第14話 妖獣租界1

 ルルロロが解放した妖気は、美しい公園と高級住宅街だった山手の様相をがらりと変えた。一挙に人獣が増加し、妖気は至る所を飛び回り、魑魅(ちみ)魍魎(もうりょう)が跋扈(ばっこ)し、墓地から死霊が蘇(よみがえ)り始めた。ルルロロを違法な妖怪捕獲業者から購入した社長も、高見澤と楓をルルロロの檻に案内した執事も早々と妖気に取り憑(つ)かれ、人獣になり果てていた。

 治安の維持は困難になり、人間の住民は安全地域への避難を余儀なくされた。避難するためにも妖気に感染していないことを証明する検査済証明が必要だった。妖気に感染していないか、人獣化していないかの検査––––––電気ショックで怪物化しないことを確かめる––––––には長蛇の列ができた。妖気や人獣は列には並ばないので、基本的にはみんな陰性だったが、手は抜けなかった。

 山手一帯は人間が住むことができない、実質的に妖気・妖怪・人獣が支配する妖獣租界と化した。小なりとはいえ、人外の領土ができてしまったのだ。大元が妖気なので通常兵器では対抗不能だった。

 政府の中では、強硬派は戦争を叫び、核攻撃も辞せずという狂気の政治家も現れた。一方、ハト派は山手を人外の独立国と認め、友好関係を樹立すべきだとして、人々の失望を招いた。政治家も役人もひたすら混乱し、もはや組織だった対応ができなかった。

 何か手を打てるとしたら、怪奇事件捜査専門の高見澤とバイトの楓しかいなかった。

「妖気や人獣は勝手に自分達の街づくりを始めたようですね」

 楓は大きな山手の地図を広げていた。

「一人の宿(すく)鼠(ね)の誘拐から予想外の大事になったな」

「宿鼠のせいではなくて、宿鼠を捕らえて金儲けを目論む悪人がいたり、違法に妖怪を購入する大金持ちがいたりするからこんなことになってしまうんです」

「確かに元を辿れば人間の悪と欲がなせる業(わざ)だな」

 ––––––高見澤と楓だけは、何が騒ぎの大元の原因なのかを正しく理解していた。

「地名も妖獣租界らしく変えてるみたいですよ」

「ほう」

「『港の見える丘公園』は、『死霊の見える丘公園』、『外人墓地』は『獣人墓地』、『地蔵坂』は『髑髏坂』、いろいろあった『洋館』は『妖館』に衣替え。憩いの場所だった素敵なカフェも人獣用の肉料理の店に変わってしまいました––––––多分人肉料理だと思います。もうケーキを食べに行けなくなりました」

 楓はケーキのことを考えると悲しくて沈んだ表情になった。

「まだ五つ目のケーキにこだわっているのか」

「はい」

 高見澤はあの時、もし宿鼠のロルルルが現れてくれなかったら、楓にいったいいくつケーキを食べられたのかを想像して、そちらのほうが恐ろしくなった。

「そのうち人外の町長選挙でもやり始めかねないな」

「多分妖気は妖気、人獣は人獣、妖怪は妖怪でそれぞれ選ぶでしょうね––––––相容れないところがありますので。加えてそれぞれの中にも派閥抗争があるでしょうから、人外の世界もそれはそれで混沌としています」

「手が付けられんな」

「でも返ってよかったんじゃないでしょうか」

「この状態のいったいどこがいいというんだ」

「妖気が幅広く都心や首都圏に拡散するよりは、山手に纏(まと)まっていてくれたほうが人々にはいいんです。拡散されると安心して住める所がどこにもなくなってしまいますから。これで人外同士の内部抗争で潰し合いが起これば人間には一番都合がいいです」

「ものは考えようだな」

「妖気が妖獣租界に閉じこもってくれたのは不幸中の幸いです」

 楓はあっけらかんとしていたが、高見澤は何となく割り切れなかった。

「それもそうだが、人外に一つの地域を占領されてしまったのは、なんだか象徴的で嫌だな。揺るぎない存在を宣言された感じだ。妖獣租界が橋頭保になって今度はそこを根城に拡散し始めるだろう」

「それを拡散させないようにするのが一番大事な仕事です。今は魔の勢力の拡大期ですから、攻めているのはむこうです。こちらはディフェンスです。ディフェンスをしっかりして拡散防止をしないと、人間社会は内部から突き崩されてしまうでしょう。崩れ始めると自己崩壊は案外簡単に起こって、それこそ目も当てられないことになります」

「じゃあ今まで通り、俺達は個別の怪奇事件を徹底的に潰(つぶ)していくということだな」

「それが一番大事なことです。点が線になり、線が面になってクラスター化する前に、一つ一つ潰してしまうんです。妖獣租界の中で何が起きていても、それを人間社会に転移させなければいいんです」

「結局連中と共存するようになってしまうのかな」

「そうなっても今の人間社会とそれほど大きく変わりませんよ」

「それはどういうことだ?」

「同じ人間の中に、妖気や人獣よりもっと悪辣(あくらつ)な人間がいて、善良な人々はずっとそういう悪人達と同居してきているということです。悪人は刑務所の中よりも、その外にずっとたくさんいます。同じ人間だと思って信用して手痛い目にあっている人達は数知れないです」

「悲しいかなそれが現実なのかな」

「妖気や妖怪や人獣が全て悪で、人間は善と決めつけられるほど、人間はよくないです」

「それは確かにそうだ。人間の顔をした人(にん)非人(ぴにん)は人外よりももっと始末が悪い」

「もし妖獣租界を攻撃するとすれば、それは人間ではなくて不知光(しらぬい)の巫女ではないでしょうか––––––妖気を喰う妖気ですから」

「確かに眼無し巫女なら、いい気になっている妖気や人獣に鉄槌を喰らわせられるだろうな」

 こうなるとあの恐ろしい不知光の巫女への期待が嫌がおうにも高まった。

「マサさんのことがお気に入りみたいですから、会って話してみたらどうでしょう」

「眼がある時なら会ってもいいけど」

 ––––––高見澤は眼が入った時の不知光の巫女の清楚なイメージにはちょっと惹(ひ)かれていた。

「不知光の巫女の社(やしろ)に行ってみませんか」

「ええっ、神社があるのか」

 高見澤は怨霊の不知光の巫女の神社があろうとは思いもよらなかった。

「最近できたみたいなんです。降魔の杭をくれたぐらいですから、ひょっとすると助けてくれるかも知れません」

「苦しい時の神頼みならぬ巫女頼み––––––この際、駄目もとで話にいってみようか」

 ––––––高見澤と楓は、不知光の巫女が棲むと言われる不知光八幡宮を訪れることにした。

  

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