第30話 守護霊3
その夜、高見澤は二十年振りに祖母と夢の中で出会った。
長い間忘れていた祖母が、突然高見澤を訪ねてきて、別れを告げて去っていく夢だった。
「正雄ちゃん、元気でな。私の役割は終わったんや」
そういうと祖母は背中を丸めてとぼとぼと歩き去った。
高見澤が小学校に上がった頃に亡くなった祖母は、取り立てて特技も何もない普通のお祖母ちゃんだったが、小さかった高見澤を可愛がってくれて、よく祭りにつれていってくれた。祖母はいつも和服で、高見澤も祭りの時は浴衣を着ていった記憶がある。
金魚すくい、ヨーヨー釣り、たくさん並んだお面、イカ焼きの匂い。
高見澤は夜店で本物っぽいおもちゃのピストルを見つけて欲しがった。祖母は買ってくれようとして財布を取り出したが、祖母の財布にはそれを買えるだけのお金がなかった––––––先祖代々高見澤の血筋に金持ちはいなかった。
祖母は夜店のおじさんと交渉して、手持ちのお金で買える値段にまけてもらうように頼んだが、渋いおじさんは譲らなかった。結局、高見澤は欲しかったピストルを買ってもらえず、代わりに蠟燭を立てた提灯を買ってもらった。
「お祖母ちゃん貧乏で御免な」
祖母は笑いながら言った。
でも中に火の灯った提灯をぶら下げて歩くのは楽しかった––––––燃えている火を持ち歩けることが驚きだった。
その提灯を揺らしながらの帰り道、風に吹かれた提灯が横倒しになって、蝋燭の火が移って燃え上がってしまった。紙の提灯は驚くほどの勢いでめらめらとした炎に変わった。
高見澤は提灯を地面に落して、燃え尽きるまで見守った。
その時は欲しかったピストルが買ってもらえず、提灯も燃えてしまって二重にがっかりしたのだが、今思えば、それほどのお金さえ持っていなかった祖母が、夜店のおじさんと交渉までしてくれたことが、かえって懐かしい思い出になっていた。燃え上がった提灯の炎が今だに目に焼き付いていた。
もう亡くなって二十年も経つのに、何故今頃になって別れを告げに来たんだろう––––––
高見澤は不思議に思った。
オフィスに来ると、朝一番で楓が高見澤のところにやってきた。
「マサさん、昨日マサさんのお祖母さんとお会いしましたよ。珠代さんとおっしゃっていました」
「何だって!」
「急にお見えになって」
「楓のアパートに現れたのか?」
「そうです」
「実は俺のところにも夢の中で現れたんだ」
「そうなんですか」
「でもお祖母ちゃんは亡くなってもう二十年も経つ」
「お祖母さんは、ずっとマサさんと一緒だったとおっしゃっていましたよ」
「そう言われてみると、心の中のどこかにずっといたかも知れない」
「はっきりとはおっしゃいませんでしたが、お祖母さんはマサさんの守護霊だったと思います」
「守護霊?」
「マサさんが気がつかないところで、ずっとマサさんを危険から守ってくれていたんです。鉄棒から落っこちて頭を打って大怪我をしそうになった時も、信号のない踏切を自転車で無理して渡ろうとして電車にひかれそうになった時も、坂道で車のブレーキが効かなくなって林に突っ込んだ時も」
「覚えている。どの時もヒヤッとした」
「守護霊のお陰で助かったんです」
「そのお祖母ちゃんが夢の中でさよならを言いに来た––––––」
「マサさんを守ってくれていた守護霊はもういなくなりました」
「それで俺は何かを失った気がしていたのか」
「泥人形に魂が強引に移された時、守護霊との結びつきが切れてしまったようです」
高見澤はようやく自分が置かれている状況を悟った。
「お祖母さんはマサさんがやる気をなくしているのを心配していましたよ。危険から逃げ回るのでなく、自分で自分を危険から守れるようにならないと駄目だって。たまには外に出て事件捜査したらどうですか」
高見澤は少し逡巡した。
しかし、心の中の自分が高見澤に話し掛けた。
君子危うきに近寄らず。人獣の相手なんぞ、バイトにやらせておけばいいんだ。どうせお前は出世しないんだから––––––
安全な生活をして長生きするのが一番だ。公務員だから年金は大丈夫だ––––––
一日中人獣退治ゲームをやっていればいいんだ。捜査第一課の楽な仕事をしている連中は誰も文句は言わない。こういう生活一度やるとやめられないだろう––––––
高見澤の自己防衛本能は守護霊がいなくなったことで一層強く高見澤を支配した。
「悪いけど楓が行ってきてくれ。出張費はいつもの通りあとで請求していいから」
––––––相変わらず高見澤はやる気を出さなかった。
楓は毎日のように外に出て人獣を降魔の杭で殺し、妖気を火炎放射器で焼いて一人戦っていた。できるだけ目立たないように仕事をしたが、人獣・妖気と戦う少女の噂が広まり始めていた。
こんなことをいつまでも続けてはいられない––––––
楓は自分もそろそろ切れてもいいころあいだと思った。
「それじゃあ、私もけつをまくらせていただきます。私ばっかり汚れ仕事の下請けをさせられるのはもうごめんです。私はただのバイトなんですから」
「バイトにしてもけつをまくるっていう表現品は品が無さ過ぎる」
「マサさん、悪貨は良貨を駆逐するというグレシャムの法則を知っていますか?」
「急に高尚になったな」
「悪貨は良貨を駆逐する––––––すなわち金の含有量の少ない悪貨と金の含有量の多い良貨を併存させると、悪貨しか使われなくなるという法則です。金本位制の時にはそういう問題がありました」
「?」
「やる気の無い刑事とやる気のあるバイトを併存させると、バイトもやる気が無くなるということです」
「なるほど、そう言う意味か」
「朱に交われば赤くなる、と言い換えてもよいでしょう。やる気のあるバイトもやる気の無い刑事と一緒にいれば、それに染まってしまうということです」
「そうかもな」
「私は今まで最低賃金バイトにしては頑張り過ぎたと思います。でも日々だらけているマサさんを見ていてすっかりやる気を失くしてしまいました。今日から、私も人獣や妖気と戦うのはやめにして、中で仕事をさせていただきます」
「中で何をするんだ?」
「マサさんと同じです」
そう言うと楓は携帯で高見澤が夢中になっている人獣退治ゲームをやり始めた。
「なるほど、それか」
高見澤は自分が夢中になっているゲームを楓がやることにけちをつけられなかった。
かくして高見澤と楓の二人しかいない怪奇事件捜査課は、人獣退治ゲーム課になり下がった。
二人が仕事をしなくなった世の中は、人獣や妖気が好き放題に跳梁跋扈する無法地帯と化した。高見澤と楓はそれを尻目に、日々ゲームに夢中になり、スコアを競い合った。
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