第28話 守護霊1
「楓、ちょっと来てくれ」
高見澤はデスクに頬杖を突いて浮かない顔をしていた。
「何ですか」
楓は席を立って高見澤の前に来た––––––机がすぐそばなので移動距離はほんの二、三メートルだ。
「俺の眼をよく見てくれ」
「こうですか」
高見澤が吸い付くような目線で見詰めてくる。
楓も高見澤の眼を見詰め返そうとしたが、高見澤の顔と面と向かうと何だか全身がこそばゆくなった。
ぷっははははっ
楓は噴き出して笑った。
「マサさん、これ睨めっこみたいで可笑(おか)しいです」
「笑わないで真面目にやってくれ。霊感を働かせて」
「はい。もう笑いません」
楓は気持ちを入れ替えて、真面目に高見澤の眼に集中しようとした。いつも見ている顔だが、こんなに正面から直視したことはなかった。楓は唇を真一文字に結んで高見澤の眼を数秒間じっと見詰めた。
ぷっははははっ
楓は我慢し切れず、また噴き出した。
ははははははっ
今度は腹を抱えて笑い続けた。
「あー可笑しい。マサさん、私これ我慢できません」
「おい、お願いだからちゃんと見てくれよ」
高見澤は口を尖らせた。
「だって、マサさんの真面目な視線が可笑し過ぎて正視に堪えないです」
「俺は真剣なんだ」
「それがいけないんです。真剣なマサさんってどうしても笑えてしまいます」
「なんか見えないか?霊感で」
「別に何も」
「俺最近自分がどこか変わってしまったように感じているんだ」
「どういう風にですか」
「それが言葉ではうまく言えないんだ。今までは持っていた何かを失くしてしまったような気がしているのに、それが何だかわからない。えも言われぬ落ち着かない感じなんだ」
「何かを失くした?」
「物ではなくて精神的なものだ––––––人形師に泥人形に魂を移されてから」
「なるほど」
楓はようやく問題の性質を理解した。
「占い師のお陰で魂を元の体に戻してもらったけれど、その前と後で何か変わってしまったように思えるんだ」
「それはあり得ることですね。魂が行ったり来たりしましたから。でも私にはマサさんは相変わらずのマサさんにしか見えないですけど」
「霊感でも」
「はい。マサさん自身は何も変わっていないと思います」
「そうか。それならいいんだが、何だか不安なんだ」
––––––高見澤は落ち着かなくてそわそわしていた。
「前に妖気に取り憑かれて、その妖気を占い師に頼んで取り除いてもらったことがありましたよね。その時にも同じような感じがしましたか」
「いや、あの時は違った。あの時は自分の魂が移動したのでなくて、取り憑いた妖気を祓ってもらっただけだった。妖気が消えたあとはむしろ気分がすっきりした」
「今回はしばらく泥人形の体に魂が閉じ込められていましたからね––––––ひょっとすると精神的トラウマがあるかも知れませんね」
「魂が手荒な扱いをされた」
「何か悪夢を見たりしますか?泥人形の中に閉じ込められて出られない夢とか、泥人形に同化してしまう夢とか」
「俺は眠りが深いタイプであまり夢は見ないほうだ」
「自分では覚えていなくても、脳がそういう恐怖感を忘れられず、睡眠中に繰り返し思い出していることがあるのです。それがあとあとまで日常の生活に影響してきます。PTSD、心的外傷後ストレス障害というのがそれです。戦場で戦った兵士が、戦後にまで精神障害を被(こうむ)ることはしばしば起こります。そういうことが原因で精神分裂症に至ることもあります」
「嫌なこと言うなあ」
「マサさんもいままで人獣や妖気と命がけで戦ってきていますから、戦場で戦っている兵士と同じような精神状態にあったかも知れません。それが泥人形の一件で一気に顕在化した可能性はあります」
「どうしたらよくなるんだろう」
「だいたい時間とともにより悪化します」
「なんか俺に恨みでもあるのか」
「私も自分が精神分裂症かなと思う時があります」
「どんな時?」
「無性にケーキが食べたくて、居ても立っても居られなくなることがあります。ケーキの幻覚が浮かびます」
「それは栄養不足じゃないか。肉類を全然食べないから」
「ケーキからしばらく遠ざかると、自分の心に大きな穴が開いたように感じます」
「俺は財布に大きな穴が開いているような気がする」
「それは前からですよね」
「そう言われてみれば、自分の心にも財布みたいな大きな穴がぽっかり開いているような気がしてきた。前はこんなじゃなかった」
「それはやっぱり、何か精神的な問題ですね。精神科で気分を明るくするアンチディプレサント、抗うつ剤を処方してもらう手はありますが、常用するようになっても困りますから、しばらく様子を見てみたらどうでしょう。給料日ももうすぐですし––––––」
「給料が入って、財布に万札があるとこの不安感が消えるかもな」
高見澤もその日はそれで一応納得した。
しかし、高見澤の心に開いた穴は、乏しい給料では埋まらなかった。それどころか、不安感が増して焦燥感になり、仕事がまるで手につかなくなった––––––楓が言っていた通りで、精神状態が時間とともにどんどん悪化してきたのだ。困ったことに、高見澤は人獣や妖気と戦う気力をすっかり喪失してしまって、部屋に引き籠るようになった。
やる気を失った高見澤は、何でも楓任せにするようになった。
「楓、人獣が暴れているから、俺の替わりに行って降魔の杭をお見舞いしてきてくれ」
「楓、工場に妖気が出没して悩まされているので、行って調伏してきてくれ」
「楓、大蛇の妖怪が出て人や家畜に巻き付いて殺しているようなので、ひとっ走り行って退治してきてくれ」
「武器は何でも好きなのを使ってくれ。出張費用はあとで請求してくれればいいから」
––––––こんな調子で高見澤は外に出なくなって、代わりに楓が出張して、怪奇事件を解決するようになった。楓は運転免許がないので電車で出掛けていった。
おかげで楓は人獣や妖気を退治する腕前が上がり、ただのバイトにして怪奇事件捜査のプロとしての頭角を現した。高見澤が不稼働の状況下、人獣や妖気と戦える者は、もはや楓しかいなかった。
楓は誰の助けもなしに、ただ一人で勇敢に人獣や妖怪と戦った。
楓は日々戦い続ける中で、高見澤は何かが本格的におかしくなっていると思い始めた––––––自分は一切外に出ずに部屋に籠り切りで、刑事としての職責を放棄してしまって、バイトの楓に何もかも無責任に放り投げているのだ。
マサさんはどうかしている––––––
楓はこれは単なるストレスからくる精神障害ではなく、一種の怪奇事件ではないかと疑い始めた。
高見澤はまた何か不明な敵に取り憑かれたか、あるいは何者かにかつては強かった正義感と戦闘意欲を奪われた可能性があった。ただ楓が霊感で探ってもその手掛かりは得られなかった。
楓一人が奮戦しても事件は増える一方で、山のように積み上がっていった。
高見澤はいっこうに動こうとせず、一日中携帯で人獣退治ゲームをやって喜んでいて、それで仕事をしたような気になっているようだった。楓にはこの高見澤の変貌がどういう原因で引き起こされているのかわからなかった。
どうして仕事にいかないのかときいても、高見澤らしくない返事がかえってくる。
「俺なんかどうせ出世コースから外れているからな。エリートは捜査第一課と決まってるんだ。怪奇事件捜査課なんて誰もやり手がいないから、俺みたいな落ちこぼれがやらされてるんだ」
「マサさんは決して落ちこぼれじゃないですよ。私はマサさんがとても優秀な刑事だと信じています。でもマサさんが出世のために仕事してるとは思ってもみませんでした」
「有名大学を出ているエリートさんは、捜査第一課で特に何もしなくても、立派な書類をつくっていれば自動的に出世していく。俺っちが日々体を張って人獣や妖気と戦っても、何の見返りもありゃしない。怪奇事件は迷宮入りしたって誰も文句は言わない。そもそも誰も相手にしたくない事件ばかりなんだ。なんで俺っちばかりが貧乏くじを引かなきゃならないんだ」
–––––––という具合だ。
なんだか急にぐれてしまったようで、楓はどうしたものかと思案に暮れた。
でも、楓は高見澤を見捨てる気にはなれなかった。
何とかして元の正義感に満ちた戦うマサさんを取り戻さなくては––––––
何も名案が浮かばない中、楓は一人戦い続けた。
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