第6話 青い眼の占い師2

 色とりどりのネオンできらびやかな歓楽街の通り––––––占い師の店は、立ち並ぶペンシルビルの中の一棟の三階にあった。

 狭いエレベーターで上がり、店のドアを押して中に入ると、すぐに小さな待合室になっていた。濃い青の色調で統一された小部屋は落ち着いた雰囲気がある。

 部屋の隅の椅子に、グレーのパーカーのフードをかぶり、背を丸めた男の先客が座っていた。大きなフードですっぽり頭部が隠れ、俯(うつむ)いているので顔が見えない。室内なのにポケットに手を入れている。

 二人掛けのソファが空いていたので、高見澤と楓は並んで座った。

 フードの男は石のように身動き一つしなかった。楓はその男を見た瞬間に妖しいものを感じたが、狭い部屋なので二人とも私語をせずに、大人しく順番を待っていた。

 しばらくすると占いが終わった女性客が出ていった。

「高見澤さん、どうぞお入りください」

 奥の方から透き通った女性の声がした。

 部屋の隅にいた男は、相変わらずピクリとも動かなかった。そこで何をしているのかわからなかったが、呼ばれなかったので客ではないのかも知れなかった。

 木彫りの龍と象の意匠が施された重厚な扉を押して奥の部屋に入った。

 香(こう)のかおりが漂う小部屋。マゼンダピンクのスカーフで頭を覆い、黒っぽいロングドレスを纏(まと)った占い師は、指先を揃えてピラミッドを作り、瞑想しているかのように静かに座っていた。金糸の入った薄い生地のアラビアンマスクをしているので、青く美しい眼だけが目立った。

 テーブルの上には紫色のランプの炎が揺れていて、地球儀に似た形の上下左右に回転する古めかしい時計と、妖怪や人獣を駒にしたチェスボードが置いてある。不気味な仮面、魔物や邪神の像が並べてある後ろの棚に水晶玉があって、ランプの紫の光をぼんやりと反射していた。

 高見澤は占い師に面と向かってその素性をきいたことはなかったが、アラブか中央アジアあたりの雰囲気を持つ端正な顔立ちの女性で、なぜか日本語が完璧だった。

 席が一つしかなかったので、壁際に置いてあった椅子を使って二人並んで座った。

「長い間お借りしていたこれをお返ししに来ました」

 高見澤は水晶玉を台ごとテーブルに置いた。

「わざわざどうもありがとうございます」

 占い師は丁寧に頭を下げた。

「こちらは私の助手の水神楓です」

「ただのバイトです」

 楓も頭を下げた。

 占い師の視線は楓に向いていた。

「水晶玉を返しに来たついでと言ってはなんですが、水神が見たところ、私に何かの妖気が憑いているらしくて、なんとかしてもらいたいのです」

「どうやって妖気に気づかれたのですか?」

「この水晶玉の中にもやもやしたものが見えたんです」

「水神さんは霊感者でいらっしゃるのですか」

「私は眼が無くて電子義眼なのですが、その分他の感覚は鋭いところがあります」

「なるほど」

 占い師は水晶玉の上に手をかざした。青い瞳がキラキラと輝いた。

 高見澤ははっとした––––––一瞬楓の眼を見たような錯覚にとらわれた。

 霊感者ってみんなこういう眼なんだろうか––––––

「確かにいますね。ちょっとこちらを見て頂けますか。私の眼をしっかり見ていてください」

 占い師の瞳は光を増して、高見澤の眼を覗(のぞ)き込んだ。高見澤は自分の頭が磁場で上方に吸い上げらえるような感覚を覚えた。

 占い師はまた視線を楓に戻した。

「高見澤さん、最近、人獣か何かを殺しませんでしたか」

 占い師は時々チラチラ高見澤を見ながら話したが、その眼は八割がた楓に向けられていた。

 楓は美しい人に見られているのを感じて少しドキドキした。

「ええまあ––––––仕事ですから」

「その殺された人獣についていた妖気が、宿主を失ってあなたに乗り換えたようですね」

「全く気がつきませんでした」

「この妖気は人を人獣に変えます。長く宿していると、だんだんと変化が起こります」

「ええっ!」

「妖怪キラーの高見澤さんに取り憑くなんて大胆な妖気ですね。多分他にどこへも逃れようがなかったのでしょう」

「悪魔祓いか何かお願いできますか」

「この手の妖気は殺すことは簡単ではありません。でも他に移すことは可能です」

「移すってどうやるんでしょうか」

「他の宿主を見つけて、妖気を追い出せば移ります。代わりの宿主がいない限り、妖気はてこでも動きません。殺された人獣のように、その宿主が死ぬまでは」

「代わりの宿主を見つけるのが大変そうですね」

「少しお金を払えば見つけられますけれど」

「安月給なので値段にもよりますが––––––」

「1万円です」

「それなら清水の舞台から飛び降りるつもりでお願いしたいです」

 占い師は微笑んでうなずいた。

「今すぐ移したいですか。それともしばらく妖気を飼っておきたいですか」

「早い方がいいですが、代わりの宿主ってもしかして、楓のことでしょうか?」

「マサさん!」

 楓が声を尖らせた。

 占い師は笑って赤いネールの美しい指先で部屋の扉を指した。

「待合室にいましたよね」

「あっ、あのフードをかぶった人ですか?」

 二人は目を見合わせた。

「そうです。それを生業としています。私のほうで1万円お預かりして、あとはお任せいただければ、他には何もする必要はありません」

「妖気を受け取ったあの人はどうなるんですか?」

 楓が心配げにきいた。

「彼はいろいろな妖気に耐性があるのです。もうたくさんの妖気を宿していますから、もう一つ増えてもあまり変わらないみたいです」

「猫好きの人が、家中猫で一杯にしてしまうのと似た感じですかね」

 楓はそう言いながら、あのフードの男はやはり人間ではないのでないかと思った。

 高見澤は乗り気だった。

「これでお願いします」

 ポケットから財布を取り出して、1万円札を占い師の前に置いた。

 占い師は後ろの棚からもう一つそっくりな水晶玉を取ってテーブルに並べ、楓が高見澤に取り憑いた妖気を見たほうの水晶玉に手をかざした。

 紫色に光る水晶玉の中に、もやもやしたものが浮かび上がった。今度は高見澤にも見ることができた。

 占い師はそのまま手をもう一つの水晶玉に滑るように移動させた。もやもやは水晶玉を抜け出し、もう一つの水晶玉にするりと吸い込まれた。

「移りました」

「もうできたのですか?」

「何か変化を感じませんか?」

「頭の中がすっきりしたような気がします」

「妖気はあなたの中から消え去りました。もう大丈夫、戻ってくることはありません」

「助かりました」

「まだもう少しだけ時間がありますが、どうされますか?」

「せっかくですから、楓の運勢を見てやってもらえますか」

「ありがとうございます。見させていただきます」

 占い師の青い眼が楓を正面から見詰めた。瞳がキラキラと輝き、一瞬眩(まばゆ)いほどの光を放った。そのあと光は占い師の眼の中に吸い込まれるように消えていった。

 楓は自分が透視されたように感じた。

「楓さん。あなたの運勢は双極性です。大きな振れ幅があります。付き合う人によってどちらにも振れます。それはあなたが献身的な人柄だからです」

「ええ、そう思います」

「肉類は体に合わないですか?」

「はい、ベジタリアンです」

「今の仕事は好きですよね」

「はい。大事な仕事だと思っています」

「でもお給料が安いのですね」

「最低賃金のバイトです」

「運勢を安定させるためには、自分を見失わないことです。人に振り回されると、どのような振れ方をするかわかりませんから」

「はい、ありがとうございます。その通りだと思います」

 占い師の指摘は恐ろしいほど当たっていたし、楓はいつになく素直だった。

 こいつ、いつも俺には楯突(たてつ)くのにな––––––

「いつもマサさんに振り回されていますから、これからは気をつけます」

 この野郎––––––

 高見澤は振り回されているのは自分のほうだと言いたかった。

 占い師が時計を見た。

「延長されますか?」

「いいえ結構です。妖気を祓っていただけたので大変助かりました。おまけに楓の運勢も見て頂けましたし。ではこれで」

 高見澤は千円札を三枚テーブルに置いた。

「あ、お二人ですから六千円になります」

 やられた––––––

 高見澤は空になった財布をぱたぱた振った。

 楓がくすくす笑った。

 二人が占い師の部屋から出てきた時には、もうあのフードの男はいなかった。

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