第11話
ラビットは、彼女を教会の奥にある建物へと案内した。重厚な扉をノックし、中から返事があると彼が扉を開け、ノアに先に中へ入るようにと促す。
狭い部屋だった。剥き出しの石床は部屋の中央部にだけ絨毯が敷かれている。部屋には大きな鎧窓が一つだけついており、それは扉の目の前にあった。カーテンがかかっているせいで窓の外の景色は見えない。部屋の左側には飾り棚が置かれている。本で埋まっていた。反対側の壁には執務机が置いてあった。そこには、若い男が座っていた。金色の長い髪を背中に広げ、整った優しげな容姿の男だ。年は二十代の半ばほどだろうか。
「アウレリオ枢機卿、ノア・リデルをお連れしました」
枢機卿という言葉に、ノアは驚く。聖職者は基本的に年功序列制だ。この若さで枢機卿という立場を得た男は、よほどずば抜けているということだ。ラビットといい、目の前の男といい、どうなっているのか。
それまで机の上で書き物をしていたアウレリオは、ゆっくりと顔を上げた。薄茶色の瞳が微笑みとともにノアに向けられ――――――凍りついた。頬から見る見ると色が抜け、華やかな顔を青ざめさせる。慌てたのはラビットだ。
「アウレリオ様、どうなさったのですか!」
ノアは、自分を食い入るように見つめてくる男の視線に眉を潜めた。
「なんなの?」
ラビットを見るが、彼も困惑している。そのとき若き枢機卿の唇が、震えた。
「あなたは・・・・・・生きておられたのですか? いえ、しかし、そんなことが・・・あるはずが・・・・・・ただの空似のはず」
呟かれた独り言に、今度はノアの表情が凍りつく。彼女は、アウレリオに飛びついた。
「あんた、あたしを知ってるのね! どこ? あたしの体はどこにあるの、教えなさい!」
「ノ、ノア?」
驚いて止めようとしたラビットの手を振り解き、アウレリオの襟元を締め上げる。もっとも身長差のせいで、たいした威力にはなっていないだろうが。しかし、彼のほうは、ノアの言葉で確信を得たようだった。激しい動揺を浮かべていた表情が驚愕に変わり、今度はみるみると冷静な、元の美しいものへと戻る。
理性を取り戻した若き枢機卿の瞳は、深い理知の色があった。
「そうですか、あなたが・・・そう(・・)なのですね。まさか、いまだご存命だとは思いませんでした。他の誰でもあったとしても信じられないことですが、あなたならそれも有り得ると信じられます。新たな薔薇の加護・・・アウグスタ神の言葉が、いまやっと理解できました」
アウレリオは、薄い唇に柔らかな笑みを浮かべ、襟にかかるノアの手をゆっくりと下ろさせると、その場に膝を着いた。さながら、騎士のように。
「よくぞ、ルーヴェにお戻りを、薔薇の聖女よ」
突然跪かれたノアはぎょっと身を引いたが、そんな自分が許せなくて慌てて両足で床に踏ん張った。きっと睨み付ける。
「その名で呼ぶのはやめて。それに、あたしは戻ってきたわけじゃないわ。目的のものを探しに来たついでに、話を聞きに来たというだけ。協力するとは一言も言ってない」
彼女は、足元に跪いた枢機卿を見下ろす。望みも目的も一つだけだ。
「あたしの体は、どこにあるの?」
「それが、あなたがこのルーヴェにお戻りになった理由ですか?」
ノアは金色の瞳を細めた。
「そうよ。他に何があるというの?」
「そちらのラビットから、この国が直面している危機は、お聞きにならなかったのですか?」
ノアはラビットを一瞥した。彼は目の前の光景の意味がわからず、おろおろとしている。彼女は、ふんと鼻を鳴らした。
「話は聞いたわ。でも、それがなんだというの? あたしがあんたたちに手を貸す義理はないわ」
「しかし、あなたは薔薇の聖女だ」
「だから、その聖女って呼び方はやめて! なんでいつのまにそんな呼び方になってるのよ!」
あまりに似合わない呼称に、ノアは身震いをする。両手で腕をこすり合わせる彼女に、アウレリオは苦笑を浮かべた。
「ルダ教では、あなたは天から遣わされた神の使徒ということになっているのですよ」
「・・・・・・とんだでっちあげね。あたしの故郷はナーダ大陸の北端の町よ。人の親の間から生まれたれっきとした人間だわ。神様なんて、会ったこともない」
「あの・・・・・。アウレリオ様・・・・・・僕にはさっぱり意味がわからないのですが。ノアが薔薇の聖女というのは、いったい?」
それまで一人会話から取り残されていたラビットが、おずおずと割って入ってきた。アウレリオは、しばらく考えるように彼の顔を見ていたが「そうですね」と小さく呟くと、立ち上がった。
「まずはお茶にしましょう。少し長い話になるでしょうから」
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