殺しにいくんだ」
「やめてください。あなたは殺し屋じゃない。私にはよくわかりました。でもマサさんは人獣殺しのプロなんです。あなたに勝ち目はありません」
––––––楓はなんとかもう一人の高見澤を思い留まらせようとした。
「どういう結果が出ようと、俺は殺された彼女のために戦わずにはいられないんだ」
「そんなことをしたら、あなたも殺されるだけです」
しかし、イミテーションの高見澤は楓の言葉に耳を貸さず、早足に部屋を出ていった。
楓は暗澹(あんたん)たる気持ちになって、頭を抱え込んだ。
どうしたらいいんだろう––––––
マサさんに連絡してイミテーションを殺さないように頼めばいいんだろうか––––––
でも変身人獣のほうはあの勢いなら、マサさんを殺さずにはおかないだろう––––––
どう考えても二人の高見澤のどちらか一人は死ななければならなかった。
楓は高見澤––––––本物のほうの高見澤を守りたかった。でも、イミテーションの高見澤から返してもらった降魔の杭を、当の本人に打ち込むことは考えられなかった。
どうしてこんなことになってしまったのかしら––––––
不知光(しらぬい)の巫女ならなんとかできるかしら。でもむしろ問答無用で人獣を殺してしまう可能性のほうが高そう––––––
ジレンマを解消する手はなさそうだった。
とにかくマサさんに連絡しよう––––––
楓が高見澤に連絡しようとした時、携帯が鳴った。
マサさんだ––––––
「もしもし、水神です」
「俺だ。楓の仇を討ったぞ」
「仇––––––」
「楓を縛り上げた変身人獣は俺がちゃんと始末した。これで捜査第一課にも大見得を切れる」
電話の向こうの高見澤の声は明るかった。
「マサさん––––––」
「今晩は、成りすましを退治したお祝いに、ケーキをおごるぜ」
「マサさん、マサさんが無事でよかったです。今日はケーキはいいですから」
楓は高見澤が無事だったので嬉しかった。でも同時にイミテーションの高見澤が死んだことが悲しかった。到底お祝いの気分ではなかった。
なんということをしてしまったんだろう。人獣をすべからく殺人者だと決めつけていた自分は間違っていた。霊感でもっとちゃんと確かめていれば––––––
楓は悔やんでも悔やみきれなかった。
高見澤が、高見澤を襲ってきた成りすましを殺したのは仕方なかった––––––そうしなければ自分のほうが殺されていただろう。
でも楓が霊感をもう少し早く働かせて、変身人獣の内面を見透(みとお)していれば、やり様はあったはずだ。
しかし、今となっては全てが遅過ぎた。
カフェで話した時の、イミテーションの高見澤の爽やかな表情が脳裏から離れなかった。
涙が楓の頬を伝った。
電子義眼が涙を流した。
楓はハンカチで頬を拭(ぬぐ)ったが、涙は止めどなく流れ続けた。
––––––楓は自分の電子義眼が悲しみに反応することををそれまで知らなかった。
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