第27話 泥人形8
部屋の電気がついて明るくなった。
楓は初めてその姿を見た。
長い髭(ひげ)の生えたナマズ顔。ヌルヌルした光沢のある蛙のような体。人形師の団扇(うちわ)のような大きな手は、たった今まで霊土を掘っていたらしく泥だらけだった。
「殿の霊魂を殺したのはお前か?」
人形師は楓を憎々し気に睨みつけた。甲高い声だった。
「霊魂なんてもともと死んでるものでしょう」
楓は言い返した。
「死者の霊魂が蘇るのは簡単ではない。霊気が高まるこの時を五百年間も待っていたのだ」
「あなたはいったい何なの?何の目的でこんなことをしているの」
「命を救われた主君への恩返しだ。俺が百姓どもに捕えられて殺されかけた時、殿に温情を掛けて頂いて命拾いしたのだ。妖怪の俺を助けてくれた命の恩人に忠義を尽くすのは当然だ」
人形師は、ピシャッピシャッという濡れたような足音をさせながら、楓に近づいてきた。
楓は火炎放射器に代えてトートバッグから三節棍を抜いた。
「忠義だろうが何だろうが、他人の体を奪って霊魂を蘇らせようなんて魂胆は許せない」
楓は三節棍を突き出して横一文字に構え、敢然と人形師と対峙した。
「仇討ちには大義がある。邪魔立てする者のほうが悪だ。罰としてお前の体をもらおう」
ドジョウナマズの妖怪の長い髭が、それぞれ意思のある触手のように一斉に伸びてきた。
楓は三節棍で不気味な髭を払い除けたが、その一本が僅かに楓の左手に触れた。
バチッ
電気の火花が散って激痛が走った。
痛っ
400ボルトの電撃に一瞬楓は怯んだ。
バチッ
その隙に電撃の第二撃が楓の右足を打って楓はばったり倒れた。足が痺れて立ち上がれない。左手も痺れたままで使えない。
楓は倒れたまま、まだ使える右手で三節棍を長く使って人形師の足を狙って振り回した。
人形師は身軽に飛び上がって楓の攻撃をかわした。確かに高見澤が言っていた通り動きが早く、泥人形では捕まえられそうになかった。
楓は人形師が近づけないようにぶんぶん三節棍を振り回し続けた。
人形師は縄跳びの要領でリズムに乗って飛び続けた。
よっ、よっ、よっ––––––掛け声を掛けながらぴょんぴょん跳ねる。
「うま過ぎる」
楓はドジョウナマズの妖怪をおだてた。
「こんなの俺様には朝飯前だ」
ドジョウナマズの妖怪は得意になって叫んだ。
よっ、よっ、よっ
人形師は調子に乗って飛び続けた。
「お前はこんな攻撃しかできないのか」
ドジョウナマズは床に倒れたままの楓を嘲(あざけ)った。
楓は言わせておいて、地を這うように回転していた三節棍の軌道を急に高く持ち上げた。
人形師が飛び上がったところに三節棍が飛んできて、側頭部を直撃した。
スコーン
音がして、人形師は横倒しに倒れた。
倒れた人形師はそのまま起き上がってこなかった。
楓は痺れた足をひきずるようにして立ち上がった。
近寄ってみると、人形師の両眼が眼窩から飛び出していた。
泥人形の高見澤が慌ててドスドス音をさせて階段を降りてきた。
「まさか、殺してしまったのでは」
人形師は倒れたままピクリとも動かなかった。
「ごめんなさい。そんなつもりじゃなかったんです」
横向きになっていた人形師の体を泥人形の高見澤が仰向けに返した。人形師は側頭部がひしゃげて顔がゆがんでいた。
「完全に死んでるじゃないか」
「やってしまいました」
「百均の三節棍の割には殺傷力が強かったな」
「つい力が入ってしまったかも知れません。でもどちらかと言えばこの妖怪が弱過ぎるんですよ」
楓は言い訳した。
「ただのドジョウナマズだからな」
バーン
その時また扉を乱暴に開ける音がして、日本刀を下げた人間達がどやどやと入ってきた––––––先に蘇って他人の肉体を得ていた侍達だった。衣服は普通の洋服を着ていたが、てんでに真剣を引っさげていて、構えや身のこなしは侍そのものだった。
高見澤は即座に相手が恐ろしく危険な連中であることを見抜いた。
「楓、下がってろ。こいつらは本物の武士だ。実戦で鍛えた殺しの専門家だから俺が相手する」
泥人形の高見澤が武士達と楓の間に割って入った。
武士達は人間とは思えない物凄い形相で殺気が漲(みなぎ)っていた。
「殿の霊魂の仇!思い知れっ」
凄まじい斬り込みで、泥人形の左の肩口が斬られ、泥の飛沫が飛んだ。高見澤は斬られたが、同時に右フックを武士に向かって放った。
グウォシッ
まともに泥人形の強烈な右フックを喰らった武士は首がよじれて倒れ、もう起きてこなかった––––––泥人形の高見澤はパンチ一発で武士の首をへし折った。
二人目の武士が、泥人形の腹に刀を突き刺した。深く泥に刺さり、刀は抜けなくなった。泥人形は腹に刀が付き立ったまま、武士の首を両手で持ち上げてくいっと回転させた。
グキッ
首の骨を折られて二人目が死んだ。
三人目が斬りかかった時、泥人形の高見澤は腹に刺さっていた刀を右手で引き抜いて受け止め、左中段回し蹴りを放った。
回し蹴りは武士の脇腹にまともに入った。
ボキッボキッ
肋骨と背骨が折れる音がして三人目が倒れた。
そこに四人目が振り下ろした剣の一撃が、泥人形の剣を握っていた右腕を斬り落とした。
本物の武士の凄まじい斬撃に、泥人形の高見澤は一瞬怯んだ。
最後の武士は奇声を上げて第二撃を脳天に見舞おうとした––––––頭を斬られては泥人形でも危ない。
その時、スコーンと棒状になった楓の三節棍が武士の額を突いた。
ウウッ
武士が思わずのけぞって手で額を押さえた時、泥人形の高見澤の岩の塊のような左フックが飛んできた。
グウォシッ
武士はクルクル回転しながら倒れた。
「む、無念」
倒れた武士はもう起き上がれなかった。
泥人形の巨体が容赦なく象のように踏みつけた。
ムギュウッ
最後の武士は奇妙な音を発して圧死した。
主君の霊魂の仇を討とうとした武士達は、泥人形と化した高見澤の圧倒的なパワーの前に敗れた。楓の三節棍の突きが、絶妙のタイミングで高見澤を助けた。
「マサさん、腕は大丈夫ですか?」
「ああ、自分の腕でなくてよかった」
「やってしまいましたが、これどうしますか」
楓が転がっている五体の死骸に眼をやった。
「隣が墓場という最高のロケーションだ」
泥人形の高見澤は五人の死体を一抱えにして墓場に持っていって埋めてしまった。
その間に楓は青い眼の占い師に電話した。
「遅い時間に申し訳ないのですが、出張で来ていただけませんでしょうか」
青い眼の占い師は、営業時間外だったが、事情を聴いて快諾してくれた。
「マサさん、今占い師が来てくれますから、多分魂を元の体に戻してくれると思いますよ」
「それはありがたい」
占い師は高見澤に取り憑いていた妖気を宿鼠に移したことがあった––––––魂の宿主を替えられるのだ。
タクシーでやってきた占い師は、紫の水晶玉を使って泥人形から高見澤の魂を分離し、元の体に戻してくれた。高見澤の魂が自分の体に戻ると、泥人形は崩れ落ちてただの泥の山に戻った。
高見澤はマネキンになっていた自分の体で立ち上がった。
「その節は宿(すく)鼠(ね)達が大変お世話になりました。お礼として今日は深夜割増分をサービスさせていただきます」
美しい青い眼の占い師はいつものようににこやかだった。
占い師に出張料金と深夜メーターのタクシー代を支払うと、高見澤の財布はまた空になった。占い師は待たせてあったタクシーで帰っていった。
妖気を移動させられる占い師は本当に貴重な存在だった。
「占い費用は総務に掛け合います」
「頼むよ」
もう明け方で空は白み始めていた。朝が近くなると墓地の霊気も引いて、辺りの空気は澄んでいた。
「今日の出勤は午後二時以降にしよう」
高見澤は車だったが、楓は自転車だった。
楓はショットガンと火炎放射器を高見澤に渡した。
「この自転車で直接家に帰ってもいいですか」
「悪いな」
高見澤は楓を車で送りたかったが仕方なかった。高見澤は自転車でここまで助けに来てくれた楓に、心の中でとても感謝していたのに、たったそれだけしか言わなかった。
「マサさん、今度から遅くなる時は連絡してくださいね」
「連絡しようとしたんだが、泥人形の手で携帯を押したら潰れてしまったんだ」
「そうだったんですね。可哀そうな携帯」
楓は笑った。
その日都内の各所で泥の山が発見された。人形師が死んだので、泥人形はその姿形を維持できなかった。泥人形の怪物は消え去って事件は一応解決した。まだどこかに戦国時代から蘇り、新しい体を得た戦国武将の一族郎党が残っているはずだったが、その消息は知れなかった。
高見澤と楓の奮闘は占い師以外の誰にも知られることはなかった。高見澤と楓はその朝はぐっすり眠っていた。
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