第12話

 先ほどの部屋は、どうやらアウレリオの執務室であるらしい。机の横には扉が一つついており、そこは客を案内できる応接室のようになっていた。四つ並んだソファの一つにノアが座ると、アウレリオ自らがお茶を用意する。ラビットは、身分上アウレリオの前で座るわけには行かないと、ノアの背後に立ったままだった。

 アウレリオは、ノアの向かいに座る。

 テーブルの上にはお茶が三つ並んでいる。湯気とともに立ち上るのは薔薇の芳香だ。

「ローズティーですよ。ルーヴェの特産品です。美味しいですよ」

 微笑とともに勧められたが、ノアはあえて無視をした。それを仕方ないと苦笑し、アウレリオはラビットへ顔を向けた。

「ラビット、あなたの目は本当にすばらしい力を持っているのですね」

「え?」

「あなたが見つけ出したノア・リデル嬢は、かつてこの国を建国した人物の一人、薔薇の魔女と呼ばれるその人ですよ」

「は?」

 ラビットの目が限界まで見開かれた。今にも眼窩から水色の目玉が零れ落ちそうだ。彼は油の指し忘れた螺子のようなぎこちない動きで、首をめぐらしノアを見た。

「薔薇の魔女・・・・・・? ノアが? ですが・・・・・・でもそれは五百年も前の伝説では・・・?」

「悪かったわね。見た目ほど、実年齢が若くなくて」

 ノアはむすりと唇を尖らせる。

 薔薇の魔女。それはこの国の伝説だ。建国の魔女。初代王妃。いまだ国中に散らばる多くの奇跡の根源。アシュヘルクの絶対的守護者。

 しかし、ノアにしてみればそれは五百年も前のことだ。過去の栄光を、いまだに引きずるほど彼女は見苦しい女ではない。城を去るときに、それらはすべて捨て去った。今の自分はただの、女だ。聖女でも王妃でも薔薇の魔女でもない。

 不安げな顔をしているラビットに、アウレリオは優しく笑いかけた。

「本物ですよ。私は、本物の薔薇の聖女の姿を知っていますから」

 ぴくりと、ノアの肩が揺れた。

「本物の、薔薇の聖女のお姿を、ですか? 肖像画かなにかをご覧になったのですか?」

「いいえ、違いますよ。これは、この国一番の秘密なのですが、あなたには教えましょう。伝説では、薔薇の聖女は国王の死後城を去ったと言われていますが、そのときにあるものをこの国に残して行きました。それは、五百年を経て現在まで国王から国王へと代々受け継がれ、アシュヘルクのもっとも重要で価値ある宝として、大切にされてきました」

「ねぇ、ちょっと待って、もしかしてそれ本当なの? じゃあ、あたしの体はどこかの墓の中に埋まってるとかじゃなくて、宝物庫の中に他の宝石やなんかと一緒にしまわれてるってこと?」

 考えただけで悪夢だ。げんなりとしたノアとは違い、「体!」と叫んだのだラビットだ。一人アウレリオだけが微笑んでいる。

「そうです。薔薇の聖女は、自分の体をこの国に残したのです。それは五百年を経ても、当時とまったく変わらず若く愛らしいままの姿を保ち、今でも存在しています。私も、一度だけ目にしたことがありますよ。もっとも伝承では肉体を我らアシュヘルクの民に残し、魂のみになった薔薇の聖女は世界を風と共に巡っているとも、王が向かわれた天上の世界へ後を追って旅立たれたとも伝えられていますが・・・」

 アウレリオはノアを見つめる。

「――――――ええ、本当にあの硝子の棺の中で眠っていたのは、まさにあなたでした、ノア・リデル。ただ棺の中の薔薇の聖女は瞳を閉じていましたが、そうですか、あなたの瞳はそんな色をしているのですね。まるで朝日の中で輝く薔薇のような色だ」

「ア、アウレリオ様が、そう仰るのなら・・・・・・ノアは本当に本物の薔薇の聖女・・・・・・」

 ラビットは、今にも泡を吹きそうな顔をした。

「聖女聖女って、やめてって言ってるでしょ。あたしはそんなものになったつもりはないわ」

「それは申し訳ありません。しかし、こればかりは癖のようなものなのですよ」

 アウレリオに悪びれた様子はまったくない。ノアは、ぱんと、机を叩いた。

「あたしの体はどこ?」

「体を見つけて、どうするおつもりなのですか?」

「馬鹿みたいな質問してこないでよ。どうするもこうするも、元の体に戻るのよ。今のこのあたしの体はいわば本体から切り離された影のようなもの。あたしは元に戻りたいの。そもそも、なんで宝物庫になんて入れられてるのよ。あたしはフェリスに、時期が来たら荼毘にふすように言ったのよ」

「フェリス・・・・・・確か英雄王の弟で次の王の名ですね」

 ふむと、アウレリオが茶色い瞳を瞬かせる。おずおずとラビットが尋ねてくる。

「そ、そもそもノアは、なぜ自分の体を城に残していったんですか?」

「城を出るときに、泣いて縋られたからよ。それに城や城門を維持するのにも、その方が都合が良かったし・・・・・・それに、あそこにはルカが眠ってたから・・・・・・」

 彼を一人にしておきたくなかったのだ。だが、ノアがあのままあそこへとどまることは、出来なかった。だから自分の体から意識だけを切り離して影に移し、本体を城に残してきた。

「荼毘になんてふして大丈夫なんですか」

 ラビットが眉を下げる。

「あっちが消えてなくなれば、あたしのこの体が本体になるのよ。フェリスには、情勢が安定するまでって言う期限で、体を残してきたの。その後は、燃やして灰はルカの眠る土の上にでも蒔いておいて頼んだはずだったのに」

「ルカというのは、ルドヴィカ英雄王のことですね」

「そうよ、アウレリオ枢機卿閣下。世が世ならあたしは王妃様ってことになるわけ。恐れ多くも国母になろうって女の命令が聞けないわけ? あたしの体の場所を教えなさい」

「世が世なら、確かにそうでしょう。しかし、現在(いま)のあなたはしがないただの女だと、そう仰ったのはあなた自身ではありませんか、ノア・リデル?」

 ノアは鼻の頭に皺を寄せて、そっぽを向いた。

 そう反論されることぐらいは予想できていたが、取り澄ました顔をしている目の前の男は、いけ好かない。

「話を聞く、たしかそういうお約束だったはずです」

 柔らかな声音は、だが有無を言わせぬ拘束力があった。ノアはますます顔を顰め顰めた。しかし、確かに約束はした。だが、それはラビットであってあんたとじゃないと文句を言いたくなるのを、ぐっと喉奥に押し込める。

 はぁとため息を吐き、彼女はどかりとソファの背もたれに行儀悪くもたれた。

「いいわ。話だけなら、聞いてあげる」

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