第9話
とにかくいったんは、昼食だと二人で食堂に入った。が、金を持っていない男の分まで、ノアが払うことになる。
男は、ジゼルと名乗った。
「結局、あたしへの借りが増えただけじゃない」
運ばれてきた薔薇の花が浮かぶジュースを飲みながら、ノアは鼻の頭に皺を寄せた。向かいに座るジゼルは、僅かに頭を下げて申し訳ないと言ったが、表情は特に変わっていない。どうやら、感情が表に出にくい体質らしい。
「まあ、一人でご飯食べるのもつまらないから、いいけどね」
そう言ってから、彼女は内心ではっとする。無意識に口を着いて出た言葉は、彼女自身が自覚していない本音だ。長いこと一人でいた。それが当然で、それが普通だった。一人で食事をすることなど、当たり前のことだったのに。
ほんの数日、ラビットと過ごしただけで誰かと向かい合い、話をしながら食べることの楽しさを、ノアは思い出してしまっている。その事実に、彼女はいまさらながらに気づいて、驚いたのだった。
「ノア、どうかしたのか?」
突然ジュースに視線を落としたまま固まってしまった少女に、ジゼルが怪訝な顔をする。
「あ・・・! ううん、なんでもない。美味しいジュースだなって思っただけ」
「俺のも飲むか?」
彼はまだ手のつけていない自分のジュースをノアの前に差し出してきた。さすがにそれは断る。食事が運ばれてくる。皿の上に乗った白身魚の香草焼きにナイフを突き立てていると、目の前から視線を感じる。
「なに?」
「美味いか?」
「ええ、美味しいわ。それがどうかした?」
「白身魚が好きなのか?」
ノアは目の前の男の皿を見る。まだ手のつけられていない肉料理がのっている。
「なあに、味見したいの?」
男は一瞬顔を顰め、違うと言った。
「魚が好きなのかと聞いたんだ」
「別に好きとか嫌いとか考えたことないわ。食べられるか食べられないかといったら、食べられるし、このお店の魚料理は美味しいと思う。どうしてそんなこと聞くの?」
しかしジゼルはそれに答えず、自分の皿の肉を半分切り分けて、ノアの皿に載せた。
「食べろ。肉も美味い」
よくわからないが、奢られていることに気を遣っているのかもしれない。ジゼルは外見に似合わず上品な手つきで肉を切り分けて、口に運んでいる。ノアは皿の上に肉の塊をどうするべきか悩んだが、結局ありがたく頂くことにした。
(どのみち、あたしのお金なわけだし)
食事が終わって店の外に出るとどこへ行きたいのかと彼は聞いてきた。
「王城よ。近くで見てみたいの。でも教会の鐘が五つなるまでには戻る約束なの」
「わかった。城の他に見たいところはないのか?」
「そうね・・・・・・薔薇の魔女のゆかりの場所が見たいわ。たとえば、彼女のお墓はないの?」
「・・・・・・なぜ、そんなものが見たいんだ?」
「そりゃあ、アシュヘルクで一番有名な人だもの。国中に彼女の伝説が残ってるでしょ」
「墓はない。薔薇の王妃は、夫である国王が亡くなって以後はどこかへ姿を消してしまった。墓がどこにあるのかは誰も知らない。もしその場所が見つかれば大騒ぎになる。みんな知りたがっているはずだ。墓は薔薇の王妃が伝説ではなく、本当に存在した証拠になるからな。史跡研究者が血眼になって捜しているみたいだが、今のところ見つかったとは聞かない」
「そう・・・それは残念ね」
ノアは、当てが外れたと、僅かに目を伏せて呟いた。
その後、ジゼルは確かに町に詳しく、良い案内人だった。いくつかの観光場所を巡り、最後に王城へと向かう。
乗合馬車に揺られていると、ジゼルが小窓の外を指差した。
「一番古い城壁だ」
それは建物と建物の狭間に突如現れた。隙間なく組み合わされた石組の壁は、王都へ入るときに通った城門よりも、ずっと荒々しく堅牢だ。所々に銃眼や望楼があるのが見える。
「建国当時は、ルーヴェはこの城壁までしかなかった。五百年のうちに町が広がり、五倍近い大きさになった。本来なら町を拡張する上でこの城壁は壊したほうが都合が良かったんだが、どんな道具を使っても壁を壊すことが出来なかったために、町の中に二重の城壁が出来ることになった。この壁は薔薇の魔女が造ったと言われている」
薔薇の魔女の魔法で造られたために、壊れない城壁。この国を守る薔薇の檻の一つだ。
ノアは、無意識に眉間に皺を寄せていた。嫌な予感が胸をよぎったからだ。
乗合馬車は城の手前の停留所で停まった。城は小高い丘の上に聳えている。その麓までなら、一般市民も足を運ぶことが出来た。観光客も多くいる。
丘と呼ぶからには決して標高は高くないが、丘と呼ぶには不釣合いなほど山肌は荒々しく、四方はほぼ断崖絶壁といっていい。城はその上に聳えるようにして建っており、そこへ通じる道は一本しかない。もちろん、その道には門が建てられ、門番が詰めている。
頑丈で分厚い壁に囲まれた城は、城というよりは要塞という印象が強く、もともとが王の居城であると同時に城塞としての役割も兼ねて造られた城なのだった。絶壁の上に建てられたのも、外敵からの侵入や攻撃から王族を護るためだった。
「これが一夜城だ」
城の前の広場に立ったジゼルが、言った。
「この城が作られたのも五百年前だ。建国以来、新しく敷地内に建物が増築されることはあっても、城そのものが改築されたことは一度もない。城壁と同じだ。この城にも薔薇の魔女の魔法がかかっているために、どんな道具も役に立たない」
王都をこの地にすると決めたときに、薔薇の魔女がたった一晩で城を作り上げてしまったことから、その名が着いたとされている。これもまた、薔薇の檻の一つなのだ。
「アシュヘルクが戦乱の時代から遠く離れても、この城は当時の面影を強く残す。――――――まるで過去の遺物だ」
どこか痛みを堪えたような声に、ノアは思わず隣を見上げた。彫像のように整った横顔には、しかし、なんの感情も浮かんではいなかった。彼女は、過去の遺物といわれた城を見る。確かに、目の前の城は優美さや繊細さからはかけ離れたものだった。首型堀(ハルスグラーベン)にさらには遮断堀(アプシュニツグラーベン)によって二重三重に護られ、建物は剥き出しの岩肌で温かみはなく、敵の侵入を阻止するための落とし格子(ポ-トカリス)や、敵を監視するための主塔(ベルクフリート)、攻撃場としての狭間(ツィンネ)や床狭間があちこちから見える。この城は人が住むべき場所ではなく、戦うための場所なのだ。
当然といえば当然だと、ノアは心の中で思う。
「もともと、防備用に造った城なんだもの」
彼女は小さく呟いた。
一夜城は、アシュヘルクが出来る以前、戦乱の真っ只中の時代に、ほんの少しでも王子が心安く過ごせる場所として、薔薇の魔女が建てたのだ。ここは身を護る場所であって、それ以後何百年も先の生活を考慮して造ったものではなかった。
「・・・・・・まさか、まだこの城が残ってたなんて。てっきり新しく建設しなおしてると思ってたのに・・・・・・。フェリスはなにを考えていたのかしら」
目の前に広がる城の姿に、ノアは思わず吐息を噛み殺す。ここへ来る前に見た城壁を見て、もしやと思っていたのだが。どうやら、自分の予感は当たってしまったようだ。
目の前に城がある。ということは、自分の探しているものは、容易には手に入らない場所にある、ということだ・・・・・・。
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