第7話 青い眼の占い師3

 その夜、高見澤は楓と別れたあと、時々一人で飲みに来るバーに入った。

 小さい店でカウンター席とテーブル席が四つ。結構客が入っていて、テーブル席は満席。いつも座る奥の隅っこのテーブルも占領されていたので、カウンターの一番奥に座った。

「ショットでマッカラン。それと水」

 シングルモルトウイスキーを注文すると同時に、高見澤の前にバーテンダーがキスチョコとナッツの小皿を置いた。

 高見澤はいつも店内全体が見やすい隅の席に座る。

 座るとまず刑事の習性で、一通り客の品定めをする––––––面倒なことを起こしそうな輩、特に人に成りすましている人獣とか人妖、霊や妖気がついていそうな人間がいないかどうかを探る。

 高見澤から対角線の隅のテーブル席に、目つきが狼に似た男がいる。黄色味を帯びた瞳に黒い刺すような瞳孔––––––一目見て人獣の匂いがした。

 ワインのボトルを置いて、肉を喰っている––––––赤ワインと肉は人獣の大好物だ。

 しかし、こちらから仕掛けるには一般の客が多過ぎた。

 間違いなく人獣だが、様子を見るしかないな––––––

 人獣は動きが俊敏なので、人の姿の時も油断はならない。万一正体を顕わしたら、すぐに射撃姿勢を取るイメージを脳内で走らせておく––––––そうしておけば、いざという瞬間に機先を制することができる。

 バーテンダーが、ショットグラスと水の入ったコップをカウンターに置いて、ボトルから琥珀色の液体を注いだ。

 高見澤は、ウイスキーには手を付けず、水の入ったコップを口に運んだ––––––狼目の男が気になっていた。

 高見澤の場合、アルコールが入ると抜き撃ち射撃のスピードがコンマ1秒遅くなり、動体射撃の的中率が5%落ちる。他の客がいる店内で撃つ気はなかったが、万一に備えるのがプロだ。

 別に酒が飲みたくて来たわけではなく、時間を潰しに来たのだ。

 その夜、高見澤はもやもやしていた––––––妖気のことではなくて、楓のことで。

 高見澤は楓には内緒で、占い師に楓の正体を見極めるように依頼してあった––––––事前に占い師と相談しておいて楓をはめたのだ。

 占い師は高見澤と楓が部屋に入った瞬間から楓をよく見ていた。高見澤の妖気への対処も予め準備してあったので、高見澤と話しながらも、ずっと楓に集中していた。強力な霊感者である青い眼の占い師には、楓の正体を見抜くに十分な時間があったはずだ。

 高見澤は占い師から電話が来るのを待っていた。こちらから電話すると他の客の占いの最中に邪魔することになるので、むこうから電話をもらうことになっていた。

 店内に狼目の男がいることもあって、余計に落ち着かなかった。

 早く連絡してきて欲しいな––––––

 そう思った時、携帯が胸のポケットの中で震えた。

 高見澤はグラスをカウンターに置いたまま、狼目の男を横目で見ながら店の外に出た。

「高見澤です」

「遅くなりまして申し訳ありません」

 ––––––占い師の透き通った声だった。

「いいえ、こちらこそややこしいことをお願いしてすみませんでした」

「妖気のほうは早めに対処出来てよかったです。新しい宿主も待機させてあったので」

「大変助かりました。一つ気になったんですが、あのフードをかぶった男は何者なのですか?人間ではないと思いましたが」

 ––––––楓だけでなく、高見澤もプロなので当然気づいていた。

「あれは、すくねです。宿る鼠と書きます。妖気を扱えるいい妖怪––––––善妖です」

「やっぱりそうでしたか」

 宿(すく)鼠(ね)というものを聞いたのは初めてだったが、フードの男が妖怪だったことに高見澤は驚かなかった。むしろ、普通の人間が妖気を宿すことを生業にしていたら驚いたに違いない。

「宿鼠は妖気の宿主になっても、妖気に支配されることはありません。むしろ妖気を麻痺させてしまうんです。毒蛇を食べても平気な動物がいますが、それと少しに似ています。人獣、人妖が跋扈(ばっこ)し、妖気や悪霊も増える一方ですから、宿鼠のような役に立つ妖怪はますます貴重になってきています」

「妖怪といい関係にある人なんて珍しいですね」

「最近、妖気に取り憑かれる人が増えていますので、必要不可欠です。宿鼠がいないと妖気を殺すしかなくなりますが、その場合はこちらも命がけになります。私もだんだん自分の身の危険を感じ始めています。私自身が狙われているので、高見澤さんに守っていただかないと––––––」

「もちろんです。心配なことがあれば何でもおっしゃってください」

「ありがとうございます。頼りにさせていただきます。それと、楓さんのほうですが、よく見させていただきました。とてもいい方じゃないですか」

「そう思っているのですが」

「ただ––––––」

「ただ?」

「ただ、普通じゃないと思います」

「やっぱり妖怪ですか?」

「いいえ、そんなことはありません」

 占い師は電話の向こうで笑った。

「ただ、普通の人間にしては悪意がなさ過ぎるというか、純粋すぎるんです。高見澤さんに献身的過ぎるように思いました」

「じゃあ楓は何なんですか?」

「それが正直私にもわからないのです。妖怪、人妖の類ではありません。むろんアンドロイドとか進化した機械でもありません」

「電子義眼と本人は言ってますが」

「それはある意味で本当だと思います。私には技術的なことはわかりませんが、楓さんのあの眼は外部から与えられたものだと思います。眼自体が独自の生命を持っていると感じました」

「電子義眼の技術は一通り調べたのですが、どれにも当てはまりませんでした」

「技術だとすれば、バイオ系かも知れませんね」

 ––––––その点は高見澤もまだ調査していなかった。

「楓の眼は物体を透視したりする力もあるのでしょうか。一度驚くような発見をしたことがあって」

「それも考えられます。でも視覚で見ているというよりは、霊感で感じ取っている可能性の方が高いと思います。楓さんは類(たぐい)稀(まれ)な霊感者です。占い師にも向いていますし、怪奇事件捜査の助手は、この上もないはまり役でしょう」

「じゃあ、楓が言っていたことはほぼ全て真実なのですね––––––」

「楓さんを言葉で表すなら、一番近い表現は亜種だと思います。異常に強い霊感力を持っているという意味で」

「強い霊感力を持った亜種だとして、楓はいったい何を目的にしているのでしょうか」

「それはわかりません。楓さんのような人が、どのようにして生まれてきたのか不明ですし、何がしたいのかもわかりません。ただ一つ言えることは、高見澤さんには強い好意を抱いています。恋愛感情とは違います。親愛の情といったほうが適切でしょう。それに楓さんの運勢は高見澤さんによって振られます。その逆ではありません。高見澤さんにとって楓さんは大きな力になり得ます。でも楓さんのほうは、高見澤さんの振る舞いによっては、不幸になる可能性があります」

「刑事の助手ですから、妖怪や人妖でなくてよかったです」

「宿鼠もそうですが、妖怪でさえ人の役に立つものもあります。人間が善とは限りません。妖怪や人獣よりも悪辣な人間もいます。亜種であれ何であれ、楓さんは高見澤さん味方ですし、その霊感力は高見澤さんの仕事に最も必要とされているものかも知れません」

「なるほど」

「私が見たことは大体そんなところです。あまりお役に立てなくてすみません」

「いいえ、大変助かりました。ありがとうございます。またお世話になります。世の中ますます物騒になっていますので、気になることがあったらいつでもすぐ連絡してください」

 話を終えた高見澤は携帯をポケットに入れて、店内のカウンターに戻った。

 霊感力のある亜種か––––––

 妖怪、人妖の類でないのはよかったが、このままでいいのだろうか––––––

 高見澤は楓の取り扱いには、自分が責任を持たなければならないと思った。

 ショットグラスに手を伸ばしかけた時、背後に気配を感じ、高見澤は咄嗟にその手で拳銃を抜いて振り返った。

 狼目の男は高見澤の反応が恐ろしく速かったので、襲撃を諦めてカウンターにいた客を席から引きずり落として逃げた。

「何だ!」

「どうしたんだ!」

 店中の客が騒然となった。

 人が邪魔になったので高見澤は引き金を引かなかった。

「失礼っ!」

 高見澤は床に倒れていた客の上を跨いで、人獣を追って外に飛び出した。

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