第14話

 ノアははっと息を呑んだ。一瞬言葉を失った彼女に、アウレリオは深く頷いた。その唇には、笑みはない。

「城の中に・・・国王一家の信頼する家臣の中に、裏切り者がいるのね・・・・・・」

「それ以外に、全員を一度に狙う方法はありません」

「なんて大それたことを・・・・・・。奴らは、つまり厳重な警護の内側、鉄壁といわれた城塞の中に、すでに入り込んでいるのね。それじゃあ、いくら外を警護しても無駄でしょうね。しかも、その様子じゃあ誰が怪しいのかも、目星がついていないようだし。完全に後手後手じゃない」

「その通りです。私たちは完全にイグナートの二歩も三歩も遅れを取っているというのが、実情です」

「家臣に裏切り者がいるなら、たとえ薔薇祭りで失敗したとしても、正体さえ気付かれなきゃチャンスはいくらでもあるってことでしょ。二歩三歩の遅れなんてもんじゃないわ。百歩近く遅れてるっていうのよ」

「ずいぶんと手厳しいですね・・・・・」

 微苦笑を浮かべたアウレリオに、ノアは鼻を鳴らす。

「事実そうでしょう」

 彼はとくに反論せず、目を伏せた。

「この場合あなたならどうしますか?」

「攻め込むわ」

 間髪いれず答えていた。

「は?」

 声を上げたのはラビットだった。ノアは、背を反らし仰ぎ見るように背後にいるラビットを見上げた。

「殺される前に殺した方が早い。命を狙われるってことは、それだけ邪魔な存在だと思われてるってのもあるだろうけど、相手に簡単に殺せるって思われてるからよ。しかも、国王や第一王子一人の命を狙われてるってだけじゃない。国王一家の命全部が狙われてるなら、もうこれは戦争だわ。表立ってドンパチしてないだけで、少なくともイグナートにとっては、これは戦争と同じよ。アシュヘルクは今、喉元まで進軍されてるってこと。なのに、こっちはそれに気付きもしていない。飛んでくる火矢を防いでいたとしても、その後ろに大軍勢がいることに気付いていなきゃ、たとえ一つ二つの小火を消したところで意味がないのよ。本当に怖いのは本隊のほうだわ。イグナートはね、最小の戦力で、アシュヘルクを潰す気で来てるのよ。つまりは、それっぽっちの労力で潰せる国だと思われてるってこと。完全に舐められてるし、馬鹿にされてる」

 ノアはそこまで一息で言い切ると、反らしていた首を戻し、アウレリオに視線を戻す。

「だから、あたしなら先にこちら側から攻め込むわ。馬鹿にされているうちが花よ。こちらを油断しているから、多少大きく動いても、気づかれる確立は低い。運良くあちらの君主の首を落とせればラッキーだし、失敗したとしてもこちらがイグナートの意図に気付いていると伝えることは、十分牽制になるでしょ。その後は、見せしめにイグナート兵を数人殺しておけば、裏切り者への脅しにもなる。あとは速やかに周辺諸国と軍事協力を結べばいい。アシュヘルクが陥落すれば、そこを足がかりに侵略の危機に直面するわけだから、喜んで手を結んでくれるでしょう。そうなれば、イグナートもおいそれと手を出せなくなる。その間に、平和的な解決を模索するのか、戦争を始めるのかは、政治的判断を下せばいいわ。――――――もっともあたしなら、腕の立つ兵を少数連れて行って、イグナート王の寝首を掻く方を選ぶけどね。目には目をよ。まさか、自分たちが考えた作戦を返されるとは思ってないでしょうし、こちらが狙うのは、あっちがアシュヘルクを狙うよりもずっと簡単なはずよ。だって、狙うのは君主一人でいい。イグナートが一君主独裁制でよかったわ。狙う命は一つきりでいいんだから」

 ノアがまくし立てた作戦を聞き終わったアウレリオは、細い息を吐き出した。感嘆にも似た表情を浮かべる。

「なんとも・・・・・・。あなたはずいぶんと見た目を裏切る。外見よりも遥かに、頭の回転が速く賢い」

 思わず口を着いて出てきたという様子だったが、それは間違いなく若き枢機卿の本音だ。ノアは、目の前の男を睨み付けた。

「それは、あたしが見た目は馬鹿に見えるってこと?」

「悪い意味で言ったのではないのです。あなたの外見は、もっと愛らしくたおやかに見えるということです。しかし、考えて見れば当然。あなたは薔薇の聖女、アシュヘルク建国の一人です。戦争を何度も経験している。血なまぐさい駆け引きも、あなたにとっては日常茶飯事のことだったでしょう」

「・・・・・・誉められてる気が少しもしないんだけど」

「誉めているわけではありません。事実を言っただけです。我がアシュヘルクは、長く平安の世を生きてきました。国王を筆頭に家臣のほとんどは戦争を知らず、身内の権力争いはあったとしても、内乱そのものさえこの五百年、ほとんどありません。我々は圧倒的に経験不足なのです。国王一家が狙われているとわかっていながら、ただ『守る』という方法しか思い浮かばない」

 優しげな顔に苦悩を浮かべるさまは、見るものが見れば名匠の描く宗教画のようだろう。ノアは天井を仰いだ。

「そうあるようにと、ルカが望んだのよ。平和であれ、平穏であれ、それがルカの望みであり、あたしたちが戦った理由だった。弱くなったことを嘆くのはやめなさい。この五百年、国の秩序を保つことがどれほど困難なことか、あたしにはよくわかる。人や国が腐るのは一瞬だわ。あたしはそれを戦場で何度も見てきた。平和というものが、どれほど脆くはかないものか。それを維持することがどれほど難しいことか」

 国の上に立つべき人間たちが、目先の利欲だけのために、他国を侵略し、民を踏みつけ、どれほど多くの血を流し続けてきたことだろう。正しき理性を保ち続けることよりも、欲と快楽に溺れる方が簡単なのだ。

「平和を貫き続けたあんたたちは、もっと胸を張って誇るべきなのよ、アウレリオ枢機卿猊下」

 ノアは視線を目の前に戻し、強く断言した。

 ルカの望んだ世界。自分達が戦った理由。死んでいった仲間達。多くの命が失われた目的。そのすべてが、ただただこの国の平和のためだったのだから。

「不安になれば耳を澄ませばみればいい。聞こえてくるのは民の嘆く声か、それとも喜び楽しむ声なのか」

 彼女の声は力強く、そして厳かだった。アウレリオは感服する思いで、目の前の少女を見つめる。

 細く痩せた体は円やかさにかけ、棒切れのようだ。顔立ちは少々きつい印象を受けるが、それでも十分愛らしい。今は埃っぽい旅装姿だが、華やかなドレスを着せればどこにでもいる町娘のように見えただろう。

 しかし、ノアはどこにでもいる娘ではない。彼女は五百年の時を生きる女であり、アシュヘルクを建国した一人、稀代の大魔女にして、薔薇の聖女だ。かつてはこの王国の初代王妃でもあった。

 その迫力と重荷が、確かに彼女の奥底には根付いている。

 ラビットも、息を詰めたようにか弱げな体を見つめていた。

 少女だけが、平然としているのだ。

 アウレリオは、打ち震えそうになる体を抑えられなかった。

 改めて自覚した。心の底から歓喜した。

 目の前にいる少女は、奇跡の具現者なのだ。

「今わかりました。なぜ星の神アウグスタがあなたを選んだのか。ノア・リデル、あなたなら、この国を守ることが出来る。どうか、力を貸してください」

 ノアはゆっくりと瞳を瞬かせた。唇に笑みを浮かべる。艶やかな微笑とともに吐き出されたのは――――――。

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