第19話 妖獣租界6
白玉フルーツの巫女は妖獣租界にあったかつてのカフェ––––––今はステーキハウスや焼き肉料理の店になっている––––––の全てを走り回って調べたが、もう妖気も人獣も残っていなかった。
高見澤も楓も一緒に走り回った。山手はそれほど広い地域ではないが、走り回ると息が切れた。
「あの店が最後です。もしあそこに何もいなければ、私はこの最初の魔との戦いでただ一人、何も功をたてられなかった巫女になってしまいます」
「戦わずして勝てればいいじゃないか」
「そうはいきませぬ。もし何一つ功をたてられなければ末代までの恥。潔く腹を切ります」
「その考え方あまりにも古過ぎるんじゃないか」
それでも白玉フルーツの巫女は、思いつめた表情で残された最後の元カフェ「ひのき亭」に入っていった。
そこでは、虎の縞模様が顔面に現れた人獣と、ヒヒのような大きな頭部をもつ妖怪が分厚いステーキを喰っていた––––––白玉フルーツの巫女に最後のチャンスが巡ってきた。
「お邪魔いたします」
白玉フルーツの巫女は人獣と妖怪に声を掛けた。
「何だ。サービスが悪い店だと思ったら、メイドがいるじゃないか」
虎男はぶっきらぼうで柄が悪い客だった。
「デザートをお持ちしました」
白玉フルーツの巫女は、ガラスの高坏に盛られた白玉フルーツあんみつを二つ、スプーンとフォークを添えてテーブルに置いた。
「お嬢ちゃん、こんなもの注文した覚えはないで」
不気味なヒヒ妖怪が肉を口に頬張ったまま言った。
「サービスでついていますので、どうぞ召し上がってください」
白玉フルーツの巫女は気持ち悪い妖怪に、愛想よく応対した。
「じゃあ喰ってみるか」
マナーの悪い虎男とヒヒ妖怪はスプーンとフォークを使わず、高坏を持って白玉フルーツあんみつを一口で食べようとした。
ゴホーッ
ゴホーッ
虎男とヒヒ妖怪は喉から咳込んだような音を立てた。
ううっ
ううっ
人獣と妖怪はそれぞれ両手で自分の首をつかんで席から立ちあがった。
クククーッ
クククーッ
息が詰まったような声を絞り出し、もがきながら虎男もヒヒ妖怪もその場に倒れた。しばらく体が痙攣したようにひくひくしていたが、やがてピクリとも動かなくなった。
「何をやったんだ?」
高見澤がきいた。
「喉に入ると十倍に膨らむ白玉をあんなに一度に食べるからです」
「あ、なるほど。窒息死か」
「毎年お正月に御餅を喉に詰まらせて亡くなる方が何人かいますから、お気をつけくださいませ」
「とうとうやったじゃないですか!功を立てましたよ」
楓が白玉フルーツの巫女を祝福した。
「あ、ありがとうござります。これで何とか一矢報いることができました。ピンチにお助けいただいた高見澤様と楓様のお陰にござりまする」
白玉フルーツの巫女は嬉しくて、眼に涙を浮かべた。
白玉フルーツの巫女が役割を成し遂げ、切腹せずにすんだので、三人は妖獣租界最後の砦、司政官の家の様子を見に行った。
うわーっ
うわーっ
うわーっ
うわーっ
幼女巫女達が叫びながら、次々と吹き飛ばされてきて通りのあちこちに転がった。
「どうしたのですか」
白玉フルーツの巫女が、驚いて地面に転がっている仲間達にたずねた。
幼女巫女達は大丈夫で、跳ね起きてきた。
「司政官の家の奪還に失敗した」
「武器が効かない」
「なんかえらいもんがいてます」
「凄い衝撃波で跳ね飛ばされた」
イカ天の巫女、柿の種の巫女、蛸酢の巫女、焼き菓子の巫女が口々に喋った。
「行って見てみましょう」
白玉フルーツの巫女が、高見澤と楓に言った。
他の幼女巫女達も一緒についてきた。
司政官の家と呼ばれる大きな洋館は、薄緑色の光に包まれ半透明なガラスの城のようになっていた––––––なにか家全体が妖気になってしまったような雰囲気だった。
「これは何者かが空間を操作しましたね」
白玉フルーツの巫女は一目見て発生している異常の性質を見抜いた。
「これはかなり変ですね」
楓の瞳がキラキラと煌めいた。
「どうなっているんだ?」
高見澤がきいた。
「この家だけが別な世界になってしまっていますね。これじゃちょっとどうしようもないかも––––––マサさん、それで試しに撃ってみてください」
楓が高見澤のショットガンを指さした。
「いいとも」
ドコーンッ
高見澤がショットガンを放ったが、多数の散弾は薄緑色の光に吸収されてしまったようで何も手応えがなかった。
「なんなんだこれは––––––」
––––––普通なら窓ガラスが砕け散って壁に沢山穴があくはずだった。
高見澤は念のためもう一発撃ち込んだが、やはり結果は同じだった。
「マサさん、弾が届いていないですね。どうやらあの家のある空間だけが、こちらの空間とは不連続になってしまったようです」
「これは作為によって作り出された亜空間だと思われまする。亜空間をつくり出すことは、下級の魔のできることではありませぬ。私達が倒したのは下級の妖気、妖怪、人間から成り変わった人獣に過ぎず、司政官の家の主はレベルの違う魔です。この状態では攻撃を仕掛けても無駄ですので、いったん引くべきだと思いまする」
––––––白玉フルーツの巫女は戦闘力は弱いが、霊感力では幼女巫女の中で一番優れていた。
「より強力な魔がこの建物に潜んでいるということか?」
「魔の世界は広大です。必ずしもこの建物の中にいるわけではありません。この建物自体は、魔がこの世界に作ったのぞき窓のようなものだと思いまする。いずれこの世界に本格侵攻するまでの観測ポイントを作ったと思われまする」
幼女巫女達は妖獣租界の完全奪回ができなかったことを悔しがったが、白玉フルーツの巫女の見立てに従って戦闘を打ち切り、不知光八幡宮へと帰っていった。
幼女巫女達の活躍で山手の大部分は解放されたが、司政官の家だけは、手の出しようのない治外法権の世界になってしまった。高見澤も楓も忸怩(じくじ)たるものがあった。
そこには、司政官の家だけは何としても手放さない、魔の強い意志が働いていた––––––たった一つだったが、魔は人間界に抜くことのできない杭を打ち込んだのだ。
薄緑色の半透明のガラスの城は、存在感をもって輝いていた。
思えば妖獣租界は、宿(すく)鼠(ね)のルルロロが宿していた妖気がもとになって発生したものだった。妖気が一気に解放されたので、地域を占領するほどの勢いになったのだが、それは下級の魔がやったことであり魔の本格侵攻ではなかった。いつか司政官の家から本当の魔が現れる日が来るのだ。
魔との戦いは今始まったばかり。否、まだ始まってさえいないのかも知れなかった。
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