第26話 泥人形7

 楓は夜が更けるのを我慢強く待っていた。

 泥人形になった高見澤は、二階のいざとなればすぐ降りてこられるところに身を隠していた。

 抜け殻になった高見澤の体は、相変わらずマネキンのようにピクリとも動かなかった。

 時計は午前一時を回り、最も霊気の密度が高まる丑(うし)の刻になった。隣の墓場から湧き出る霊気で、館の中は満たされていた。敏感な霊感を持つ楓は、まるで自分が霊界の中に取り込まれたような気がした。

 この館は霊界に通じる通路になっている––––––

 楓がそう思った時、部屋の床に赤く光る大きな円形の曼陀羅が浮かび上がった。それは最初平面だったが、三次元のホログラムのような神々の姿が現れて立体曼陀羅になった。曼陀羅の中心には密教曼陀羅の大日如来ではなく、眼が沢山ある不気味な邪神が据えられていた。周囲を取り巻くのはおぞましい姿の妖怪や獣魔である。それが悪しき魔の曼陀羅––––––魔界曼荼羅であることは一目瞭然だった。

 魔界曼陀羅の力場が周囲の空気を巻き込み、ヒューヒューと音を立てて風が回り始めた。

 魔界曼陀羅は、風の回転とともに霊界から黄色い妖気を吸い出して噴き上げ始めた。それは人形師が蘇らせようとしている強烈な怨念に満ちた戦国武将の妖気だった。この怨霊のために人形師は高見澤の体を抜け殻にして用意していたのだ––––––妖気が高見澤の体に取り憑いて支配されてしまえばお終いだ。

 何が何でも妖気を撃退して、抜け殻になっているマサさんの体を守らなきゃ––––––

 楓は火炎放射器の噴射を弱にして炎を絞り込んで、妖気に向かって噴射した––––––威嚇射撃だ。

 ボボボッ

 それでも火力は強く、炎が音をたてた。

 これで驚いて退散してくれればいいのだけど––––––


 グワッ

 

 妖気が咆えた。

 戦国武将の姿が垣間見え、怒りに満ちた眼がぎろりと楓を睨(にら)んだ。

 武将の妖気は炎に驚いたが、逃げなかった––––––命知らずの戦国武将は火を見て怯えるような相手ではなかった。

 それどころか、妖気はますます膨れ上がって、武将の姿も巨大化した。

 五百年間鬱積した怨念が渦巻いていて、楓はそれを感じるだけで苦痛だった。

 ううっ––––––

 歯を食いしばって圧力に耐えている楓に、武将の怒りに満ちた顔が巨大化して向かってきた。

 それまで部屋の隅でうずくまっていた高見澤の体が、おもむろに立ち上がった––––––妖気に吸い寄せられている。

 まずい––––––

 楓は火炎放射のダイアルを強にした。

 ブオンッ

 火炎放射器の噴射が軽い爆発音を立てた。

 全身炎に包まれた武将の妖気はもがいた。

 それでも武将の妖気は楓につかみかかろうとした。

 炎に逆らってじりじり迫ってくる。

 高見澤の体はふらふら揺らめきながら、操り人形のように武将の妖気の方へ歩き始めた。

 早くしなきゃ––––––

 楓は火炎の強度を最大値にした。

 ゴーッ

 武将の妖気は楓に手を掛けるのに今一歩のところまできたが、最後のところで火炎放射器の炎の勢いに押し返された。


 グワーッ


 霊力が限界に達した妖気は苦しんで咆えた。武将の幻影が収縮し始めた。

 楓は一歩前へ出た。

 武将の妖気はもがきながら小さくなっていく。

 楓は更に踏み込んだ。

 妖気に吸い寄せられていた高見澤の体は、また部屋の隅に戻ってうずくまった––––––妖気の支配力が弱まった。

「人形師!手筈(てはず)と違うではないか!」

 武将の妖気が喚いた。

「人形師!命を救ってやった恩を忘れたのか!」

 武将の顔が苦痛で歪んだ。

「怨霊退散、成仏しなさい!」

 楓が叫んだ。

 妖気そのものに火がついた。燃えながら収縮していく。

 楓は武将の怨霊が燃え尽きるまで火炎放射の手を緩めなかった。

 妖気はバチバチと最後の火花を散らして消え去った。

 魔界曼荼羅の邪神や獣魔達は不満そうに咆えた。しかし、魔界曼荼羅自体もくるくる回転しはじめ、やがて地中に吸い込まれるように消えていった。

 全てが消え失せてから楓は火炎放射を止めた。

 ふーっ

 楓は大きく溜息を吐いた。

 バーン

 その時何者かが手荒に扉を開けて入ってきた。

  

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