第16話

 そう呟く声は弱々しかった。

 五百年は決して短い時間ではない。人の人生が何度も繰り返されるだけの時間だ。その間をただ一人生き続けたのは、確かに夫であるルカの約束のためだった。しかし、流れる月日の中で、その約束は意味も重みも変えてしまった。

 目を瞑っても思い出せる夫の顔は、白い光の中に溶けて消えてしまっている。どんな声だっただろうか。どんな匂いだっただろうか。忘れていくことに恐怖を抱いていたのも、もはや遠い過去になってしまっている。

 忘却は時の流れの中の必定だ。魔女であるノアにも逃れられない。

 だからルカに会いたかった。彼に会って、薄れていく気持ちを再び燃え上がらせたかった。

 そのためには、どうしても彼女は自分の体を取り戻さなくれはならない。ノアは、深く息を吐き出す。アウレリオの力を借りるのは癪だった。しかし、彼はどこにノアの体があるのか知っている。なら、彼に縋るしか方法がなかった。

 目に見えて消沈する少女の姿を、アウレリオの瞳が冷静な様子で観察する。彼の唇に、笑みが浮かんだ。

「まさか、本気で結婚しろとまではいってませんよ。あなたがその気でも、選択肢は王子の側にあるんですから」

「・・・・・・は?」

 これでもかと目を見開き、ノアはアウレリオを見た。今、目の前の男はなんと言った?

「正確には薔薇妃候補になって、王城へ潜入していただきたいのです。現在三人の薔薇妃候補がいるので、あなたにはそこへ加わってもらうことになるでしょう。安心してください、どの薔薇妃候補も飛び切りの美貌と血筋の持ち主だそうですから。たとえあなたが本物の薔薇の魔女だったとしても、王子のお心が動くかどうかは、私も保証できませんよ」

 少女の白い頬に見る見る朱が上った。

「あんたはっ!! あたしをからかって楽しんでるでしょう!!」

「あなたが存外かわいらしい反応を返すので戸惑ってしまいました」

 にこりと極上の微笑を返され、ノアは言葉が出なくなる。ぱくぱくと口を動かしながら、広げようのない怒りに悶絶した。からかわれたのだ。

「あたし、あんたが大っっ嫌い!!!」

 叫んだ少女に、しかし彼は「はっはっはっ」と楽しげに笑ったのだった。

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