第36話 イミテーション4

「危ないのはわかっていますが、行ってみようと思います」

 楓は高見澤に一応相談した。

「それ鴨がネギしょって飛んできたみたいにならないか」

「飛んで火に入る夏の虫という意味ですか」

「それの美味しいバージョンだ」

「危険に飛び込むことになりますね」

「狼が口を開けて待っているだろう」

「私は鴨のほうですか?」

「ネギは鴨をしょって飛ばないからな」

「じゃあこの場合ネギは何ですか?」

「不必要に絡まないで欲しい」

「マサさんがネギじゃないんですか?」

 楓は不満そうに顔をしかめた。

「何で俺がネギなんだ?」

「鴨とネギはセットだからです。。マサさんは一緒に来てくれる気がないんですか。私が一人で危ないところに行こうとしているのに」

 楓は口を尖(とん)がらせた。

「俺は呼ばれてないし。俺と成りすましと両方いるとややこしいし。いざという時楓も二人いるとどっちがどっちかわからなくなるだろう」

「それは確かにそうですね。見分けられないですから、間違って本物のマサさんを殺してしまうかも知れません」

「じゃあ話をややこしくしないように、俺は行かないほうがいいだろう。楓一人で行けば、とにかく迷わずそこにいる俺そっくりな奴を殺せばいいだけだ」

「わかりました。鴨だけで飛んでいきます。マサさんらしくないとても説得力のある論理でした」

「それどういう意味だ」

「成りすましのマサさんのほうなら、優しいからきっと一緒に来てくれたと思います」

「これ以上話をややこしくしないでくれ」

 ––––––高見澤はその気がないので、結局楓が一人で行くことになった。


 楓はその晩、お呼ばれの服装をして出掛けていった。

 可愛い洋服を着てきたが、今晩はチャンスを見つけて成りすましを殺すつもりだ。

 カフェでご馳走になったその日に殺すのは、ちょっと申し訳ない気がした。

 でもケーキを三個で我慢したから––––––

 ––––––楓なりの奇妙な論理で人獣殺しは正当化されていた。

 ただ、殺す前に、あのセンスが良くて人当たりがいい高見澤ともう一度話がしてみたい気がしていた。本物のマサさんがあんなだったらどうだろう、と思うところがあるのだ。

 ドアベルを鳴らすと、扉を開けたのは海辺で見たことのあるグラマラスな女性だった。着ているドレスが高級で楓のよそ行きの服とは格が違う。

 自分一人だけ招かれた気がしていたのが間違いだった––––––パーティーだから他の女性もいるのは当然だ。

 最初から調子が狂った。これではイミテーションの高見澤とゆっくり話をすることもできそうにないし、そもそも人獣殺しの雰囲気になるかどうかわからなかった。しかも、気に食わない女性と一緒のパーティーなんて最低だった。

 相手の女性も楓を一目見て、眉を上げた––––––向こうも自分一人が招かれているつもりだったのに、邪魔者が入ってきて不愉快に思ったに違いなかった。海辺で赤いビキニを着ていた時には軽薄そうに見えたが、ドレスを着ると見違えるように上品で美しい女性だった。年は楓より大分うえで大人の雰囲気があり、高見澤とお似合いだった。

「お邪魔します」

 楓は女性の眼を見ないようにして中に入った。

 中央に大きな生け花が飾られた豪華なパーティールーム。ケータリングらしき洒落た取り合わせの食べ物とワインクーラーに入った氷とボトル、それにケーキ!

 どうして成りすましの高見澤はこうもリッチなのか。やっぱり刑事という職業が間違っているのか––––––楓は疑問に思わずにはいられなかった。

「ようこそ、お嬢さん方」

 イミテーションの高見澤は、待ちかねていたように二人にシャンパングラスを手渡した。

「楽しい今宵のために」

 高見澤は杯を上げた。

 女は高見澤に合わせて、シャンパンを一口飲んだ。

 楓も合わせたほうがいいと思ってグラスを傾けた。

 と

 急に眩暈(めまい)が襲ってきた。

 楓は足元が思わずふらついた。

「おっと危ないですよ」 

 高見澤が楓がグラスを落としそうになったので、自分の手に持った。

「す、すみません」

 楓はそう言って気を失い、床に崩れ落ちた。

「まあ、随分簡単だったわね」

「簡単過ぎて楽しむ暇もなかった」

 女と高見澤はグラスを合わせて、シャンパンを飲み干した。


 気がついた時、楓は縄で縛られて別室のソファに寝かされていた。

 後ろ手にきつく縛られていて、足首も固い結び目で結わえられたうえに、手首に結び付けられているので、海老ぞりになっている。動こうにも転がるくらいしかできることがなかった。

 どうしよう。助けを呼ぼうかしら。でもこんなところで叫んでも誰も来てくれないわね––––––

 楓は声を出すことはできたが、騒ぐとかえって殺されるかも知れなかった。

 やっぱりマサさんに無理にでも頼み込んで一緒に来てもらえばよかった––––––

 後悔したがもう遅かった。楓はなんとか縄を解こうとしてもがいた。

 ドスン

 痛たたっ

 楓は体を捻(ひね)った拍子にソファから床に転がり落ちて強く肩を打った。床は硬くて冷たくまだソファの上の方が居心地がよかった。

 もう最悪––––––

 楓は心の中で泣き声を上げた。

 その時、どこかでドコーンという聞いたことがある音が聞こえた。

 女の叫び声。

 ドコーン

 あれは銃声––––––マサさんの短胴二連装のショットガンの音だ––––––

 バーン

 大きな音とともにドアが開き、女が駆け込んできた。

 ドコーン

 その背中を後ろから撃って高見澤が入ってきた。

 死骸になって転がった女は人獣だった。

「マサさん」

「ネギが来たぜ」

 高見澤はショットガンを床に置いて手早く楓の縛(いまし)めを解いた。

「女の人獣は殺したが、肝心の成りすまし野郎は逃げ足が速くて消え失せた」

「ごめんなさい。私シャンパンを飲んで気を失って––––––」

「それでこのざまか」

「私アルコール全然駄目なの忘れてました」

「危うく鴨鍋になるとこだぜ」

「ネギまかと思ってました」

「行こう」

 高見澤は楓を抱き起した。

 その夜楓は高見澤に頭が上がらなかった。

  

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