第16話 妖獣租界3

 街の喧騒を離れた静かな丘の上。朝の空気は澄み渡り、心地よいそよ風が吹き過ぎる。

 手入れの行き届いた花壇には、今は薄いピンクの薔薇が咲いていた。

 朝日に輝くベイブリッジを見渡す高台にある公園。山高帽子をかぶった紳士とボンネットの女性が佇んでいた。

「ピカードさん、なんて清々しい朝なんでしょう」

 古風なドレスの女性が、背が高い燕尾服の紳士に話し掛けた。

「サーティスさん。どうぞリシャールと呼んでください」

 紳士の渋みのある声。リシャールは英語のリチャードなので、紳士はフランス人なのであろう。しかし、二人とも長年住み慣れた地の言葉––––––日本語で話していた。

「リシャールさん、私のことはマリーナとお呼びください」

 マリーナという名前が、港の見える丘にぴったりなのは偶然だったのだろうか。

「マリーナさん、ここからの眺めは素敵ですね」

「ええ、かつての外人墓地からは––––––今は獣人墓地になってしまいましたが––––––このような景色を見ることはできませんでした」

「こういう朝は死んでいて本当によかったと思います」

「リシャールさん、私もですわ」

 ––––––話しているのは死霊達だ。

 姿は人型だが、半透明で浮遊していて足がない––––––いわゆるお化けである。

 ここ「死霊の見える丘公園」には、もとの外人墓地にいた死霊達が集まっている。妖獣租界ができてからというもの、美しい景観に恵まれた丘は、死霊達の人気スポットになっていた。

 そこにふうふう息を弾(はず)ませて、坂道を登ってきた者がいた。

 しっとりとした雰囲気の中で死霊らしい落ち着いた会話を楽しんでいたリシャールとマリーナは、現実に引き戻された。

 二人のムードを壊したのは幼女巫女の一人、イカ天の巫女だった。

「グッドモーニング~」

 突如現れた巫女装束の幼女に、美しい朝の景色を堪能していた死霊達は動揺した。

「ここには神社ではないですよ。近所に教会はありますが」

 山高帽の紳士は、幼女巫女に諭(さと)すように言った。

「いずこの神であろうが、ここはお前達死霊が来るところではない」

 小さなイカ天の巫女が言い返した。

「あなたこそここに立ち入るべきではない。ここは租界なのだから」

 紳士は異教徒の侵入者を追い返そうとした。

「その租界とやらを返してもらいに来たんだ」

 イカ天の巫女は不敵な笑みを浮かべた。

「リシャールさん行きましょう」

 女の死霊は霊感で幼女巫女とかかわらないほうがいいと思ったようだった。

 死霊はつかみどころなく、逃げ足は速い。

 しかし。

 リシャールとマリーナの死霊が飛び去ろうとした瞬間、イカ天の巫女は二人に向かって薄力粉を投げつけた。

 死霊は素早くて追えないものなのだが、イカ天の巫女の薄力粉をまぶされると急に動きが鈍くなった。

「何をするんだ!」

 紳士の死霊は怒ったが、イカ天の巫女はせせら笑った。

「こうするんだよ」


 ぶわーっ

 

 イカ天の巫女の火炎放射器が炎を吐いた。薄力粉をかけられた死霊達は、一瞬のうちにカラッと揚がった天ぷらになって地面に落ちた。

「いっちょ揚がり!」

 何事が起きたのかと、他の死霊達も姿を現した。

 イカ天の巫女は、のこのこ現れた死霊の野次馬達に纏(まと)めて薄力粉を撒き散らした。

 何もなければ死霊はすいっと逃げ去るのだが、薄力粉にまぶされると動きがスローモーションになってしまう。


 ぶわーっ

 ぶわーっ

 ぶわーっ


 イカ天の巫女は火炎放射器をぶん回し、紅蓮の炎を連射してあたりを火の海にした––––––ちゃんと狙えればそんな必要はないのだが、よく見えていないのでやり過ぎる傾向がある。

 死霊の天ぷらが沢山揚がったが、火力が強過ぎて死霊の死骸はみんな黒焦げになってしまった。

 死霊の見える丘公園はイカ天の巫女の第一攻撃目標だった。死霊の姿が消えた死霊の見える丘公園には、もうその名称は使えなくなった。

 かくして、「港の見える丘公園」は、イカ天の巫女の手で奪還された。

 必殺の揚げ物料理人死霊を揚げる。

 イカ天の巫女恐るべし––––––

  

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