第15話 妖獣租界2
不知光の巫女は、戦う巫女なので、神社も武家に人気のある武神八幡神を祭神とする八幡宮である。
八幡宮の典型的な神社には源氏に信仰された鎌倉の鶴岡八幡宮がある。鶴岡八幡宮は鎌倉幕府よりも歴史が古い。鎌倉幕府を設立した源頼朝の祖先の源頼義が京都石清水八幡宮を鎌倉に勧請したのが始まりで、その子源義家––––––平安時代後期を代表する英雄––––––は八幡太郎と称された。
宇佐八幡宮を総本山とする八幡宮、八幡神社は全国に四万四千社––––––暖簾分けで増殖し、コンビニに匹敵するチェーン店展開だ。ライバルの天神や稲荷神社を押さえ、八幡神社は堂々の業界トップ、いわば神社のセブンイレブンだ。
不知光(しらぬい)八幡宮(はちまんぐう)には八幡神とともに、宗像(むなかた)三女神と呼ばれる、市杵島姫神(イチキシマヒメノカミ)、心姫神(タゴリヒメノカミ)、湍津姫神(タギツヒメノカミ)というスサノオ命の子供の女神達も祭神として祭られている。宗像(むなかた)三女神は源氏のライバル平氏が造営した安芸の宮島の厳島神社の祭神でもあり、総本山宇佐八幡宮にも祭られている神である。
不知光八幡宮は歴史も何もなく、最近忽然と現れた。あまたある八幡神社の中でも特異な存在で、八幡宮と名乗りながらチェーン店加入していない独立系である。死霊の巫女である不知光の巫女が、勝手に造った社だから八幡の商標を無断で使用している。
神職もいなければ氏子もいない。神社本庁のお墨付きもない。祭りもないしおみくじも売っていない。不知光の巫女が恐ろし過ぎて誰も参拝する者もない。不知光の巫女による、不知光の巫女のための、不知光の巫女だけの神社だ。
本殿は前殿と後殿の二棟を連結させた古式ゆかしい八幡造り。手前に拝殿があり、本殿に向かって右手に巫女舞を奉納する舞殿がある。周囲は鬱蒼とした森に囲まれていて、霊域の雰囲気が漂う。
都心から車で数時間。高見澤と楓が訪れた時、折しも雅楽の笛の音が聞こえ、不知光の巫女自身が、舞殿で浦安の舞を舞い始めた。
白一色の巫女装束の不知光の巫女は舞を舞い、それによって悪霊を払う。
扇の舞、鈴の舞––––––神を呼び、魔を除き、憑(つ)かれたように不知光の巫女は降魔の舞を舞う。
舞を舞う時は、恐ろしい空洞の眼窩は閉じられ、不知光の端正な顔立ちが際立つ。
生きて眼があった時は、美しい不知光の巫女の舞に多くの人々が目を奪われた。
しかし、今は誰一人見る者はない。
それでも不知光の巫女は舞う。舞うことによって神を呼び覚まし、魔と戦う決意を新たにし、魔を調伏する霊力を高める––––––不知光の巫女は当然妖獣租界の誕生を知っており、妖気・妖怪・人獣の集団との戦いに備えて、一人舞を舞っていたのだ。
剣と鏡と鈴のついた鉾先(ほこさき)鈴(すず)が鳴るたびに、不知光の巫女は自らの分身の新たな巫女を生み出した。
分身の巫女は生まれるごとに、自分の名を名乗った。
「イカ天の巫女!」
「柿の種の巫女!」
「蛸酢の巫女!」
「焼き菓子の巫女!」
「白玉フルーツの巫女!」
生まれてきた不知光の巫女の分身は、みんな小さくて愛らしい幼女巫女だった。
何故か名前が食べ物にちなんでつけられていた。
装束は薄桃色の千早に緋袴のお揃いで、髪型は色々––––––花簪(はなかんざし)、リボン、ティアラなど思い思いの髪飾りを付けて可愛くしている。
不知光の巫女と違って、幼女巫女達はみんなちゃんと眼があった。戦う巫女らしく表情が毅然としているのもいれば、中にはまったりしていてこんなので大丈夫かと心配になるのもいた。
ただ、ぱっちりした眼は見えてはいない––––––不知光の巫女の分身だから、眼は見てくれだけで、視覚ではなく霊感でものを感じ取る。
それでは高見澤の良さがわからない。
仕方がないので楓は自分の眼を外して、幼女巫女に貸し出した。
眼が無い楓が高見澤を見た。
「うわーっ、それ怖すぎるから、やめてくれないかな」
眼窩が底知れない穴になっていてぐるぐる渦のように回り、吸い込まれそうだった。眼の無い楓の顔は、不知光の巫女に負けないほど物凄く恐ろしかった。
高見澤が辟易(へきえき)としているうちに、幼女巫女達は楓の眼をみんなで回して、高見澤を見た。全員が見終わると、眼は楓に返されて楓は元通りになった。
幼女巫女達は、高見澤の回りに集まってきた。
ピンク色の千早と緋袴の幼女巫女が集まると、華やかな雰囲気になった。
「背が高い」
「イケメン」
「うちの好みや」
「美味しそう」
「憧れまする」
幼女巫女達は高見澤を見上げて言った。反応の仕方は色々だったが、みんな高見澤に好意的だった。中には萌え系のもいた。
「マサさん、やっぱり幼女巫女にも人気ありますね」
楓が声をたてて笑った。
幼女巫女達は可愛かったが、武装していてそれぞれの武器を持っていた。
イカ天の巫女は、薄力粉と火炎放射器
柿の種の巫女は、柿の種の形をした弾丸がぎっしり詰まったバルカン砲
酢蛸の巫女は、二刀の巨大な出刃包丁
焼き菓子の巫女は、絵や文字を烙印する焼きごて
白玉フルーツの巫女は、フォークとスプーン
といった具合である。
白玉フルーツの巫女だけは、武器的にやや迫力不足に見えたが、その他の巫女は戦闘力がありそうだった。
舞い終わって、軍団をつくり出した不知光の巫女が高見澤と楓のところにやってきた。
怖っ––––––
不知光の巫女の眼のない顔に、高見澤は思わずたじろいだ
「なあ楓、ちょっと不知光の巫女に眼を貸してもらえないか」
「いいですよ」
楓はもう一度眼を外して、不知光の巫女に手渡した。
不知光の巫女は眼を受け取ると、真っ暗な底なしの眼窩に押し込んだ。
眼が入ると不知光の巫女は清楚で美しい女性に変身した。
「綺麗だ!」
高見澤は思わず大きな声で言った。
「マサさん、思っても人前で声に出して言わないでください」
「し、失礼。だって本当に綺麗なんだもん––––––」
高見澤は楓の眼で見ている不知光の巫女の前でどぎまぎした。
「山手の妖獣租界の件で来たのであろう」
「ご明察!その通り。妖気のせいで人間はもう足を踏み入れることさえできません。大変なことになってしまったので、何とかしてもらえませんか」
「山手にはびこった妖気や人獣は所詮、下級の魔だ。大した妖力も持っていないから大騒ぎする必要はない。私の分身の幼女巫女達で十分調伏できよう」
不知光の巫女は落ち着いたものだった。
「みんな小さくて可愛いですが、そんなに戦闘力があるのでしょうか」
「幼女巫女は見掛けに寄らない。上級の魔が参戦してくれば話は別だが、それはまだ先の話だろう」
不知光の巫女は、手強い相手が出てくるようだと自ら出向く用意もあるようだったが、まだその必要はないと考えていた。
「それは大変心強いです」
「妖気や人獣は一カ所に纏まっていると退治しやすい。奴らが人間社会に拡散して人間同士の相互不信が起こると、世の中は一瞬のうちに崩壊するだろう。それを食い止めるのがお前達の使命だ」
不知光の巫女は楓とまるで同じことを言った。
「そうは言っても、私達も山手の奪還に協力させて欲しいです」
楓が眼が無い眼窩をくるくる回転させた。
「明朝から、幼女巫女達に攻撃を開始させる。参戦したいならするがよい。ただし、幼女巫女達は眼が見えていないから、所かまわず攻撃する。同士討ちにならぬよう気をつけたほうがよいぞ」
不知光の巫女は、高見澤に片目でウインクしてから、眼を外して返した。
一瞬デレっとした高見澤の顔が、またすぐ恐怖で引きつった。
「では明朝、幼女巫女軍団とともに、我々も山手に攻め入ります!」
眼が戻った楓は懐に忍ばせていた不知光の巫女からもらった降魔の杭を誇らしげに掲げて言った。
不知光の巫女と高見澤・楓コンビの対妖獣租界共同戦線はでき上った。
幼女巫女軍団が、山手の妖気・妖怪・人獣とどのような戦いをするのか、高見澤と楓は楽しみだった。
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