第2話
「おい、桜、ママどっか行くって聞いとる?帰ったら、どこにもおらんけん。」
部活が長引いて疲れて帰って来たら、パパがリビングの真ん中でウロウロしていた。
「ラインしてみた?」
私達は、家族でグループラインをしている。家族で情報を共有出来るのは、言った言わないがなくて面倒臭くないし、直接話したくない時もあるから案外と便利なのだ。
「そうやな。」
私は手と顔を洗い、2階の部屋で制服から部屋着に着替えた。そうだ、ゼンリーを見てみよう。ゼンリーは許可した者同士が、お互いの居場所を検索出来るアプリだ。これも、スマホを買った時にママにインストールされたアプリだ。私が一人っ子だからか、娘だからか、ママは過保護で過干渉だった。居場所は家の近くのままだ。電源を切ってるか、充電が無くなったか。2階から降りるとパパが呟いた。
「既読がつかん。」
「洗濯物は?取り込んだ?」
「気が付かんかった。」
外の干場には何もなかった。脱衣所に置いてある洗濯機の蓋を開けると、湿気た臭いと干されるはずだった洗濯物が残されていた。
「パパ、ママ多分朝からおらんと思う。だって、洗濯物回しっぱなしで干しとらんもん。凄い急ぎの用事が出来たんやない?だって、急ぎじゃなけりゃ絶対干していくやろ。祖父ちゃんか祖母ちゃんに何かあったんやない?」
「そうやな。そうかもしれん。電話してみよわい。」
パパが電話を掛けてる間、台所を見てみた。流しに今朝使った茶碗やコップが、水桶に浸けっぱなしになってある。絶対おかしい。
「洗い物が残っとったら、ご飯作る気せんなる。」
ママはそう言って、パートに行く朝も、必ず洗い物だけは済ましていたから。
「そうですか。ハイ!大丈夫です。その内帰って来ると思います。ハイ!すいませんでした。ハイ!失礼します。」
パパが嫌に丁寧に電話を切った。パパとママは高校時代からの付き合いでそのまま結婚した。父親は高校時代に、電話の掛け方が悪いと祖父に叱られたことがあるらしく、祖父のことが大の苦手なのだ。
「来てないって。何もないって。」
「パパ、何かおかしい。急ぎじゃないのに、洗濯物も干してないし、洗い物もそのままなんよ。ママらしくないやん。」
「でも、子供じゃないけんな。11時迄連絡が取れんかったら警察行こう。」
二人とも大して食欲もなかったが、残りご飯と胡瓜の漬物でお茶漬けにして食べた。胡瓜を噛む音だけが響いた。いつもだったら、ママがうるさいくらいに喋っているのに。テレビを観ながら、この女優さんは老けたとか肥ったとか、いつまでも綺麗だとか、生まれ変わったら、この俳優さんと結婚したいだとか、本当にどうでもいい話ばっかりだけど。私は残された洗濯物を洗い直し干して、流しの茶碗を洗った。パパは電話したり、居場所の検索を繰り返していた。
「もう、行こう!」まだ10時前だった。
「11時迄待つんじゃなかったん?」
「いや、もう待てん。おかしい。何とかして貰わんと。桜も一緒に来てくれんか。」
言われずとも一緒に行くつもりだった。パパはとんでもなく狼狽してたから。
近くの交番ではなく、警察署に出向いた。
「すいません。」受付に響き渡る声だった。
「どうされましたか?」受付の女性が落ち着いて対応してくれた。
「妻が帰ってこんのです。こんな事、今まで1回もないんです。何かあったんやと思います。探して下さい。」
「後ろはお嬢さんですか?お2人共こっちに回って貰えますか?」
受付から右に曲がった奥のソファに通された。仕切りがしてあり、他の人の目線が届かない。パパは気付いてないが、皆の視線が集中していた。落とし物を届けに来たであろうカップルが、こっちを見て笑っていた。
奥に通され、受付の女性が係の男性を連れてきた。一通り説明をし、私もおかしな点を話した。今朝から起きた事故を調べてくれたが、全て身元が明らであること、連れ去りの通報もされていないことを説明してくれた。そして、可能性の問題として、過去の行方不明事例を話してくれた。要は自発的な家出の可能性があり、年齢的なこともある為、幼児の行方不明者の様な対応は出来ないということだった。父親と私は母親の特徴を記入し、情報があれば連絡すると言われすごすごと帰宅した。
ママがいないという現実に、次の朝から押し潰された。
「パパ!起きて!もう8時よ!」
「何で、起こしてくれのや!ママは?」
言って気付いたらしい。
「おらんかったんや。」
落込み気味の父親を奮い立たさねば。
「パパ!早うせんと!遅れるけん!」
私達は、朝ご飯も食べず、弁当も持たず、急いで家を後にした。
皆はどうしとるやろう。テレビも夕方のニュースが流れ始めた。私のことは流れる様子がなかった。まあ、まだ夫も桜もいなくなったことすら気付いてないに違いない。気付いて届けを出したとしても、大勢の行方不明者の一人という扱いなのだろう。本当は脅されて誘拐され、監禁されてるのに。酷いことはされてないけど。そうだ、夕ご飯は何にしよう。誘拐されてまで夕飯の献立で悩むとは…。小股で冷蔵庫に近付き、中の食材を確認した。横の木箱にはジャガ芋と玉葱と人参があった。冷蔵庫の横の棚には乾物も揃っていた。ここは誰かが住んでいた場所じゃない。調味料も乾物の袋も全て封が切られてなかった。くっそぉ、自分が食べたい物にしよう。せめて、これくらいの自由は許して貰わないと。若い男の子はどれ位、米を食べるんだろう?取り敢えず、5合米を炊き、豆腐とワカメの味噌汁、豚肉の生姜焼き、ポテトサラダを作った。そして、又、誘拐犯と2人で食卓を囲んだ。今度は少し『ケイスケ』を観察する余裕もあった。箸の持ち方がグー持ちで、良くその持ち方で箸が開けられるなと魅入ってしまった。『ケイスケ』は見られていることに気付くと恥ずかしそうに言った。
「直せなくて。」
私は同じ向きに座って、持ち方を教えた。
「ほら、こうすると開いたり閉じたり簡単に出来るやろ?これが出来たら、魚が食べ易いけん。初めはしんどいかもしれんけど、毎食続けたら、出来る様になるけん、すぐよ、すぐ。」
パート先の若い男の子みたいだ。
「商品が売れたら、前に詰めるんよ。見た感じも綺麗し、数えやすいやろ?」
「ほんまやな、おばちゃん。」
そんなやり取りが、随分昔のことの様に思える。無事、帰れるだろうか。
夕飯を食べ終わると、昼御飯の時の様に『ケイスケ』が洗ってくれた。温かいお茶まで入れてくれた。お茶の入れ方が丁寧で驚いた。急須にお茶っ葉を入れてお湯を注ぐ。湯飲み茶碗にもお湯を入れて、湯呑みを温める。暫くしてから、湯呑みのお湯を捨てて、同じ濃さになる様に交互にお茶を注ぎ入れる。絶対、桜は出来ない。大体私に、お茶を入れてやろうとも思わないだろう。
「美味しかった。」
「お粗末様でした。お茶有難う。」
これで誘拐犯じゃなけりゃ、良い子なのに。しかし、後の2人の犯人はどこにいるんだろう?連絡を取り合ってる様子はなかったし。
「風呂に入って下さい。」
「でも、着替えもないし。」
「着替えは用意してます。脱衣所に。」
小股で脱衣所に行くと、洗濯機の蓋の上にブルーのLサイズのパンツと、キャミソールとブラジャーが一体化しているLサイズ肌着と、フリーサイズの赤のチェックのパジャマが畳んで置いてあった。干している洗濯物を見られていたのかもしれない。家にある物によく似ていた。服を脱ぐ前に足首の拘束を除けてくれた。足が開けるって、素晴らしい。湯船にお湯も張られていた。湯船の少し上に窓があったが、外にはサッシの格子がはまっており、外を覗くと崖の様になっていて、かなり高さがあった。ここから逃げるのは難しいな…。湯船に浸かりながら、逃げる方法や、桜や夫のことを考えた。家族も家も知られている。私が逃げたら、桜を連れ去ると言ってたし。解放してくれるまで大人しくしている方がいいのだろうか。それにしても、何故私なんだろう。いつ自由にしてくれるんだろう。
「もうそろそろ出て下さい。」
外から『ケイスケ』の声がした。外へ出ると、柱と手を固定された。やっぱり、私は誘拐されているんだ。可哀想に。
「僕が風呂から出たら外します。」
惨めだ。何もしていないのに、こんな目に合わないといけないのか。『ケイスケ』は驚く程早く風呂から出て来た。そして、すぐに拘束を外してくれた。『ケイスケ』は和室の、私が転がされていた布団の横に、ピッタリと布団を引いた。
「今日から隣で寝ます。」
夫とだって、もっと離して寝てるのに。今夜から眠れるだろうか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます