第13話 宿鼠5

 広々した芝生の庭に半透明で虹色のテントが張られていた。妖怪を出し物にした小さなサーカス。ピエロの服を着せられ檻に入れられたルルロロは、その中で社長の子供のお相手をさせられた。

 サーカスの主は六、七才の女の子。学校から帰ってくると直ぐにルルロロに夢中になって、テントの中に入り浸った。

 ルルロロは子供が好きだったので、一緒に遊ぶことは苦にならなかった。

 ルルロロは水栗鼠の水祭りの踊りを踊り、女の子もルルロロの見よう見まねで踊った。逆に女の子の振りを真似して、ルルロロが踊ったりして遊んだ。食肉や臓器として売られる心配をしたが、そのような最悪の事態にならなかったのを、ルルロロは幸運だったと思った。

 女の子と遊んでいるうちに、ルルロロは気がついた。

 檻の上には給水機があり、大きな水のボトルが逆様に立てられていた。水は水栗鼠にとって一番大切なものだ。先程までテントの外で庭の植え込みを手入れして、ホースで水をやっていた庭師はもういなくなっていた––––––ルルロロはテントの中にも水を撒いて欲しかった。

 水さえあれば––––––

 水栗鼠の妖怪である宿鼠は、親水性が高く、水を使ったいろいろな技が使える。ルルロロの心の中に希望が芽生えた。

「じゃあ今度は水飲みの術を見せるからね」

「うん」

 女の子は嬉しくて笑顔一杯になった。

 ルルロロは一抱えもある大きな水のボトルの蛇口を開いて、12リットルの水を飲み始めた。逆さまのボトルに空気の入る音がボコボコ鳴った。大量の水はスポンジのような宿鼠の体に吸収され、ルルロロは12リットルを一気に飲み干した。

「凄ーい」

 女の子は目を丸くした。

「水飲みの術は僕にしかできないから真似しちゃ駄目だよ。じゃあ、今度は水の魔法を見せるから、ホースで僕に水を掛けてくれるかな」

 水遊びが大好きな女の子は走っていって、水が出ているホースを持ってきた。

「シャワーにして思いっ切り僕に水を掛けてくれ」

 女の子ははしゃいできゃあきゃあ叫びながらルルロロに水を掛けてずぶ濡れにした。

「どうもありがとう。これが水の魔法だよ」

 ルルロロがそう言うと、ルルロロの体は水に溶けて流れ落ちた。ルルロロの姿は消え失せ、着ていたピエロの服と三角帽子と先の尖った靴だけが檻の中に残っていた。

「魔法だ。消えた!」

 女の子はルルロロがテントの外に逃げたのかと思って、外に出た。ホースの水を出しっぱなしにして、広い庭を走り回ってルルロロを探したが、どこにも見当たらなかった。 

 そこへ見知らぬサングラスの男達が現れて言った。

「お嬢ちゃん、おじさん達が面白いところに連れていってあげよう」

 男達は女の子が声をたてられないように口を押えて連れ去った––––––妖怪捕獲業者は誘拐犯に早変わりしていた。


 ルルロロは体内に大量に取り込んだ水分と外部からシャワーで浴びせられた水で、加水分解して水に溶け込んだ––––––水栗鼠は十分な水の量があると、体を流動化することができるのだ。

 液体になったルルロロは、排水溝に入り、水の流れにのって、丘の上から港まで自然に流れ出た。

 大型船が停泊している大きな港からルルロロは海に出て、海路帰途についた。

 水栗鼠の妖怪宿鼠は泳ぎが速い。特に水に溶けた状態だと滑るように進む。それでも海を湾の奥まで泳ぐのに数時間を要した。ルルロロは河口に達して川を遡った。川に流れ込むように作られている排水路の出口を見つけ、その中に入って水の流れに逆らって逆流した。

 ルルロロは見覚えのある地下排水路に入った。仲間達の隠れ家までもう一息のところに来ていた。

 ルルロロは流動体から元の体に戻って高周波の音声で呼んだ。


 ロルルル

 リリルル


 ルルロロ

 ルルロロ


 直ぐに二人から応答が帰ってきた。

 仲間の声を聞くとルルロロの心の中に温かいものが湧き出てきた。

隠れ家の近くまで来て一層上に上がると、地下鉄のトンネルだった。電車が轟音とともに走り過ぎる。ルルロロは電車をやり過ごして、とうとう隠れ家のある区画まで帰ってきた。

 変哲の無い鉄の扉がとても懐かしく感じられた。

 扉の前で合図をすると、いつものようにフードをかぶったリリルルが中から扉を開けて迎えてくれた。

「ルルロロ!無事帰ってきてくれたのね!」

 ロルルルも一緒だった。

 ルルロロは鼻でリリルルの鼻に何度か触れ、ロルルルとも鼻を擦り合わせた。

「高見澤さんと楓さんに助けられたのか?」

 ロルルルがきいた。

「いや、水があったので自分で檻から抜け出して、海を泳いで帰ってきたんだ」

「加水して水に溶けて逃げ出したのか?」

「檻に閉じ込められ鍵を掛けられていたのでそれしかなかったんだ。水がたくさんあって幸運だったよ」

「それはとにかくよかった。自分は今日も三人の人獣に尾行されたが、高見澤さんと楓さんに助けられた。不知光の巫女も人獣を倒して妖気を喰った」

 リリルルがフードのついた衣服を持ってきてくれた––––––宿鼠は元々は衣服を着ないのだが、あくまで人間社会に紛れるためだ。

「水に溶けた時に、体内に宿していた妖気はみんな逃げてしまったんだ」

ルルロロは気になっていたことを打ち明けた。

「自分が逃げ出すことに一生懸命で、その結果何が起こるかまで考える余裕がなくって」

「逃げ出すことが一番大事だし、水に溶けたんだからそれは仕方ないわね」

 リリルルが慰めた。

「いくつ妖気を宿していた?」

 ロルルルがきいた。

「百くらい」

「多いわね、私は五十くらいよ」

「私は五百以上抱えている。滅多なことで水には溶けられない」

「でも百の妖気が自由になったということは大変なことね」

「恐ろしいことになる。ただでさえ魔が増えてきているのに、火に油を注ぐようなものだ」

 ロルルルの声には深刻な響きがあった。

「どうしよう」

「どうしたらいいかしら」

「どうにかしようがあるだろうか––––––」

 せっかくルルロロが無事帰ってきたのに、三人の宿鼠達はまた暗澹(あんたん)たる気持ちになった。


 高見澤と楓が、不知光(しらぬい)の巫女に教えられた社長宅に着いた時はもう夜遅かった。

 通りには別なパトカーが止まっていた。

「怪奇事件捜査のボウギ―1高見澤だ。何かあったのか?」

玄関先にいた警官に高見澤がたずねた。

「誘拐事件です。子供がさらわれて身代金を要求されています」

「妖怪を誘拐したら、今度は逆に子供をさらわれたのか––––––」

 二人は邸宅の中に入っていった。

 贅(ぜい)を尽くした広間で、でっぷりした禿(は)げた男が、警官達と話していた。

「五億くらい払うのは何ともないから、とにかく子供のこと助けてくれ」

「お子さんの安全を最優先します。一方、犯人に五億もの資金を渡すことは、ますますこの手の犯罪を助長しますので、慎重に対応する必要があります」

 警官がもっともな説明をしていた。

「お話し中失礼するが、あなたはここに妖怪を飼っていますね」

 高見澤は話に割って入った。

「えっ、なんでそんなことを知っているんだ」

「妖怪の売買は五年以下の懲役に当たる犯罪ですよ。今すぐ妖怪を解放すれば、怪奇事件扱いで不問にしてもいいですが」

「それはありがたい。今それどころじゃないから、どうぞ勝手に持って行ってくれ」

「じゃあ、そうさせてもらいます」

高見澤と楓は初老の執事にルルロロがいたテントに案内された。

「えっ」

 執事が驚きの声を上げた。

 檻の中は空っぽになっていた。

「確かにここにいたはずなのですが」

「鍵は掛けてあったのですか?」

「もちろんです」

 社長も執事も子供の誘拐事件の騒ぎで、ルルロロのことなどすっかり忘れていたのだ。

「大変だ」

 執事は自分の落ち度になるかも知れないので狼狽して青ざめた。下手をすれば子供の誘拐も自分の責任にされそうだった。

 高見澤が錠前を確かめたが、確かに鍵は掛かっていた。檻の中に濡れた衣服と三角帽子と靴が落ちていて、檻の中は水浸しになっていた。

「マサさん、ここは何だか妖気の臭いが漂っていますよ。宿鼠がいなくなったのと何かかかわりがあるかも知れません」

「まさか妖気に取って喰われたんじゃないだろうな」

「宿鼠は妖気には耐性があるはずなんですけれど」

「どうすればいいんでしょう。これで私は首になってしまうかもかも知れません」

 執事はしょげかえっていた。

「社長には、警察が連れて帰ったと言っておけばいいですよ」

 楓がまた勝手なことを言った。

 高見澤は執事が可哀そうな気もしたので何も言わなかった。

 執事は二人に礼を言って何度も頭をぺこぺこ下げた。

 二人は、邸宅を出て、乗って来たパトカーに戻った。

 ルルロロは、自分の力で檻を抜け出すことができたのか、それとも何者かにまたしても連れ去られたのか、あるいはただ忽然と消えてしまったのか––––––

 高見澤には見当がつかなかった。

「無駄足だったが、今日のところは引き上げるか」

「そうそう何もかもはうまくいきませんよ」

「ルルロロを連れて帰らないと、またロルルルが心配するだろうな」

「案外もう独力で抜け出して、仲間のところへ帰っているかも知れませんよ」

「そう願いたいが」

「それはそうと、この辺りには美味しいケーキのあるカフェがたくさんあるんですよ。もうこの時間にはみんな閉店していますけれど」

「まだ五つ目を食べられなかったことを根に持っているのか」

「はい」

 ケーキのことで頭が一杯になっている楓は、夜空をぼんやりした光を発する無数の妖気が、宿主を求めて飛び交っていることに気づかなかった。

 高見澤も楓も随分頑張った一日だった。二人はその夜はもう何も考えずに帰ることにした。

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