第3話
娘が帰宅してから、近所のラーメン屋に出前を頼んだ。
「パパ、家事の分担どうする?」
「ずっと出前って訳にはいかんしな。」
「パパの方が早く帰ってるんだから、パパが夕飯作ってよ。」
「朝は自分の弁当作らんといかんけん、朝ご飯は各自ね。洗い物は私がしてから登校するわ。洗濯は朝は忙しいけん、夜、私が干す。ゴミは夜、玄関にまとめとくけん、朝パパ出して行って。掃除は休みの日に協力しよ。」
「夕飯作れるかなー。」
「作れるかなーじゃなくて、せんと!ママいつ帰ってくるか分からんのやけん。」
餃子も焼き飯も味わう余裕はなかった。風呂掃除は面倒だからと、今日からはシャワー浴に決まってしまった。娘は何と逞しいのだろう。母親が居なくなったと言うのに、落ち込む様子は見受けられない。
「問題が出たら、その時にまた話し合うってことで。じゃあ、私、宿題せんといかんけん。」
そう言って2階に勢いよく上がって行った。
することもないし、少し早いがシャワーを浴びて横になることにした。美紅は何処に行ったんだろう?出ていく理由は有る様な無い様な。特に喧嘩もしてないし、思い当たるふしはない。小さな不満はお互い様だし。他に好きな奴でも出来たのか。いや、あの体型で?体型は関係ないか。時々、特番でやってるみたいに、記憶喪失になってたりして。でも、免許証が財布に入ってるはずだし。美紅のことは勿論心配だが、明日からの生活も心配だ。モヤモヤ、ウジウジ考えながら布団を部屋の端に敷いた。美紅がいないんだから、真ん中に敷けば良いものを。習慣とは怖いものだ。美紅が居ない家は静かだ。美紅の親にも近いうち、状況を説明しないといけないが、もう少し先にしよう。もう訳が分からない。疲れた。電気を消して、いつも美紅が寝ている方を見た。何も無い。誰もいない。押入れを開けて、美紅の枕を取り出した。美紅の匂いがする。そうだ、美紅はこんな匂いだったな。最後に抱いたのはいつだっけ…。枕に顔を押し付け、思い切り匂いを吸い込んだ。
朝は苦手だ。夜の間におかずを作って、朝、チンだけして弁当に詰めることにしよう。ホウレン草と卵の炒め物と、ウインナーを茹でた物を皿に移しラップした。炊飯器を確認すると、何とか弁当分のご飯はありそうだった。パパに食べられると困るので、炊飯器に「食べるな!」とメモを貼っておいた。ゴミカレンダーをチェックした。明日は燃えるゴミの日だ。各部屋のゴミを集め一つにまとめて、玄関に置いておいた。マジで疲れた。ヘトヘトだ。
「ママどこ行ったん…。早く帰って来てや。」
洗濯機の蓋を開けて見た。まだ、大丈夫。明日回そう。
二人の生活が始まって暫く経った。警察からは何の音沙汰もない。役割分担もすっかり馴れ、父親の料理の腕はどんどん上がっていった。ただ、田舎は他人の家への興味が凄くて、放っておいてはくれない。
「お母さん、最近見掛けんけど、どしたん?どっか悪いん?」
親切ごかしに探りを入れてくる。
「お祖母ちゃんの調子が悪くて。あっちに行ったっきりなんです。」
この言い訳もいつまで持つか。パート先にも同じ説明をして、退職させて貰っていた。
母親が居なくなって10日を過ぎた頃、私とパパは意を決して、祖父母に事情を説明しに行った。祖母は、
「また、そんな冗談言うて。」
と、笑おうとしていたが、私達の顔を見て、今度は泣き出した。
「美紅は何処おるん?警察には届けたん?」
パパは何も言えずに俯いていた。代わりに私が今までのことを話し、近所の人には祖母の介護で実家に帰っていることになってるからと説明した。ずっと黙って聞いていた祖父が、突然土下座した。
「すまん。美紅が本当にすまん。もし帰って来たら許しちゃってくれ。勝手なことを言うとんのは分かっとる。でも、許しちゃってくれ。」
祖父はママが浮気して、蒸発したと思い込んでいるようだ。二人の余りの落ち込み様に、なかなか帰ると言い出せなかった。帰る時に祖母が沢山のおかずを持たせてくれた。祖父はパパに何度も頭を下げていた。
「ママ、男と蒸発したことになっとったな。」
「ママに限ってね。」
私とパパは顔を見合わせて、少し笑った。でも、もし祖父の言う通りだったら。私は絶対ママを許さない。
馴れと言うのは本当に怖い。初日こそ何度も起きたが、今では『ケイスケ』が横に並んで眠ることが普通になっていた。寝る時は、お互いの片足を緩く固定していた。
『鬼の褌を洗う』まさに、今の私の状態だ。 連れ去られたのが4月の下旬。もう5月の中旬だ。私は監視付きだが、近所を散歩させて貰える様になっていた。家は集落の1番上にあり、時々、白いバンが食料と日用品を持って来た。運転手はいつも同じで、目付きの鋭いガッチリとした男だった。物品の受取りは必ず『ケイスケ』が対応した。二人は、二言三言話したり、笑ったりしていた。あれが、仲間の一人なのかもしれない。毎日、同じ繰り返しだと時間の感覚が鈍くなる。何の為に連れ去られたか分からないまま、変らない日々を繰り返していた。
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