第15話
「嫌よ」
拒絶だった。
「なぜですか?」
問うアウレリオの声は、落ち着いている。拒絶を口にしたとき、一瞬目を瞠ったが、それはすぐに穏やかな表情の向こう側に消えてしまう。
「あたしがどうして力を貸さなきゃいけないの? あたしにとってアシュヘルクは祖国というわけでもない。偶然通りかかって戦争に一時加担しただけの国よ。それをなんで、あたしが守らなきゃいけないの。自分の国ぐらい自分で守りなさいよ。それが、当然の義務というもんでしょーが」
「しかし、あなたはこの国の王妃となられた。五百年もこの国にいたなら、あなたは誰よりもアシュヘルクの民と言えるのではないですか?」
確かに、それは一理あった。ノアは、口を噤む。むすりとそっぽを向くと、やれやれとアウレリオが肩をすくめた。
「では、こうするというのはどうでしょうか? あなたが協力してくれたなら、見返りにあなたの体のある場所を教えるというのは・・・」
ノアの顔色が変わった。金色の瞳でアウレリオを睨み付ける。何かを叫びだそうとし大きく開いた唇が、結局言葉を発さないまま閉じられた。への字に曲がった唇は、彼女の意思をアウレリオに伝えている。若き枢機卿はがゆったりとした微笑を浮かべた。
「取引成立で、よろしいですね?」
ノアは唇を噛む。やはり、この男はいけ好かない。純粋な聖職者の顔をして、人間臭い駆け引きが得意だ。思わず、愚痴がもれた。
「人の足元見てんじゃないわよ」
「わたしとしても、こんな取引はしたくありませんでしたよ。ですが、こちらも国の命運がかかっていますので。どんな卑怯な手段でも、使えるものなら使わねば」
「でも、言っておくけど、あたしはなんの役にも立たないわよ。昔の大魔女だった頃の力を期待してもらっても困る」
今のノアに、かつての力はほとんどないといっていい。そういうと、アウレリオは眉を潜めた。
「どういうことですか?」
「今のあたしに魔力はほとんど残っていないってこと。出来ることといえば、こうして自分の体を不老維持することぐらい。それで精一杯。町で似非占いやってる魔女と大差ないぐらいの力しかないのよ」
「どうして、そんなことに?」
「城を出るときに、全部捨ててきたから」
ノアの瞳が、遠く思いをはせるようにけぶった。
「普通の女として生きていくのに、巨大な魔力なんて必要ないでしょ。――――――ルカとの約束だったのよ。普通の女になるって」
普通の女になって、彼の迎えを待つ。そう約束した。
そして、その約束は守られることがないまま、今に至っている。
力の使えない自分など、利用価値があるわけがない。しかし、アウレリオはあっさりと構わないと、言ったのだった。ノアのほうが驚く。
「魔力が使えようが使えなかろうが、アウグスタがあなたを選んだ以上、あなたにはこの国を救う力があるのです。なによりも、あなたのその過去の経験が、今の我々には大きな役に立つはずです。どうか引き受けてください、ノア・リデル。あなたがかつて守ってくれたこの国を。英雄王ルドヴィカの愛した、この国を」
英雄王ルドヴィカ。ノアの夫は、誰よりもこの国を愛していた。その愛情の深さに心を打たれ、多くの仲間が共に戦場に立つことを選んだ。ノアもその一人だ。ルドヴィカがいたから、戦うことを選んだ。でも、今再び王宮という名の戦場に出ようとしている自分は、誰のために戦おうとしているのか。
(ルカはもういないのに・・・あたしだけがまた戦わなきゃならないなんて、どんな皮肉よ)
「それで、あたしはなにをすればいいわけ」
ほとんど投げやりな気持ちで、ノアは尋ねた。ここで拗ねなくていつ拗ねればいいのか、わからない。アウレリオもラビットも苦笑したが、特に文句は言わなかった。当然だ、ルダ教は基本年功序列、年上を敬うのが義務。なら五百歳近く年上のノアは、敬われて当然のはずだ。ソファにだらしなく背もたれて、気のない視線を中に彷徨わせる。それぐらいが、彼女に出来る唯一の抵抗でもあったのだ。
「あなたには、第一王子の護衛を努めていただきたいのです」
「第一王子? 王様じゃなくて?」
「第一王子は、国王が遅くに生んだお子様です。やっと婚姻の儀までこぎつけた。今は彼に死なれることが、一番困るのです」
老齢の国王に病弱な第二王子では、確かに第一王子に課せられる使命と期待は大きいだろう。
「あなたには、王子の薔薇妃になっていただきます」
ノアの口が開いた。驚きすぎて表情が固まってしまったのだ。それを見たラビットがおかしそうに笑う。
「あははは、ノア、変な顔ですね」
「だ、誰のせいでこんな顔したと思ってんのよ!! あたしが薔薇妃って、どーいうことよ! 無理無理無理、不可能っっ、そんなこと出来ない!」
薔薇妃は、国中で最も美しく賢く、そして魔力の強い娘が選ばれるという話だ。ノアは自分がそのどれにも当てはまらないことを、自覚している。
両手でばんとテーブルを叩き、アウレリオに詰め寄る。
「ふざけないで。護衛は引き受けるわ。でも、薔薇妃なんて絶対に嫌よ、断固拒否するわ!」
「どうしてですか? 薔薇妃になればあなたは贅沢のし放題、この国でもっとも尊ばれる女性になるのですよ」
「贅沢に興味はない。それに、この国で一番尊ばれてるのは薔薇妃じゃなくて、薔薇の魔女、つまりあたしのことじゃない。薔薇妃だって、そもそもは薔薇の魔女(あたし)のことから来ているんでしょ」
いつごろかは定かではないが、国の安定を維持するには国王の隣には薔薇の魔女が必要であるという考えが始まったのだ。もちろん、本物を連れてくるのは無理だ。彼女は城を去って以後、行方がわからない。年齢的なことを考えれば死んでいると思われた。そのために考え出されたのが薔薇妃だ。薔薇の魔女のような(・・・)、別の女性を連れてきて国王と結婚させてしまおうという、ある意味無茶な方法だったが、それが本気で定着してしまったのだった。
「それに、結婚なんて無理。だってあたしもうすでに結婚しているもの」
ノアは胸元から鍵のついた皮紐を引っ張り出す。アウレリオは目を細めそれを一時観察したあと、やれやれと吐息を吐き出した。なんだかひどく馬鹿にされたような気がする。
「それは、国王家の紋章ですね。しかし、少々デザインが古い。ルドヴィカ王から頂いたものですか?」
「そうよ。彼以外から誰に貰うって言うのよ」
「つまりは、あなたは五百年ほど前に結婚し、その後寡婦になったと。アシュヘルクには未亡人が再婚してはならないという法律はありませんが」
にこやかに告げられ、ノアの金色の瞳が大きくなる。
確かにそんな法律はなかった。
「で、でも、かりにも薔薇妃になろうって女が再婚者じゃ国民に格好付かないでしょう!」
「ばれなければいいのですよ。あなたの場合、結婚したのは五百年も前、まず覚えている人などいないでしょうからね」
「それは詐欺っていうのよ、似非聖職者!」
「では、あなたが結婚を嫌がるのは、ルドヴィカ王子のことをいまだ愛していているからですか?」
ノアの肩が大きく揺れる。それまで威勢良く飛び出していた言葉が、止まった。その表情に、一瞬怯えがよぎって、消えた。
「・・・・・・愛していなければ、結婚なんてしないわ」
「五百年前のことを言っているのではありません。今現在のことを言っているのです。どうなのですか?」
ノアは、見ていたくなかった絵を無理やり目の前に突きつけられたような気持ちになった。歪む顔を止められない。指の先が折れ曲がり、勝手に拳を作る。
「わからない」
そう呟く声は弱々しかった。
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